時雨の空に

秀田ごんぞう

時雨の空に

 バケツをひっくり返したような雨という表現がしっくりくる、そんな豪雨の日。


 バイトが終わって原付きに乗って家路を急ぐ僕は、雨の中、傘もささずに突っ立っている女の子を見つけた。高校生らしい制服を来た女の子は物言わずじっと雨空を見上げていた。

 不審に思ったものの、放っておくのも寝覚めが悪い。僕は女の子に声をかけることにした。近くに原付を駐車して、女の子のもとに駆け寄る。僕はレインコートを着ていたので雨に当たらずにすんでいた。だが、女の子はすっかりびしょ濡れになっていた。おどろくほどに長い髪も、水に濡れてすっかり肩にもたれていた。


「君、こんなところで傘もささずに何してるんだ!? 大雨警報出てるの知らないの?」


 すると、その時初めて女の子は僕に気づいたらしい。一瞬はっと驚いてから、すぐにつんとした無表情に戻って言った。


「ねぇ……明日、地球がなくなるとしたらどうする?」


「はぁ!?」


 風邪でも引いてしまったのだろうか、女の子は突然わけもわからぬことを言い始めた。


「明日、地球はなくなってしまう。この雨は終わりを知らせる天の詞」


「君、ちょっとどうかしてるよ。僕も傘持ってないしな、どこか雨宿りできるところは……あ、あそこに電話ボックスがある! ほら、行くよ!」


 そう言って、僕は強引に少女を電話ボックスヘ連れて行く。雨滴が電話ボックスを叩きつける音で、うるさかったが野晒よりはだいぶマシだ。

 女の子はぼんやりと外灯を見つめていた。電球が古くなっているのか、外灯は点灯と消灯を繰り返していた。


「ちょっと待ってて」


 レインコートの下、ズボンのポッケからハンカチを取り出し女の子に手渡す。

「ほらこれ使って。ハンカチしか持ってなかった」


 女の子は無言でハンカチを受け取り、びしょ濡れの顔を拭いた。


「……ありがとう。優しい人なんだね」


「別に。放っとくのもなんかなぁって思っただけ」


 女の子は相変わらずの無表情で会話は途切れる。雨の音だけが響きわたっていた。

 降りしきる雨を黙って見つめる女の子の顔は機械か何かでできているみたいにひどく冷たく写った。


「……名前は?」


 僕は女の子からハンカチを受け取りつつ答える。


「川上裕也。君は?」


「それを知ってどうするの?」


「どうするって、君が僕の名前訊いたから、僕も訊いただけだよ」


「……そう。じゃあ、レイチェルとでも呼んで」


「呼んでって……絶対本名じゃないでしょ。まあいいや。レイチェルはここで何してたのさ。今もう夜の十時過ぎだよ、わかってるの? 警察に見つかったら補導されるよ?」


「関係ない」


「む、関係ないって……」


「そんなことどうでもいい。だって明日、地球はなくなってしまうんだから」

「さっきも言ってたけどさ、それ何なの? ギャグだったら別に面白くもなんとも――」


 言い終わらぬうちに、レイチェルがつぶやく。


「どう受け取るかはあなた次第よ。別に信じてもらわなくても結構。川上が信じようと信じまいと事実は変わらない。明日、地球はなくなる」


 そう言うレイチェルの顔は能面のような無表情ではなく、真剣な眼差しで雨ふる空を見つめていた。


 ――明日、地球がなくなる!? そんなこと言われても信じられるか!


 過去にもノストラダムスの大予言とか、地球が危機だという予言はあった。けれど、信じるのはごく一部の人だけだ。多くの人はそんなの信じやしない。それで結果、今日も地球は回っているのだ。急に明日地球がなくなるなんて、誰が信じるか。


「あのさ、なんかあったの? その……彼氏にフラれた、とか?」


「言ったでしょ。信じなくてもいい。ただ私はハンカチを貸してくれたお礼にと、未来を少し話しただけ」


 彼女は何か精神的に大きなストレスを受けて――例えば破局とか、いじめだとか、そういうの――思考がひどく悲観的になっているのだ。それで、明日、地球がなくなるなどという子どもじみた妄想に取り憑かれている。自分の殻に閉じこもって、他のすべてを否定する。そんな思考の迷路に迷い込んでしまったに違いない。

 僕はレイチェルをあまり刺激しないように努めて平静に話しかける。


「……わ、わかったよ。それじゃ、レイチェルの話がホントだとして、どうして明日、地球がなくなるなんて分かるんだ? もし、ホントにそんな事態なら、テレビや新聞は大騒ぎだ。ふつーもっと慌てるだろ。地球最後の日にどうして僕はコンビニのバイトなんかしなきゃならない?」


 すると、レイチェルはそっけない言い方で、

「終わりの過ごし方は人それぞれ。私がケチを付ける権利はない」


 僕は世迷い事を言い続けるレイチェルに苛立ちを感じ始めていた。いい加減にいてほしい。地球がなくなるなんて……そんなことあるわけないのに。何故彼女はここまで強く主張できる。一体どれほどの心理的ストレスが彼女をここまで追い詰めているのか。

 篠突く雨音がさらなる重荷となって僕の心に重く伸し掛かる。


「……ざけんな。ふざけんなよ! 明日、地球がなくなれば自分の悩みがすべて解決するとでも思ってんのか? そんな妄想もいいとこだ! 明日は来る! 地球もなくならない! それが現実だ! 自分のセカイに閉じこもるのは結構だけどな、それじゃ何も解決しねえよ!」


「明日、地球はなくなる」


「ッ! じゃあ、なくなるっていう理由を説明してみろよ!」


 レイチェルはまるで別人のように冷たく鋭い目で僕を睨んだ。研ぎ澄まされた刀のように鋭利な彼女の視線に僕は思わずたじろいだ。その時の彼女の双眸は、獲物を前にした殺人犯のごとく冷徹で恐ろしかった。


 レイチェルは言った。

「……説明して、それで川上は理解できるの?」


「……いいから話してみろよ。このままじゃ納得いかねえ!」


 レイチェルは僕から視線を外し、再び空を見やる。

 雨音はますます強まっていた。


「明日、敵が地球に総攻撃を仕掛ける。米軍や連邦軍、世界各国の軍隊がありとあらゆる対策を施したけど、最後の策ももはや風前の灯火。このままだと、敵の攻撃でシュヴァルツ面に異常が生じて、オルヴァー回路が暴走した結果、オシリス領域にヒビが入る。ヒビは0.01秒毎に指数関数的に大きくなり……」


 ここまでで僕の耳は彼女の話をシャットアウトした。

 全く意味がわからなかった。所詮は単なる妄想事と高をくくっていたが、レイチェルの言っていることはまるでわからない。理解不能な単語が次から次へと飛び出して、僕の脳は混乱しすぎておかしくなりそうだった。レイチェルはまだしゃべっていたが、あまりに理解の及ばない話で、全然耳に入ってこなかった。


「――だから、明日、地球はなくなる。川上、私の話聞いてなかったでしょ」


 看破された。慌ててしどろもどろになりながら口を動かす。


「うぇッ!? いや、聞いてたよ。けど、途中からよくわかんなくなって……」


「嘘よ。最初からわかんなかったでしょ。ごくりと唾を飲んだのがわかったもの」


「う……」


「だから言ったのよ。説明したってしょうがない。わかってもらえるはずないもの」


 呆れるようにレイチェルは肩をすくめる。ここまで言われてはたまらない。僕は悔し紛れに彼女に質問をぶつけた。


「敵ってなんだ? どっかの国が核ミサイルでも発射するつもりなのか?」


 ――敵。レイチェルの話の中で何度も登場していた言葉だ。僕が彼女の話で理解したのは、原理はわからないがとにかく、敵の攻撃によって地球がなくなるということだった。

 それでは、その敵というのは何者なのか。レイチェルの言う『敵』はあまりにも抽象的すぎて、イメージが湧かない。


 僕の質問が陳腐すぎたのか、レイチェルは目を閉じ、つまらなそうに口を動かす。


「……そんな小さな話じゃないわ」


「小さいって、ミサイルだぞ!?」


 僕が訊き返すと、レイチェルが語気を強めて言った。


「……じゃあ訊くけど、ミサイルで地球を壊せると思ってるの? ミサイルなんて国を滅ぼすぐらいがせいぜい。地球という、一個の星にとって見ればみそっかすに過ぎないわ」


「けど……じゃあ何なんだよ!?」


「……敵は敵よ。それ以上、彼らを上手く言い表す言葉を、私は持ち合わせていない」


「その、敵はどこから来たんだ? そいつらは何故、地球を壊そうとする?」


「愚問ね。川上、あなたはお腹が減ればごはんを食べるでしょ。それと同じことよ」


 つまり、『敵』にとっては地球はご飯、食料ということなのだろうか。


「なんで今やって来たんだ? 敵は地球をずっと狙ってたはずだろ。もっと前に襲ってきてもよかったはずだろ。それがどうして今になって」


「これまでも敵は地球に攻撃を仕掛けてきた。その度、人類は知恵を振り絞り危機を回避してきたの。あなた達は何も知らないと思うけどね。いつの時代も、本当に大切なことは表沙汰にならないから。例えば……ノストラダムスの大予言に恐怖の大王がやってくるってのがあったでしょ。あれは言い得て妙だったわ。若干の際はあれど、恐怖の大王は敵を十分に表していた。ノストラダムスは敵の存在を、民衆に伝えようとしたのよ」


「……けど、結局何もなかったじゃねえか」


「あなた達から見れば、ね。あの時は奇跡的に敵のゲートが開ききってなかったから、シュヴァルツ面も大した影響を受けずに済んだのが幸いして……と、わからないことを説明してもしょうがないわね」


 レイチェルの口は実に滑らかだった。まるで自分が見聞きしたことのある出来事のように淀みなく話す彼女を見ていると、本当に、明日、地球がなくなってしまうんじゃないかという気さえしてくる。



 ――明日、地球がなくなる。



 文字にすればいかに簡素なことか。

 もし……もしも本当にレイチェルの言うとおりになったら――。僕は今日まで何をしてきた? 小遣い稼ぎのバイトして、学校では授業中寝てばっかいて、家ではゲームばっかやって……。ろくに真面目なこともせずに、遊んでばかりいた。好きな子も、告白しようか迷っているうちに、さっさとくっついてしまった。それに対して僕は何の感情も抱かず、いつものように連れない、うだつの上がらぬ日常を過ごしている。

 目の前のずぶ濡れの女の子の話は、そんな日常とはかけ離れた、想像が及ぶ余地もないような非日常のセカイだった。

 明日、地球がなくなれば、当然僕の人生も終わることを意味する。


 ちっぽけな人生だったと思う。親孝行も大してできなかった。迷惑ばかりかけてきたろくでなしの息子だ。ふと、友人やバイト先の店長、学校の先生の顔が頭に浮かんでは消えていく。


 つまんない。このまま終わったんじゃ、あまりにつまらない。わかってるさ、そんなの僕自信のわがまま、エゴだってことは。けど納得できるわけないじゃないか。僕にはまだやりたいことが山ほどあるんだ。ちっぽけな人生だが、ちっぽけはちっぽけなりに目標を持っている。部屋の隅には、未クリアのゲームソフトが山積みになっている。せめてあの山を崩したい。蝋燭が消えかかるこの状況で僕の頭に浮かんだのは、そんなくだんないことだった。


 イヤだ。心の底から感情が沸き上がってくる。今までの人生でこれほどまでに生物としての本能を感じることはなかった。


 イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ!!!


 感情は自然と語気を強める。僕は電話ボックスの中のレイチェルに叫ぶように言った。


「何か……何か無いのか!? 敵を倒せば……地球は無事ですむんだろ!? なんかあるよ! 無理ゲーって言われてるゲームだって、僅かな糸口を見つけてクリアする奴はいるもんだ。君が言う敵だって、きっと……」


 しかし、レイチェルは機械のような無表情で、

「無いわ。人類に為す術はない」


 その時、心の箍が外れたような気がした。


「……ははっ。僕、何やってんだろ。君の話が上手いもんだから、つい乗せられちゃったよ。怒んないからさ、もーいい加減ネタばらししてよ。全部、君の作り話だったんだろ?」


 レイチェルは何も答えない。


「ねぇ。ねぇってば。嘘って言ってよ。地球がなくなるなんて……いくらなんでも映画の見過ぎだよ。大体なんで君は敵とやらの存在を知ってるわけ? どう考えてもおかしいだろ、こんなの!」


 レイチェルはじっと僕を見つめて沈黙している。不思議とその視線が悲しく感じた。


「いい加減にしろよ! そんな……地球がなくなるって言われて、僕はどうすればいいんだってんだよッ!?」


 レイチェルは憐れむような目で僕を見つめる。もう、やめて欲しかった。レイチェルは僕の叫びにただの一言も反応せず、物言わぬ瞳でじっと見つめ続けるだけだった。その沈黙がどうしようもなく辛かった。


 雨音は鳴り止まない。叩きつける時雨が沈黙の色を一層濃くさせる。


 気づけば僕は泣いていた。情けなく泣いていた。女の子の前で泣くなんてダサいし、カッコ悪いとも思う。だが、溢れ出てくる涙は、どうしてだろう、止めようがなかった。


 やがて、レイチェルがようやく重たい口を開いた。


「川上は生きたいの?」


 なんだよそれ、と思った。生きたいの、だと? ふざけるな。誰だって死にたくはない。突然、明日死ぬなんて告げられて、それを受け入れられる人間はそういない。いるとすればよっぽどの聖人か、自殺志願者のどちらかだろう。僕はそのどちらでもなかった。


「生きたいさ! 生きていたいに決まってる! 僕にはまだやるべきことがたくさんあるんだ。こんなところで、わけのわかんない敵のせいで死んでたまるかよッ!」


「……そう」


 興奮する僕と対照的に、レイチェルはずっと冷静だった。決して表情を崩さない彼女が不気味にさえ感じられた。微塵も感情を表にしないレイチェルはぎこちない機械細工のようで……人間らしさを失った冷たいロボットのようだった。


 それから僕は言葉を失った。物言わず、淡白な瞳で見つめ続けるレイチェルを見ていると、何を言えばいいのか、彼女に反論する言葉も何も思いつかなかった。

 実際は一分ほどだったのかもしれない。だが、電話ボックスの中の女の子の生み出す重苦しい沈黙は永遠にさえ思われた。


 やがて、長い、長い沈黙を破り、レイチェルが口を開いた。


「……本当は、一つだけ――」


「え……?」


 レイチェルの言葉は旋風となって、僕の頭にかかった深い靄を晴らしていく。彼女の言葉は絶望の渦中にいた僕に、希望の欠片をもたらした。


「――一つだけある。地球に明日をもたらす方法が」


「な……それなら、早くその方法とやらを実行すればいいじゃねえか! 敵の攻撃開始は明日なんだろ? 早くしないと――」


「一つだけ問題があるの」


レイチェルは伏し目がちに僕をちらと見やると、僕に背を向けてつぶやく。


「その方法を実行すれば、地球に明日がくるかもしれない。けれど、その代わりに……ある人を犠牲にしなければならない」


 地球を救うためには、誰かを犠牲にしなければならない。この時、僕は自分のことを冷たく最低な『人間』だと思った。

 犠牲? 構うもんか。それで地球が救われるなら安いもんだろ。

 驚くほど簡単に、僕はこう結論づけた。そんな自分を恐れている自分がいた。

 人類はこれまで数多の生命を犠牲、糧として今日まで生き永らえてきた。誰かを犠牲にして自分が生き残る。それは弱肉強食の掟に縛られた人間という生物の歴史そのものだ。


「その方法を実行すれば、もしかすれば敵を倒せるかもしれない。当たり前のように、明日がやってくるかもしれない。けど、明日を掴むためにはある人が犠牲にならなきゃいけない。その人は、明日が来ると信じて疑わないその他大勢の人々の命を一心に背負って敵と戦うの。敵と戦って……勝てるかはわからない。けれど、少なくとも、敵と渡り合えるのはその人しかいないの」


「…………」


「一人一人それぞれ生活があるように、その人にも生活がある。その人だって夢を持っているだろうし、好きな人もいたかもしれない。そうした大事なものを全て捨て去って、その人は、見知らぬ誰かさん達のために戦地に赴く。そして、誰にも知られずに死んでいくの。生き残った人達は誰一人として、その人が死んだことに気づかない。彼らの明日を、その人が命をかけて守ったことを、誰一人として、知らない」


 レイチェルは問うた。


「それでも川上は明日が欲しい?」


 レイチェルは背を向けたまま、僕の返答を待っていた。僕はその小さく震える背中に言をぶつける。


「犠牲で済むなら安いもんさ。僕達はいきものだ。いきものは何かを犠牲にして自分が生き残る……そういうもんだろ。そいつ一人の犠牲で、他の全ての生物が助かるなら、僕は犠牲はやむを得ない。そう……思う」


 雨は容赦なく地面を打ち付ける。警報は止まない。振り続ける豪雨は、まるで大地が泣き叫ぶ声のようだった。


 レイチェルが振り返って僕を見た。彼女の顔はびしょ濡れだった。さっき、ハンカチで拭いたはずなのに、濡れていた。だが、どうしてだろうか――レイチェルの口元は少しだけ上がっていて、彼女がはにかんでいるように見えた。それは……初めて見る、レイチェルの表情の変化だった。


「川上」


「何?」


「握手して」


 交わした握手は実に短かった。レイチェルの手は、雨で冷たくなっているはずなのに、じんわり優しく温もりがあった。彼女の手は小刻みに震えていた。握っている僕の手にもその振動が伝わってきて、どうしてか、無性に切ない感情がこみ上げてきた。


「レイチェル、君は――」


 その時だ。突然、電話が鳴り始めた。ボックスに設置された緑の電話が雨の中鳴り響く。


「電話……?」


 レイチェルがおもむろに受話器を手にとった。二三応答してから、彼女は静かに受話器を置いた。そして、つぶやく。



「――地球は救われた」



……ふぇ?


 呆然とする僕をよそにレイチェルは話し始める。


「ゲートは塞がれた。もう、敵がこちらに侵攻してくることはないわ。オシリス領域も正常に運転している。もう……大丈夫」


「えっ……? ちょ、ちょっと待って、どういうこと? さっきの電話は何だったの?」


 レイチェルは僕の質問には答えずにただ一言、


「じゃあね」


 それだけ言って、レイチェルは電話ボックスから出ていく。

 そのまま歩き去ろうとする彼女を止めようと、僕は彼女の腕を掴む。

 しかし、掴んだ腕は不思議にすっぽぬけてしまう。確かに掴んだはず……そのはずなのに、そこにあるはずの彼女の腕はなく、いつの間にか彼女の姿は忽然と消えていた。

 気づけばあれほど強かった雨が、嘘のように止んでいた――。




 地球は救われた。誰かの命を犠牲にして、明日がやってくる。その誰かは、きっと生きていたかった。誰よりも明日を望み、誰よりも死にたくなかった。だけど、誰かを守るために、『その人』は犠牲になった。

 結果、『その人』のお陰で地球は救われたのだ。僕は思う。『その人』は神様が人類に遣わした天使のような存在だったんじゃないかって。役目を終えた天使は空に帰って、ずっと僕らを見守っているんだ。きっと。


 地球は回る。それは大多数の人間にとっては極普通のアタリマエのことだ。

 だが、僕は明日を大切に生きようと思う。

 僕が殺し、世界の犠牲となった少女のためにも――。



   おしまい

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