第15話


 有紗の反応は実にシンプルだった。


 無視。シカト。見えないフリ。


 アキも少なからず有紗の言葉にショックを受けた。


 だから、有紗がそのつもりならアキだって自分から話しかけようとは思わない。それでも困らないのがアキの日常でもあった。


 おととい橋の下であった出来事は、だいぶ尾鰭がついて広まっていて。元クラスメイトの兄貴をボコボコにしたアキの仲間は、不良グループのリーダーらしいぞと。あと、少年院から出てきたばかりらしいとか、何人か人を殺してるらしいとか。


「なんだそりゃ」


 学校帰りに『シュレディンガーの猫』へと寄ったアキがブラドにそんな話をすると、コーヒーカップを磨きながら盛大に顔をしかめた。ちなみに今は大人バージョンだ。


「でさ、みんなもっとぼくを避けるんだよ。まあだからって困らないけど」

「なに?キミっていじめられてんの?」


 まるで違和感なく溶け込んでいるハルトが、カウンター席に座るアキの横に座った。


「中学の時に、だ。今は盛大に空気扱い」


 ブラドがまた別のカップを手に取って答える。


「お子様だねぇ。キミもそれに甘んじてるわけね。やり返してやったら?」

「それが放火してやったそうだぜ。で、自分も大怪我」

「なんでブラドが全部言うんだよ!」

「あんたが呼吸困難になったら大変だから変わりに言ってやってんだよ」


 余計なお世話だ!と言い返してやりたいけれど、確かに自分で言うよりはマシかもしれない。


「なるほどねぇ。心的外傷ってやつか。しかしなあ、やり方が間違ってる。自分まで怪我してちゃ意味ないだろ?」


 ハルトがアゴに片手を当ててニヤッと笑う。


「おれだったらひとりずつスタンガンで眠らせて、ギチギチに縛りあげて身動き取れないようにして、そうだなあ、まず両手の指の関節を全部反対方向に折り曲げて…」

「ちょ、やめて!ゲスいよ!!」


 慌てて遮る。想像して思わずお尻のあたりがキュッとなってしまった。


「なんでよ?こういうのはちょっとずつするから効くんだぜ?ところでキミは人間の骨が何本あるか知ってるか?205だぜ?そんだけあったらちょいと折ったって死にはしないんだよ」

「なるほどなあ。オレも今度数えてみよう」

「やめてって!あんたらホントにやりそうで怖い!」


 なんて危険な組み合わせなんだ!


 ブラドとハルトがお互いにニヤリとしている。


 アキはこの二人を同じ小説に出すように創ってはいない。だから、まさかの相乗効果を発揮してしまっていた。主に危ない方へ、だ。


「おい、ブラド、出番だ」


 今まで黙っていたレオが窓際のテーブルからブラドを呼んだ。


 アキも身体の向きを変えてそちらを見る。テーブルの上には、一振りのボウイナイフ。ハルトのものだ。その周りには何やらよくわからない文字のようなものが描かれている。


「それほんとに消えんだろうな」


 ブラドがテーブルに近寄って行き、レオがボウイナイフを手渡した。


「心配ない。成功すれば消える」

「失敗したらどうすんだクソ」

「また違うテーブルに書けばいい」

「そういう問題じゃねぇよ!」


 ぎゃあぎゃあ言いながらも、ブラドはナイフを受け取って右手に持つ。


「一回でやれよ。何度もはムリだからな!」


 そう言ってブラドは、ナイフを自分の左の掌に押し当てた。アキが止める間もなく、ポタポタと血が滴り落ちる。


「もう少し思いっきりいってくれると助かる」

「うっせえタコ!」


 刃を握り込みように持ちスッと素早く引き抜く。アキはだんだん気分が悪くなってきた。


「ほらよ」


 ナイフをレオに渡して、ブラドは血の滴る左手を抑えてカウンターの中に戻った。それから棚からタオルをだして傷口に当てがう。


「うわあ、だいぶいったな。よかったら縫ってやろうか?」


 ハルトが興味津津とブラドの手を見つめる。人の怪我をこんなに爛々とした目で見る人間はそういないだろうなとアキは思う。


「いらん世話だ。吸血鬼の治癒力ナメんな」

「ああそう」


 途端に興味をなくしたハルトは、次にレオのテーブルに近付いて行った。


「コレ何?」


 アキもハルトの横からテーブルを見る。血濡れのナイフ、と、夢にまで見た魔法陣だ!


「魔族に有効な魔法をかける。それで一応対抗できるようになるはずだ」

「へえ」


 もっと驚けよと思ったが、そこはアキの創作の賜物だ。誰も細かい所は気にしない。


「ブラドは吸血鬼だから、その血を使えばこのナイフも魔族を倒せる、はずだ」


 そう言ってレオは魔法陣に右手を翳した。ボワアと淡い青白色の光がナイフを覆う。しばらくキラキラした光がナイフに注ぎ、唐突に消えた。


 テーブルの上にナイフだけが残る。


「おお!…おお?」

 ハルトがナイフを凝視して、それからさっと取り上げる。


「成功だ」


 普段通りの無表情でレオが言った。ちょっとホッとしているように見えるのは、それだけレオのことを理解できるようになってきたからかなあなんて考えて、だけど所詮は自分が作ったキャラクターなんだと思うとちょっと悲しい。


「なんかすげえ色になってんなあ」


 そう言われて改めてハルトの持つナイフに目を向けると、確かに、黒い波状の縞々が入っている。まるで、

「ダマスカスみたい」

「お?キミはイケる口か?」


 アキの呟きにハルトがニタリと笑って言った。


「アレは男のロマンだよなあ。世界一切れるナイフ!まあおれはナイフだけじゃなくてカッコいい武器はなんでも好きだけど」


 またもやアキの偏った趣味趣向が反映されている。殺し屋ハルトの趣味は武器集めという、単にアキが現代物のバトルシーンを現代兵器で描写したかったが為に当てがった設定だ。


「そ、そうだね」


 曖昧に返事をするしかない。だって、武器に詳しいという設定が、どれほど深い知識まで補完しているかわからないから。


 そういう曖昧さは、一体彼らの中でどうなっているんだろう。


 ふと気になって、アキはレオに聞いてみた。


「レオ。今更…なんだけど…」


 ん?とレオはアキに視線を移す。迷いのない真っ直ぐな黒い瞳に見返されて、なんだかちょっと緊張する。


「なんで魔族と戦ってるの?」

「あ、それおれも気になる」


 ハルトが食いついてきた。ブラドは視線だけこちらに向けている。


「前にも言ったが、俺の故郷は貧しかった。その原因は魔族による人間の支配だ。魔族との国境に近かった俺の村は、度々魔族による侵略を受けていた。俺が8歳の時、4歳下の弟が連れ去られた。それから俺は、弟を取り返すために剣の腕を磨いて旅をしている」


 なんてありがちな…とは、流石に言えなかった。お話の中なら、ああ王道展開乙ー、とか言って流し読み。というかあらすじを読んで買わない。


 でも、でもコレは…自分のせいなのか?


 だったら悲しすぎる。申し訳ないとも思う。安易に考えたキャラクターだったとしても、今目の前にいる彼は実際に辛い思いをしているのだ。


 言葉に詰まっていると、レオが珍しく薄っすら笑みを浮かべた。


「そんな顔をするな。もう何年も前の話だし、本当は弟がもう生きていないという事もわかっている」


 ものすごく胸が痛かった。アキはレオに同情したんじゃないのに。レオはそんなアキを気遣ってくれている。


「なんかありきたりな話だなあー。まあいいや」


 心底つまんねえという顔でハルトが言って、なんとなく気不味い空気が流れた。


「あ、客だ」


 ブラドが素知らぬ顔で言って、ガチャっと店のドアが開いた。


「すみませぇん、やってますぅ?」


 変に間延びした、ベタベタした感じの声だ。くたびれたスーツを着た人懐こそうに眉尻を下げたオッサン。ガタイが良すぎるのか、入り口が窮屈そうだ。それと若い女性。女性の方は清潔感のある黒髪ロングで、鋭い眼をしている。


「いらっしゃいませ」


 大人の色気を感じさせると言うと女性を意識しすぎている気がするが、多分ブラドはオッサンの後ろの女性だけを意識してニッコリと来店者に挨拶した。とアキは思った。


「ちょっとききたいんだけどね、いいかな?」


 スーツ二人組は無遠慮に店の中に入ってくると、ブラドの前のカウンター席に座った。


「うちはコーヒー専門店なんですが、なにか飲みますか?」

「いやお構いなく」


 ブラドが、男にわからないように顔をしかめた。多分、頼まねぇなら帰れクソ、と言う顔だ。


「それでね、ほんとちょっと聴きたいだけなんだけど。この辺で怪しい人見なかった?」


 アキだけではなく、ブラドとレオも不可解な顔をした。ハルトだけはなんだかニヤニヤしている。


「失礼ですけど。急にそんなことを聴かれても…」

「あ、まいったなあ忘れてた!わたしたちはこう言うものでして」


 オッサンが懐から取り出した黒地に金のエンブレムが付いたそれは、アキの記憶にもまだ新しい、警察手帳だ。アキは放火の際に散々話を聞かれたからよく覚えている。もっともその時は制服警官だったが。


「刑事の山川です。こっちは市井ちゃん」

「ちゃんはやめてください」


 女性刑事がすかさず言い切る。ブラドはニッコリ作り笑いのままだ。


「刑事ですか。何かありました?」

「この近くで殺人事件だよ。こんな田舎でなかなか珍しい事に、ねえ」


 殺人事件?そんな話聞かなかったが。そもそもこんな所で、一体なんでという思いが強い。オッサン刑事はわざとらしく咳払いをすると、声をひそめて言った。


「それがねぇ、ちょっとコレはオフレコで頼みたいんだけど…なかなかの猟奇殺人なわけよ」

「それは、怖いですねえ」


 全く思ってないだろと突っ込みそうになってなんとか堪える。


「で、こうして近隣の住民に片っ端から聞き込みしてるわけ」

「残念ですが、怪しい人なんて見てないですね。ここ、最近始めたばっかりですから、見ての通り子どもしか来ないんです」


 オッサン刑事がアキたちに視線を向けた。


「君たちは近くの高校の?」

「そうですー。同じ同好会なんです。コーヒー研究同好会」


 アキが口を開く前にハルトが言った。そんな同好会はアキの高校にはない。


「へぇ」


 オッサンはしばらくアキたちを無遠慮に見てから、なにかあったら連絡をと、ブラドに名刺を渡して店から出て行った。


「…殺人事件…こんな田舎でもあるんだ」


 にわかには信じられない。だって、そりゃもちろん犯罪者くらい田舎にもいるけれど。この近くという事は、被害者は、というか加害者も顔見知りかもしれない。


「そうとう出来る刑事だな、あのオッサン」


ハルトはニヤニヤしながら刑事二人が出て行った扉を見やっている。


「なんで?」


不思議に思って聞いてみた。


「殺し屋のカン」


聞かなければ良かったと思った。


「暗くなる前に帰るわ…」

「ビビってやんの」


 そそくさとカバンを持ったアキに、ハルトが嫌な笑みで言った。


「そりゃビビりますよ!ぼくは普通の人間ですから!」

「はいはいじゃあお兄さんがおうちまで送ってやるよ」

「え、いいんですか?」


 ハルトはパチリとそこそこ上手いウィンクをして、先に店を出て行った。


「また明日!」


 ブラドとレオにそう言うと、レオは軽く頷いてくれた。ブラドはと言うと、


「明日も来んのかよクソガキ!いい加減金持ってこい!」


 そういや結局一度もコーヒー代を払ってない事に気付いた…のだけど、アキは聞こえないフリをして、外に出るとサッと扉を閉めてやった。

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