その時

 ソルシエの話では、それはそれまでに見た事の無い……初めて見る怪物……と言う話だった。

 一目見ただけならば、それは人型の個体だった。

 ただし手足を使って壁に張り付くその姿は、人と言うよりも獣と言った印象だと言う。

 体毛は無く、全身が剥き出した肌で覆われていた。

 その表皮はヌメヌメと光っており、まるで粘液に覆われてる様に見えたんだそうだ。

 だがその表面は所々にゴツゴツとした突起が出っ張っていて、見た目ほど防御力が低くない事を物語っていたのだ。

 大きく割けた口からは異様に長い舌が伸びて、目と思しき部位が顔面に4つ。

 そして何よりも長い尻尾をフルフルと振り、まるで飛び掛かるタイミングを計っている様に見えたらしい。


『……あっ!?』


 彼女がそう思った矢先、戦いを続けるクリーク達を飛び越えてその魔物は、クリークの側面に降り立った。

 そしてその時、その事にクリーク達は気付けないでいたらしい。

 その事をその怪物は把握しているのだろうか、すぐに襲い掛かる事無く僅かに間を置いて“獲物”を見据えていたようだった。

 接近して来たその魔物を、ソルシエは改めて観察した。

 異様なその姿も然る事ながら、その身体から沸き立つ異様な気配は息を呑むほどだったと言う。

 それは……一般的に「妖気」との呼ばれるものだろう。

 ある種の怪物は、その身から特殊な雰囲気を発散させている。

 主にそれは「希少種レア」等が纏う、通常種とは一線を画す風情に他ならない。

 それらは「恐怖種テラー・モンスター」と呼ばれ、種族分けとは別に分類されているんだ。

 本当だったならそんな気配を感じる事なんて、誰にでもそうそう出来る訳じゃあない。

 ソルシエが“魔女”である事が今回は役に立ったと言え……役に立たなかったとも言える。


 その怪物は、「吸血動物種ブラッド・サッカー」の中でも「恐怖種」に属する魔物だろう。

 その中でも下位に属する「襲い来る者レイドハンド」だと思われる。

 ブラッドサッカーは総じて、妖しい気配を発する怪物だ。

 ソルシエがその雰囲気を察したとしても……いや、ソルシエだからその気勢を見抜いたとしてもおかしい話じゃあない。

 ただし残念ながら、今回はその“勉強不足”が事態を悪化させたんだろう。


『……ああっ!』


『っ!? 危ないっ!』


 目標をクリークと定めたんだろうレイドハンドは、素早い動きで彼へと飛び掛かる動作を取った。

 それにソルシエは声を上げるしか出来なかったんだが、イルマは即座に反応して見せたんだ。

 本当だったら牽制でも、ソルシエが出の早い魔法……この場合はフラムだろうが、それで迎撃すべきだったんだ。

 でもソルシエには、それが出来なかった……彼女はレイドハンドの事を知らなかったから。

 そしてイルマは、動く事が出来た……彼女はレイドハンドの事を知っていたからだ。


「恐怖種」レイドハンドの事は、実はギルドの資料にも記載されている。

 そしてこの古城「シュロス城」に、稀に出現すると言う事も当然記されているんだ。

 確りと事前の下調べをしていれば、これ位のアクシデントには対処出来た筈だろう。

 そりゃあ……的確に動けるかどうかは別の話だがな……だからアクシデントな訳だしな。

 でも知っていると知らないでは、それこそ天と地ほどの違いだろう。

 今回はそれが……悲劇につながったと言う事か。


『つぅっ!』


 クリークと怪物の間に割り込んだイルマは、牙をむいて攻撃を仕掛けて来たレイドハンドに左手を噛みつかせる事で盾となった。


『せ……聖霊の御力を束ね、聖なる光をっ! ク……聖光クレラオっ!』


『ギョギョッ!?』


 咄嗟に聖光の魔法を唱えたイルマに、襲い来る者レイドハンドは怯み大きく後退する。

 そしてそこへ、平静を取り戻したソルシエの魔法が飛来した。

 だけどその攻撃を躱した怪物は、危機を感じたのかそのまま城の奥へと逃げたんだそうだ。

 そしてそれを見届けたイルマは……。


『イ……イルマッ!』


『イルマッ!?』


『イルマさんっ!?』


 その場に崩れ落ちたんだった。

 もともと僧侶であり、それ程防御力や体力が高い訳じゃあない。

 そんな彼女が強力な魔物の攻撃を受ければ……そりゃあ、そうなるよな。


『ク……クリーク、ダレンッ! 逃げるよっ!』


『に……逃げるだってっ!?』


『当たり前でしょっ! イルマが倒れたんだよっ!? この城の外まで、早く撤退しないとっ!』


『クリークさん、今は逃げましょうっ!』


 イルマが倒れた事で、クリーク達のパーティは均衡が崩れた。

 そしてソルシエの判断は、この場においては正解だっただろう。

 未だにゾンビの集団を制圧しきれていない状況、そしてレイドハンドの襲来も無視できない。

 それを考えれば、大きく退いて体勢を立て直すのは当然の策と言えるだろうな。


『荒れ衝く原野っ! 突き刺されっ! 尖原ロンヒ・エリミアっ!』


 そしてここでソルシエが使った魔法は、この場では最善だったと言える。

 以前にキリング・スネークとの戦闘時で使用した魔法……「氷原リュート・サフル」。

 術者の前方向を凍り付かせるあの魔法の、これは地属性版だ。

 その効果は。


『今よっ! あいつ等を足止め出来てる間に、この城から出るわよっ!』


 地面より無数の鋭利な突起を出現させて、相手の行動を防いだり足止めを行う魔法だった。

 相手は感情を持たずに、ただ執着心で動く化け物だ。

 ここで炎を選択しても、怪物どもはその身を焦がしながら接近を止めないだろうし。

 ここで氷を選択したならば、怪物どもは己の足を引きちぎってでも前進を敢行しただろうな。

 だが地面に縫い止められてしまっては、流石にそれも叶わない。

 勿論、縫い止めると言ってもまともに踏めば足の甲から突起の戦端が覗く程度の、本当に足止め程度にしか使えない術だった。

 しかしゾンビはその動きがどうにも愚鈍な怪物モンスターであり、今のソルシエの魔法でも十分に効果があったんだ。

 そうして敵の行軍を防ぐ事に成功したクリーク達は、どうにかイルマを連れて城の外へと避難する事に成功したと言う事だった。

 ただし、城の外にも敵はいる。

 残念ながら少なくない数のゾンビが城外にも徘徊しており、結局クリーク達はその場から動く事も出来ずに立ち往生する羽目になった……のだそうだ。





「……なるほどな」


 一連の話を聞いて、俺は彼等が想像以上に未熟だと言う事と、そして俺自身が自分で考えている以上に間抜けだと言う事に気付いたんだった。

 基本的に俺は、クリーク達の自主性に任せていた。

 本来それは、人として成長する為に必要だろう。

 俺だって、仲間達と傷つきながら、それでも試行錯誤して旅を続けたんだからな。

 そうやって俺は……俺達は、人界でも最強と謳われる戦士になる事が出来たんだ。


 でも、クリーク達にはもう“俺”と言う指導者がついちまっていた。

 そうなったら、どうしたって完全な自主性に委ねる事なんて出来ないだろう。

 ある程度成長するまで、やはり俺が主導して育てて行かないといけなかったんだ。

 俺の経験は、恐らくはクリーク達の役に立ってくれるだろう。

 だが俺の経験は俺のものであって、彼等がそれを我が物としてくれるかどうかは別の話なんだ。

 それが分からなかったなんて……俺って奴は……。

 ハハハ……勇者だ何だと誉めそやされ過ぎて、どうにも勘違いしてしまっていたらしい。


「せ……先生……?」


「お……おい……」


「あ……あの……先生……」


 俺が自嘲気味に笑みを浮かべていたのを見て、クリーク達が恐々と言った態でそう声をかけて来たんだ。

 おっと……これ以上、俺が彼等を怯えさせるような事があってはならないだろうなぁ。


「ああ、すまん。ちょっとな……」


 ここで俺が、自分を卑下するなんて事は出来ない。

 そんな事をすれば、クリーク達もまた傷ついちまうからな。


「……話は分かった。色々と考えるべき事は多いが、それはまた後日としよう」


 勿論、俺がそんな事で凹むような事は無い。

 勇者となり、今じゃあ人界屈指の強さを持っているが、その道のりは挫折の連続だったからなぁ。

 こんなことぐらいで、へこたれるようなやわな精神構造はしていないんだ。

 ただ、その時に浮かべた俺の笑みがどうにも凶悪だった様で、クリーク達の顔が若干引き攣っているのはご愛嬌ってやつだ。


「それよりも今は、イルマの看病! それに、お前たち自身も確りと休む事! わかったかっ!」


 だが俺が次に発した言葉で、彼等の表情も引き締まったものへと変わった。

 その証拠に。


「「「は……はいっ!」」」


 俺の発した檄に応える声も、確りとしたものだった。

 俺は満足そうにうなずいて、彼等を部屋から送り出したんだ。


 そうして俺は、身体を蝕む倦怠感に耐えきれず、そのままベッドへとダイブしたんだった。

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