第7話

 綾乃は古風なアンティークベッドで目覚めた。窓からはさわやかな朝日が差し込んでいる。

「昨日は大変だったわ」

 ベッドに横たわったままそう独り言ちた。

 綾乃の起床を確認したメイドロボットがかいがいしく朝食の用意を始めるのを綾乃は散漫とした意識の中で見つめていた。

 朝食は伝統的なイングランドの朝食であった。少々脂っぽい。

 綾乃が朝食をゆっくりと口に運んでいると、メイドロボットがスリープモードから覚醒した。

「どうかしたの?」

『姉上様がお話ししたいようです』

「今?」

『部屋の前まで来ているそうです』

 ため息が出てきた。

 あの姉はいつもせっかちだ。

「いいわ、食事中でもよければ入ってくださいと伝えて」

『了解しました』

 メイドロボットが再びスリープモードに入る。

 おそらく部屋の外のスピーカーで姉と話しているのだろう。

「邪魔するわね」

 姉が入ってきて眉をひそめた。

「まだ着替えてなかったの?」

「ふつうの人は着替えて朝食を食べないよ」

 綾乃の気のない返事に気分を害した様子もなく姉は綾乃の向かい側の椅子に座った。

「相変わらず朝からおめかししてるね、茜姉さんは」

 茜は腰まであるストレートの黒髪をきれい流して、黒髪と対照的な白いドレスを着ていた。

 ドレスといっても室内用のカジュアルなものである。カジュアルであってもパーティーに通用しそうなところが茜の才能であると綾乃は思っていた。

「それで、分かってはいるけど話は何?」

「あなたってかわいげがないわね。警察なんてガサツな職場に入るだけはあるわ」

 本来であれば聞き捨てならない言葉であるが、茜の不器用さを20年かけて学んだ綾乃は今更腹を立てる気にもなれなかった。

「どうせ、母上か父上に様子を見てくるように言われたんでしょ?」

「両方よ、ついでに叔父上も」

「過保護なんだから」

 綾乃は首を左右に振って「うんざり」を表現する。

 これは茜も思い当たる節が多いようで笑いながら「そうね」と言っていた。

「でもまあ、私も頼まれてるわけだからね。どんな職場か教えて頂戴。気の置けない姉にたいする愚痴として」

「気の置けない姉?そんな姉に心当たりはないよ」

 そのようなやり取りが気の置けない姉という言葉を雄弁に語っていることに綾乃は気づいていない。

「それで?どうなの?」

 茜は妹の嫌味などなかったかのように先を促した。

「言えるわけないでしょ。所属部署だって家族以外には言わないように言われているのに職務内容なんて言えるはずがない」

「でも、綾乃。ショックなことがあったんでしょ?」

 茜は「お見通しよ」とでも言うようにウィンクをして見せた。

「何でそう思うの?」

「あなたが赤ちゃんだった頃からそばで見てるのよ?わかるにきまってるじゃない」

 実際は夜の間に綾乃の寝室に忍び込んで寝顔を眺める日課の際に、寝言を聞いてしまったのであるが、そのことを言わないだけの分別が綾乃には残っていた。

「わかったわ。詳しい内容は言えないけど」

 茜は黙って先を促す。

「同僚が死んだの。たくさん」

 一言の告白がきっかけだった。ダムが小さなヒビから漏れた水がきっかけで崩壊するように綾乃はボロボロとしゃべっていった。

 機密に抵触する内容を器用に避けながら、姉は余計な詮索をしないという信頼のもとにすべてを話した。

「警察に殉職はつきものよ」

 茜は妹を慰めるため、というより淡々と事実を述べた。

 実際、一度悪化した日本の治安は一向に回復する兆しを見せず、拡大した警察組織とあいまって殉職する警察官の人数は毎年過去最多を更新していた。

「綾乃。代理人を置きなさい。西園寺家で調達する代理人は優秀よ。あなたのキャリアを傷つけることはしない」

 茜が本当の用事を口にしたのだと、綾乃は直感的に理解していた。茜がどのような気持ちで代理人を勧めるのかも知っていたので、むげに断ることはできないとも思っていたが、綾乃は首を横に振った。

「なぜ?」

「私たち、キャピタルと呼ばれている人間の役割は決断して責任を取ること。そうでしょ?」

「そうよ。だから危険な現場に立つ必要はない。あなたはこの屋敷から十分に役目を果たすことができる。あなたにはその能力がある」

 茜は必死だった。

 それでも綾乃は首を横に振る。

「私は警察に入るという決断をした。現場に出るという決断をしたの。その責任を取るのは私よ。代理人の血で払うものではないわ」

 綾乃はすっかり冷めた紅茶に口をつけた。

「それに」

 茜が部屋に入ったときとは別人にような疲れた目で綾乃を見つめる。

「それに、成人を迎えたキャピタル構成家の1員である私の決断を覆す権限は誰にもありません」

 それは茜にも、茜に説得を依頼した二人の両親にもわかっていたことだった。もし知らなければ親の権威を振りかざして大喧嘩をしていたであろう。

「話はそれだけ?」

 押し黙った茜に対して綾乃は表面上優しく問いかけた。 

 長い付き合いの茜にとって、それはタイムアップの合図だった。

 これ以上粘れば良くないことが起きる。

 これまでの人生で叩きこまれた事実だった。

 おとなしく、表面上優雅に、表情をよく見れば悲し気に立ち去った茜を見送った綾乃はぐったりと椅子にうずくまった。

「せっかくの休日なんだから、どこかに出かけないと損よね」

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