3 cats 「譲渡」
翌々週の譲渡会。
同じように開催される中、前回と同様場違いな雰囲気の男が顔を出す。
「何しに来たのよ」
葉介の姿を認めるなり、真央は露骨にトゲのある口調で出迎える。
「何って、オレが世話してた子がいるんだ。様子を見に来て何が悪い」
冷やかしはお断り! と鼻を膨らませる真央に紙袋を差し出す。
「差し入れも持ってきた」
有名銘菓のロゴの入った袋に、真央の表情が変わる。
「そう? なら許す」
来訪者の邪魔にならないようにね、と紙袋を受け取った。
葉介は並べられたケージの中からいとも簡単に茶トラを見つけ出す。
「お、元気にしてたか?」
茶トラはケージの中で丸くなって寝ていたが、葉介を見るなり起き上がってスリ寄ってきた。
誰にでも懐く猫だが、やはり顔見知りの人間は違うと周りのスタッフが感心していると、真央が毛の短いグレーの猫を腕に抱いてやってきた。
「この子まだ参加してる子じゃないんだけど、見てあげてくんない?」
真央が葉介の目の前にグレーの猫を差し出す。
猫は派手な威嚇音を発すると、間髪入れず葉介の頬に猫パンチを見舞った。
面食らう葉介に真央は大笑いする。
「これで許してあげる」
さっきので許したんじゃなかったのか? と文句を言いながら頬をさする。
「確かに言い方にはカチンときたけど、よく考えてみれば猫愛が行き過ぎているからこその言動だもの」
周りにいたメンバーは互いに顔を見合わせ、無言で彼らの知る限り最も猫愛が行き過ぎている人物に視線を送る。
みなの視線を気にせず、真央は手を叩く。
「さあさあ、奴隷市場。猫身売買がんばりましょう」
真央のブラックを含んだ奨励に皆各々の仕事を再開するが、その中の一人が恐る恐るという感じで真央に近づく。
「あら、江東さん。どうかした?」
「それが、ホームページのメール問い合わせにご意見が来たんですけど、ちょっと困ってまして……」
どれどれ、と真央は印刷された用紙に目を通す。
『私は一人暮らしをしています。今まで三件以上保護猫譲渡会で申し込みしましたが、低所得を理由に全て断られました。もうペットショップから買うしかありませんがそれは本意ではありません。同じ目に遭っている人は回りに何人もいます。ペットショップで買う事を非難されるのなら、私達はどこで猫を手に入れればいいのですか? 私達がペットショップから買う事をとやかく言わないでください』
「これがご意見メールで来たわけ?」
「はい。問い合わせには全て返信するのが代表の方針なので、何か回答しないといけないんですけど、なんて返したらいいものか……」
「うーん、こういうのってよくあるんだけど、いっつも困るのよねぇ」
そうなのか? と葉介が文面を覗き込む。
「とやかく言ったのか?」
「いや言ってないよ。知らないよこの人。会った事もないし」
「じゃ、『言ってないですよ』でいいじゃないか」
「まあそうなんだけど。なんか雑じゃない? 回答として」
実際ペットのショップのやり方を指摘した発言をした事があるのは確かだから、全く知らん顔するのも、それはそれで体裁が悪い、と眉間にシワを寄せて考え込む。
「そうだ。あなたはペットショップで買った事はあるの?」
「いや、ないな」
「反対派?」
「いや、別に。オレはどっちでもいいと思うよ。保護猫を引き取るのもペットショップから買うのも、家族のいない子を迎え入れる事に違いはない」
「でもペットショップは劣悪な環境の所もありますから」
江東がやや渋い顔をする。
「オレは見た事ないな。皆身綺麗で、大事にされているのが分かる。それにペットショップに並んでる子こそ、買ってあげないと暗い未来が待ってるんじゃないのか?」
「でもペットショップは望まないのに無理矢理繁殖させられた子達なんですよ」
「保護猫もそうじゃないか。避妊去勢をせずに、心ない人間に増やされた子達だろ」
「ペットショップは金儲けの為にやってるんですよ!」
江東は声を荒げる。
「それは単なる職業差別じゃないのか? 病院だって結局は金儲けなんだ」
「ペットショップでペットを買うから、また無理に繁殖させられる子が増えるんじゃないですか!」
「だからって、今売られてる子が不幸になっていいもんじゃないだろ。好きでペットショップで売られてるわけじゃない」
「だって……、だって」
「まあまあ。なんであれ、動物に罪はないんだから」
泣きそうになる江東に真央が仲裁に入る。
「ペットショップで買ったはいいけど、面倒見切れなくなって捨てられた子がノラになるのよ。だから私達はちゃんと飼える人かどうか見極めてから譲渡してる。そうしないと、結局戻ってきたり、ヒドイと捨てられてしまったりするのよ」
目に涙を浮かべながら「ヤな人ですね」と呟く江東に「うん知ってる」と小さく応え、宥めるように背を撫でながら奥へと促した。
数人のメンバーが心配したのか後へと続く。
「あの……、代表?」
残ったメンバーの一人が、恐る恐るというように真央に近づく。
「千代田さん、どうかした?」
と明るく応える真央に、若い女性メンバーは目で入口を示す。
ん? とにこやかに入口を見た真央だが、「あっ」と小さく声を上げるとさっと皆に指示を出す。
「ごっめーん。犬飼くん。ちょっと急用が出来た。これ持っててくれる?」
突然の事で戸惑った葉介だが、いきなり馴れ馴れしく君づけで呼ばれて思考停止したのか渡された物をアッサリ手に取る。
何かと思う間もなく、真央とメンバーはパタパタと奥へ引っ込んで行った。
と同時に入り口のドアが開き、数人の男女が入ってきた。
その団体の先頭を切るのはマイクを持った若い女性。その後ろに続く男はカメラを構えている。
いかにも撮影隊という感じだが、機材や人員がどこか安っぽい。テレビ局というより、個人で撮影した番組をネットで動画配信している者達と言った方がしっくりくる。
マイクを持った女性は会場内を見渡し、葉介を見つけると真っ直ぐにやってきた。
「ちょっとお話いいですか?」
オレ? と自分を指さすが、女性は構わず質問する。
「今世界にどのくらいの恵まれない子供たちがいるかご存じですか?」
唐突に聞かれ、戸惑いながらも「いや……」と答える。
「その事についてはどうお考えですか?」
「……別に何も?」
「何とも思わないんですか? 可哀想だとは思わないんですか?」
「可哀想だと思えば、アンタは納得するのか?」
「可哀想だと思ったら、何かするでしょう?」
「可哀想だと思わずに何かする人はダメなのか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど」
女性は調子を狂わされたのか、気持ちを落ち着かせるように一呼吸置く。
「ここにいる猫に掛けているお金で、何人の子供たちが救われると思いますか?」
「いや。分からないな。何人だい?」
え? と女性は言葉を詰まらせる。
「……え……と、猫に掛けているお金はいくらですか?」
「いや、知らないよ」
あ……、うー、と女性は困惑した様子を見せる。
「は……、把握してないんですか?」
「こういうのって一定してないんじゃないの? それに、そういうのって人に言うものじゃないと思うけど?」
「命は大切です。それは確かですけど、猫より人間の方が大切ですよね?」
「人間の募金もやった事あるよ」
「……お、おいくらほど?」
「それこそ言う必要ないと思うけど」
「それでも、今猫に掛けているお金も全部募金に回せば、もっとたくさんの――」
「足りないからもっとよこせと、その子供達が言ってるのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「それに、人間はただ助けられてばかりじゃ成長できない。何もしないで助けられたら、また誰かが助けてくれるのを待つようになるだけだ。猫だってそうだ。ただ餌をやればいいんじゃない。餌をやって人に慣れた猫は虐待される危険性が出る。オレは誰彼構わず餌をやったりしない。アンタは何も考えず子供達に金を送ってるのか?」
葉介の言葉に、女性の横に控えていた男が手に持っていた紙束を後ろに隠す。
「あ、あの。次の質問です」
マイクを自分のもとに戻し、話を切り替える。
「ここの団体は外国人への譲渡を断っているんですよね?」
「そうなの?」
「それって人種差別ですよね?」
うーん、と葉介は首を傾げ、
「オレが女湯に入っても怒られないのかな?」
「は? あ、……いえ」
「それは男女差別なのか?」
「あ……いや。それは犯罪ですから。別に猫を譲渡するのは犯罪じゃないです。それって偏見ですよ」
「犯罪……って、それは日本の法律で、だろ? 外国は分からないじゃないか」
「そ、それは……」
「言葉が通じなきゃ契約できないし、風習が違うのを強制はできないし、国に帰られたら法律も違う。男湯と女湯の間にある壁と同じ、言葉の壁で区切った区別だろ」
「そ、そこを頑張るのが大事だと思います。英語を勉強するとか」
「んー、まあ。それはここの人達が未熟だからだろうな。英語だけとも限らないし。……アンタは英語話せるのか?」
「もちろんです」
「じゃあアンタが仲持ちをしてくれれば、より門が広がるよ」
「はい?」
「アンタが入会すれば、猫も家族が見つかって、外国人にも譲渡ができる。いい事だらけじゃないか」
「あたしは、そういうんじゃないので……」
「猫が好きだから来たんじゃないの?」
「ち、違います。それは、責任の転嫁ですね。自分の考えを人に押し付けようという……、それがにゃんけんの考えだという事でいいですか?」
マイクを持つ女性は汗をかき、目を泳がせながらも取材を閉めようとする。
「いや、オレは……」
「ごっめーん。持っててくれてありがとー」
と後ろからやってきた真央は、葉介の手にある物を取り上げる。
それはにゃんけんのスタッフ章だった。
真央は取材陣に今気が付いたような素振りを見せる。
「あ、この人は来場客。にゃんけんとは無関係です」
ぽかーんとする取材陣に真央は続ける。
「でも私達が未熟っていうのは合ってるかも。まだまだ力不足な所もありますけれど、日々よりよくなるよう努力しています。外国の方も断っているわけではありません。譲渡した事もありますよ。でもトラブルもあるんです。彼の言う通り、あなたが入会してくれればかなり改善されると思うけど?」
「い、……いえ」
と取材スタッフは締めの言葉もそこそこにそそくさと帰っていく。
ドアが閉まり、彼らが建物から出たであろう頃合いになると、溜まりかねた様に真央は大笑いした。
それに釣られるように会場内は笑いで満たされる。
「アナタならなんかやってくれると思った」
と葉介の背中をバンバンと叩き、当の葉介は何なのか分からないように戸惑いを見せる。
「ホントにヤな奴ねアナタ」
真央は尚も涙を拭って笑う。
「あの連中、恵まれない子供達に寄付してはその証明書を動画で見せつけてるのよ」
「実際寄付してるんならいい事じゃないか」
「ま。それはそうなんだけどね」
注目を集める目的でやっていても、結果それで助かる人がいるのなら動機は関係ない。
「よその国の子供達が助かってもオレ達には関係ない」
「助けるという行動にこそ意味があるんだそうよ」
「それは連中にこそ言ってやるべき言葉だな」
真央は一瞬きょとんと葉介を見たが、やがて笑いながら背中を叩く。
迷惑そうにしながらも、葉介はされるがままになっていた。
「あの……、代表」
メンバーの女性が真央に声をかける。
「なあに? 品川さん」
促された先は葉介が面倒を見ていた茶トラのいるケージ。
そのケージを若い女性が覗き込んでいた。
「この子のトライアルをお願いしたいんですけど」
ではアンケートに記入をお願いしますとクリップボードを渡し、会場の隅に置いてある椅子への案内する。
書き終わると真央はアンケートを受け取り、さっと目を通す。
「お住まいが……千葉県ですか?」
少し表情を曇らせる。
「もし猫が脱走した場合、メンバー総出で探しに行く事になります。遠いと、すぐに対応とはいかないので」
「いえ、ご迷惑はおかけしません」
「そうは言ってもねぇ」
それでも渋る真央に葉介が口をはさむ。
「遠いからダメって、どういう事だ?」
「送り向かいだけでも大変だし、様子を見に行くのだって簡単にはいかないのよ」
「申し出に踏み切るっていうのはな。そう簡単な事じゃないんだよ。迎え入れようと決めたから、その後の生活を想像して、やっていけると思ったから申し出るんだ。もしかしたら他の家に行った方が幸せだったんじゃないか。他所だったらもっと長く生きられたんじゃないか。そう思って後悔する日は必ず来るんだよ。それらを想定して、シミュレーションして、全部覚悟が出来た時に初めて願い出るんだ。それを遠いからってなぁ」
申し出た女性は呆気に取られたように葉介を見ていたが、
「そ、そうです。そういう気持ちです。その覚悟です」
と頬を上気させて熱弁する。
真央は口をへの字に曲げる。
「ダメとは言ってません。ただ保護猫は全国にいるんだから、近い所でも探してみては? と勧めてるだけです」
「この子はここにしかいない」
やや強い口調になる葉介に真央はムスッとするも、
「分かりました。いいですよ。でも何かあった時にはあなたにも手伝ってもらうわよ。いいでしょ?」
ああと頷く葉介に、女性は手を合わせて感謝の意を表する。
一通りの手続きが済み、気をよくして帰る女性を見送る葉介に真央が呟くように言う。
「虐待目的で引き取る人は、一見猫の好きそうないい人なのよ。何度も人を見てるボランティアでも見抜けないんだからね」
「人じゃないコイツを見たんだ」
葉介は傍らの茶トラのいるケージに手を入れる。
「コイツは懐っこいけどな。人を見る目は人間よりある」
それはどうかしら、と言わんばかりに真央は腕を組んだ。
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