第4話
ああああと、突然叫び声を上げたアキに、夕飯を囲んでいた家族が驚いて手を止めた。
「なにー?どうしたの?」
母親が物凄く奇妙なものを見る目をして言った。
「ビックリした…おにい、最近ガチで頭おかしいんじゃないの?」
妹がゴミを見るような目で言った。
「ゴホン、アキ、食事中は静かにしなさい」
父親は味噌汁に浮いたワカメを見たまま呟いた。
「思い出した!ヤバイ…ごちそうさま!」
夕食もそこそこに席を立ったアキを、母親がため息混じりに、夏来は舌打ちで見送る。
二階の自室に飛び込むと、一目散に大きくないクローゼットを開け放った。
ガサゴソやってやっと取り出したものは、A4サイズの段ボール箱。
昔から創作することが好きだったアキは、小説を書く前には沢山のキャラクターを自作して妄想して満足していた。
要するに昔から根暗なのだ。
その、黒い歴史の結晶と言えるこの箱には、自作したキャラを書き溜めた大学ノートが何冊か収まっている。
「ヤバイ、ヤバイってマジ」
ブツブツ言いながら箱を開けて、片っ端からノートをめくる。
今となっては目を背けたくなるような言葉の羅列を、なんとか薄目で追っていく。
そう、確か割と最近だ。
高校受験が面倒で、推薦を取って早々に受験戦争を切り抜けたアキはキャラ作りに専念していたのだ。
高校に入ったらスマホが買ってもらえることになっていたから。
それで家族に見つかることなく小説を書こうと思って。
「これだ!!」
開いたページの出だしには、まずこう書かれていた。
『コーヒーをネルドリップで淹れる。カフェのマスター。日中はカフェ【シュレディンガーの猫】でマスターをしているが、陽が暮れると本性を現す。彼は古より生き続ける純血の吸血鬼。カフェを開いているのは、獲物となる人間を物色する為』
見ていて悲しいくらい恥ずかしい。なんだよ古よりって。使いたかっただけだろ。
後悔しても、書いてしまったものは仕方がない。
思わず天井を見上げた。
わかってしまったからだ。
あの時の女神とか言う女がやった。
アキに非日常を与える為に。
理不尽な死を迎えてしまったアキの願いを叶えたつもりなのだろう。
「あああああもう!!なんなんだよあの女!!」
正直泣きたくなる。
確かに非日常とか非現実みたいな話は好きだけど。
よりにもよってなんで自分が考えたキャラが現れるんだよど畜生!
だけれどそんな事よりも、だ。
アキはノートの続きに目を向けた。
『吸血鬼のマスター:ブラッドリー・シェペツ、通称ブラド。猫を飼っている。黒猫。使い魔。人間の姿になる。可愛い。メイド服の女の子。黒髪ツインテール。目は金色』
これを書いていた時、確か、この使い魔の猫に気がそれていたんだった。
と、そんな事はどうでもいいのだ。
あのマスターがこのマスターなら、今日狙われるのはアキだ。カフェ一号の客。さらに、
『ブラドは人間なら男女気にしない。とりあえず血が飲めればそれでいい。毎晩一人は襲う。必ず。やたら紳士。大人の色気がある。背が高い。外国人。金髪。目は赤。緋色。肌がめちゃくちゃ白い。普通の吸血鬼の弱点は通用しない。最強』
昔読んでいた児童書の吸血鬼達は、生きる為に人間から少量の血をもらうという生き方だった。という事は量が要るから人間なら男女気にしないと決めた。
そして吸血鬼はヨーロッパ伝承だから、背が高い。外国人。外国人と言えば…とこんな感じて書いた設定だった。
自分の思考力がどれほど短絡的かわかる。思いついてはニヤニヤしていただろう自分に想像がつく。
だから、だ。このキャラが手に負えなくなった。
当時は弱点なしの最強キャラがかっこいいと思っていたのだ。
で、後になってちょっとだけ付け足したこともある。
それがどう役に立つかはわからない。けれど。アキは今日、吸血鬼に命を狙われているわけだ。
「よし、逃げようかな」
「逃げないでよ」
不意に部屋から声がした。月明を頼りに夢中でノートをめくっていたから、部屋の電気は付いていない。
「ああもう。来るの速いって…」
手遅れだった。振り返るまでもない。多分そこには緋色の目を光らせながら、不敵に笑う吸血鬼がいる。
「キミ、なかなか面白い人間だな。少し気に入った。食事にするには惜しい気分だ」
ああ、死ぬ。殺される。
だけど、本当に自分が作ったキャラなのだろうか。
あのクソ女神の冗談、という事はないか?…ないか。
「じゃあ食事にしなければいいでしょう?ぼくなんかの血を飲んでもなんにも美味しくないと思うけど」
「キミは本当に面白い人間だな。わたしがなんなのか知っているのか?」
だってあなたはぼくが作ったキャラだもん。なんていっても信じてくれないだろうな。アキはため息やをひとつついた。
「ぼくはなにも知りません。だからどうぞお帰りください」
「ハッハッハッ!そう言われて帰るわけにもいくまい。さ、おしゃべりはこのくらいにしておこう。大人しくしていろ」
アキは身を硬くして、近付いてくる吸血鬼を驚愕の瞳で見つめていた。本当に犬歯が長いのかな、などとどうでもいいことを考えた。
「ふむ。いい子だ」
満足げに不敵な笑みを浮かべる吸血鬼。
ああ、やられる、食われるという瞬間。
箱から取り出しておいた銀色の十字架を吸血鬼の剥き出しの首筋押し当てて叫んだ。
「汝!我の僕となれ!」
「グッ、貴様あああああああ!!」
吸血鬼は左の首筋に両手を当てて床を転がった。荒い息と皮膚がシュウシュウ溶けるような音がする。
アキは座り込んだまま様子を伺った。
なんてこった、と思いながら。
「マジかよ…」
アキは吸血鬼ブラドの設定に、後から付け加えていたのだ。なんとなく、こんなヤツが本当に現れたら勝ち目ないなと思ったからだ。というか、そもそもアキが吸血鬼ブラドを作ったのは、主人公の仲間になる悪の化身的なキャラが欲しかったから。
で、最後に安易に付け加えた設定。
『銀の十字架を肌に押し当てて呪文を言うと僕にできる』
主人公より強かったら困ると思った。本当に安易な設定だと思う。だって呪文とか吸血鬼キャラ関係ないし。
しかし幸い、この設定は確かに効いた。
ちょっと申し訳ないなとアキは顔をしかめてブラドを見る。
こんなに苦しむなんて思っていなかった。
ブラドは苦しげな唸り声をあげながら一通り床の上をのたうち回ると、力尽きたように気を失ってしまった。
「はあ。どうしよう、この人」
☆
次の日は幸い土曜日で、アキは家族の誰よりも早く目を覚ました。
で、アキは自分のベッドに視線を移して溜息をつく。
そこには吸血鬼のブラドが横たわっていた。
昨日の晩、気を失ったブラドをとりあえずベッドに寝かせ、アキは床に座布団を敷いて寝ることにした。
家族が部屋に入ってきたらどうしようと、気が気ではなくてよく眠れなかった。
「ん…」
しばらく吸血鬼のブラドを見つめて思案しているとブラドが身じろぎした。ちょっとだけ顔を歪めてから、そっと目を開ける。
「あ、おはよ。大丈夫?」
ブラドはサッと身を起こすと、思いっきりしかめっ面をして左の首筋に右手を当てた。
「お前!なんてことしてくれてんだクソガキ!」
ものすごい剣幕で怒鳴られたアキは思わず後ずさった。
そうだった。設定では、マスターをしている時以外はめちゃくちゃ口が悪いんだった。
「ったく、お前みたいなクソがんな術使うなんて知らねえよクソ!!」
「ごめんって。謝るから落ち着いて、な?」
「うっせえよタコ!死ね!」
昨日の紳士はどこへいってしまったのか…
「チッ、あんたはめでたく吸血鬼のご主人サマってわけだ。畜生」
誰だよこんな口の悪いキャラ作り出したのは!と思わないでもない。
こんなキャラがカッコいいと思っていた当時の自分にウンザリする。
一通り怒鳴り散らして落ち着いたのか、ブラドはベッドに横になって、頭の後ろで両腕を組んで踏ん反り返った。
「一応名乗っておくが、オレはブラッドリー・シェペツ。ブラドと呼んでくれ。ご主人サマの名前は?」
「山本秋。アキでいいよ」
「単純な名前だな」
あんたの名前だって歴史上の人物から取ってんだよと言ってやりたい。
けど怒らすのも怖いので、アキは苦笑いで誤魔化した。
「で?オレを従えてどうする?」
そう言われても、だ。別にアキは物語の主人公でもなんでもないわけで。従えたからって何がしたいとかもない。
「別になにも。というか、早く帰ってくれないかな?」
アキの本音だ。ここにいられたら困る。
「ほう。なるほどな。家族に見つかると困るってわけだ」
「そういうこと」
「もう遅いぜ」
え、と思った瞬間だった。
「おにい!!うるさい!!何時だと思ってんの?バカなの?」
夏来が勢いよく部屋の扉を開け放った。
終わった、と思った。心臓がバクバクというよりババババと打ち狂った。だって今の状況なんて見られたら絶対に良くない。
知らない男が、アキの部屋で寝ているなんて本当に良くない。
「あ、あはは、ごめん」
とりあえず謝っておいた。
「フン」
夏来は盛大に鼻で息を吐き出して、アキを睨みつけてから部屋の扉をバタンと閉めた。
あれ?と思って背後のベッドを見やる。
誰もいない。
「アホか。オレは姿形を自由に変えられるんだぜ?」
声はするのにブラドがいない。
「こっちだ。窓を見ろよ」
キョロキョロしながら言われた方へ視線を向ける。
コウモリがいた。
窓枠にぶら下がっている。
「ああ、そうだった」
ブラドの設定を書いた時、ちょっと参考にしたライトノベルの吸血鬼が、自在に姿を変えるとあって取り入れたことを思い出した。
「もうそのままでいいよ…」
焦って損した気分だった。
「お前なあ。もうちょいオレに感謝しろよクソガキ」
「ああもう!感謝されたいならとりあえず出て行けよ!」
アキはサッと窓を開け放つと、コウモリを手で叩いて追い出した。
「クソ!覚えとけよバーカ!」
コウモリはパタパタと羽を動かしながら、悪態をついて飛んでいった。
「はああああ。寝よ…」
これからどうしようとかそんな事どうでもよかった。とりあえず寝よう。
アキはベッドにダイブすると、あっという間に眠りについた。
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