三人の出会い――ACT.4 破門

「――門だ」


 その声が聞き取れなかったナナシは首を傾げてジャンの背中を注視する。

 ジャンは振り向き、ナナシを厳格な顔で見つめ、重みのこもった声でつぶやいた。


「破門だ。試練は失敗。お前は結局、人を殺すことが出来なかった」


「ま、待ってよ! 団長、私は!」


 ナナシの言葉に耳を貸さず、ジャンは歩き始める。


「行くぞヒッポ。もう俺達はそいつに用はない」


「で、ですが団長! 本当にこいつは……」


「黙れ。これは命令だ。行くぞ!」


 団長の一喝で、それ以上ヒッポは何も言わなくなる。

 去り際にジャンはナナシの方を向いてつぶやく。


「……お前はもう俺達の仲間じゃない。けどな、その代わりに……お前には良い友だちができた。そこのバカ二人だ。お前を心配して、ここまでやって来たんだ。そんなバカはめったにいないぜ。俺は随分久しぶりに見たよ。楽しそうに笑う、お前の笑顔をな。やっぱり、お前に盗賊は似合わねえ」


「団長……」


「……養生しろよ」

 それだけ言うと、ジャンは風のように去っていた。


 ジャンが立っていた場所に木の葉が一枚落ちていた。ナナシはおもむろに木の葉を手に取って眺めていると、盗賊団で過ごした日々が走馬灯のように蘇ってきた。辛いことのほうが多かった。やりたくないような仕事も、たくさんやった。一人で泣いていることもあった。だがそんな時、ジャンは、盗賊団の皆は笑って、肩に手を置いてくれた。彼らの手は不思議な温もりに包まれていたのを覚えている。ヴァラストで仲間と過ごした日々は、ナナシにとって紛れも無い真実だったのだ。

 いくつもの思いが泡のように、現れては消え、現れては消えを繰り返す。思考の本流は止むことは無く、気づけばナナシはがくりと膝を落としていた。目から零れる水がどうにも止まらなかった。


 ふと、エンジュがナナシに尋ねた。


「なぁ……なんで、盗賊なんか続けてたんだ?」


 ナナシはぽつぽつと話し始める。


「私にとっては家族みたいなものだったから。団長もヒッポも、他の皆も。皆私にとっては……とっても大事な人達で、家族ってこういうのを言うのかな、なんて思ってた。分かんないよ……。これからどうすればいいのか、私、分かんないよ……」


 それから、ナナシは咳を切ったようにむせび泣く。


 会話が途切れる。エンジュはそれ以上、ナナシになんて言葉を掛ければよいか分からなかった。親友を助けてくれた少女。自分だって彼女の助けになりたい。けど、どうすればいい……?


 エンジュは、ナナシから目を逸らしてルーフを見る。

 アッシュブロンドの少年は何かを楽しいことを思いついたような顔をしていた。


「――だったら」


 ナナシの腫れぼったい目を見つめて、ルーフは言った。

「だったら、チコリ村に来ればいいんだよ!」


 ナナシはルーフを見た。それは太陽のように優しい笑顔だった。


「で、でも……!」


 ルーフの提案に酷く動揺するナナシだったが――


「いいな、それ! ルーフにしては妙案じゃねえか!」


 傍で聞いていたエンジュも顔をうんうんと頷かせて、ルーフの提案に賛同している。

 ナナシの意見はそっちのけで、ルーフとエンジュは勝手に考えを決めたようだった。

 ルーフがナナシに手を差し伸べた。しかし、ナナシは彼の手を取ろうとはせず、首を横に振ってつぶやいた。


「あなた達分かってない。私は盗賊なのよ。村へ行ったって迷惑をかけるだけ。いつか必ず、私の事が重荷になって、村から追いだすに決まってるわ。追い出されるのが分かってるなら、行かない方がいい。その方が……傷つかずに済むから……」


 すると、ルーフがナナシの手を強引に握った。そして、にっこり微笑みながらつぶやいた。


「……大丈夫だよ。僕達のチコリ村のモットーは『来る者は拒まず』。だからナナシのことを追い出す人なんていないよ。それに……もしそんな人がいたとしても……」


「その時は俺達がなんとかしてやるよ! だから気にすんなって!」


「ほんと……こどもよね……」


「へ?」


「何か言ったか?」


 二人とも、ナナシのつぶやきが聞こえなかったらしい。ナナシは一人でぷっと笑ってしまった。


 この二人についていこう。少なくとも今は。ルーフとエンジュと居ると、重たい鎖が嘘のように軽くなって、鳥のように飛んで行けそうな気持ちになる。

 涙を拭いて立ち上がる。


「わかったわよ。あんた達についていくわよ」


「よかった」


「やりぃ!」


 口々に叫ぶルーフとエンジュ。彼らを見ていると何だか自分も楽しくなってきて、思わず一緒になって笑ってしまった。



 港町の空には、赤く焼けた暁空が広がっていた。




   ◇ ◇ ◇




 やがて一行はチコリ村にたどり着く。

「いやぁ、やっと帰ってこれたぜ!」


 背をぐぅっと伸ばしながらつぶやくエンジュ。ルーフは心配そうな顔でエンジュに話しかけた。


「ね、ねぇエンジュ……」


「あ? なんだ?」


「エンジュ大丈夫なの? その……お父さん、レイモンドさん怒ってない?」


 しまった! という顔でエンジュは思わずのけぞってしまった。その様子を横で見ていたナナシはぷふふと笑ってしまった。


「てめぇ、ナナシ! 何笑ってやがる!」


「だ、だって、変なポーズだったから……あはは!」


「ナナシ、笑ってる場合じゃないよ……エンジュのお父さんはすごく怖い人なんだ」


「へぇ~」


 ナナシは横目でエンジュを見た。彼はこれから怒られるかもしれない恐怖に苛まれ、足が震えていた。


「下手すると、エンジュ死ぬかも」


「そ、そんなに!?」


「ああ。あれは俺が七歳の頃だ。その日は家にお客さんが来るから挨拶しろって言われてたんだけどさ、それを忘れてルーフと森で遊んでたんだよ。帰ったら、こってり絞られて、三日三晩飯抜きの刑に処せられた。あの時はもう……死ぬかと思ったぜ。ルーフがパンきれを持ってきてくれなきゃ、危なかった」


「あはは……そんなこともあったね」


「三日ねぇ……。きっと、エンジュがよわっちいだけじゃない?」


「あんだと!」


「私、一週間飲まず食わずだったことあるもの」


「う……」


「それでも、ぴんぴんしてたし。人間、そう簡単には死なないようにできてんの」


 ルーフが声を大にして言う。

「で、でも! エンジュのお父さんが怖いのはホントだから! ナナシも気を付けてよ!」


「わかったわよ」


 こうして三人はチコリ村へ足を踏み入れた。




「このバカモンが!」


 清々しい拳骨をルーフとエンジュ……ついでにナナシにも見舞ったレイモンド村長は、不遜な態度で三人に怒鳴りつけたのだった。

 家に帰ったエンジュを見た途端に怒り狂ったのである。

 ひとしきりあれこれと……説教を言い終わると椅子にどっかと座って三人を見下ろす。もちろん、この時三人とも正座させられているのは言うまでもない。


「それで、お前ら……門限を破ったのはどういう了見だ……?」


「だから、何回も言ってんだろ! 俺たちはナナシに会いに行ったの!」


「お願いだよ村長! ナナシがチコリ村に住んでもいいでしょ!」


 村長はじっとナナシを見た。


「ナナシと言ったな」


「……はい」


「お前の本当の名はなんだ?」


 ナナシの顔が強張る。


「隠さんでもわかる。わしがナナシと呼んだとき、お前は返事が少し遅れたからな。偽名を名乗る者によくある行動だ」


「……偽名じゃないです。でも確かに、本名ではないです」


「違うよ、ナナシはナナシなんだ!」


「黙っとれルーフ! お前に聞いてるんじゃない。ふむ……どういうわけか説明してもらおうか……」


 ナナシは洗いざらい自分のことを話した。自分は今まで盗賊ギルドに名を連ねていたこと。そして、先日盗賊ギルドを破門され、ルーフとエンジュに連れられてきたこと。自分の本当の名前は知らないこと。ナナシ、という名前は、ルーフがつけてくれた名前であること。



 ナナシの話を聞き終えて、レイモンド村長はふぅっ、とため息をついた。


 ルーフとエンジュは固唾をのんでレイモンド村長を見つめた。ナナシは目を瞑った。破門されたとはいえ、自分は元盗賊。身寄りもない。そんな怪しい人間が村にいていいのだろうか。

 二人の提案は嬉しいけれど、甘えてばかりいられない。村にまで迷惑をかけるわけにはいかないから。だから、敢えて自分のことを包み隠さず話したのだ。

 きっと、出て行けって言われるんだろうな……。でも、それでもいいんだ。邪魔者扱いされるのには慣れっこだから。今までジャンと一緒にいろんな国を渡り歩いてきた。どこでも、なぜかナナシは邪魔者扱いされ、その度に違う場所へ逃げていく。そんなことが何度もあった。

 ヴァラストはナナシにとっては居心地のいい場所だった。メンバーの皆はナナシを邪険にすること無く、対等な人間として扱ってくれた。

 ルーフとエンジュが言うようにチコリ村で一緒に暮らせたら……こんなにいいことは無い。けど、それはキッと無理な願いだ。自分には分不相応な願いだ。チコリ村に来たらって言ってくれたルーフの笑顔がとても眩しく、輝いて見えた。


 こんなに優しい二人に会えた。村に来いって誘ってくれた。その気持ちだけで、十分だ。


 ナナシが唇をぎゅっと結んで村長の言葉に耳を傾けた。

 しかして村長の口から出た言葉は、ナナシの想像していたものとは違うものだった。


 レイモンド村長は、にっと口角をあげると、笑いながら言った。

「ここに住みなさい」


「はい?」


「チコリ村に住むがよかろう。ナナシ」


「でも、なんで……。私をここに置いて良いことなんか……」


「はっは。お主はまだまだちっちゃいのお! 『チコリ村は来る者拒まず』じゃ。それに……良い事が無いといったな。良い事ならある。お主が、このくそガキ二人の友人になって、こいつらの悪行を監視してくれるなら言うこと無しってもんじゃ。ふぉっふぉ!」


「てめぇ、くそ親父!」


「なんじゃ、その口のきき方は!」


 再び火の付いたエンジュとレイモンドの口げんか。ルーフはまたか……という顔で見ていた。


 ナナシは鎖が切れた思いだった。

 ここでは自分は邪魔者ではないんだ。いてもいいんだ。もう、何かに怯えなくてもいいんだ――。ナナシはそんなことを思ってにこりと笑った。

 彼女の笑顔を見て、ルーフもまたにこりと笑う。

 ルーフの満足げな笑顔を見て、エンジュとレイモンドも口喧嘩を止めてにっ、と微笑む。


 小さいながらも生まれた笑顔の連鎖。


 この連鎖ははじまりに過ぎない。きっとこれからもたくさんの笑顔の連鎖が生まれていくのだと思うと、ナナシはなんだかとっても楽しい気持ちになった。




 ――こうして、名前を知らない少女ナナシは、暢気な少年ルーフと、せっかちな少年エンジュと共に、旧 エルデ領の片田舎にあるチコリ村で暮らすことになったのである。

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