第12話



 目覚ましが鳴って飛び起きたアキは、時刻を確認してもう一度布団を頭から被った。


 いつも通りかけておいた目覚まし時計だけど、どうしたって今日は学校に行く気は起きなかったからだ。


 昨日負った怪我のせいで全身が、特にお腹のあたりが痛い。


 今更確認するまでもない。多分青紫色に変色した皮膚が露わになるだけだ。それに、見たくもない火傷の跡が、アキを余計に落ち込ませるだけだろう。


 引きこもりだなあ、なんて考えていると、それまで何食わぬ顔で高校に行っていたことの方が不思議だなんて思えてくる。


 誰にも合わせる顔がないから、今日はこのまま部屋に閉じこもっていようかと考える弱い自分と、ちゃんと学校に行かなきゃ周りに心配をかけてしまうと考える強がりな自分が、頭の中で陣取り合戦を繰り広げていて。


 あえなく強がりな自分が負けてしまった。


「はあ…」


 自然とこぼれたため息が布団の中に吸い込まれていく。


「アキー!起きなさーい!」


 階下から母親の大声が聞こえる。悪魔の呼び声だ。


 続いてダンダンダンと階段を上がる音。


 急いで布団をきっちり被る。


 バァン、と部屋の扉が開いて…


「アキ!起きなさい!」

「ムリ。お腹痛い」

「何言ってんの!?ほら、遅刻するわよ!!」

「お腹痛いの!」


 我ながらガキかと思うような言い訳だ。


 しばらくの沈黙。それから、母親は、はあ、と言って部屋を出て行った。


「ほんとガキかよ…」


 弱い自分を罵る。


 とりあえず、アキはもう一度寝ようと目を瞑った。


 だけど、だ。


 昨日アキを連れ去り痛め付けて来たあの男は誰だったんだろう、とか。有紗はなんでアキの居場所がわかったんだろう、とか。ブラドが最後に呼び止めてくれたのに逃げ出しちゃった、とか。


 というよりも。魔族の話はどうなったんだ?


 そんな事をついつい考えてしまって寝られない。


 だいたいこれが小説だったら。


 魔族がバババンと現れて、街が襲われて、レオとブラドが傷だらけになって必死で戦う。で、一見役立たずなアキがなにか重要な事をして、力を合わせて魔族を倒す。


 そういう感じのハズだ。


 しかし実際にはどうだ。トラウマのせいで魔族なんて探している場合ではないし、というか魔族どころか同じ人間に痛いところ突かれただけですぐに過呼吸にめまい。で吐く。そして多分気絶。


 弱すぎるだろ…


 まあいいか、とアキは思うのだ。


 自分はいじめられっ子の高校生。


 ブラドやレオが自分の考えたキャラクターだからなんだというのか。


 魔族だって関係ない。どうせアキにとっては優しくない世界だから。


 みんながどうなったって知るか、と。


 もともと悪いのは時の女神サマ何某だ。


 そうやってつらつらと言い訳を並べながら無為な時間を過ごしていると、玄関が開く音がして、家から人の気配が消えた。


 アキは布団から出るとそっと部屋の扉を開けて顔をだす。誰もいない。父親はアキが起きる前に家を出るし、夏来は学校、母親は昼前から近くのスーパーでパートだ。


 今のうちにどこかに出かけようかなぁ、なんて珍しく考えたアキは、多分逃げ出したかったのか、さっそく身支度を整えて、多少の罪悪感を抱きながら外へ出た。



 ☆

 別にどこに行きたいという事もなく、アキは無心で自転車を漕いだ。そのうち昨日の怪我の痛みにも慣れてきた。


 ブラドの店に行こうかとも考えたのだが、なんだかちょっと照れくさい。泣いていたし、恥ずかしい事を口走った気もする。


 ではどこに行こうか。


 少し考えて、アキは自転車の向きを変えた。


 向かったのは市立図書館だ。


 駐輪スペースに自転車を停めて中に入る。


 アキは昔から図書館が好きだ。建物の中の微妙な紙の匂いも、規則正しく並ぶ棚に収まる色とりどりの背表紙も、所々に置かれた椅子に座って読書をしている人も。その雰囲気が好きだ。


 今思えば、友達のいないアキが本を取ることは自然な流れだったかもしれない。


 ただちょっと拗らせてしまった感は否めないが。


 小さい頃に読んだ外国のファンタジー小説に、主人公が図書館で異世界への扉を見つけて冒険するというものがあった。


 アキはその話が好きで、図書館は絶対に異世界に繋がっていると信じていた。だから、普段は入れない蔵書室が解放される日は必ず訪れたし、事あるごとになにかと理由を見つけては足を運んでいた。そんな自分にアウトドア派の有紗は呆れていたっけ…と思い出して、そうすると自然と昨日の事も思い出されてしまうわけで。


 振り払うように本棚に視線を向ける。


 何か借りようと思っていたわけではないので、適当に目に付いた本を持って、空いている椅子に座った。


 途中ですれ違った職員に怪訝な顔をされた。平日の昼間に明らかに学生とわかるアキが居て気になったのだろう。


 持ってきた本は、アキが昔から読んでいる探偵物の最新刊。探偵物と言ってもただの探偵ではなくて、幽霊が見える探偵だ。昔は純粋にこの主人公がカッコいいと思っていた。自分だけ人には見えないものが見えていて、まあ、そのせいで沢山苦労するのだけど、それでも必要としてくれる人が沢山いて。羨ましかった。


 でも、今は微妙な気分になってしまう。幽霊ではないけれど、吸血鬼や異世界の剣士、魔族なんか見えていても嬉しくないからだ。


「ほう、あんたライトノベル以外も読むんだな」


 突然降ってきた声にビックリして顔をあげる。


「うわっ!?」


 近くにいたおじさんが、アキの声に迷惑そうな視線を向けてくる。


 慌てて会釈して、小声で話す。


「ビックリした…なんで居るのさ?」

「フン、傷心中のご主人サマが変な気を起こさないように見張ってやってんだよ」


 ウンザリした口調でブラドは答える。要するに心配してくれていたようだ。


「ぼくってそんなに信用ない?」

「ないね」


 即答されてちょっと傷付く。ブラドがニヤッと笑った。


「んな事よりさあ。あんたが自分から外に出てくから、どうしたんだと思ったら…まさか図書館とは。ボッチもここまで行くと病気だな」

「ひとりになりたかったんだって!それに、もともと図書館は好きなんだよ!」

「はいはいそうですか」


 イラッとした。ので、アキはブラドの足を蹴りつける。ブラドはひょいと後ろに下がって避けた。当たるわけないとわかっていても余計に腹が立つ。


「冷やかしに来たんなら帰れよ!」

「ヤダね。オレが目を離した隙に、またどっかでボコボコにされるかもしれねぇだろ?あんたがオレの十字架持ってるうちは、イヤがったって離れてやんねえ」


 ブラドの魂が封印されている十字架は、常に手の届くところに入れて持ち歩いている。いっそ図書館の周りを囲むお堀にでも投げ捨ててやろうか。


 アキが言い返そうとして口を開きかけた瞬間、さっきのおじさんがゴホンと咳払いをした。こっちを厳しい目で睨みつけている。


「ブラドのアホ!」

「うるせぇクソガキ!」


 二人は小さな声で罵り合いながら図書館を出た。


 ギャアギャア言いながら外に出る。と、レオが建物の前の噴水を眺めていた。噴水と言っても、今はただ水の張ったプールみたいになっていて、その中になぜか朱色の小さな鯉が沢山いるのだ。

「レオまでいるのか…」

「オレは置いて来るつもりだったんだぜ?でもコイツもこれで心配性らしい」


 お前が言うか?と思ったが、言っても仕方ないので黙っておく。


「レオ」


 アキが声を掛けると、レオがちょっとだけ不思議そうな顔をしてこっちを見た。


「アキ。この魚はなぜこんな所で飼われてるんだ?」

「さあ?いつのまにかそこにいるんだよねえ」


 アキも最初気付いた時は眉をひそめた。前はカラカラに干上がっていたのに、ある日突然鯉がいたから。


「そんなん決まってんだろ?ガキを喜ばすためだ。ほら、そうやって眺めているうちに親は用事が済むだろうよ…今みたいに」


 アキは正直、なるほど!と思った。けど、レオは不機嫌な無表情でブラドを睨んだ。


「ま、まあなんでもいいじゃん、な?ほら、せっかくだからどっか歩こうよ」


 今にもおっぱじまりそうな雰囲気だったので、アキは焦って二人の背中を叩いた。親子連れの多いこんな場所で、戦いにでもなったら大変だ。


「えっと、そうそう、ここって観光地なんだよ。美味しいものとかあるかも。それにさ、あっちのお城は国宝で…運が良かったらゆるキャラに会えるかもしれない!」


 ブラドとレオの一触即発なトゲトゲしい雰囲気はどうやら消えたようだった。


 かわりに、おまえなに言ってんの?と言うような複雑な表情をアキに向けていた。


「あ、あははは…」


 笑って誤魔化す。


「まあいいか。仕方ないからついて行ってやる」

「俺も問題ない」


 そうしてチグハグな三人は図書館を後にして、観光客で賑わう城下町へ繰り出して行った。

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