自業自得です

 事情を聴き終えて、クリーク達を俺の部屋より追い出してより翌日。

 俺は重度の倦怠感に襲われて、ベッドで横たわり続けていたんだ。

 もっとも、今までみたいに指一本動かせないとか、泥のように眠り続けると言う事がないだけまだましだと言える。

 動くのは億劫だし動きも愚鈍を通り過ぎてカタツムリの如きなんだが、それでも自分の意思行動を実行できるんだからな。

 トイレにだって自分で行けるし、やろうと思えば夕飯の買い出しも、シャワーを浴びる事だって不可能じゃあない。

 まぁ……飯は面倒臭くてちゃんと食ってないし、シャワーも入らなかったんだけどな。


 それにしても。


 何だか俺って、ここ最近はこんな状態でいる事が多いなぁ……。

 勇者がこう何度も倒れて動けなくなるのって、実はまずいのではないのだろうか。

 俺がこんな状態の時に人界が魔族にでも襲われようものなら、一気に人界が制圧される……とまではいかなくとも、その被害は無視出来ないものになるだろう。

 ただまぁ、今となってはそんな危惧を抱く必要なんて無いんだけどなぁ。

 魔界の長たる魔王とは既に和解済みだし、それよりも何よりももう魔界といがみ合ってる場合じゃあ無いんだからなぁ。

 魔族だって、今更人界に攻め込むような愚は犯さないだろう。


 とはいえ……だ。

 流石に丸1日もまともな飯を食っていないと、俺の中に住まいたもう「クウフク様」の堪忍袋が弾け飛ぶのも時間の問題だろう……。

 昨晩は「雑貨屋コンビニ」へと買いに行くのが面倒で、携帯保存食で済ませたからなぁ。

 それが証拠に、もう活性化を始めた「クウフク様」がさっきからアピールを続けて喧しい事この上ない。


「……仕方ない……。飯でも買いに行くか……」


 こんな体調で移動すれば、一体どれだけ時間を要するのか分かったもんじゃあない。

 それでもクウフク様を黙らせるため……そして、俺自身も美味いものを食う為に、俺はベッドから出る事を決意したんだが。


 その矢先。


 優しく……それでいてハッキリと、部屋の扉をノックする音が響いたんだ。

 間違い様も無く誰かの来訪を告げていたのだが、俺が扉の向こうへ誰何するまでもなく、その答えは訪問者から告げられたんだ。


「先生、おられますか?」


 その声の主は、少なからず俺に驚きを齎していた。

 何故ならばその人物は、昨日教会へと運び込まれたイルマだったからだ。


「……ああ。入って良いぞ」


 俺がそう答えると、いつもと何ら変わりのない笑顔を湛えたイルマが入って来たんだ。

 彼女は昨日「吸血動物ブラッド・サッカー」の「恐怖種テラーモンスター」、その下位種にあたる「襲い来る者レイドハンド」に噛まれその呪液に侵されて、危うく吸血鬼化しちまう処だったんだ。

 駆けつけた俺が応急処置……つまりは俺の「血」を呑ませる事で、何とかイルマが吸血鬼化する事を防ぐ事に成功している。

 と言うか俺の「血」を呑んだことで、間違いなく彼女の中に注がれた呪液は消え失せている……筈だ。

 その後、念のために治療をして貰おうと、イルマは教会へと預けたんだ。

 如何に殆ど快癒しているとは言え、一時は吸血鬼化一歩手前まで迫ったんだ。

 体力的に考えても、1日で元気に元通り……とはいかない筈なんだが。


「先生、あの……昨日はありがとうございました」


 俺がそんな疑問を口にする前に、イルマは俺の方へと向き直り勢いよく頭を下げたんだった。


「いや、気にするな」


 それに対しての俺の返答はまぁ……これくらいしか浮かばなかった。

 別に恩に着せようと言うつもりなんか更々無いし、教え子の窮地を知ってしまったら放っておく事なんか出来ないからなぁ。


「それで……先生? 横になっておられたようですが……体調が優れないんですか?」


 そこでイルマは、俺の状態を怪訝に思ったのかそう問いかけて来たんだ。

 まぁイルマが俺の部屋に訪れてるって言うのに、俺の方は一向にベッドから起き上がる気配を見せないんだからそれも仕方ないな。


「ん……? ああ、ちょっと風邪気味でな」


 俺は、些か苦し紛れだがそう答えた。

 実際の処俺は、風邪なんかじゃあない。

 体調不良の原因は、昨日イルマに噛まれた事によるものなのは明らかだったんだ。


 俺に……勇者の「血」に、状態異常を及ぼす効果は通用しない。

 いや……厳密に言えば、毒や呪いの類が原因で死ぬような事は無いと言った方が良いか。

 どれ程強力な毒や、致死性の高い呪いを受けようと、勇者に流れる「血」がそれを全て無効化してしまうんだ。

 でも、全く効果が無いのかと言えば……そんな事は無く。

 それらを無効化する代わりに、その後に過度な疲労が襲って来るんだ。

 それは全身を筋肉痛の様な傷みが襲ったり、今回のような気だるさに晒されるなど様々だ。

 俺の返答に、イルマは些か訝し気な表情を浮かべた。

 昨日の今日でタイミング的に、俺がいきなり風邪をこじらせる……と言う話はイルマにとっても俄かには信じがたく、俺の不調が彼女に噛まれたからだと言う事をイルマも何となく察してしまった様だ。


「それよりも、イルマ。お前の方は、もう動いたりして大丈夫なのか?」


 そんなイルマが更に突っ込んでくる前に、俺は逆に彼女の体調を気に掛けたんだ。

 これ以上俺の事を詮索されれば、イルマは自分の責任に苛まれちまうからなぁ。


「……はい。もう、すっかり治りました」


 俺の問い掛けにイルマは、ニッコリと微笑んでそう答えたんだ。

 うん。俺が見る限りでも、彼女の動きには体調の異常を感じさせるものはない。

 強いてあげるなら、いつもよりも顔色が優れない様に思えるってとこだけど……。

 まぁ何にせよ、イルマが無事で何よりだな。


「それで先生? 体調が優れない様でしたら、食事はまだ摂られていないんじゃないですか?」


 周囲をきょろきょろと見回しながら、イルマはそう問いかけてきた。

 その言葉で、俺の中におわす「クウフク様」が、これ以上ないと言う程の声を上げてアピールして来たんだ。

 むう……何と言う節操の無さだ。


「何か簡単な物でも作りますね。少し待っていてください」


 クスリと笑みを溢したイルマは、そう言うとそそくさとキッチンの方へ向かって行ったんだ。

 病み明けだと言うのに申し訳ないんだが、正直な話イルマの行為は非常に有難い。

 止めようとする俺の意思を、クウフク様と言う俺の別人格が静止してしまったんだ。


「ああっ! 先生、また洗濯物まで溜め込んで……。あれだけこまめに洗ってくださいねってお願いしたじゃないですか―――……」


 更にイルマの、驚きとも呆れとも捉えられる声が聞こえて来て、俺としてはもうベッドに潜り込むしか出来なかったんだ。

 そしてイルマは、食事の用意から掃除洗濯までテキパキと熟して行ったんだ。





 食事も一段落し、俺は再びベッドで横になっていた。

 随分と疲労も回復している実感はあるから、用心して今日一日安静にしていれば問題ないだろう。

 そしてイルマは、横たわる俺を尻目に部屋中をせわしなく動き回っていた。

 いつも世話になっているのも申し訳ないんだが……。


「なぁ、イルマ。余り無理する必要は無いんだからな?」


 横になっている俺の眼前、部屋の中央に置かれているテーブルの上に畳んだ洗濯物を積み上げる彼女に、俺は何とはなしにそう話しかけたんだ。

 イルマが家事をしてくれるのは有難いことこの上ないんだが、やはり病み明けと言う事を考えれば気が引けてしまう。

 それにやっぱり、どうにも彼女の顔色が気になる処だったんだ。

 まぁ……ここまでして貰ってから言う事でも無いんだが。


「いえ、大丈夫です。体を動かしていた方が、私も気が紛れ……あっ……」


 そこまで言った彼女の身体は、不意に眩暈にでも襲われたのかグラリと傾いて。


「ぐへっ!」


 俺の身体の上に倒れ込んで来たんだ。

 完全に脱力状態だった俺は、イルマのボディプレスをもろに食らう形になった。

 ただまぁ、元が軽い彼女に全体重で圧し掛かれたって、悶絶すると言う様な事態には陥らなかったんだけどな。


「おい、イルマ……大丈夫か? やっぱり病み上がりに無理なんかするから……イルマ?」


 そう思った俺は驚いたと同時に、今のイルマに家事をさせてしまった事に申し訳ない気持ちで彼女の腕を掴んだんだが。


 その腕が……震えていたんだ。


 それで漸く……漸く彼女が、今まで何を思い考えていたのかを……悟った。

 イルマは今の今まで、必死で……恐怖に耐えていたんだ。


 そう……恐怖の記憶に。


 吸血動物に噛まれその呪液を注ぎ込まれ、自らの身体が徐々に怪物と化していく感覚……。

 その恐怖は、いくら体が全快しても拭えるものじゃあない。

 彼女は自身の信仰心と強靭な意志、そしてあらかじめ知っていた対処法により、その呪いに抗う事が出来た。

 その結果、俺が駆けつけるまで耐える事が出来た訳だ。

 だが、完全に抑止できていた訳じゃあない。

 つまりそれは、ゆっくりと自分の身体が侵食されてゆくのを実感する「恐怖」に耐える作業でもあったんだ。

 それは……16歳の少女には、余りにも過酷な試練に他ならなかっただろう。


「……すまん、イルマ……。怖かったろうなぁ……」


 俺はイルマの背中を抱いて、言葉を選んで囁きかけたんだった。

 それを聞いた彼女は、俺の胸に顔をうずめたまま首を振って否定の意を示していた。

 言うまでもなく、今回の事で俺が謝る必要はない。

 ただこの場合、そう言ってやる以外に俺には浮かばなかったんだから仕方ないよな。


「せ……先生は……悪くありません。それどころか……私を救ってくれました……。ありがとう……ございました……」


 いつの間にか、イルマは大粒の涙を流して泣いている様だった。

 必死で押し殺してはいるが、時折嗚咽が聞こえるのが良い証拠だ。

 俺は暫く、彼女が落ち着くまで黙っていた訳だが。


「……イルマ? そろそろ体を起こしてくれると有難いんだが……」


 流石にいつまでもこの状態なのは何かとまずいだろう。

 こんな様子をクリーク達が見れば、どんな大騒ぎをするのか知れたもんじゃあないからなぁ。

 そんな俺の問い掛けに、顔を上げたイルマが俺の方を見つめて来たんだ。

 その瞳は未だ涙にぬれて赤く染まっている。


「……だめです」


「いや、だめですってなぁ……。俺は動けないし、いい加減重いし……」


「いやです。それは……自業自得です。……それよりも先生……」


 俺の体調不良の原因を察しているイルマにそう言われると、何とも返答に困ってしまうな。

 そして彼女は、涙をすすりながら言葉を続けた。


「もう一度……先生の血を吸わせて下さい」


「……はぁ?」


 突然紡がれた予想外の言葉に、俺は何とも間抜けな声を上げてしまったんだ。

 今更イルマに、俺の血が必要な筈なんてない。

 彼女の体調は兎も角、体内に注がれた呪液は完全に消え去っている筈だからなぁ。

 それが確認出来たからこそ、教会もイルマの外出を黙認しているんだろうしな。

 そんな呆けた俺を横目に、イルマは俺の身体をずり上がって頭を首筋にまで持って来ていたんだ。


「いや、イルマ? ちょっと待て……って、いてっ」


 食い止める俺を尻目に、イルマは俺の首筋に……昨日彼女が牙を突き立てた箇所に噛みついたんだ。

 もうそこには、イルマに噛まれた後なんて残っちゃいない。

 クリーク達が去って早々に、回復魔法で傷を塞いだからな。

 それに、今の彼女にはもう牙なんか生えてやいないから、俺の首筋に歯を突き立てる事なんか出来ないだろう。

 せいぜいが……歯形を残す程度だ。


 イルマは俺の首筋に顔を埋めて、噛みつきながら泣いている様だった。

 俺の首筋を噛んでいるのは、泣き声を押し殺しているからにも思えなくはない。

 だが。


「……イルマ? もうそろそろ離れてくれると……。それに、大概首も痛いんだが?」


 イルマの力では、俺の喉をかみ切ると言う事は出来ないにしても、長時間噛みつかれ続ければそれなりに痛みも感じる。

 俺がそう苦言を呈しても。


「だめです。これは……自業自得です。……もう少し……」


 うん。これについて何が自業自得なのかは分からないんだが……。

 とりあえず今は、彼女のやりたい様にやらせてやるか。

 それでイルマの気が済むなら、それに越した事は無いからな。

 そうして俺は、イルマが自ら離れるまで、好きなだけ首をかませてやったんだ。





 その後俺から離れたイルマは、顔を真っ赤にして謝罪を繰り返した事は言うまでもない事……だな。

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