第3話


 太陽光が瞼を直撃して、アキは仕方なく目を覚ます事にした。


 ふあっとひとつ大きな欠伸をして、真上に腕を伸ばす。


 そして気付いた。


 自室だ。


 訳の分からない異世界の何処かではない、紛れも無い自室だ!


「生きてるし。ぼくの部屋だし」


 あの時の自称時の女神サマとかいう少女は、アキを生き返らせたらしい。


 ここで良くある展開としては…


 アキはベッドから立ち上がり、走って一階に降りた。洗面所へ駆け込むと、いつものパジャマがわりの黒い上下のスウェットを着た自分の姿が写った。


 ちゃんと自分で着替えたかのように自然だ。


 隈なく全身を見てみたけれど、猿にやられた筈の首にも異変はない。


「おにい、キモいんだけど…」


 いつのまにか後ろに立っていた妹の夏来なつきが、ゴミを見るような目で見ている。


「酷いなあ。にいちゃん死ぬとこだったんだけど」


 夏来は中学三年生で、肩にかかるかかからないかのボブカットを、さらに後ろで結んでいるという、邪魔なら切ればいいのにという髪型の、最近ちょっと生意気な、でも身贔屓だとしても可愛い妹だ。


 昔は本当にとても可愛かった。


 おにいちゃん、おにいちゃんと言ってアキと有紗の後を付いてくる妹だったのだが、中学生になったころから随分と生意気になってしまった。


 ちなみに夏来も親の安直の犠牲者だ、とアキは思っている。


 見ればわかるとおもうけれど、という名前の由来。だから本当の由来を聞いたことはない。


「寝ぼけてんの?」


 夏来はアキを押しのけるようにして鏡の前に陣取ると、それ以上目を合わせようともしなかった。


 洗面所を出たアキが次に向かったのはリビングだ。


 母親はキッチンに立っていた。


「あんた今何時だと思ってんのよ?まだパジャマのままじゃない」


 アキに気付くと、おはようも言わずに小言を言って、呆れたような諦めたような表情を浮かべる。


 それを気にしないようにして、アキは疑問をぶつけてみた。


「母さん、ぼく昨日学校から帰った後どんな感じだった?」


 母親はバカにするように鼻をならす。


「何言ってんのよ。夕飯も食べないでさっさと寝たじゃない。その歳でもうボケちゃったの?」


 勘弁してほしいわあ、と言うと、母親は水仕事に戻ってしまった。


 やっぱりだ。


 王道的な展開だ。


 誰も、アキが死んだかもしれない事を知らない。


「もお、どーなってんのさあ…」


 何が起こったかはわかっている。でも、これから何が起きるかわからない。


 不安だった。


 同時に少し、ほんの少しだけ期待している自分もいる。


 小説の主人公もこんな気分なのかなあと考えながら、アキはとりあえずシャワーを浴びにお風呂場へ向かった。


 ☆

「アーキ!なに?ボケたの?」

「いてっ!」


 昼休みだった。スマホ片手にぼうっとしていたアキの頭に、有紗がチョップを繰り出してきた。


「ほんとにどうしたの?いつも以上に上の空だし」

「逆にいつもそんなに上の空かなあ」

「自分の顔、インカメで撮ってみたら?」


 アキは言われた通りにスマホを持ち上げかけて、有紗が冷たい目をしている事に気付いて慌てて下ろした。


「良かったわ、アキが自撮りなんかしたら、いくら幼馴染でも引くとこだったわ」

「自分で言っといてヒドくないですか」

「あはは、冗談だよ!さ、お弁当食べよ」


 有紗がアキの隣の席に移動して、二人で弁当を広げる。


 入学以来アキには友達が出来ていない。人付き合いが苦手だからだ。見兼ねた有紗が幼馴染のよしみで弁当だけは一緒に食べようと言ってくれたため、ボッチ飯は避けられているのが現状だ。


 だけどこれがまたアキに友達が出来ない理由のひとつでもあるのだが、アキにそんな事に気付くスキルはない。


 そして何故か、有紗には友達が多い。


 ボッチの幼馴染の為に一緒にお弁当食べてあげるなんて、有紗ちゃん優しーい!といった具合にだ。


「なあ有紗…」


 ここでアキは、昨日の事を有紗に話そうかと考えてみた。


「なに?」


 女子らしいカラフルで小ぶりな弁当をちょこちょこ突きながら有紗が小首を傾げる。


「いや、やっぱりいいや…」


 なにか起きた時に巻き込む可能性があるかもという考えが脳裏を過って、やっぱり話さないでおこうか。


「えー気になる!なに?恋の相談?無理無理、もうちょい育ってからにしなよ。あと、その髪型も変えた方がいいよ。あんた中学から変わってないじゃん」


 まだなにも言ってないのに。すでに涙目のアキである。


「そんなわけないしそこまで言われる筋合いはないだろ!ぼくの成長期はもうすぐ来るんだ!ちょっと道に迷ってるだけで!」


 確かにアキはまだ170も無い。それにどうしたって男らしい体格とは言えない。髪型は…よく言えば真面目。悪く言えば根暗。


「それにお前のが変わりすぎなんだよ。茶髪だし、化粧しだすし。スカートも短い」

「アキ、お父さんみたい。キモ」


 食欲が無くなってきた。


「もういいよ…」


 それから会話もないまま、昼休みは終わってしまった。


 なんにも起こらないまま放課後になる。


 モヤモヤした気分のアキは、そうだたまには寄り道しようと考えた。


 校門を出たところでいつもと違う道を歩き始める。


 学校のすぐ横に、アホみたいにトロいくせにアホみたいに運賃の高い電車が走っている。アキはその線路を渡り、細い路地を抜けていく。


 その道は七曲りと言って、べつに七回きっちり曲がれるというわけでは無いけれど、軒の低い昔ながらの家が繋がって建っていて、アキの昔からお気に入りスポットであった。


 なんだかタイムスリップしたみたいな景色や、入り組んだ狭い道が気に入っている。


 今の高校を選んだのもここが近かったからだ。そう言ったら親に殺されそうだから、誰にも言っていないし言うつもりもない。


「あーいいなあ。仏壇屋ばっかだけど」


 あんまり人とすれ違わないため、アキは独り言を呟きながら歩く。


 と、少し先に見慣れない看板が立っている事に気付いた。


 近くへ寄ると、多分銅製のアンティーク調の看板にカフェと書いてある。看板の上部は、お座りをする猫の形にくり抜かれていた。


「シュレディンガーの猫?店の名前か?」


 なんだかどこかで聞いたような店の名前だ。

 気になる。


 しかしこういう場所にひとりで入る勇気はない。


「んー」


 アゴに片手を当てて悩む。


 ガチャ。


 ドアが開いた。


 入れってことかなと思ったけれど、そもそもドアがひとりでに開くなんてことがあるだろうか。


 さらに悩むアキ。


「入らないの?」


 中から優しそうな男性の声が聞こえて飛び上がるほど驚く。


「あ、あの、すみません…お邪魔します」


 声をかけてくれたのだからと思って、中へ一歩足を踏み入れた。


「いらっしゃい。ちゃんと締めてくれるかな?」

「あ、はい」


 アキは振り返って木の扉を閉める。それから室内の様子を見回した。


 看板から予想できるような、アンティーク調の家具や調度品で統一された室内。上品で落ち着いた大人のお店という感じだ。


 それから強いコーヒーの香り。


「良かったら好きな席に座って」


 キョロキョロしているアキにニッコリ笑いかけてくる店員…この雰囲気ならマスターと言うべきか、その人はとても背の高い外国人だった。


「あ、ありがとうございます…」


 思わず見とれてしまうような金色の髪と緋色の瞳。肌は陶器みたいに白く、黒いシャツがまたそれを引き立たせているようだ。


「キミ、近くの高校の子?」


 その人は彫像のような完璧な顔に笑みを浮かべて言った。


「はい。今日久々にこの辺にきてみたんですけど…」


 こんなお洒落な店、あったかな?と言おうとして、なんだか失礼な気がして尻すぼみになる。


「ああそうなの。昨日オープンしたんだ。キミがお客さん一号」

「そうなんですか」

「一号記念に、一杯飲んでってくれないかな?タダにしておくよ」

「いいんですか?」


 もちろんと言って、マスターは早速ドリップコーヒーの用意を始めた。


 カウンターの後ろから豆の入ったガラス瓶を取り出して、ちょうど一杯分だけ挽けるミルに専用のスプーンで豆を入れる。


 興味を持ったアキは、好きな席でと言われたためカウンターのマスターの真ん前に座った。


 マスターは気にせず作業を続ける。挽き終わったコーヒー豆をフィルターに移した。フィルターは珍しく布でできたものだ。


「ネルドリップですか?」


 アキが身を乗り出して言った。


「詳しいの、コーヒー?」


 マスターが手を動かしながら聞いてきた。アキは苦笑いで、


「詳しいと言うか…前に興味があって調べたんです。だから、実際に見るのは初めてです…」


 投稿小説にコーヒーが好きなキャラクターがいたら大人っぽくてカッコいいじゃんと言う理由で、やたらとコーヒーについて調べたことがある。出来上がったキャラは、まあ、確かにカッコよかったけれど、カッコよすぎて手に余るものになってしまった。


「そうなんだ。じゃあ、これが初めてなんだね」


 そこでなんだか、ちょっとだけアキの心に引っかかるものが生まれた。


 マスターの話し方が、どうもこう、なんというか、下心と言えば正直キモいが、背中を逆なでするようなゾワゾワ感がするのだ。


「え、あ、はい。そうなりますね」


 マスターはニコッと微笑んで、淹れたてのコーヒーをアキの前に差し出した。


「どうぞ」


 どうも、と呟いてさっそく一口飲んで見る。酸味の少ない、フルボディのコクが強いコーヒーだ。


 なんでかアキの好みの味だった。それも、小説を書く為に調べていた時にハマった、深煎りのコーヒーの味。


「美味しいです」


 笑ったつもりだったけれど、多分引きつった笑みだったと思う。


「キミの口に合ってよかったよ」


 笑顔を絶やさないマスターに、だんだん悪寒に似た何かを感じるようになって来た。


 ここにいてはいけない。


 アキは苦笑いのまま、コーヒーを急いで流し込んでマスターに礼を言って店を飛び出した。


 マスターは終始完璧な笑顔のままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る