木立の先に

お題:「よっぱらい」「サッカーボール」「八百屋」


「ふざけんな! 俺は八百屋なんて絶対継がねえからな!」

 そう怒鳴り散らすと、丹治は戸を開け放したまま走っていった。


 店を継いでくれないか。父にそう言われたのはこれで四度目だ。丹治の家は商店街にある昔ながらの八百屋で、彼は家の一人息子だった。

 実家を継げるのは自分しかいない。丹治だってそれはわかっている。

 別に八百屋という仕事が嫌いだというわけではない。

 しかし、父に店の後継ぎの話を切り出されると、つい反発してしまう自分がいた。


 気がつけば、丹治は並木道で木に背をもたげて座っていた。

 ぼんやり上を見上げると、色づき始めた桜の枝がひらひらと揺れていた。


 ――なぜ、自分は家を継ぎたくないのだろう。丹治の思いは漠然としていて、自分でも言葉にするのが難しい。自分でも理由が曖昧なまま拒絶するのは、ひどく子供っぽいと思う。とても、高校生らしくはないかもしれない。しかし、それでも丹治は反抗せずにはいられなかった。


 その時、木にもたれて座る丹治に声をかける者があった。


「やぁ、少年。ボーイズ・ビー・アンビシャスしてるかい?」


 ひげをぼうぼうに生やした男だった。衣服はところどころ擦り切れてボロボロで、まるで乞食のような男だった。男はひどく酔っ払っていて、ろれつの回らない舌でつぶやいた。


「少年よ、悩むのは結構だがな。人に当たるのはよせ」


「アンタに何が分かる?」


「わかるさ。オレにはなんだって分かる。実家の店を継げと言われて迷いを感じている。まぁ……そんなところか」


 瞬間、丹治の目が強張った。この酔いどれ男は一体何者なのか。丹治の目をちらと見てから、男は話を続ける。


「オレを不審に思うか? しかし、そんなことはどうでもいい。そんなことより……少年よ。オレと一つ、勝負をしないか?」


「勝負?」


 男は丹治の前にサッカーボールを転がした。


「向こうのベンチの脇に空き缶が転がっているのが見えるか? ここからボールを蹴って、空き缶に当てた方の勝ちだ。勝った方は……そうだな……敗者になんでも一つ命令できることにしよう」


「それは酷すぎないか?」


 男は丹治の言葉に思い直して、


「ふむ……それならば、オレが勝ったらお前はビールを一本おごる。これでどうだ?」


「じゃあ俺が勝ったら、コーヒー牛乳おごれよな」


「あいわかった」


 先攻は丹治である。勢いにまかせて蹴ったボールは見事にあさっての方向に飛んでいってしまった。

 土台無理な話だと思った。一流のサッカー選手でなければ当てるなんて不可能。勝負は初めから引き分けになると決まっているのだ。何しろ、木の枝や葉っぱなどの障害物が多すぎて、まともにボールを到達させるのが難しい。まして、酔っ払ったオヤジには不可能だ。しかし――


「次はオレの番だな――っと!」


 後攻、オヤジの蹴ったボールは木立の先へと勢い良く飛んでいき、見るも美しいループを描きながらベンチ脇の空き缶へ吸い込まれるように向かっていき……缶を弾き飛ばしてしまった。


 目の前で起きたことが信じられずに、丹治は呆然と立ち尽くす。

「勝負はオレの勝ちだ。悪いな少年」


 にへらっと笑いながら男はつぶやいた。


「お前さん、オレのボールが当たるなんて思っても見なかっただろう? でもな、やってみなけりゃわからないこともある。そりゃあ、迷うさ。けど、やらなきゃ何も始まらん。だめだったら……また考えりゃいいのさ。本当に無駄なことなんて無いんだよ。オレの酒ももちろん……な」


 男が不意につぶやいたその一言に、丹治は憑き物が落ちる思いだった。



 やってみなけりゃわからない――か。

 丹治が胸に抱えていた漠然とした気持ちはいつの間にかなくなっていた。そうして気づけば、脚が自然と、家への道を引き返していた。



 後にはぽつんと残された男が一人。

「あ、ビール……! ま、いいか。俺も明日は試合だし、ほどほどにしとこうかね」

 男はにっと笑って、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。

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