男児たりとて乙女を咲かせ‼

北鳥栖 久九留

壱:初恋が成就されるまで

☆1「口が堅い人間を良識ある人間だと置換するのは大間違いだぜ!」(1)

 鍋島イガヤにとって恋は鬼門であり、魂を奥底から震わす寓話だ。

 今までの人生で恋愛感情に基づく些事が良い結果をもたらしたことはない。私の浅知恵が原因で大切な友人が傷つくことや、無謀な義姉が度々起こす揉め事、挙句の果てには心無いクズらによる傷害事件。そのどれもに恋愛感情が関わっている。高校デビューで童貞卒業だとか、三組の田代が可愛いだとか、あの子狙っているから邪魔するなとか、そんな話聞くに耐えられなかった、払いようのない吐き気と殺意で思考が満たされてきた。だから高校生になった私は率先して栄光ある孤立を選び、自分勝手な趣味と自由の道に走った。

 孤立を活かし個人の尊厳である放課後を思うがままに使った。自転車で周辺の街々を徘徊することや、図書館で借りた本を静かな部室で読み尽くすこと、季節限定の甘味を食べ歩くこともできた。ついでにめんどくさい体育祭をさぼったりもした。もちろん高校生の身分では予算や時間に限界があったが、他人と足並みを揃えないでいいぶん物にも心にも余裕があった。

 そんな有意義な高校生活を一年過ごし、受験シーズンに入るまでこのまま悠々自適に過ごそうかと思っていた私の夢想は、しかしながら予想もしない方向からやって来た転機イベントに壊されてしまった。

 異性からの恋愛相談という苦痛に満ちた青春チェックポイント。苦々しくも相談主は私が唯一敬愛する相手、そしてその想い人は私がこの世で最も苦手とする人間。

 悲しいかな私は思い出してしまったよ、神はとっくに死んでいたってね。


$$


 零れ桜が懐かしく思える4月の上旬の早朝、始業式の翌日。何一つ問題なく高校二年へと進学できた私は、昨日買ったばかりの小説をまだ人影の少ない教室で読んでいた。明智エイジ大先生のデビュー作であり双子の暗殺者が活躍するシリーズの最新作『エンジェルズ&パラライズ』。少しずつ騒がしくなる教室では読みにくいポップな一冊かもしれないが、先生の作品に対する好奇心が欲を張り学校に着いて早々に読み始めてしまっている。登校から約20分で起承転結でいうところのに当たる章までを読み終え、情けなくも凝った首を回す私に誰かが声を掛ける。


「おはよう鍋島くん」


 おおよそ日本人の8割以上はその美しさに酔いしれるであろう声、まさに鈴を転がすような声で私に挨拶してくれたのは銀水ちゃんこと、吉野銀水さま。スラっとした四肢と高身長は俗に言うモデル体型であり、幼さの残しながらもキリっとした横顔と爽やかなショートヘアは中性的で相も変わらず麗しい。この感動はまさしくヴィーナス!


「うっス、吉野」


 もちろん本人に対して正面からちゃん付けしたり讃えたりなんてしない。否、できない。最低限の会話をぶっきらぼうに行うので精一杯だし、向こうからも同じ多趣味部の部員としか見られていない。それでも彼女が視界に入るだけで私の心は尊さとか清涼感とかでいっぱいになる。


「それ、先月出たエンジェルズシリーズの最新刊だよね。鍋島くん、明智先生のファンだからもう読み終わっているのかと思っていたけど」

「3月は忙しくて本屋に行けなかったからな、昨日始業式が終わってからようやく買えたところだぜ」


 銀水ちゃんが朝から私に話を振ってくれるとは、今日はいい日になるに違いない。


「そうなんだ。ごめんね邪魔して」

「いや、ちょうど区切りがいい所まで読み終えていたんだ。話しかけられた所で何ともないぜ」


 むしろ碌に会話を弾ませることのできない私の方こそごめんなさいだ。


「そう、それならよかった。ところで鍋島くん ...... 」


 ふと言葉を窄め、私の顔をじっと覗き込む銀水ちゃん。もしかして顔に何かついていたかな?


「今日は部室に来れる?」


 割と普通のことを不安げに聞いてくる銀水ちゃん。ら抜き言葉でも銀水ちゃんが言ったのならそれ即ちノー問題。


「この本を部室で読むつもりだったからな、何か力仕事があるなら手伝ってもいいぜ」

「ううん、仕事を頼むつもりはないの。ただ鍋島くんに少し相談したいことがあって ...... 」

「別に構わないが、吉塚じゃダメなのか?どんな話か知らないがアイツなら相談に乗ってくれるだろう」


 頼られた(?)嬉しさからか判断を誤り、もう一人の部員、吉塚柚須の名を挙げてしまう。これで私個人に対する訴えだったのなら不敬のあまり憤死してしまう。


「 ...... ゆっちゃんには話しにくい種類の話かな?」


 曖昧にほほ笑む銀水ちゃん、この淡い貌もまた五月雨のようで美しい。が、ここは騒がしくも誰に話が聞こえているのか判らない教室。まだあまり詳しくは言えないのだろう。


「よく分からないがまあ分かった。忘れないように気を付けておくぜ」

「うん、じゃあまた放課後ね」


 そう言って自分の席に戻っていく銀水ちゃん。

 時間を挟まずクラスメイトが彼女の下を訪れ雑談を始める。ぼっちっちーな私に銀水ちゃんが話し掛けることに疑問を持つ人もいるようだが、そこら辺は銀水ちゃんや一年時に同じクラスだった人がフォローしてくれているだろう。

 前方の席に座っている銀水ちゃんをもう一度ちらっと見て私は再び本を開く。

 今から放課後まで約8時間、銀水ちゃんがまた話しかけてくれることは絶対にないだろう。だけどそれでいい。これはこれで十全なのだから。

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