第35話

 綾乃は、突入した内部監察官に拘束された。

 現役係長によるキャピタル殺害未遂、しかも親族。

 現場に及ぼす影響を配慮されて西園寺綾乃係長の逮捕は機密指定された。

 拘置施設も特別なものが用意された。


「綾乃、ここって自決する可能性のある凶悪犯を常時監視するための施設だよね?」

 面会を許された琢が綾乃に話しかけた。

 二人の間に柵や強化ガラスは存在しないが、綾乃は椅子に何重にも拘束されていて琢は綾乃を囲むように床に引かれた線より綾乃寄りに入ることを禁止されていた。

 コンクリート製の壁は高く。四隅の天井に防犯カメラが設置されているほかは何の変化もない部屋。明かりは天井全体が面照明になっており、出入り口は拘束者の背中になるように作られていた。

 徹底的に刺激を排除し、拘束者の心を砕くことに特化された部屋。

「私、どうしちゃってたんだろう」

 綾乃の言葉に力がなかった。綾乃は自分がなぜ父親と兄に手をかけようとしたのかを思い出すことができなかった。

「人は間違える生き物だ。綾乃はキャピタルとして、責任を負うものとして間違えないことをその身に課してきた。そのひずみが出てしまったんだよ」

 綾乃は思う。いつだって琢は、綾乃に赦しを与えてくれた。昔から、あの時だって。

「あとの時…?」

 綾乃はどうしても具体的なエピソードを思い出すことができなかった。つい最近のはずなのに。

「綾乃、きみは疲れているんだ。少し休むといい。もしかしたらこれは全て悪い夢かもしれない。今は寝ることが一番だ」

 綾乃は琢の言葉を信じてゆっくりと目をつむった。

 琢はいつも正しかった。今回だって。

「琢、お願いがあるの」

「なんだい?」

 目をつむる綾乃を見て収監室から出ようとしていた琢が振り返った。

「この夢から覚めたら、私のためにマスクを作ってほしいの」

「代理人になりたいのかい?」

 琢が純粋に不思議そうに尋ねる。

「違う。なんだか恥ずかしくて。仮面を被れば、もう少し堂々とできるかなって」

 琢は少し考えてから口を開いた。

「そうだね。別人になるために仮面をつけるというのは、貴族の娯楽としての仮面舞踏会の頃からの伝統だ。だが、本来は許されることではない。

 わかったよ、綾乃。君のためのマスクを作ろう」

 今度こそ琢は収監室から出た。

「必要なこととはいえ。あの姿を見てしまうと良心が痛むな」

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