少年の夢
森の小道を歩きながら、ナナシは月を見上げる。夜空に浮かぶ月は、夜の神様のごとく輝いていた。ルーフたちはこんな夜更けにもかかわらず、元気に山を登っていた。
月を見ていると、ふと、ヴァラストにいた時の自分の姿が頭に浮かぶ。団長達は今頃どうしているだろう……元気でやっているのだろうか……。
すると、いつの間にかナナシの真ん前にいたルーフがつぶやいた。
「そーいえばさ、ナナシの瞳の模様ってどうやって付けたの? かっこいいから、ぼくも付けてみたい!」
ルーフが言っているのは、ナナシの瞳に刻まれた不思議な紋様のこと。剣が二つ組み合わさったような形だ。不思議なのは、決まって月が出ている時だけ、浮かび上がること。
特に生活に支障はないので放っておいたのだが、考えてみれば不思議な傷だ。
「これね……私にもわかんない。たぶん記憶が無いくらい小さい時に目を怪我したのよ。だから、ルーフには無理だと思う」
「そっかぁ……残念」
そんな時、いつの間にずっと先に行ってしまったエンジュが二人を呼んだ。
「何、ぼさっと突っ立ってんだ! 早くしないと夜が明けちまうぜ」
遠くの空を見つめて、ナナシはふっと微笑する。自分は元気にやっている。二人のおかげで、こうして笑っていられる。
「ちょっとくらい待ってくれたっていいじゃない!」
笑いながらつぶやいて、ナナシはルーフと一緒に駆け出した。
「なぁ」
山へ向かいながら歩いている途中、ふとエンジュがつぶやいた。
「ルーフとナナシはさ……その……大人になったらどうするんだ?」
「大人になったら……?」
頭の上に疑問符を浮かべているようなルーフ。対してナナシは少し赤くなった顔をして、まごついた口調で言った。
「な、何よ!? 私とルーフは別にそういう関係じゃ――」
「ち、違うよ! そういう意味で聞いたんじゃない。ただ、将来どういう職業に就きたいのかなぁ、なんて。なんとなく……な」
少し考えこむようにしてから、ナナシはエンジュに言った。
「……そういうエンジュはどうなのよ」
すると、エンジュは小さく咳払いをしてから、夜空を仰ぎ見る。
「俺はさ……帝国騎士になりたい」
「帝国騎士?」
物知らぬ顔で言ったルーフに、エンジュは手のひらを上にしてやれやれといった様子。
「はぁ……お前の世間知らずにも困ったもんだぜ、まったく」
ルーフは頬をふくらして不平を言った。
「だ、だって、知らないもん! しょうがないでしょ!」
「もう……ルーフもそう怒らないの。帝国騎士って言うのはね――」
帝国騎士――。それは世界最強と称される一団で、エルデンテ帝国直属の騎士団である。
エルデンテ帝国とは、この世界を総べる唯一にして最大の帝国である。かつての統一戦争で猛威を振るっていた三大国、エルデ、フレイリィ、マリンピアが統合されて誕生した大帝国だ。
だが当然、三国が合併した帝国に反旗を翻す者達もいた。彼らは反抗者と呼ばれ、各地で暴動やクーデターを引き起こし、帝国にとって大きな問題となっていた。
それらの暴動を鎮圧するために結成された組織。それが帝国騎士団である。エルデンテ帝国王直属の騎士団であり、彼の命令一つで大陸一つをも落とすと称されている。
騎士団は七人のメンバーで構成されていて、七人のうち一人一人が、小さな小国程度なら、一人で攻め落とせると言われているほどの実力の持ち主とされ、人々から畏怖される存在となっている。
「――とまあ、こんな感じの組織なわけよ。簡単に言うと、世界最強の騎士団ね」
「世界最強……。それを目指すって、エンジュ……凄いね」
「そもそも何でエンジュは帝国騎士団になりたいの? あんなの努力してなれるようなもんじゃないわ」
ナナシの声のトーンが低くなる。ぎり、と歯ぎしりして彼女はつぶやいた。
「奴らは全員……人でなしの化け物よ」
ナナシを見るエンジュの眼差しがきっ、と鋭くなる。
「……馬鹿にしてんのか?」
ナナシは落ち着いた声でエンジュに答えた。
「別に馬鹿にはしてない。ただ……」
「ただ?」
「私はあの人たちが好きじゃない。それだけよ」
ふと立ち止まったエンジュは夜空を仰ぎつぶやく。
「俺はさ……皆を守る騎士になりたいんだ」
エンジュは遠くの方を見つめてつぶやいた。
「……俺達がこうしている間にも、世界中で困ってる人たちがいる。誰かの助けが必要な奴らがいっぱいいる。帝国騎士になれば、少しは俺もそいつらのこと助けてやれるのかなってさ。へへ……ちょっと夢が大きすぎたかな」
一筋の風が三人の間を通り抜けていく。エンジュの髪が、風でさわさわと揺れた。その時ナナシは目を疑った。一瞬、エンジュの姿が、成長した逞しい青年の姿と重なった。
目をこすってもう一度見てみると、目の前にいたのはいつものエンジュだった。
「どうした、ナナシ?」
ナナシは少し顔を赤らめて言った。
「い、いやなんでもないよ! ……かっこいいじゃん。エンジュの夢、私も応援する!」
「……おう」
ナナシとエンジュは顔を見あわせ沈黙する。お互いになんだか気恥ずかしくなって、上手く言葉が出てこない。
すると、気まずい雰囲気をよそに、ルーフが無邪気に笑いながらナナシに尋ねた。
「ナナシは何かなりたいものあるの?」
ルーフの質問に口ごもるナナシ。痺れをきらした様子のエンジュもナナシに尋ねた。
「ナナシ、ずりぃぞ。俺の夢だけ聞いといて、お前は教えないのかよ?」
すると、ようやくナナシは口を開いてしゃべりはじめた。
「……私は別になりたいものなんてない。だって……今まで考えたこと無かったから……」
残念そうな顔をするルーフとエンジュ。二人の様子を見て、ナナシはくすりと微笑して話を続けた。
「……でもね、私思うの。こうしてずっと、ルーフやエンジュと笑いあえたらいいなって」
「ナナシ……」
エンジュはナナシをじっと見つめた。彼女は本心からそう言っているのだ。表情を見ればそれくらいはエンジュにもわかる。
「……笑顔はね人を幸せにするの。私は、とある少年からそれを教えてもらった」
「誰に?」
聞き返すルーフに、ナナシはニコリと微笑んでみせる。
「誰かの笑顔を見て幸せになった誰かは、また別の誰かを笑顔で幸せにする。そうして笑顔の連鎖は広がって、やがて世界中が笑顔の花で包まれるの。そうしたら、きっと皆楽しいよね。夢みたいな大層なものじゃないけど、私はそうなったら素敵だな、って思う」
そうつぶやくナナシの笑顔は本当に綺麗だった。二人が思わず見惚れてしまう程に。
「……すげえよ」
ナナシの話を聞き終えて、エンジュはつぶやいた。
「ナナシはやっぱりすごい奴だよ。俺なんかとは比べ物になんないくらい、さ。けど、ナナシの言ってる事はきっと、すごく難しい事だと思う。帝国騎士になるよりもずっと、ずっと……」
ナナシはエンジュにそっと微笑みかけた。
「エンジュ……。私はそんなすごい人じゃないよ。むしろちっぽけな一人の人間だよ。いつも後ろを振り返ってばかり。でも君たちが、ルーフとエンジュがいてくれるから、私は前を向いて歩いていける。……ありがとね」
妙な気恥しさを覚えたエンジュは鼻を指でこすりながら、照れくさそうに言った。
「や、急に謝んなよな。俺だって恥ずかしくなるだろ!」
「ふふ。さ……今度はルーフの番よ。ルーフは大人になったらどうなりたいの?」
ルーフはエンジュとナナシを交互に見返した。
「ぼくの夢は――」
言いかけたところで、ルーフは足を止めた。
「なんだ、ルーフ。どうかしたのか?」
ルーフは人差し指をプルプル震わせながら、ある一点を指した。
ナナシとエンジュは、彼の指が指した方向を見た。
「見て。とうとう着いたんだ。シルベ山に」
どうやら三人で話をしているうちに麓まで来ていたらしい。上の方は雲がかかって、薄い靄のようなものが立ち込めている。シルベ山を中心として密生した樹林が開けており、三人の立っている位置が円形にぽっかりと森から切り離されているみたいだ。
エンジュは目を凝らした。疲れているせいか、目の前のシルベ山はいつもよりも高く悠々と聳え立っているように見える。
「これが……シルベ山……? なんか、いつもよりもでっかくねぇか?」
「きっと、気のせいだよ。早く行こうよ」
「そうね。もうすっかり夜だもの。早く村に帰らないとレイモンドさんに叱られちゃうよ」
「いや、無駄だ。親父は絶対俺らをしばき倒すだろうな。『こんな時間まで何やってたんだ、バカモンがっ!』……ってな。うう……考えただけでも足が震えてきたぜ……」
「バカは放っておいて行きましょ、ルーフ」
ナナシとルーフは一人で足を竦ませているエンジュを放ってシルベ山に向かっていく。
我に返ったエンジュは、二人が前を歩いているのを見て、焦り顔で後を追いかけた。
「ちょっ、ま! 待ってくれよぉ~!」
三人は笑いながらシルベ山に踏み入った。
◆
林の中で茂みに隠れるように、三人を見つめる白装束の男が一人。
「クッフフ……見たぞ! ついに見つけた! これで大神官様に良い報告ができるな……」
彼は踵を返し、森の中に消える。月明かりの届かない、深い森のなかへと――。
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