9 cats 「そして」
バンは簡素な住宅街の中で停まった。
駐車スペースは無いので運転手は皆を降ろすとそのままパーキングを探しに行く。
「さて、戻り待ちとマンション内の捜索は運転手君に任せて私達は周辺を捜索よ」
とメンバーに声をかけるが、その中に葉介の姿はない。
見渡すと、地面に這いつくばって駐車してある車の下を覗き込んでいる男がいた。
真央は苦笑いしながらも行動を起こす。
猫の安否も心配だが、いきなり大勢で押し掛けて周囲を嗅ぎまわっては住人に不信感を与えてしまう。
まずは警察に猫が行方不明になった事の届け出。
近隣の住宅に訪問し、周囲を捜索する事の了承を得る。不在の場合はその旨のチラシを投函。
全てに理解を得られるわけではないが、始めにできる事は全てやっておかなくてはならない。
常に穏便に事が進むとは限らないが命がかかっている。
先方も脱走した際にはこうなる事を了承した上で譲り受けているのだ。
必要な手配を終えたメンバー達も捜索にかかる。
設置できる箇所に捕獲器を置き、周囲を捜索。猫の潜みそうな場所を探し始める。
「犬飼くん! 他人の敷地の中に入っちゃダメだよ!」
本当は覗き込むのもまずい。近隣の住民の全てに理解を得ているわけではない。
だが葉介は構わず住宅の垣根を越えんばかりに覗き込み、家と家の間に入り込む。
「ちょっと! ルールは守ってよね。にゃんけんの評判に響くでしょ」
「オレはにゃんけんじゃねぇ」
「そんなの住人に分からないでしょ。活動に支障が出るじゃない」
「なら警察に突き出せばいい。猫が見つかってからな」
真央はそれ以上止めても無駄だと思ったのか、呆れながらも葉介の乗り込む家のチャイムを押し了解を得ていく。
チャイムを押されて玄関口まで出迎えさせられるだけでも住人にとっては迷惑なのだ。本来なら最小限に留めたい。
訪問の合間にメンバーに指示を出し、葉介とは別の場所を探させる。
万一通報された時には本当に葉介を警察に突き出すか……、と真央は心の中で舌を出した。
そんな心配もある中、捜索は続くが大きな問題に発展する事なくすっかり日が暮れ、メンバーの時刻的な限界が迫る。
もちろん彼等は頼めば無理をしてくれる者も多いが、代表としてそれに甘えてばかりいるわけにもいかない。
メンバーに召集をかけ、今日の所はこれで撤収、後日また捜索する段取りを決める。
当然と言うか葉介はそれを無視した。朝まででも、何日でもこのまま探し続ける勢いだ。
「仕方ない。私も付き合うか。皆は帰っていいよ」
しかし……、と渋るメンバーに、
「仕方ないじゃない。一度でも縁のあった子を助けようと必死になってる人を放っておけないよ」
やれやれという顔をする真央にメンバーも諦める。真央もまた、一度言い出したらちょっとやそっとでは聞かない。
明日できるだけ早く来ますと言い残し、皆帰路に着く。
「代表……」
運転手が真央の元へとやってきた。
「あなたも帰っていいよ。私達は自力で帰るから」
交通費くらいアイツに請求してやるか、と不敵な笑みを漏らす真央に、運転手はおずおずと進言する。
「いや、あの……。譲渡した先方、帰ってきました」
真央の目が途端に真剣なものになる。
「行くよ! あ……。あなたはもう帰っていいわ。後は任せて」
運転手は恐縮しながらも挨拶の言葉を残して帰って行く。
皆普通に仕事を持つ身。仕事をきちんとこなさなくては活動を続ける事もできなくなる。
真央は単身、譲渡した相手である女性の部屋へと向かった。
チャイムを押し、余計な挨拶は省いて身分を名乗る。
「え? あの、もういいんです。逃げちゃったものはしょうがないんで」
「いいってどういう事ですか? 所有権を放棄したって事でいいんですか?」
「え? あの、ちょっと困るんで、もういいですか?」
「あの、済みませんけど。契約書を交わしてますよね? お話を聞かせてもらえないならこのまま警察へ通報しますけどいいですか?」
女性は渋々と言う感じでドアを開ける。
チェーンがかかったままのドアを真央はめいっぱい開け、女性に詰め寄る。
「私達はこれからあの子を探します。正確に猫が逃げた時の状況を教えてほしいんです」
いつ、どこから、どっちに向かって逃げたのか。それらの情報があればそれだけ潜伏先を予想するのに役立つ。
「まず脱走したのは正確にいつですか?」
「いや、いつって言われても……」
「いつ脱走したのか分からないんですか?」
いつの間にかいなくなっているという事もなくはない。うっかり開け放した戸や、網戸を破って外に出た場合、正確な時間が分からない事もある。
「じゃあ最後に見たのはいつですか?」
「そんな事言われても……、すぐにはちょっと」
真央の眉根が寄る。
「最後に見た日が分からないんですか? 譲渡の時に家の間取りを確認させてもらってますけど、失礼ながらそれほど部屋の数ないですよね。家の中にいて姿を見ない日があるとは思えないんですけど」
「いや……、でも猫ってドアを開けた隙に外へ飛び出す事もあるじゃないですか」
「外へ飛び出したんですか? それはいつ?」
「今のはたとえですよ。ベランダから出たのかもしれないじゃないですか」
「ここって七階ですよね。ベランダに出て七階から落ちたなら分かると思うんですけど」
猫でも七階から落ちればタダでは済まない。
周辺の獣医や保健所にも聞き込みはしているが該当の猫が運ばれた話もない。
煮え切らない女性に真央は業を煮やす。
「私はこれから周辺を探しに行きます。一緒にきてもらえますか?」
「いや、もういいです。諦めます」
「諦めるってどういう事ですか! あの子は今見慣れない屋外でお腹を空かせて怯えてるかもしれないんですよ! 怖がってるんです。苦しんでるんですよ」
「そうとは限らないじゃないですか。いい人に拾われて幸せになってるのかも」
「その根拠はどこから来るんですか! まずできる事を全部やりましょう! あなたが飼い主ですよね? 一緒に探してください。探さないなら所有権を放棄してください」
女性は渋い顔をしたが、分かりましたと小さく言う。
「これはあの子の所有権を放棄するという書類です。そして私達は、あなたに民事訴訟を起こして脱走の責任を取ってもらいます」
訴訟と聞いて途端に女性の顔が青ざめる。
「訴訟ってどういう事ですか?」
「契約書に書いてありますよね。脱走した場合はそれ相応の責任を問うと。探す事に協力してくれないのなら純粋に損害賠償を求める事になります。賠償金か懲役刑か、その両方か」
女性はわなわなと震え始めた。
「わ、分かりました。探します。探せばいいんでしょう」
女性はドアを閉め、カチャカチャとチェーンを外すとドアを開けた。
真央は相手に分からないように安堵の息を漏らす。
日本の動物愛護法はまだまだ未発展だ。刑罰が軽い、というより下手をすれば警察でさえ相手にされない事もある。
実際に訴訟を起こして責任を問うのは容易ではない。
真央が階下へ促すと、女性は渋々だが下へと降りる。
外へ出た二人を冷えた夜風が襲う。
「あ、あの……。私明日早いんですけど……」
「私もです。……彼もね」
真央が指す方向に女性は目をやる。
そこには地面に這いつくばり、車の下を探す葉介の姿があった。
「彼はあの茶トラの子が野良の頃から面倒見てきた人ですよ。譲渡会の時、私は譲渡するのを渋ったんですけど、彼が口添えしてくれたから了承したんです。でも、あの子は脱走した。彼は責任を感じてああやって探してるんです。朝まで探すでしょうね。何日でも」
女性は胸に手をやる。
「彼はあなたがあの子を大事にしてくれる、決して見捨てないと思ったから口添えしてくれたんですよ。私も同じです。保護したのは私ですから。私があの子に幸せにしてあげると約束しました。だから私も何日かかっても探します。近隣の人に何と言われようとも。にゃんけんが世間に何と言われようとも探し続けます。それが命に対する責任ですから」
真央は捜索を始めるでもなく、横目で女性の様子を窺う。
「確かに譲渡した猫は法的にはあなたの所有物で、どうしようと自由です。でも猫は生き物です。物じゃありません。彼はあの子がケガをしているかも、お腹を空かせているかもと思うと居てもたってもいられないんです」
女性は息を飲むような仕草をする。
「彼は不審者として警察に捕まろうが探すのを止めません。彼もあの子に幸せにすると約束して私達に託したんですから。彼はメンバーじゃないんですよ。ただ自分の責任感で探してるんです」
葉介は塀の上を覗き込み、垣根を掻き分け一心不乱に周囲を探している。
「彼は何日でもここで探し続けるつもりなんです。自分がどう思われようがどうでもいいんです。プライドは二の次なんですよ。警察に捕まって、絞られた後釈放されればまた戻って探し続けます」
女性はどうしたらよいのか分からないように真央を見る。
「私、前に猫を愛護動物だと言って彼と衝突したんですよ。その時は私も怒ったけど、彼にとってあの子は動物じゃない。言葉は通じなくても心が通じ合う友達なんです。あなたも自分の娘が行方不明になったらそうするんじゃないんですか?」
女性は何かを言いたそうに口を動かすが、真央は前を向いたまま続ける。
「彼は言いました。あなたではなく猫を見て決めたんだと。私もあなたが脱走した子を簡単に諦めるような人だとは思えません」
真央は真っ直ぐに女性の目を見つめる。
「そろそろ、本当の事を話してもらえませんか」
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