第35話 真夜中の訪問者

 数時間後、アスター、王宮。


 コツンコツン、と足音が暗い廊下に響く。その足音の発生源はメイド服に身を包んだ少女で、その手ではティーセットの載ったトレイがカチャカチャと音を立てている。

 少し歩いて、彼女はある扉の前で立ち止まった。そしてその両隣に立っている護衛隊の隊員に小さく会釈すると、コンコン、と扉を叩く。中から返事が聞こえたのを確認してから、ドアを開けた。


「失礼します」


 言いながら部屋に入り、部屋の主の背中を見やって一瞬顔を顰めた。机に書類が山になっており、それをカリカリペンを走らせて処理していく様はなんだか疲れと哀愁が漂っている。

 まだ若いのに……。

 思いながら少女は声をかけた。


「お飲み物をお持ち致しました」

「ああ、ありがとう」


 そこ置いといてくれ、と言われて近くのローテーブルを見るが、そこにすっかり冷めきったカップが鎮座しているのが目に入り、こりゃ駄目だと心中で頭を抱える。


「置いていても飲まれないでしょう。ひとまず休憩にしましょう」

「大丈夫大丈夫、飲むって」

「ベネディクト王子?」


 ジトー、と見つめれば少し振り向いたベネディクトが苦い顔になって両手を顔の横まで上げた。


「わかった、わかったから」


 渋々と椅子から立ち上がってローテーブルの近くのソファに座る。少女が入れた紅茶を飲んでほう、と息をつく様はまさに神の使い。いや、神が顕現する為に全力を賭して創った器のようだ。少女はその眩しさにう、と小さく呻くがそこはプロ根性で耐える。


「そろそろお休みになられた方がいいですよ」


 一つ苦言を呈するも疲れた笑みを返された。まだ休む気はないのか何徹目だこれ、とため息をつきそうになりながら続ける。


「いい加減にしませんとお身体に触ります」

「君も起きてるだろ」

「私は宿直ですので」


 ちらりと机の上の書類を見ると内容は最近北のアーヴェン海域で暴れまわっている海賊について。またため息がこぼれかけるがこらえた。それに気づいたようにベネディクトは微笑う。


「初めてこういう仕事任されたからさ、完璧にやりたいんだ」

「そう、ですか」


 相槌をうって、ティーセットを片付ける。ベネディクトはありがとう、と言いつつも仕事の邪魔をされないと分かったのか少し嬉しそうだ。それに渋い顔をしながら膝立ちから立ち上がった少女はああそうでした、とさも今思い出したかのように口を開く。


「そろそろ効き始めると思いますので、立ち上がらない方がよろしいかと」

「は……? え……っ」


 腰を上げようとしたベネディクトがそのままソファへと逆戻りし、力の抜けた身体に小さく声を上げた。その視線は扉の方へ。


「んの野郎……っ」

「睡眠不足はパフォーマンスの低下に直結するからな」


 グッとサムズアップするハルイチに心の中で恨み言を吐きながら、ベネディクトの意識は闇へと落ちていった。


 よっせ、と己の主をベッドに寝かせて、少女はふむと声を漏らす。ハルイチは既に彼に宛がわれた部屋へと帰した。

 すよすよと綺麗な寝顔を惜しみなく晒すベネディクトを見ながら、少女は服の隠しポケットに手を入れる。そこから出てきた手に握られているのは銀に輝くナイフ。それとベネディクトを交互に見て、彼女はナイフを元あったところに戻した。


「また今度でいっか」


 仕事もあるみたいだし、と呟かれた声はまだ稚さが抜けきっていないが少なくとも少女とは呼べないものだった。

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