第3話

 綾乃は困惑していた。

「あの、」

 質問をしようと声を上げるも、部下に顔を向けられるだけでひるんでしまう。

 別に睨まれているわけではないと頭ではわかっていても、色鮮やかなマスクの向こう側でどのような表情が作られているのかを想像するだけで、怯むには十分すぎる刺激であった。

「何か質問かい?」

 綾乃が怯えていることに気づいたからか、天野が声をかけた。その仮面は手元のタブレット端末を向いている。

「あの、いろいろあるのですが。まず、なんでこんなところに航空機用の格納庫があるんですか? この建物90階建てですよね?」

「ああ、それは黙っててもそのうち分かると思うけど。ほら、1係の乗ってるVTOL見てごらん」

 綾乃が狭い窓から外を見ると視界の隅に、彼女が乗っているものと同型のVTOLがいた。機種をこちらに向けて壁際にいる。

 そしてVTOLは上に動き出した。まだエンジンは始動していないはずだ。

「昇降機?」

「そう、71階、80階、84階に格納庫があって屋上の滑走路に直通昇降機でつながってる」

 天野は「見ればわかるだろ」とでも言いたげな口調で言ったが、綾乃はここまで大規模な施設を自分が知らなかったことに驚いていた。それはつまり、一般市民はすべからくこの格納庫のことを知らないということでもある。

「よくこんな大きな施設を隠せましたね」

「これだけ隠そうと思ったら大変だろうけど、全部隠せば大したことはないさ」

「と、言いうと?」

「だって係長、ここがどんな部署か知らないでしょ?」

 綾乃は天野の緑色のマスクを見つめて考えた。

 確かに、心当たりがない。綾乃が聞かされていたのは、特別な管轄地域を持たずに特殊な犯罪に対処する組織である、というだけであった。

「ここはね。キャピタルがかかわる犯罪を専門で検挙する組織だ。

 普通の警察は一般民が犯した罪しか検挙しない。

 まあ、絶対数が一般民のほうが多いし、一般的に社会的地位がある人間は罪を犯さない傾向があるから普段はそれで困らないんだけど」

「なんで警察は一般民しか検挙しないんですか?」

「お嬢ちゃんは警察に逮捕されたいかい?」

「それは、好き好んで逮捕されたいなんて思っていませんけど……、まさか?」

 綾乃は目を見開いて天野を凝視した。天野がどんな表情をしているのかは分からない。ほかの係員もそれぞれの座席についているが、その意識がどこに向いているかは推し量ることができない。

「警察機構が抜本的に改められたときに、時の権力者は自分たちが逮捕されにくい仕組みを作った」

「それは、自分たちにやましいところがあると公表しているようなものではないですか」

 綾乃は憤っていた。

「そうかもしれないが、別の考え方もある。普通の警察は、上級職員と下級職員に分かれていて下級職員は一般民でもなることができる。そして、何か事件が起きた時に逮捕のために乗り込むのは下級職員だ」

 そのことは綾乃も知っていた。警察の下級職員は一般民が公務員になることのできる数少ないケースの一つである。必然的に一般民のなかでも優秀な人材が公安警察省下級職員には集まり、婚姻や養子縁組によってキャピタルに取り立てられるケースもあるという。

 しかし、この制度と警察がキャピタルを取り締まらない理由にはどんなつながりがあるのだろうか?

「要は、キャピタルが一般民に偉そうなことを言われるのを嫌ったんだろう。俺はそう思う。逮捕されるようなことはなくても、警察官は国家権力を代執行する立場にある。取り調べを受けるだけでも嫌なんだろう」

「理不尽です!そんなに嫌ならキャピタルだけで警察を組織すればいいじゃないですか!」

 天野が嗤った、ように綾乃は感じた。

「その通り。お嬢ちゃん頭がいいね。さすがだ。

 そういう発想で生まれたのがここ、国家公安委員会直属広域特殊犯罪対策課」

「そんな、そんなのってありですか?」

「ありなんだよ。もっとも、キャピタルで犯罪行為に手を染めるようなのはろくでなししかいないから。お嬢ちゃんみたいな普通の神経した人間は耐えられずに代理人を送り込むのが普通さ。1係の青木みたいな変わり者もいるがね」

 そうこう言っているうちに、今まで横にかかっていた加速度が縦に変わった。

 昇降機は綾乃が想像していたものより速かった。

 機械が壊れないように緩やかな加速であるが力強い加速だった。

 緊急発進に備えるためだろうか。

 加速が減速に転ずると、小さい窓から強い光が差し込み減速は終わった。

『係長、航空本部から離陸許可が下りました。飛行プランの承認を願います』

 天井に設置されたマイク越しにコックピットから声がかけられた。

 手元のタブレット端末には離陸から目的地までの飛行プランが表示されている。

 行先は東京西部だった。

「承認します」

 そういいながら綾乃は承認のボタンを押し、タブレット付属のペンでサインをしたためた。

 サインを送信したかしないかのタイミングで機体内部は下向きのG増加にさらされ、浮遊感がそれにとってかわった。

 浮遊感が薄れたら、そこからは快適なフライトである。

「では、係長。今日の仕事の説明をさせていただきます」

 天野が改まって仕事用の声で話しかけてきた。

「お願いします」

「では、今日の標的は犯罪組織です。一昔前だとヤクザとか呼ばれていたあれですね」

「その犯罪組織にキャピタルがいると?」

「幹部は全員キャピタルだと報告を受けています。最初は現地警察が対処しようとしたんですが、奴らが幹部のプロフィールを公表しましてね」

「身元が分かれば捜査ははかどるのではありませんか?」

「ふつうはね」

 綾乃の疑問に天野はつまらなそうに答えた。

「上級警察官以上には現場判断で令状を発行する権限がある。でもその権限をもってしてもキャピタルの権利を侵害したらその警察官が犯罪者になってしまう。それで現地警察は怖気づいて俺たちに助けを求めたと」

「こんな制度やめればいいのではありませんか?」

「俺にそんなことを言われても困ります。こんな会話をオーナーに聞かれたら収容所送りになりかねないんですから」

 綾乃はハッと息をのんだ。

 あまりに自然に会話が成立していたので、天野が代理人であることを失念していたのである。代理人が代理人としてふさわしくない言動を行ったとオーナーが判断すれば、代理人は職を失う。さらに悪質性が認められた場合には社会からの隔離が行われる。

「すいませんでした」

「気にすることはないさ。今のオーナーは聞かなかったふりをしてくれるし、覚悟もできてる。俺のオーナーはお嬢ちゃんと仲良くできるかもな」

 そういってマスク越しでくぐもった笑い声を一通り出すと、「これで話は終わりだ」とでも言うように、狭い窓から眼下の風景を見つめていた。

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