婚約破棄 XV.襲撃
夜会は無事終了した。
セシルが何とか場を設けて候補者全員とダンスを一回は躍らせたが候補者の反応は微妙なものだった。
グロリア自身も乗り気ではないのは見て分かる。
何度も候補者が話しかけ、セシルがフォローを入れていたが「はい」や「いいえ」、「そうですか」など一言で終わってしまう言葉しか返さない。
今回、セシルはグロリアのフォロー役として夜会に参加したがかなり疲れた。
馬車の中に重苦しい空気が流れ込む。
「それで、誰にするの?」
「え?」
「え?じゃないでしょう。
何の為の夜会か分かっいますの?
今日会った婚約者候補の内誰と婚約する予定なの?」
「それは」
言葉に詰まる。
誰も嫌なのだ。
「この三人の中からしか選べませんわよ」
「そんなにその三人がよろしいのならお姉様が嫁げばいいじゃない」
「あら、それでもいいけど。あなたはどうするの?
行けず後家を養うつもりはありませんよ」
「そういうわけでは」
「ではもう一度聞きますがどうなさいますの?」
「・・・・・」
「だんまりでは分かりませんわ」
「どうせ私に拒否権はないのでしょう」
「あら、ありますわよ。要は覚悟の問題ですもの」
「え?」
「爵位が上の方が宜しいのならその方をあなたが選んで魅了すればいい。
今回のように私の元婚約者様にしたようにね。
勿論、爵位が上がれば上がるほど背負う責任は重くなりますが。
伯爵家と言えば殿下の婚約候補にすら名前が上がりますものね。
なんなら王太子妃などを狙ってみますか?」
「私はそんなつもりでは!」
慌てて否定をするグロリア。
本当に愚かな子。この私が何も気づいていないと思っているのかしら。
「気に入らないのでしょう。今回の婚約者候補が」
「そういうわけでは」
「気に入らないのよね。当然よね。
だってみんな子爵家や男爵家。庶民に毛が生えたような下っ端貴族ですもの」
「そういう言い方。お姉様ひど過ぎますわ」
「あら。私はあなたの心を代弁したまでですわよ。
私の元婚約者様は侯爵家。それに比べてって思ったのでしょう」
「っ」
「ほぉら、図星じゃない」
「お姉様に私なんかの気持ちは分からないわ」
「どうして私が#あなたなんか__・__#の気持ちを理解しないといけないのかしら」
「っ。酷い、酷いわ、お姉様。
お姉様が私のことを馬鹿だと思っているのは分かっていました。
けれど私だってそれなりの努力はしていますのに」
「それなりの努力?
あら、ごめんなさい。
〝病弱”という設定を必死に守り、勉強からもお稽古からも逃げるあなたの努力。
私は軽んじ過ぎましたかね」
「設定じゃないわ。本当に弱いもの。
お姉様に私なんかの気持ち、絶対に分からないんだから」
「一生分からなくてよろしい。
〝#私なんか__・__#”と己を卑下することしかできない人間の気持ちなど。
知りたくもないわ。
今回の件、あなたには3人のうちの誰かにしろと選択肢が与えられていますの。
私の時はミハエル様だけで、選択肢などはありませんでしたが。
実際の貴族の結婚は選択肢のないまま、結婚式の前に顔を始めて見るということも多いのです。
選択肢が与えられただけでも良しとしなさい。
みなさん、爵位こそ低いですがとても立派な方達です」
「ミハエル様を気に入らないなんて、お姉様が贅沢のし過ぎなんだわ。
あの方程素晴らしい方はいないのに」
ぼそりと呟かれたグロリアの言葉を私は無視した。
再び馬車の中を重い空気が包み込んだ。
すると、馬車が急に止まった。
まだ邸までは距離があるのにも関わらずだ。
「何?」
「ジーク」
「様子を見てきます」
実は一言も発してはいなかったので誰も知らなかっただろうがジークも馬車に乗っていたのだ。
夜会は何かと物騒。
遅くに終わるので帰りに襲われることも珍しい事件ではない。
その為、必ず護衛人を上流貴族は同行させる。
ジークは私の執事だがこう見えてかなり腕が立つ。
それに体は細いので誰も分からないかもしれないが彼には立派な筋肉がついているのだ。
ジークからこっそり聞かされたのだが騎士団に入らないかと誘われたこともあるらしい。
「お嬢様、暴漢のようです。片付けるので暫しお待ちを」
「お願いします」
「畏まりました」
外で金属がぶつかり合う音や、人が倒れる音、呻き声などが聞こえた。
私はジークがその全てを片付け終えるまで黙って待つことにした。
「お姉様!」
「何?」
「早く逃げましょう?」
この餓鬼は何を言い出すんだ。全くもう。
本当に私と同い年か?
「ジークが片づけるまで待ちなさい」
「でも!一人では無理ですわ」
「ではどこにどうやって逃げるのかしら?」
グロリアの怯えはも分からないわけではない。
私だって実際には怖い。
けれど、こういう時は冷静にならなくてはいけないのだ。
周りを見て状況を判断することがもっとも生き残れる可能性を高くしてくれる。
「もういやぁっ!」
「待ちさない、グロリア」
「お嬢様っ!」
完全にパニックに陥ってしまったグロリアは馬車の中から飛び出して行ってしまった。
私はその後を慌てて追う。
馬車から出て来たグロリアと私を見てジークは驚愕していた。
本来なら馬車の中で大人しくしているべきなのだがこの場合は仕方がない。
幸い、グロリアは運動というものをしないので体力も無ければ足もかなり遅い。
こんな状態で走って逃げおおせると思ったのだろうか?
パニックに陥った人間はそこまで考えが及ばないから仕方がない。
「グロリアっ!」
「お嬢様っ!」
運は悪かったんだと思う。
グロリアの前に大柄な男が立っていた。
男はグロリアを斬り殺そうと剣を振り上げていた。
見捨てればよかったのに。
頭の中で冷静な自分が言う。
自分でもそう思う。
けれど体は反射的にグロリアを庇い、背中に熱が溜まった。
剣で切られたら痛いだろうなと冷静に思っていたのだが実際は痛みよりも熱が溜まるようだ。
「お嬢様っ!」
「き、きゃあぁっ」
「ちょっと、黙っていてください」
血だまりの中に倒れる私を見てグロリアが悲鳴を上げる。
ジークは私を斬った男を斬り殺し、私の体を抱き起してくれた。
「お、お嬢様」
「・・・・っ。いいから、早く、残りを」
「は、はい」
ジークは着ていた服を私に被せ残りの暴漢達を片付けた。
暗い、底なし沼の中に入り込んだような感覚がする。
誰かが必死に私のことを呼んでいるのは分かる。
でも、その答えに応えるのがとても億劫だった。
ポタポタと温かい滴が私の中に落ちてくる。
ジークだとなぜか思った。
ジーク、また泣いているのですか。
あなたは昔からどうしようもない泣き虫で。
ああ、でもいつの頃か泣かなくなりましたね。
あれはいつだったのでしょうか。
あなたの家が大変なことになり、私の婚約が決まってと色々重なった時でしたかね。
懐かしい夢を見た。
幼い私とジークが一緒に庭を駆けずり回って、とても楽しい夢を見た。
でも、もうそんな日が来ないことを私は知っている。
だからこれが夢であることも分かっていた。
目を覚まそう。
ジークが泣いているから早く覚まして、慰めてあげないといけない。
昔から泣き虫のあなたを慰めるのは私の役目でしたからね。
「っ」
「お嬢様!」
ぼんやりとする意識の中起き上がろうとしたら背中に激痛が走った。
「お嬢様、いけません、起き上がっては」
「・・・・・ジーク?」
「はい、はい、お嬢様。
申し訳ありません。私がついていながらお嬢様に」
何があったんだっけ?
・・・・・・ああ、そうか。
夜会の帰りに暴漢に襲われて、グロリアが馬車の中から飛び出してしまって、私があの子を庇って怪我をしたのか。
我がことながら情けない。
「やはり、泣いていたのね、ジーク」
私は手を伸ばしてジークの目に溜まった涙を拭ってやった。
「あなたの泣き虫、治ったと思ったのですが私の勘違いかしら?」
冗談交じりに言うとジークから苦笑が返って来た。
「お愉しみのところ失礼するよ」
「オルフェン。来てくれたのですか?」
「幼馴染の窮地とあっては来ない方がどうかしている。
やぁ、ジーク。また泣いていたのかい?」
「黙っていてください」
「はいはい。これは失礼」
おどけて言うオルフェンの手には薔薇の花束があった。
「女性のお見舞いというのをしたことがなくてね。何を持って行っていいのか分からなくて」
「それはプロポーズに使う花でしょう」
「まぁ、そうだね。なんなら婚約してみるかい?
セシル・ラインネット伯爵嬢、君のことが」
「本気ですか?」
「最後まで言わせてくれても良くない?冗談だけどさ。
はい、ジーク。お花飾っておいて」
「捨ててもよろしいのなら」
「・・・・・・自分で飾るよ」
「その方が利口かと」
懐かしい二人のやり取りに私はクスクスと笑ってしまう。
ジークが私の執事になってからは見られなくなった光景だ。
ジークは真面目で融通がきかないから、私達と対等であろうとはしてくれない。
それが少し寂しい。
「二人とも、心配をかけましたね」
「いいえ、私がついていながら面目有りません。お嬢様に怪我を負わせるなど」
「仕方がないわ。あの時、馬車から出てしまった私にも落ち度があるわ。
あなただけのせいじゃないよ」
「厳密に言えば君のせいではないけどね。ジークも気に病むな。
命があって何よりだ。
話を聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ」
「はい。ご心配をおかけしました。
それで、グロリアの方はどうなのですか?怪我とかは」
「問題ありません」
「今は恐怖で部屋に引きこもっているらしいよ」
「あなたはどうやって我が家の情報を手に入れているのですか」
「いいじゃないか、知らない仲じゃないんだし」
「暴漢の方は?」
「ああ、あれね。調べた結果君の元婚約者が雇ったらしいよ。
婚約破棄をなかったことにしないどころか、会ってもくれない君にキレたんだね。
端的に言えば。
それで君を襲って、まぁ殺すつもりはなかったみたいだけど。
無理やり既成事実を作って自分の物にするつもりだったみたい」
「下劣な」
「浅はかな考えですね」
「馬鹿の行動は本能に身を任せすぎて読めないから気を付けるべきだね。
君に落ち度があるとすれば馬鹿な人間のことを理解していなかったってところかな。
まぁ、ミロハイト侯爵家はこれで爵位返上だろうね。
君もまだ暫く休むと良い。
それじゃあね、早く学校で会えることを楽しみにしているよ」
「はい。素敵なお花をありがとうございました」
そして私は再び、ジークと二人きりになった。
「お嬢様、背中の傷ですがとても深く、跡に残るそうです」
「そう。それは仕方がありませんわね」
「お嬢様」
「ジーク、何度も言わせないで。あなたのせいではないわ」
「っ」
沈痛な顔をするジークの手を取って私は笑った。
「守ってくれてありがとう。おかげで命拾いしたわ。
これからもよろしくね」
「・・・・はい」
私の手を自分の手で包んだジークの目から涙が零れ落ちた。
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