第9話
昨日の今日で早速だなあとアキは思う。
人間はどうしたって噂話が好きらしい。
朝、アキが教室に入ると…
「ねえ聞いた?」
「聞いた聞いた!」
「わたしも!とうとうヤバい人と付き合いだしたらしいねぇ」
「殺すとか言われたらしいぜ」
「マジでやりそうで怖いよな」
「だってほら、あいつ中学んときにさ…」
と、チラチラアキに視線を向けながらクラスメイトが噂話をしていた。
昨日の放課後の出来事が広まったためだろう。中学の同級生も多い地元の高校だから、仕方がないっちゃ仕方ない。
でも、だ。
そうですぼくが放火しました!巻き込まれたいじめっ子は今も入院中で生死の境を彷徨ってるらしいです!
と、言ってしまえれば楽なのかもしれないと思った。
それは多分昨日、ブラドがアキに新しい考え方をくれたから。
だけど、狭い田舎社会でそうやって開き直ったところで。
アキに逃げ場所なんてない。
いっそ都会なら。交通網の発達した都会なら、遠い高校に進学、もしくは転校して、たとえ長距離の通学を余儀なくされたとしても、学校という集団生活の場で噂話をされてひとりぼっちになることもなかったかもしれない。
そんな事を考えても、現実は違うのだから、考えるだけ無駄だ。
アキは自分の席に座ると、カバンから今お気に入りのライトノベルを取り出して読み始めた。
本の内容に集中すると、不思議と周りの声は気にならない。
現実逃避。そう、これは紛れもなく現実逃避だ。
時の女神サマ何某が言っていた事は、あながち間違いではない。
作家になりたいという思いは今でも変わらないけど。
「おはよ!アキ、大丈夫?」
有紗が声をかけてきたことで、アキの読書は中断された。
「はよ。大丈夫、って、なにが?」
アキは有紗に顔を向ける。思い当たることがあり過ぎて返答に困った。
「なにって…ほら、昨日帰り遅かったんでしょ?おばさんが心配してたよ」
ああ、と納得した。
「別になんにもないよ。ちょっと友達と遊んでたら遅くなっただけだって」
有紗が目を見開いた。わたし、驚いてます!だ。
「…それってホントに友達なの?」
「…そうだけど」
アキはため息をつきたい気分だったけれど我慢した。有紗だって本当に心配していることを知っているからだ。
あの放火事件以来、アキの両親と有紗は結託してアキを見張っている。
見張っていると言うと多少の語弊があるかもしれないが、アキがそう感じているのだからあながち間違いではない。有紗が昼休みに弁当を一緒に食べるのも、わざわざ休日に誘いに来るのも、気を使っているためだ。
たがら昨日珍しく放課後直帰せずに、しかも帰りが遅かった事を母親が有紗に連絡したのだろう。
で、今噂になっている事も友達の多い有紗は把握している筈だ。
「もー、あんまり心配かけないでよね」
有紗が、はあああとため息をついた。
「心配ってなんだよ?ぼくがまたどっかに放火すると思ってる?だったら心配無用だ。もうあんな痛い苦しい思いはごめんだからな」
うんざりして吐き出した言葉は、自分でもびっくりする内容だった。だって、自分から放火なんて言葉出すと思わなかったから。アキは典型的な心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDだ。いじめのことや、特に放火の話になると動悸が激しくなり過呼吸を起こす。ひどい時は立っていられなくて、何度か倒れた事もある。
アキよりもさらに驚いたのは有紗だった。
驚愕の表情、と言う感じだ。
「アキ…その話して大丈夫…なの?」
「大丈夫…ぽいな」
吸血鬼ブラドの威力やなんとやら。主人公を支えるために創ったサブキャラだった吸血鬼ブラドは、しっかりその役目を果たしているようだ。
アキが首をかしげると、有紗がちょっと嬉しそうに笑った。
「ところでさあ、今日はお昼一緒でもいい?あんた最近つれないよ」
「ごめん、いいよ」
有紗の笑顔がひときわ大きくなる。
そこでホームルーム開始のチャイムが鳴り響いた。
☆
「ブラド、いる?」
放課後アキは真っ先に学校を飛び出すと、ブラドのカフェ『シュレディンガーの猫』まで走った。
もちろん昨日の少年がどうなったか知りたかったからだ。
声をかけながら扉を開ける。と、カウンターに昨日の少年が座っていた。
「あれ、ブラドは?」
「買い出しに行った」
アキの言葉に少年が答えた。
「えっと。身体は大丈夫?」
「ああ」
少年は至る所に包帯を巻いた、これまた典型的な怪我人の様相だった。昨日と違って黒いTシャツにデニムパンツというラフな格好だが、逆に痛々しさが目立つ。
そしてさらに気になるのは。
少年の前に並んだ皿だ。どんだけ食べるの?という量の料理を、少年一人がパクパクと食べているのだ。
ちょっと引く量だった。
「アキ!やっと来たなクソガキ!あんたさっさとこいつを連れて帰ってくれ!!じゃなきゃオレの飯にしてしまいそうだ!!」
扉を乱暴に開けて入ってきたブラドが、アキを見つけて喚き散らした。鬼の形相だ。
それをアキは軽く流す。
「それは無理。それより、君、名前は?」
「俺はレオ。それ以外の名はない」
予想通りだ、とアキは思った。
昨日帰ってからあの大学ノートをめくって該当するキャラがいないか調べた。
まあ、予想したとおりにその名前のキャラクターはいたわけで。
「俺は魔物を追ってこの世界にたどり着いた。昨日は助かった。礼を言う」
相変わらず大量の料理に手をつけながらレオが言った。
「礼を言うくらいならその分の代金を払ってくれ!」
ブラドがカウンターの裏に食材をしまいながら言った。ちなみにブラドは今日も幼い姿だ。
「それは無理だ。俺はこの世界で使える金銭を持っていない」
「ああそう。だったら働いて返せよ」
レオが少しだけ顔をしかめた。
「別にいいけど…俺は剣しか扱えない」
「大丈夫だ。剣も包丁も切れるものに変わりはない!」
「全然違うと思う…」
苦笑いでアキがツッコミを入れる。ぐぬぬと唸るブラドを見ないようにしながらアキはレオに言った。
「ぼくは山本秋。アキって呼んでくれ。こっちは吸血鬼のブラド」
「吸血鬼…だからあの魔物達を倒せたのか」
レオの表情はあまり変わらない。アキがそういう設定にしたからだ。
レオは魔族と戦う異世界の少年剣士という設定だ。とある目的の為に魔族を駆逐する黒衣の剣士……とかなんとか、アキがその時カッコいいと思ったものの詰め合わせである。表情があまり変わらないとか、漆黒の髪と瞳に黒衣だとか、異世界から転移して来るだとか。
極め付けとして……このキャラは魔法を使う。それもごく簡単な身体強化や防御だけだ。
……完璧すぎるのも面白くないと思ったから、という理由で、だ。
「昨日のありゃあ何だったんだ?魔物やら魔族やら何言ってんだよ?」
ブラドがテキパキと湯を沸かしてコーヒーを淹れる準備をしながら言った。アキと同じくらいの歳の姿であっても、そこはやっぱりカフェのマスターだ。本当に手際がいいし様になっている。それにどうやら料理の腕もいいらしい。
「あの獣は魔族が使役している魔犬だ。魔族は色々な世界に現れては悪事を働く。俺はその魔族を完全に封印する為に、色々な世界を渡ってきた」
レオは食事を終えて静かに両掌を合わせた。ブラドが淹れたてのコーヒーをレオの前に出して、その横にもうひとつカップを置く。座れという事らしいと判断したアキもカウンター席に座る。
「魔族…ってことは、この辺に魔族がいるの?」
「そうだ」
アキはカップに口をつけながら必死で考えていた。
レオという黒衣の少年剣士が魔族と戦っているという設定は確かに考えた。これまた当時読んでいた小説にどっぷりハマったせいだ。ただ、その魔族がどんな設定だったかあまり記憶がない。たしか人間を滅ぼして魔族の帝国を築くやらなんやら、だったかな。
それにレオがなぜ魔族と戦っているかの設定すら曖昧だったはずだ。
しかし、だ。
こうなってしまった以上、魔族をなんとかしなくてはならない。
こんな状況になってしまったのは、あの、時の女神サマが叶えてしまった願いのせいだ。
ブラドは怒るだろうと思う。
でも今はアキの僕だ。まあいいか。
「ブラドさーん」
改まって声をかけると、ああやっぱり、ブラドはギロリとアキを睨んできた。なんて恐ろしい顔だ!
「なんだ?」
「ぼくにも大事なものがあるんです」
「ほう。そうか」
なんと言おうか迷うアキを、ブラドはさらに恐ろしい顔で睨みつけて来る。
「……ちょっと魔族退治に行ってくれないかなあ…?なんて…」
ゴニョゴニョと尻すぼみなアキに、ブラドは冷たい目を向けてため息をついた。
「そう言うと思ったぜドチクショウ…まあ、お前の命令には従わなくてはならないからなあ」
「なんかすんません」
ぺこぺこと頭を下げるアキを一瞥したブラドがまた大きなため息をこぼした。
「手伝ってくれるならありがたい。魔族は特殊な剣か魔族の血を引く存在にしか倒せない。吸血鬼は適役だ」
「はあ?お前なんか手伝うかバーカ!」
思いっきり毒づくブラド。しかしレオは無表情に完全無視だ。
「おいコラてめぇ散々食い散らかして無視かコラ?」
「食い散らかしてはいない」
「そう言うことじゃねえよこのガキ!大人をナメんなクソ!」
「どこに大人がいるんだ?」
「これは仮の姿!オレはここでは最年長だ!!」
「そうなのか?」
クォラクソガキ!と熱くなるブラドと無表情で対応するレオにウンザリしてきたので、アキは小さくごちそうさまを言ってそっと店を出た。
幸い引き止められることはなく、アキは脱出に成功した。
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