5 cats 「キャッチ」

「あー来た来た。よかったわ」

 少しふくよかな年配の女性は葉介の乗ったバイクを見つけると待ち兼ねたように手招きした。

 なぜ自分が呼ばれた者だと分かったのだろう、と少し不思議に思いながらヘルメットを脱いだ所で、黒い金網を背負っているのを思い出す。

「ほら、あの子よあの子」

 女性は無遠慮に葉介の腕を引いて開けた場所を指す。

 そこには茶白――茶トラ柄に胸から腹にかけて白い猫――が寝そべっていた。

 あまり汚れておらず、それなりに肥えている。

「私が面倒見てるんだけど、捕まえたら嫌われちゃうかもしれないじゃない? だからお願いしたの」

「はぁ……」

 とやや釈然としないものの、猫に向かって足を踏み出す。

 その気配を察してか、今まで寝そべっていた猫がピンと耳を立てて葉介を見た。

 かなり警戒心が強い猫のようだ。

 ここは餌ヤリさんに協力してもらうのがいいだろう……と考えたところで女性が明るい声を上げる。

「じゃあ後お願いね。私これから用事があって。ホント間に合って良かったわ」

「え?」

 止める間もなく女性は早足に去っていった。

 茫然と立ち尽くす葉介を茶白の猫は冷めた目つきで見つめたまま片方の耳を動かした。

 両者はしばらく見つめ合ったが、こうしていても仕方ないと背の荷物を下ろす。

「しかし、これどうすりゃいいんだろうな」

 ぶつくさと文句を言うように黒い捕獲器を調べる。

 四角い筒のような形だが、片方はアクリル板で塞いである。開いている方から猫を入れるのであろう事は予想できるが、置いただけで入ってくれるとも思えない。

 一応、入り口を猫の方へ向けて、「入る?」と聞かんばかりに入り口を示してみるが、猫は小馬鹿にしたように一瞥しただけだった。

 まずはお近づきに……、と身を屈めたまま近寄ろうとすると猫は立ち上がり、距離を取ってまた寝そべる。

 ダメか……と肩を落とすと、葉介は立ち上がり、猫など気に留めていないかのように何気ない素振りで周囲を歩きはじめた。

 猫には近づかず、見もせずに日が傾きかけた空を見上げたり、足元を眺めたりしながらぶらつき、時折猫との距離を詰める。

 しかし猫は詰めた分だけ離れた。

 五メートルほどの距離を保って葉介を近づける事もないが、遠くへ逃げるでもない。

 葉介が猫の顔をじっと見ると、フンと鼻を鳴らして毛繕いを始めた。

 完全に馬鹿にされている。

 この茶白の猫は人間を全く怖れていない。

 どのくらい人間と離れていれば捕まらないかをよく分かっている。

 自分の方が素早い事。可愛がってくれる餌ヤリもいて、それ以上の人間を必要としていない事。

 そして人間が思っている以上に自分が賢い事。

 それらを全て理解した上で自分の縄張りを陣取っているのだ。

「こんなのを捕まえてくれって言われてもなぁ」

 一人ぼやいたところで、その為の捕獲器なんだと思い出して置いてある黒い装置に向かう。

 茶白の猫は葉介の動きをじっと見ていたが、捕獲器を持ち上げたところで足を地面に着けた。

 いつでも動き出せるように構えたようだ。

 葉介が一歩足を踏み出すと、茶白は立ち上がって距離を取る。

 得体の知れない道具を持った事で、警戒半径を広げたようだ。

 葉介は真っ直ぐに近づく事はせず、円を描くように周ってみるが、猫は注意深く葉介をじっと見て、時折位置を変える。

 葉介は足を止めて手に持った黒い金網の筒を見る。

 相手の武器が分からない時は大砲の筒先だと思えと言う兵法の言葉があるが……、と筒の正面に位置しようとしない猫を半ば呆れたように見る。

 野生の勘という奴だろうかと諦めて捕獲器を置く。

 置いたからといって直ぐに警戒を解いてくれるわけでもないようなので、しばらく離れて無関心を装う。

 茶白はそれでも半眼を葉介に向けていたが、やがて寝そべって毛繕いを始めた。

 葉介は音を立てないようにコンクリートの地面に交互に足を着けて移動するが、茶白はもう葉介を気にしていないようで一心不乱に毛繕いをしている。

 そのまま猫を中心に円を描いて移動し背後を取る。

 近づこうと下を見たところで砂利が敷き詰められているのに気が付いた。

 葉介は茶白の猫を見る。

 集合住宅の周囲と通りまでの通路はコンクリートだが、それ以外の地面は砂利だ。

 改めて周囲を確認すると茶白はその真ん中にあるマンホールの蓋の上で毛繕いをしていた。

 葉介が砂利に足を踏み入れれば音で分かると知っていて、余裕で背後に回らせたようだ。

 忍者か……、と小さく呟いて息をつく。

 感心している場合でもないと周囲を見回す。

 砂利には茶白のいるマンホールだけでなく、点検用の小さな蓋もいくつかある。

 それが距離はあるものの、点々とマンホールまで間を繋いでいた。

 普通に跳ぶなら大した距離ではないが、音を立てずに跳ぶとなるとどうか。

 迷っていても仕方ない、と葉介は最初の飛び石の前まで抜き足差し足で移動し、忍び足で跳躍。

 着地の足が金属の蓋に触れる衝撃を足首、膝、腰に分散させて吸収。

 片方の足で着地した姿勢のまま猫の様子を窺ったが、あいも変わらず毛繕いに夢中だ。

 ふうと息を吐き、次の飛び石に向けて足に力を入れる。

 足場は文字通り足が乗る幅しかない。

 ふわりと二つ目の足場に着地。

 力を抜き過ぎるとふらついてしまう。

 狭い足場でバランスを崩したらおしまいだ。

 かといって力を入れすぎても音が大きくなってしまう。

 ギリギリの力加減で、ついに茶白のマンホールに辿り着いた。

 茶白の乗るマンホールの上に葉介の足も乗っている。

 ほとんど触れるか触れないかという距離だが、茶白は自らの又に頭を突っ込んで全く気付く様子はない。

 完全に油断している。

 葉介はそのまま茶白をわしづかみにする。

 茶白は跳ねるように驚いたが、葉介は抱え込むように押さえ、片方の手で前足を固定する。

 それでも激しく足を振り回して暴れる茶白を持て余しながらも捕獲器へ移動。

 四角く開いた金網に猫を押し込んだが、そこからどうすればいいのか分からなかった。

 入り口をどうやって閉めたらいいのか分からない。

 隙間から抜けようとする猫を奥へ押しやろうとして猫パンチを浴びる。

「どうやって閉めるんだ!?」

 蓋らしき物を降ろそうとするが固定されていて動かない。それに猫を押さえていないと逃げられる。

 仕方なくまずは奥へ押し込んだところで、茶白の足が下部にあるプレートを踏む。

「あいたっ!」

 突然蓋が閉まり、腕を噛まれる形になった。

 痛いというより驚いて慌てて腕を引き抜く。

 捕獲器から離れて尻餅をつき、辺りを見回したところで捕獲に成功したんだと息をついた。

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