第16話
「もうここで結構です!」
アキは門扉をガードしながら言った。
「いいじゃん、ちょっと下見したら帰るから」
「それって空き巣とかそういう人の言うことでしょうよ!」
「てへ★」
神様のイタズラレベルの童顔が、天使のような悪魔的な笑顔を浮かべる。もっとも神様のイタズラじゃなくて、アキの悪ふざけなわけだけれど。
「てへ★じゃない!絶対に家には入れない!」
さっきからずっとこんなやり取りで、多分15分は経っている。
夕方の薄闇がそろそろ濃くなってきていて、いい加減帰らないとまた家族会議になりそうだ。
「なんでさ?友達だろ?な?」
「そもそも昨日知り合ったばかりじゃないですか」
「いやいやもう同じ死線を乗り越えた仲じゃん」
押し問答というかもうおしくらまんじゅう状態でいると、玄関のドアがガチャリと開いた。
「おにい!うるさい近所迷惑!」
夏来が開け放った玄関から叫ぶ。
「ご、ごめん。ってあ、ちょっ、ハルトさん!?」
「あれーアキの妹さん?可愛いねぇ、名前なんていうの?」
アキの手をスルリと搔い潜ったハルトが、あっさり夏来の前に移動した。夏来は突然目の前に迫ったハルトに目を丸くすると、次の瞬間踵を返してリビングへ叫びながら駆け込んで行った。
「お、おかあさーん!」
アキにいがへんな人つれてきたあ!と言って。
ああもう。ガックリ項垂れるアキをよそに、ハルトが言う。
「あれ、入らないの?」
「あんたが言うなあ!」
こんな事ならひとりで帰れば良かった。後の祭りというやつだ。
「どうしたのよー?あら、お客さん?」
リビングから母親が出てきて、ハルトとアキを見やった。あからさまに不審と疑惑が浮かんだ顔だ。なにせアキは人を家に呼んだこともなければ、親の前で他人と会話しているところもあまり見せたことがない。もっぱら知り合いといえば、いじめの主犯グループを思い浮かべるほどだ。
「どうも!遅くにスミマセン、アキくんのお友達の成瀬ハルトです。以後お見知り置きを」
大仰に礼儀正しく一礼して見せたハルトに、母親は戸惑いながらとんでもない事を口走った。
「お友達、なの。そうなの!良かったら上がっていってくれる?」
かあさん!その人アブナイ人だよ!なんて言えるわけもなく。
「いいんですかぁ?ではお言葉に甘えておじゃましますー!」
ハルトは颯爽と中へ入っていってしまった。一瞬アキを振り返って、これ見よがしにウィンクなんてするものだから、もう呆れてなにも言えない。
リビングまでズンズン遠慮なしに押し進んだハルトが、ダイニングテーブルに勝手に居座って20分。
「もー、アキったらこんなにいいお友達ができたなんて!さっさと言いなさいよ、ねぇ?」
「酷いですよねぇ!おれ、結構仲良しな方だと思ってたのに」
「ありがとうね、こんなバカ息子と仲良くしてくれて…」
「お母さん、アキくんはとってもいい子ですよー」
なにこの会話。
アキはなんだか流れについて行けず、ハルトが徐々に母親を攻略していく様を台所の陰から冷めた目で見つめる。
夏来はアキの後ろで警戒心も露わにハルトを睨みつけている。珍しくぴったりとアキにくっついているから、ちょっとだけ嬉しかったり。なんて。
「ところで成瀬くんはどこの高校なの?アキと同じじゃないわよね?」
母親はハルトの私服姿を見ながら確認するように言った。
「やだなあお母さん。おれ、高校生じゃないですよー?ピチピチの県立大学二年生です、ハタチっす」
ドタタ、と、ズッコケそうになったのはアキだ。
「おにい…?」
夏来が不審な目で見ている。
でもそれどころじゃない。ハルトを大学生設定にしたのはアキだけれど、まさか結構賢い大学生だなんて。しかも手癖の悪い殺し屋。あり得ん。
「まあそうなの?ごめんなさいね、てっきり…」
「同級生だと思いました?まあ、チビなのは昔からだし、そこはもう諦めてます。昔はこれでも悩んだんですよ?チビだからっていじめられてたし」
ハルトがサラリと爆撃した。アキは最近慣れてきたから、顔をしかめただけだったが、母親と夏来は見るからに固まった。
「アキと同じだからほっとけないんすよね。それに、そのおかげで今は自分の才能に気付けたわけだし」
ハルトがニッコリしたところで、アキは慌てて話を変えた。なんだか雲行きが怪しくなってきたからだ。
「ハルトさん、そろそろ帰らないと!みんなが心配しますよ、なんて…」
「ん?そうかな」
わざとらしく首を傾げてみせるハルトの腕を掴んで急かす。これ以上ここで爆撃を繰り返させるわけにはいかない。
「そうですよ!ほら、もう帰ってください!」
「なんでさ?まあいいや。お母さん、また来ますねー」
急かされながらも最後に愛想よく挨拶をする。なんてコミュニケーション能力の高い殺し屋だ。羨ましい。
ハルトを玄関の外に追い出して鍵を締める。アキはホッと溜息をついてリビングに戻ると…
なんでか母親がホロホロと涙を流しているではないか!!
夏来がジトッとした目でアキを見た。なんとかしなさいよといいたげだ。
「…どうしたの?」
仕方なく声をかけてみる。
「かあさん、とっても嬉しいのよ…あんたがちゃんと話せる友達ができて…ちょっと歳上過ぎるとも思わないでもないけどねぇ…」
それじゃあ結局嬉しいのか悲しいのかどっちかわからんだろ…と突っ込みたくなったけれど、その前に玄関の扉が開いて父親が帰宅した。
で、アキの役目は父親に見事に譲渡される。
「ちょっとおとうさん聞いてよアキったらなんだかとってもいいお友達ができたんだけどそれがハタチなのよハタチそれにそのお友達成瀬くんっていうんだけど県大の学生なんだってすごいと思わない?」
息継ぎ無し。まさにマシンガントークだ。父親はアキと夏来より母親の扱いに慣れているから、ああそうかと言っただけで、あとは母親がずっと喋り続けていた。
アキはそこにいたにも関わらず、自室に引き上げるまで発言することは一度も無かった。
☆
翌日の学校はもっぱら殺人事件の話題で持ちきりだった。
こんな山と田んぼと湖しかない地元で、しかも目と鼻の先で全国ニュースになるような事件が起きたのだから、情報に飢えている思春期の学生にとって、被害者には失礼だけれどこれはいいネタとなっていた。
だけれど、そんな中でもやっぱりアキは、というかアキを含めアキに最近出来た友人達は、この狭い社会のなかで格好の標的となってしまうわけで。
故意かそうじゃないかはわからないが、徐々に殺人事件の犯人はアキかその友人という噂が、小さくない声量で拡がりつつあった。
普通はあり得ないと思うかもしれない。でも、ここはそういう話に飢えた狭い社会なのだ。噂をするのも自由。
それに、去年の年末にアキが起こした放火は、ここの住民達にとって殺人事件と同等の衝撃だった。現に未だ被害にあった学生は、病院のベッドの上で様々な機械に繋がれて横たわっているわけだし。
そんなわけだから。
アキが殺人事件の犯人?あ、アイツならやりかねないよね、だって放火魔だし。最近先輩をボコボコにしたらしいじゃん?しかもなんだか不良と付き合ってるらしいし、と、あり得ないこともあり得るかもと噂して。
楽しむのだ。
休み時間の、ひとときの会話として。
コミュニケーションツールとして。
それは些細な変化だった。昼休みお手洗いに行ったアキが教室に戻ると、机から教科書やノートが引っ張り出されて、無残な姿をさらしていた。
悲しいかな慣れっこのアキは、ああ久しぶりだなあと落書きされたノートや教科書を深く見ないようにして片付ける。ちょっとだけ目眩がしたけれど、その後の授業を目一杯使って心を落ち着けることに専念した。
放課後、掃除当番だったので仕方なく教室に残っていた。こういう用事の日だけは、さっさと帰るわけにはいかない。
席に座ってライトノベルを読みながら、もう少し人が減るのを待っていると、アキの机の周りに影が落ちた。目線を上げる。知らない生徒が数人、アキの周りを取り囲んでいた。
「おまえがやったってマジ?」
一瞬何を言われているかわからなかった。
「なんの話、ですか?」
多分先輩かなあと思って一応敬語で答える。
「ハハ!真顔で知らんフリできるなんて、お前やっぱサイコなんじゃねえの?」
「…?」
「殺人事件だよ!お前が犯人なんだろ?ほら、前に放火してるし」
ああ、と納得がいく。で、唐突にバクバクする心臓と妙に引き攣る呼吸。
「ぼくはなにもしてないよ」
自分の声が、遠くから聞こえるくらい小さい。
「はあ?放火したのは事実だろ!巻き込まれた奴らまだ意識不明らしいじゃん」
「それと殺人事件はなんの関係もない!」
アキの精一杯の反論は、しかし鎮静効果は望めなかった。むしろ先輩たちをヒートアップさせてしまう結果となった。
「だからってお前が他人を殺しかけたのは事実だろーが!」
「のこのこ生き残っといて言い返してんじゃねえよ!」
ああ無理、もうダメ。アキは、自分の机を蹴り飛ばした。ガタァン!と激しい音を立てて、先輩と前の席を巻き込んで机が転がってしまう。教室に残っていたクラスメイトがみんなアキの方に視線を向けた。
「んの野郎!!」
左隣の先輩が逆上してアキに摑みかかる。アキは伸ばされた手を払いのけて、さらには先輩の伸びきった腕の外側を殴りつけた。パキッと小気味よい音がハッキリ聞こえた。
「うあ、腕がぁ!?」
先輩が腕を抑えてうずくまる。ほかの視線がそっちに逸れた間に、アキは一目散に逃げ出した。過呼吸気味の酸欠状態の身体にムチを打って廊下を走る。やや時間を置いて、背後から待てコラァ!逃げんじゃねぇ!と数人の先輩が追いかけてくる。
アキは3階分の階段を転がるように降り、正面玄関に辿り着くと上靴のまま外へ駆け出した。先輩たちもなかなか諦めてくれない。
校門を飛び出し、何も考えずに自然と足を向けた方向は、カフェ『シュレディンガーの猫』だ。だけどそこでアキの体力が尽きて足が動かなくなった。完全に酸欠だ。自分が息を吸っているのか吐いているのかわからなくて、足りない酸素を欲して喘ぐ。
「待てよオイ!」
落ち着いてきた先輩が、フラフラと足をもつれさせるアキの背中に跳び蹴りした。ブラドやレオ、ハルトに比べたらまるで下手くそな蹴りだったが、今のアキには十分過ぎるダメージだ。
無様に顔からアスファルトにすっ飛んで、そのまま動けなくなってしまった。
「お前ッ、頭イかれてんじゃねえの?」
「ただの悪ふざけで人の腕折るやつがいるかよ!」
そう言って先輩たちがアキの倒れた身体に蹴りを入れる。
痛みと酸欠で朦朧とした頭をなんとか働かせて逃げ道を探す。けれど、そんなものは都合よく浮かんでこない。
「オイ!なんとか言えよ!」
一際勢いのある蹴りが来る。ドガっとアキの腹部に衝撃が来て咳き込む。
「あれ?アキじゃんよ。大丈夫?」
「あんたアレが大丈夫に見えるならどうかしてるぜ」
先輩たちの暴力が止んだ。名前を呼ばれた気がしてアキは顔を僅かに上げた。
ブラドとハルトがいた。二人ともいつも通りのニヤニヤ顔だ。その後ろにレオもいる。
「大丈夫だろ。だってマジで痛い目みせるなら、あんなボコスカやってもダメだろ?ホッセエ針で生爪剥ぐ方が効果的だって」
「なるほど。今度やってみよう」
「そんな事よりアキを助けてやるほうが先だ」
ひとり冷静なレオが言う。
「おい、あの金髪って…」
三人を注視した先輩達に焦りの色が浮かぶ。ブラドはうんざりした顔だ。ハルトは何故だかものすごく楽しそうにおもむろに近付いてきたので、先輩達が後ずさりし始めた。多分生物としての本能だろうとアキは朦朧とした頭で考えた。それくらいハルトの笑顔が不自然で恐怖を煽るものだったからだ。
「あのさあ、君らは友達がやられたらやり返すよね?おれもそうしていい?」
「…な、なんだよ」
「ダメかな?そしたら許してやろうとおもってんだけど。肋骨二本ずつ折るくらいでいいや。あ、大丈夫、ちゃんと確実に二本だけ折れるから。おにいさんを信用してくれると嬉しいなあ」
ニヤニヤするハルト。好きにしろと言うように肩をすくめるブラド。アキを助け起すレオ。言っていることややっている事はてんでバラバラだけど、アキはとても安心してしまうのだ。
例え三人が自分の自己満足で創ったキャラクターでも。
「クソ!」
吐き捨てるように言って、先輩達は学校へ戻っていった。
「大丈夫かアキ?」
無表情だが暖かい手付きでアキを助け起こしたレオが言った。それに応えようとしたアキだが、頷くので精一杯だった。
いつのまにか呼吸は落ち着いて、心臓のバクバクも無くなっている。
「アキ?」
安心すると途端になにも考えられなくなる。だからアキは、レオに抱えられたまま意識が遠くなるに任せていった。アキは最後にちょっとだけ、抱えて帰る事になるだろうレオに悪いなあと思った。
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