第9話 カフェで出会ったのはとんでもない人だった

「ほら、ここですよォ」


 細い路地に隠れ家のようにひっそりと構えられた店のドアをワーナーさんが開く。

 カランカラン、という軽やかな音と共に、優しいハーブの匂いがふわりと香った。


「いい匂い……!」

「ここのハーブティーは旨いですからね」


 漢方……? いや違うな、こんないい匂いのはずがない。前の旅で非常にお世話になった薬を思いだす。

 ……駄目だ俺の思考、お里が知れる。ハーブはもっとオサレなやつだ。うちの宿でいつも使ってたやつだ。


 ハーブティーが好きらしいワーナーさんが目を細めてメイと話をしていると、先に入っていたベネディクトがああっと声を上げ、ずかずかと大股で店の奥に座っている黒髪の青年の前まで歩いていく。

 そんな大声を出しては他の客の迷惑になるかと一瞬ハラハラしたが、彼と俺たち以外に客はいないようだった。


「お前どこほっつき歩いてたんだよ、ハルイチ!」


 あれ? その名前、どこかで。

 首をかしげていると、その青年が顔を上げ、返す。


「昨日はやることがあるから帰らないと言っただろう。……おや、和ノ国の者がいるな?」


 心地よい低い声が静かに響き、黒曜石のような目がこちらを射抜く。

 その只者ではない雰囲気に俺は思わず姿勢を正した。


 ……俺ってそんなに出身国分かりやすいですかね?


 小声でレヴィさんに聞くと黙って首を横に振られる。


 なら何故彼は俺の出身が分かったのだろうか。


「帰らないって朝帰りどころか昼の今もこうしてこんなとこにいるだろ、それなら明日もいつ帰るか分からないとか言えよ。ったく……、心配するだろ? ……確かにこいつはアカリっていう刀使いの和ノ国出身の旅人。で、この嬢ちゃんがその妹のメイ、魔術師だ」


 疑問でいっぱいな俺をよそにベネディクトが彼に俺たちを紹介し、取り敢えずぺこりと頭を下げる。すると彼はくつくつと笑うと口を開いた。


「そんなに和ノ国の霊力を纏っていたらすぐに分かるわ。

我はミザクラハルイチという。先日和ノ国から出てきたところだ」


 ぴぇ。


 間抜けな声が出そうになる。

 ミザクラハルイチ。和ノ国の国家元首である将軍の次男。俺とは住んでる世界が違い過ぎる人。てかお目にかかることすらまずないような人。

 そんな人とまさか旅先でお会いしました、なんて普通あるか、いやない。反語。

 しかも霊力で和ノ国の人間だって知られてる。


「あの……帰っていいすか……?」


 そろりと手を上げて申し出るも、ベネディクトに何言ってるんだ、という目で見られて「あ、やっぱ大丈夫ですすみません」と言い直す。

 やめて、ホントに心底分からないって目で見ないで。王子のお前からしたら普通のことでも一般庶民の俺にとっては畏れ多過ぎて倒れそうなんです。いっそ殺せ。

 俺が泣きそうになっている間にも話は進んでいく。


「やること、つったって何やってたんだ?」


 ベネディクトの問に簡単な事だとそのお人は笑う。


 「家出宣言だ」


「「「「「…………は?」」」」」


 何言ってんのこの人。

 全員の声と心が重なった。


「いやお前……え? ワ、ワンモア」


 震える声で聞き返すベネディクト。

 うん、俺だって今のは聞き間違いだと信じたい。

 だが現実は非常に残酷であった。


「家出宣言だ。まあ、正確には旅立ち宣言だがな」


 ろくな説明もせずに飛び出して来たからな。しれっと話す。

 レヴィさんがあのう、と聞いた。


「その二つの言葉には大きな違いがあると思うのですがそれは」

「正直、帰る気はないからな。実質家出名目旅立ちだ」


「…………よし、このバカ和ノ国まで届けるぞ」

「送料あっち持ちでいいですよね?」

「待て待て待て」


 ワーナーさんに抱え上げられたハルイチ様は手足をジタバタとさせる。

 なんだか急に幼くなったようだ。


「ベネットお前好きに生きさせろと言ったら嬉しそうだっただろう!」

「それとこれとは話が別だ! 帰る気はないってどういう事だお前!」

「そのままの意味だ! 家を出て一般人になるんだ我は!」

「やろうとしてる事が一般人のそれじゃねーよゆくゆくは中央神殿に突っ込もうぜとか言ってる奴なんて一般人じゃねぇよ一般人でたまるかんなもん俺が許さねえよ!!」

「うるさいうるさい一般人になるったらなるんだなってやる!!」


 ギャーギャーと騒がしく言い合う二人にどうしようかと困ってしまう。やっぱり止めた方がいいよな、うん、と一歩踏み出した時、ポン、と肩に手が置かれた。一人ゴーイングマイウェイでケーキを食べていたランだ。よく今までこれをスルーできてたなお前。


 穏やかに微笑む彼に微笑み返すと、彼はその肩に乗っているルリに何やら話す。するとルリは瞬きのうちに五十センチ程の大きさ(おそらく第二形態)になると、口を開き、今なお言い合いをしていた二人の顔に水のブレスをお見舞いした。


 あー、掃除しないとなー。

 俺は他人事のように思って現実逃避をするしかなかった。

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