第四章 ――はじまりの大樹――
聖地の障壁
轟々と唸りをあげて風が吹き付ける。
雲の上の世界を、ルーフは真紅の巨竜オーディーンの背に乗って飛んでいた。遠方には、世界樹が存在する伝説の地レジェンディアが雲間から垣間見える。
おぼろげに見える世界樹を指さして、ルーフはオーディーンに合図する。それを受けて、オーディーンは上空で急激にターン。そのまま一気に急降下し、地上に向けて爆炎を放った。ところが、口から放たれた火球は見えない空気の壁にぶつかって霧散する。
「やはり上からの侵入は無理じゃな」
「……これがグレインバリア……」
グレインバリア。これこそがレジェンディアを絶対不可侵の地としている最大の理由である。
幻の大地レジェンディアには世界樹を守るための守護神、ゴーレムがいる。ゴーレムの見かけは普通の人間であり、彼らは人間同様に言語を介すとまで言われる。
しかし、その身体能力は人間とは桁外れに高い。特筆すべきは他を寄せ付けぬ圧倒的な防御力。迫撃砲を至近距離から撃っても、ゴーレムの装甲には傷一つつかないという。
ゴーレムは神が残した魔導兵器とも言われており、世界樹を守る役割を担っているのだ。ゴーレムは外からの侵入を阻むため目に見えない特殊な波動を出している。この波動こそがグレインバリアであり、レジェンディアを絶対不可侵の地にしている所以である。
城を一撃のもとに吹き飛ばしたオーディーンのブレスも全く効果をなさない。
グレインバリアの厄介なところは強度が高いとか、そういった問題ではない。根源から力を消してしまうような、まさしく神の御業としか言い表せないのだ。
「どうする? わしの火炎でも無理となると……」
ルーフが考えあぐねいていると、シルフィーが耳打ちする。
『ゴーレムに話を聞いてもらえばいいじゃない。ルーフの言葉になら耳を傾けてくれる。私、そんな気がするの』
「シルフィーよ。それはちと無理な話ではないかのう?」
呆れたように言ったオーディーンだったが、ルーフは首肯しながらつぶやいた。
「いや……やってみよう。ここでこのまま考えていても仕方ない。それに……」
ルーフは耳に指を押し当て集中した。ルーフと同じくレジェンディアを目指している一団の存在を感じ取る。
「どうやら……そうゆっくりとはしてられないらしい。急ごう」
「よし、飛ばすぞ! しっかり捕まっとれい!」
オーディーンが両翼をはためかせ、矢のような速度で飛んでゆく。
◆ ◆ ◆
巨大な飛行船が今、霜の山脈をちょうど通過していった。
十字シンボルの上に双剣が描かれた独特なエムブレムは、帝国騎士団のものだ。
エルデンテ同盟国であるマリンピアの科学技術の粋を集めて作られた巨大飛行船ウェンディル号は、未踏の地と呼ばれた霜の山脈を突破することについに成功したのだ。
飛行船の乗組員は、帝国騎士団のみ。
帝国騎士団は総勢、七人の騎士達からなっている組織。
槍術を得意とした特攻隊長、シズイ・ソノエル。
鉄に勝るとも劣らないほどの屈強な肉体を持つ、ラルーサ・デラクール。
騎士団内一の遊び人、ゼル・バレット。
帝国騎士であり、フレイリィ領主でもある、ギラン・S・ローシャー。
最高齢にして、副団長を務める、バルバ・ギデオン。
稀代の天才とも称される紅一点の団長、ユカ・ロートル。
そして……剣術には絶対の自信がある新人騎士、エンジュ・ダグ。
悪魔に愛された七人とも呼ばれる彼らは、団長ユカの指揮の下、伝説の地、レジェンディアを目指して進軍を続けていた。
飛行船の運転はバルバが担当しており、他のメンバーは皆、船内にあてがわれた休憩室で、来る決戦に備えて休んでいた。
エンジュは飛行船の甲板で、眼下に広がる雲海を眺めている。
帝国騎士団は今、一つの目的のために行動していた。
世界の破滅、星の脱皮を目論み、ニヴルヘイムの魔物を使役し、古の時代に消え去ったはずの禁忌の呪法、魔術を行使する少年、ルーフ・ノートの侵攻を食い止める事である。
帝国騎士団のメンバーは、全員が世界各国から選抜された、選りすぐりの強者達である。それゆえ、団員間での諍いも絶えない。だが、世界が滅亡の危機にある今、彼らは手を取り合い、一つの共通の目的に向かって邁進していた。
エンジュは世界の敵となってしまった友の顔を思い浮かべ、物思いにふける。
そんな彼のもとに、来客が一人。団長のユカである。
「エンジュ、そんな暗い顔をして具合でも悪いのですか?」
「……友達が世界の敵にされてんだ。気分がいいわけないだろ」
「ですが、それは事実です」
「ああ。だからこそ、さ」
風がエンジュの髪を揺らす。かなりの高度で飛行中だというのに、霜の山脈付近は不思議な程に風が穏やかだった。
エンジュ脳裏にあの日の光景がよみがえる。
初めて世界樹を目にした時。シルベ山の頂上で、ルーフとナナシと三人で世界樹を見たことがあったんだよな。あの時、ナナシ言ってたっけ。
「『いつか行こうよ。三人で冒険の旅に』か……」
思わず口をついて出てしまった。
「ん……どうしましたエンジュ?」
「いや……昔、友達とさ。世界樹へ行ってみようって約束したの、思い出してさ……」
「あの少年、ルーフとの約束ですか?」
「うん。あいつと俺と、ナナシと三人で。まさか、世界を救うため、ルーフを止めるために世界樹へ行くことになるなんて……当時は思ってもみなかった」
「自分を信じなさい。あなたならきっと……友を正しき道へと戻せるはずです」
「そうだといいけど……」
◆ ◆ ◆
「見えた! あれが大樹の護り手……」
上空からゴーレムの存在を確認し、ルーフはオーディーンの背から降り立つ。
すると不意に、頭に電撃のような痛みが走り、ルーフは頭を抑えて蹲る。
「ぐっ……!」
『どうしたのルーフ!?』
シルフィーが心配そうにルーフの顔を覗き込む。
「いや……大丈夫。少し頭痛がしただけだよ」
「本当に……? なんだか顔色も悪いわよ」
「最近、頭の奥がずきずきと痛むんだ。でも、僕は大丈夫だから。行こう、ゴーレムと話をしなきゃ」
守護神は瞳を閉じ、深い瞑想にふけっていた。見たこともないような石が身体のあちこちに埋め込まれている。しかし、見た目は十代の少女みたいで、その容姿からはとても彼女が魔導兵器ゴーレムだとは信じられない。背の位もルーフよりも小さい。
「やあ。君がゴーレムだね」
瞑想を中断して、ゴーレムがぱちりと目を開ける。紫色の瞳でルーフを凝視して、つぶやく。
「我が名はアスカ。……早急に立ち去るが良い。お主がどうやってここまで来たかは知らぬが、この聖なる地には何人たりとも踏み入ってはならん」
「僕はルーフ。お願いがあって来た。グレインバリアを解除してほしい」
「それはならぬ」
「頼むよ。僕はどうしても世界樹へ行かなければならないんだ!」
「私の知るところではない。たとえ汝が何者であろうとも、この先に行かせるわけにはいかぬ。それが私をこの地に誕生させた主のたった一つの命令なのだ」
アスカはルーフの提案を頑なに断り続けた。グレインバリアを保持し、レジェンディアを不可侵の聖地にすること。それこそがアスカの使命であった。
すると、ルーフは唐突に話題を変えた。
「ねぇ……アスカはこの世界をどう思う?」
答えにくい質問だ、とアスカは思った。
「……私には答えられん」
ルーフは虚空を見つめながら言った。
「なら質問を変えるよ。アスカ、君にとって世界とはどういうもの?」
またしても答えにくい質問。
アスカはこのレジェンディアから出たことは無い。それでも、偉大なる世界樹の根を通して、ある程度は世界の情勢を把握することが出来た。この世界をどう思うか。そもそも世界とはなんなのか。目の前の少年にとっての世界と、自分にとっての世界は同一なものと考えて良いものなのだろうか。考えれば考える程、思考は堂々巡りしてよく分からなくなってくる。
質問に答えられずにアスカが沈黙していると、ルーフが一人でつぶやき始めた。
「難しいよね。世界は何かって。でも、彼女は――ナナシは僕にとっては世界だった。僕とナナシとエンジュと三人で笑いあった日々こそが僕にとってのただ一つの世界だったんだ。でも……僕の世界はもう無くなって……終わってしまったんだよ。だから、僕は世界にサヨナラを言いにきた」
「……馬鹿げてる。大切な友人が死んだ。確かにそれは悲しいことには違いない。だが、たったそれだけのことでこの世界を滅ぼすだと? ふざけるな! そんな輩をこの先へ通すわけにはいかない。絶対にな!」
「君にはたったそれだけのことかもしれない。けど、僕にとっては全てだった。それに彼女の死を通して知ったことがある」
「…………」
ルーフはアスカを見つめてつぶやく。その瞳は刃物のように鋭く、凍てつく氷のように冷たい。
「この世界にはいらないもの、不要なものが多すぎるということだよ。その代表が人間だ。彼らはいつだって、醜い争いをしている。表面をどう取り繕っても、仮面の下では、姑息で卑しいことばかり考えている。だから、いつになったって争いが止むことは無いし、真の安寧が訪れることはない。人間は生まれ出でた瞬間から、欲望という名の悪魔に取りつかれている。僕の友人、ナナシはその犠牲者だ」
「ルーフ、といったな。汝もその愚かな人間の一人だということを忘れているのではないか?」
「ああ。そんなことはわかってる。僕は愚かで、醜く、劣悪で矮小な一人の人間さ」
否定すると思ったらあっさり認めてしまった。アスカには少年の意図がわからなかった。
アスカは威圧するような視線でルーフを睨みながらつぶやく。
「……この世界を破壊に導く破壊神にでもなったつもりか? 図に乗るなよ、小僧」
「勘違いしてもらっては困る。僕はこの世界を破壊するために星の脱皮を起こすわけじゃない」
「なら、汝の目的は一体何なのだ?」
「僕の目的は星の脱皮を起こすこと。そして、星の脱皮のエネルギーを利用して――」
ルーフの話を聞き終えたアスカは、自分の胸の内で新たな芽が芽吹くように感じた。彼が星の脱皮を起こす本当の目的を聞いて、アスカはふと空を見上げ、物思いにふける。
ルーフの目的は到底成功するとは思えない、無茶なものだ。しかも、途方もなく大きなリスクを伴う。だが、ルーフにはその覚悟できているように思えた。彼の立ち居振る舞いや、時折ふっと見せる悲しさのこもった瞳は、彼自身の心情を体現しているようだった。
やがて、アスカはルーフをじっと見て、威厳のある口調でつぶやく。
「ルーフよ。そなたの目的に、少々興味が湧いた」
アスカの言葉を聞いて、ルーフは顔をあげた。
「じゃあ……」
「いいだろう。この先、レジェンディアに踏み入ることを許そう。ただし、条件がある。私も汝に同行する。その大いなる目的を果たすため、私も協力しよう」
「恩に着るよ」
アスカが目を閉じ、両手を頭上高く掲げた。
彼女の手が淡い光に包まれていく。光は徐々に輝きをまし、一瞬の閃光となって散った。
突如、凄まじい風が吹き付ける。突風は一瞬で過ぎ去る。
「これでグバリアは剥がれた。行くぞ。ここから先はお前だけしか入れん。そこにいる竜人は決してこちら側に入って来てはならんぞ」
「アスカ。オーディーンがついて来てくれた方が心強いよ」
ルーフの言葉に、真紅の巨竜オーディーンは首を振って答えた。
「ゴーレムの言う通りじゃ、ルーフ。レジェンディアは世界樹が存在する聖なる土地。わしのような魔物が立ち入れる場所ではないのじゃ。神竜族の掟で、レジェンディアに近づくことは厳しく禁じられておる。正直、ここまで主を運んだのもわしにとってはギリギリだったんじゃ。お主についていきたいのは山々だが、体に染みついた本能がそれを許さん。すまんな」
「……わかったよ。僕は君にずいぶん助けられたな……」
「なんじゃい急に」
「……僕が君とこうして話せるのも、これが最後になると思うから」
ルーフがぼそりと何かをつぶやいたが、声が小さくて、オーディーンはよく聞き取れなかった。
「何? 何と言ったんじゃ、ルーフ」
ルーフはオーディーンに向けて微笑すると、レジェンディアへ向けて歩き出した。
別れ際ルーフは真紅の巨竜に聞こえないように一人つぶやいたのだった。
――今までずっと、ありがとう、と。
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