第5話


「アッキー?まだ寝てんの?」


 驚いて目を開けると、目の前に有紗の顔があった。


「うわあああああ!?」


 良かった。ブラドじゃなかった。そう思うアキだが、有紗が物凄く嫌な顔をした。


「なに?なんだと思ったの?」

「ごめん。あんまり寝てなくて」


 目元を擦りながら状況を把握する。


 有紗はベッドに両腕をついて、アキに覆いかぶさるように見下ろしていた。


 普通ならこの状況は、ラブコメ展開に発展するだろう。


 だけどアキにはそんな気も起きないし、有紗もそんなつもりでこんな体勢をとっているわけでもない。


 ましてや有紗の片足がアキの両足の間に割り込んでいたとしても。


 有紗の長い茶色い髪がアキの頬をくすぐっていたとしても。


 二人の間に、そういう感情はこれっぽっちも芽生えはしない。


「てかなに?なんしてんの?」

「休日を無駄に過ごすだろうアキのために、有紗様がお外へ連れ出す栄誉を与えようと思うの」

「はあ…え?」


 それはそれは光栄にございます、とはならない。


「なんで?」


 これがアキの正直な感想だ。


「あんたさあ、休みの日くらいなんかしたい事ないの?」


 そう言われてアキはちょっと考える。


 したいこと…


 特にない。


「ないよ、そんなん」

「だったらあたしに付き合って。ほら、まず起きる!着替える!そして顔を洗って来い!」


 はいはいとアキはベッドから起き上がった。有紗が満足そうに頷いて、アキの部屋を出て行った。


 時計を見ると午前11時を少し過ぎた頃だった。


 アキは適当に着替えを済ますと、一階の洗面所へ向かった。


「夏来、おはよ」


 髪を整えていた夏来に声をかける。


「はよ」


 目も合わさずに一応挨拶を返して、夏来は洗面所から逃げるように出て行った。


 まったく愛想のない奴だ。


 適当に身支度を整えて、アキはリビングに向かう。


「でさー、アキったら未だに友達いないんだよー?ウケるよねえ」

「ほんとどうしようもない子よねえ。有紗ちゃんがいてくれて良かったわあ」

「弟みたいなもんですよう。おばさんのほうが大変」

「わかるう?」


 有紗と母親がアキの話で盛り上がっていた。


 しかも相当不本意な内容だ。


「あ、アキ!げ、あんたまたそんな格好で…」

「文句言うなら誘いに来んな」


 アキがいっぱいいっぱいのお洒落をしたところで、有紗は絶対に認めてくれない。


 たがら、もう飽きらめた。アキの今日のファッションはそんな感じ。


 ザ・田舎の高校生。


「じゃ、おばさん、アキ借りますね」


 有紗はアキの手を引っ張って玄関を出た。


 爪先をトントンしてスニーカーを履く。


 ところで田舎の高校生の移動手段は徒歩でもなければ電車でもない。自転車だ。


 よっこらせっと言えば歩いて行ける距離に駅はあるけれど、じゃあ電車に乗ってどこに行こうかとなると、なにもない。


 ちなみに最寄駅には新快速も止まらない。30分に一回の鈍行列車でさあ京都に、とはならないわけで。


 二人はそれぞれの自転車に跨って軽快に漕ぎ出した。


 路地を抜けてちょっと大きな道を渡り、線路を超えて川沿いの桜並木の綺麗な一本道に出る。桜はもう散ってしまって、ぐちゃぐちゃの花びらを地べたに残すのみだが、ついこの間までは本当に綺麗な桜が満開だった。


 春うららの日差しは思ったより強い。


 薄着で良かったと思いながら、前を行く有紗を見る。


 有紗の今日のファッションはなんだか肩回りだけボワっとした白いカッターシャツにデニムのスキニーパンツ。で、なぜかアキとお揃いの白いスニーカー。長い髪はフワッと風に揺れるポニーテルだ。


「アキ、見て!魚がいるよ」

「そりゃ川だし魚もいるでしょうよ」


 自転車を漕ぐのに必死な帰宅部のアキがそう返すと、有紗は一瞬ムッとした顔でこっちを見て、すぐに前へ向き直った。


 それからしばらくは無言でひたすら自転車を漕いだ。


 右手に国宝の城が見える観光地を、こんなちっさい城を見に来る物好きの人達の間を縫うように走る。


 たどり着いたのはバカでかい湖沿いにある大型ショッピングセンター。の敷地にある有名コーヒーチェーン。


「またかよー」


 ここに向かっていることはわかっていたけど、自転車を停めながら文句を言う。アキはあまりこの店が好きではない。


「まあいいじゃん。どうせ行くあてなんてないしねえ」


 にっこり笑う有紗が店の戸を開ける。


 人人人。しかも近くに大学が2つもあるもんだから、田舎なのに垢抜けた男女が入り混じっている。


「パラレルワールドだ」


 ついつい小声で呟いてしまった。


「うるさい。アキは何にする?」


 有紗がニコニコ笑う緑色のエプロンの店員からメニュー表を受け取りながら言った。


「普通にコーヒーで」

「おっさんかよ」

「おっさんで結構」


 と言っていたにもかかわらず、有紗はレジでキャラメルマキアートを2つ買った。しかもホットだ。


「はい、どうぞ」

「あのー、有紗サマ?」

「アルバイトを始めた有紗サマからのオゴリです。ありがたく受け取りなさい」

「せめて冷たいのが良かった」


 ドガと膝裏に有紗の蹴りが入った。


「すみませんありがとうございます」

「わかればよろしい」


 飲み物を受け取った二人は、湖に面したカウンター席に並んで腰を下ろした。そこしか空いていなかった。


 湖面がキラキラして見えるのを眺めながら、不本意な熱いキャラメルマキアートに口をつけていると、


「昨日の夜何してたの?」


 ブフ!キャラメルマキアートが!


「ゲホッ、急になに?」

「だから、昨日の夜電気もつけないでなにしてたの?」


 アキはわかり易くしかめっ面をする。


 まさか吸血鬼に襲われそうになっていたなんて言えない。しかも自分が創造したかもしれないキャラクターにだ。


「なにもしてないって…」


 とりあえず笑って誤魔化してはみるけれど、有紗はアキ程度の人間に負けはしない。


「ああそう。人に言えない事でもしてたのね」

「してないよ!」


 何を想像しているのか。有紗が妙に納得した、それでいてなんだかイヤらしいものを見るような目をアキに向けてくる。その顔の方が怪しいだろと思った。言わないけど。


「本当に何もないよ。つか有紗の方が変態だろ?ぼくの部屋覗いてたのか?」


 途端に有紗の顔が真っ赤に…などということはこの幼馴染に限って起こらない。どちらかというと途端に冷え切った瞳となって言う。


「あんな自意識過剰のクズなんじゃない。あんたの部屋とあたしの部屋隣り合ってんだから影くらいわかるわ」

「ああ、そうだね…」


 藪蛇というか…なんというか…


 意趣返しなどしなければ良かろうと思うだろうが、だけれどこれが二人の日常なのだ。


「そう言えばさあ、学校の近くに新しくできたカフェ、しってる?」


 七曲りなんだけど、と有紗が口にした途端にアキはまたキャラメルマキアートを吹き出した。


 お前さっきから汚ねぇよ、という目をする有紗を無視して、アキはブンブンと首を横に振った。


「行かない方がいいよホント、マジで、絶対に」

「あんたどうしたの?」

「どうもしてないけど行かない方がいい、な?ぼくの頼みだし、絶対に行かないで!!」

「はあ?なんかキモいんだけど」


 キモいだなんだと言われても、まあ、ちょっとは傷付くのだが、有紗を一人であの店に行かせるよりマシだ。


「行くならぼくも一緒に行く!いい?」


 有紗の顔が、急にニヤニヤしだした。


「ははあん。そんなにこのあたしと?お出かけがしたいようねえ?」


 ああ、面倒な幼馴染だ。こういう時は文句を言わずに乗ってやる。


「……是非ともご一緒させてくださいお願いします…」

「よろしい。認めてやろう!」


 フッフッフとまるで嬢王様に笑う幼馴染にバレないように嘆息すると、残りのキャラメルマキアートをチビチビ飲みだした。

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