第8話
「もーなんでついてくるんだよ!?」
後ろからニヤニヤしながらブラドがついてくる。アキは芝生の上を行ったり来たりして、鬱陶しいブラドが諦めるのをまっているのだけれど、なかなか諦めてくれない。
「この偉大なる吸血鬼ブラド様があんたの話聞いてやろうとしてんだ、諦めて話やがれ」
「それが話を聞いてやろうって人の態度かよ!?めちゃくちゃ腹立つ顔してる!!」
「悪いがもともとこういう顔なんでな、諦めろ」
何このウザいキャラ!誰だよこんな設定にしたの!
といったところで、それは自分なのだけれど。
「ああ、もういいや…」
アキは疲れてその場に座り込んだ。
そこは街中の小さな山の上にある芝生の公園で、端の方にブサイクなリスとウサギの揺れる遊具が申し訳程度に置いてあるだけの、なんとも言えない広い空間だ。すでに陽の落ちた暗い公園内には、いくつか電灯がある。それだけのとても公園とは言い難い場所だけど、一応公園と名が付いている。
アキの向かいにブラドも腰を下ろした。
「あれ、わかる?」
観念したというか諦めたアキが指差したのは、ちょうどアキの後ろにある公衆トイレだ。
入り口には厳つい黄色いテープが張り巡らされていて、よく見ると窓は黒ずんでいる。
明らかな火災の後だ。
ブラドはアキ越しにそちらに目をやって、
「アレがどうした?」
ちょっとだけ深妙な顔で言った。
アキは大きく深呼吸するように息を吐き出して答える。
「ぼくがやったんだ。ムカついて、ちょっと燃やしてやった」
まるで、ちょっとコンビニ行ってきた、みたいなニュアンスを装った。
ブラドは何も言わずにアキの顔を見る。思いのほか真剣な眼差しだったから、アキは落ち着かない気分になった。
「いじめられてたんだって!小学生の頃から!中学卒業前に、あそこのトイレに連れ込まれて…気がついたら火つけてた」
はあ、とため息が出た。ブラドの顔を見てられなくて胡座をかいて座る自分の靴を見つめる。
「ぼくも全治3ヶ月の火傷で入院してた。でも、他の人たちは多分まだ入院中なんだ…」
これがアキの精一杯だった。
もしこれが小説だったら、こういう主人公のアイデンティティに関わる話はさぞ盛り上がるだろと思う。主人公の心の変化とか、関わり合う人たちとのやりとりだとか、いじめっ子たちの心情とか。そういうものを細かく描写して。複雑な関わりを書き出して。
だけど、現実は違う。
アキは思い出せない。
なんで自分がいじめられることになったのか。
なんで誰も助けてくれなかったのか。
なんであの時火を放ったのか。
なんで自分だけ軽傷ですんだのか。
なんで今生きているのか。
自分が主人公の小説はつまらない。だって自分は思い出せないから。思い出そうとすると、息ができなくなるのだ。身体が呼吸の仕方を忘れてしまって、肺が血中の酸素と二酸化炭素の分量を忘れてしまうのだ。
複雑な描写なんて書いていたら多分ショックで死んでしまう。
自分の書く小説はおもしろくない。
誰かの顔色を伺って、そのうち見なくなって、だから他人の表情の変化なんてよくわからないから表現できない。
景色や風景を見て綺麗な言葉で表現できるほど、周りを見て歩いたこともないから例えようがい。
誰かに助けてもらった事がないから主人公を助ける仲間の心理や友情がわからない。
「もういい?」
底なしの穴を見ているような恐怖感を思い出しながら、アキはまた深呼吸した。
「ああ、理解した。だからあんたはボッチで、またいつ爆発するかわからん腫れ物ってわけだ」
「もうちょいオブラートに包んでくれるとありがたいです」
そう言うとブラドがクックックと笑い出した。笑える話をしたつもりはない。
「なんで笑うんだよ?これでも今いっぱいいっぱいなんだけど」
アキの心臓は先程からどくんどくんと妙な動きをしている。顔も多分引きつっていて、意識しないと呼吸がおかしくなりそうだった。
「ハハッ、あんた見た目によらずやるときゃやるんだな。正直見直した」
見直した?
「何言ってんの?怪我させたんだよ…ぼくはやっちゃいけない事したんだ!」
「そうは言っても、あんたは今も入院してる奴らより長いこと苦しんで来ただろう?当然の報いだと思うが」
アキは面食らってブラドを見つめた。何を言われたのか理解するのに少し時間がかかった。
「そうかな…」
「まあ、オレはアキじゃないからわからんが、例えば誰かがオレを一発殴ったら、それに見合った報復は死だ。オレは自分が満足するまでそいつを痛ぶって息の根をとめてやる」
「それはさすがにやりすぎだろ」
呆れてブラドを見るが、ブラドは至って真面目だった。
「そんなの誰が決めるんだ?」
そう言われると困る。現にアキの中学卒業までの記憶は、激しいいじめの日々しかない。
「あんたが辛い日々を送った分、それをやった人間にあんたが苦しんだ分がまとめて襲って来た。等価交換成立だ」
自信満々に言い切るブラドに、アキは反論できなかった。内心では自分をいじめていた奴らに対していい気味だと思っているのかもしれない。現にアキの身体の至る所に、あの日の火傷だけじゃない傷跡が痛々しく残っているから。それらは多分一生消えないものばかりだ。
だけど、誰もそんなこと言ってくれなかったから。
自分がやらかしてしまった罪と罰が、ブラドの言葉を聞いて、今初めて少しずつ均衡が取れて来た気がしたのも確かだ。
ブラドに何か言おうと言葉を選ぶ。なかなか何も思いつかなくて、開いた口をパクパクしていると、突然ブラドの後ろに見える街灯に照らされた木々が揺れた。
「ん、誰だ?」
気付いたブラドが振り返る。誰だ?と言ったので、多分そこには誰かがいるのだろう。
サッと立ち上がったブラドが街灯の側まで歩いていく。アキも気になって後に続く。
二人が並んで様子を伺っている、まさにその場所に。
ガサガサと木々を掻き分けて、黒い人影が飛び出して来た。その人影は勢い余ってアキに衝突する。
「うわああああっ!!??」
わかりやすく驚くアキ。と、サッと飛びのいて避ける薄情なブラド。
「ちょ、誰!?」
自分でも間抜けな質問だと思うけれど、アキにはそれ以外の言葉が出てこなかった。
その黒い人影は、よく見れば黒い服を着た男だった。体格的に言えば少年か。アキと姿を変えている今のブラドと変わらない年頃のように思う。
「に、逃げろ…」
少年はアキの顔を真剣な目で見て言った。髪と瞳は綺麗な漆黒だった。
「え?」
いったい何から逃げろと言うのか。アキは首を傾げて問いただそうと口を開いた。が、すぐに閉じた。目の前の木々がまたガサガサと揺れたからだ。
同時にガルルル、と、獣の唸り声のようなものが響いた。
「アキ、ヤバイのかいるぜ」
言われなくても分かる気がする。
「あんたはそいつを連れて離れてろ」
「わかった」
言われた通りにアキは少年の肩を担いで立ち上がる。街灯の明かりに照らされた少年の身体はボロボロで、ところどころ血が滲んでいた。
「大丈夫だ…」
アキの意図に気付いた少年が小さな声で言った。
「大丈夫じゃないだろ!心配ないよ、あいつはああ見えてちゃんと強いから」
顎でブラドをさすと、ブラドがこっちを睨みつけて来た。聞こえていたようだ。
「そうじゃない…連中は…俺の剣か魔に属するものしか倒せない…」
ん?とアキは眉をひそめた。なんだかどこかで聞いたような話だと思ったからだ。
「来るぞ!」
その時、ブラドの鋭い声が響いた。
ガサガサ、と木々の間から、これまたなんと説明したものか、黒い煙を纏った大きな犬のようなものが飛び出してきた。
全部で5体。それぞれ口元を凶暴に歪めて、グルルルと、唸り声を上げている。
「なんだあこいつら?」
「油断するな!こいつらは集団で獲物を襲う!」
少年が注意を促す。しかし、他人の話にまったく耳を傾けないブラドは、悠然と構えたまま少年の言葉を一蹴した。
「油断?オレを誰だと思ってんだあ?世界最古にして最強の一族の末裔だぜ」
ブラドが言い終わるやいな、犬のような5体の獣が一斉に地を蹴った。それぞれ5方向に分かれると、ブラド目掛けて鋭い爪と牙で襲いかかる。
ハラハラしながら、だけど自分の創ったキャラはそんなに弱くないぞと思い直して、アキは成り行きを見つめる。
「フン、ちょろいな」
それはあっという間の出来事だった。
襲い来る獣の集団に、ブラドが鋭く尖らした手刀でもって応戦する。シュババ、と風が鳴ったような一瞬の間に、獣たちはただの黒い煙となって消えてしまった。
「ええ…」
自分で創ったキャラだけど、あんなに強いなんて知らなかった…
「やるな」
アキに担がれた少年が小さな声で言った。
ブラドが振り返ってアキを見やり、両腕を掲げて不敵に言った。
「どうだアキ!?オレは強いだろう!」
「…自分で言わなきゃもっと良かった」
と言うのはアキの本音だった。
ブラドはフン、と鼻をならす。
「君たちはなんなんだ…?」
苦しげな吐息を漏らしながら少年が言った。
「ただの学生と変態」
「世界最強の吸血鬼とその主人」
ブラドと被ってしまった。
少年が怪訝に眉を寄せる。それから、ウッと苦しそうな声を上げて気を失ってしまった。少年を支える肩に、急激に重さを感じてアキはその場にへたり込んだ。
「ブラド…どうしよう?」
「どうしよう…じゃねえよ。とりあえずオレの店に連れて行く。なにやら複雑な事情がありそうだしな」
アキは顔をしかめた。
なんだこのありがちな展開は。
「そいつを寄越せ。あんたみたいなひ弱なヤツには任せられん」
そう言ってブラドが、アキに見せつけるように軽々と少年を抱え上げた。おまけにアキを見てニヤニヤと笑う。
悔しいけれどブラドが言うようにアキはひ弱だ。
「あんたはそろそろ帰った方がいいんじゃないか」
そう言われてスマホの時計を確認する。アキは飛び上がった。
すでに21時を少し過ぎていた。
「ヤバッ!ごめん、ブラド!その人のこと頼んだ!」
そう言ってアキは、自分でもびっくりするぐらいの駆け足でその場から走り去った。
残されたブラドが、思わず感心するほどの瞬発力だった。
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