遺恨の芽
蒼く妖しい輝きを放つ月が、星の無い深淵の夜空にぽっかりと浮かんでいた。
人界の紅い月と違い、魔界で見る蒼い月はいつ見ても不思議で、どこか心を和ませる優しさがあった。
黙々と先を歩くエノテーカの後ろを、俺はそんな事を考えながら月を見上げて付いて行ったんだ。
いずれは長老、そしてエノテーカともう一度話さなければならないとは考えていた。
でもそれが、決裂した会談のその夜……しかも深夜なんて、流石に考えもしなかったけどな。
それに。
前を行くエノテーカの纏う雰囲気を考えれば、これが穏便な話し合いで終わるようにも思えなかった。
一応、剣と盾は持ってきている。
そしてそれらを装備して部屋を出る処を、エノテーカも知っている筈だ。
それでもその事に何も言わない処を見れば、恐らくはまぁ……そう言う事なんだろうな。
「この様な夜更けに呼び出してしまい、申し訳ないのぉ……」
エノテーカが俺を案内したのは、村の外れ……なんてもんじゃない。
村から出て随分と離れた草原だったんだ。
勿論、この辺りに至っては既に怪物の縄張りであり、いつ何時魔獣が襲って来るのか知れたもんじゃあない。
もっとも。
この辺りに出るような魔獣程度ならば余程の事が無い限り俺の、そしてこのエノテーカにだって相手にはならないんだが。
「……いや。また話す機会をと考えていたんだ。まぁ……すこーしばかり早急だったがな」
だだっ広い草原に1つだけ、大きめの岩がまるで目印であるかのように鎮座していた。
その上に胡坐をかいて座り俺を迎えたのは、言うまでもなく長老だった。
「……へぇ……結界ってやつか? 長老、こんな事も出来たんだな」
「ふぉっふぉっふぉ……。長く生きとれば、これくらいは……のぉ」
俺は長老を中心として広がる、広大な魔法による結界を看破してそう口にし、長老はそれを然して自慢する素振りも見せずにそう答えたんだ。
魔法による結界を構築すれば、その結界を張った者の強さより劣る怪物はその領域内への侵入が出来ない。
それどころか、その結界へと近づこうともしないと言う、中々に優れたものだ。
勿論それだけに、そう簡単に習得する事も出来ず、長時間維持し続ける事も難しいんだけどな。
「……それで? 俺をこんな時間に、こんな所へと呼び出したんだ。話し合い……って訳じゃあなさそうだけど?」
俺は躊躇する事も無く、長老の結界へと侵入を果たしてそう問いかけたんだ。
その事自体は長老も、そしてエノテーカだって想定内だったんだろうけど、余りにもあっさりと結界内に入り込まれては、それを作り出した者にしてみれば気持ちの良いものじゃあない。
僅かに……ほんの僅かだけど、長老の表情に変化が見られた。
でもそれは一瞬の事で、すぐにまた感情の読みにくい好々爺へと戻ったんだ。
「話し合いで済めばそれで良い話じゃて。お主にはこのまま宿に戻って、再び眠りについて貰えば良いのじゃからなぁ……」
本当に食わせ者だよ、この爺さんは。
この場にいる誰も、最初からそうなるって思ってもいないってのに良くもまぁ、そんな台詞をスラスラと吐けるもんだ。
「……それで? 話し……って言うか、長老の要望は何なんだい?」
だからと言って、俺から交渉の扉を閉ざすつもりはない。
長老たちが何を考えているのか……まぁ、分からないではないけれど、その考えを聞いてから結論付けても良いと考えていたんだ。
「ふむ……。わし達からの要望は至極簡単。お主には金輪際、この村に立ち寄ってもらわない様にしていただきたい。そして二度と、メニーナに会う事もまかりならん」
う―――ん……。
これは俺が思っていた以上に、切迫した状況になっちまったなぁ……。
もう少し2人とは話し合う余地があると思っていたんだ。
物静かなエノテーカと、何事にも冷静に考える事の出来る長老。
この2人ならば、いずれはまともに話し合えると思っていたんだが……。
「残念ながら、それは出来ないな。俺はこの村の部外者だが、メニーナとの約束もある。俺は人族の勇者として、彼女に対して嘘を吐く事は出来ないんだ」
それに対する俺の答えはまぁ……詭弁だ。
メニーナに対しての言葉に偽りは無いとしても、この村に入る事を許可してくれているのは誰でもない長老なんだ。
その長老が入村を拒否してるんだから、本当だったら俺の方がそれに従わないといけないだろう。
それでも、こうも一方的に言われたままってのは、流石の俺も看過する事が出来なかったんだ。
「……メニーナか……。あの娘には、この村で心静かに暮らして欲しいと考えておる……。両親を亡くして身寄りも無かったあの娘を引き取り、娘か孫のように育てて来たのじゃ……。そんな娘が危険な旅に出る……そのような事……認められる訳が無かろうがっ!」
俺の屁理屈は歯牙にもかけず、長老はメニーナに対する俺の考えに対して反論して来たんだ。
それは正しく、肉親に近い情を持った者なら至極当然の答えだった。
その感情が高まったのか、言葉の最後には長老にしては珍しく、かなり気持ちが昂っている様だった。
「それにのぉ……お主は『人界の勇者として』と言うが……あの娘の両親を奪ったのは誰でもない……その人界の勇者であろう? その事をお主……あの娘に伝えているのか?」
荒ぶった気分を一瞬で鎮めた長老は、続けてそう話して来た。
そして俺としては、それを言われると何ともつらい処だったんだ。
ただこれだけはハッキリとしておきたいのだが、俺が直接メニーナの家族に手を掛けた訳じゃあない。
それも当然の事で、メニーナは幼く見えても既に50年は生きている。
つまりは……俺よりも年上って訳だ。
俺より早くにメニーナが生まれ、そんな彼女が赤子の頃にその両親は他界している。
どれ程特殊な状況が訪れた処で、俺がメニーナの両親を倒す事なんて不可能なんだ。
言うまでもなく、彼女の両親を倒したのは当時の勇者……俺より何代か前の勇者であった者だった。
異界洞が開き、人界と魔界が繋がり、魔界より魔族の軍勢が押し寄せたのは実に100年以上前の話だ。
そして1つの国を配下に置き、そこを拠点として魔王軍の侵攻が行われたんだ。
人界側の必死の抵抗で魔王軍も一気に人界全土を制圧する事が出来ず、長きに渉る膠着状態となった。
そんな中で生まれた勇者達は例外なく魔族の支配していた国を目指し、そこで接収され「魔王城」と銘打たれた城を目指して旅に出たんだった。
そんな中で、魔族軍の仕向けた刺客たちと戦う機会も少なくなかったと言う。
数多の戦いの中で勇者達は命を落としていったが、それよりももっと多くの魔族達が命を散らせて言った筈だ。
その中に、メニーナの両親がいた……と言う事は、俺がこの村に来てすぐに知らされた事実だった。
人界側に攻め込み、幾つもの街や村を攻め滅ぼし、多くに人々の命を奪った魔族軍の方が悪い……と、人族側ならば考えるだろう。
ただ、戦闘と言う行為だけを考えれば、互いに命を懸けて相対した訳だ。
戦いの中で命を落としたんだ。それはどちらが勝っても負けた方には遺恨が残るだろうし、どちらに非がある等と言う話でもない。
「……まだ伝えてはいない。今はまだ、その時では無いと考えているからな」
いずれは、その事実を言う必要があるかもしれない。
それによって、もしかすれば俺はメニーナに嫌われてしまうかもしれないな。
それだけならばまだしも、親の仇と命を狙われる事にもなりかねないだろう。
だからこそ、その事を言うタイミングが重要……なんだが。
「……ふむ。いずれは話すと言う事かの。確かに今、あの娘にこの事実を言う事は、時期尚早と言えるじゃろうて。その判断に間違いはないじゃろうが、その事実を知ったあの娘は……どう思うのじゃろうな?」
そんな俺の考えを、長老は見事に看破して見せていた。
そしてやはり、そう問いかけられると辛いと言わざるを得ないんだ。
「わし等はこの事実を、メニーナに話す事も出来る。じゃが、それは最後の手段じゃと考えておってな。出来ればその様に卑屈な手段を取る事無く、お主にはこの村から……そしてメニーナから手を引いて欲しいと考えておるんじゃ。何故じゃか……分かるか?」
長老が俺の考えを見抜いている様に、俺にだって彼等の考えている事などお見通し……とまではいかないけれど、ある程度なら分かるってもんだ。
「もしもその事実を知ったとしても、メニーナが必ず俺から離れたり人族を嫌いになるとは限らないからな」
俺の答えに、長老は満足気に頷いて応えたんだ。
そんな事は、少し考えれば分かる事だ。
何故ならメニーナに、両親の記憶は全く無いからな。
彼女が物心つく前……いまだ赤子の頃に、任地として人界へと赴いた彼女の両親はそのまま帰らぬ人となったんだ。
そりゃあメニーナにだって、ショックは少なからずあっただろう。
いまだに彼女の中には、両親に対する想いが少なからずあるかもしれない。
それでも伏せられていた事実を知った処で、今のメニーナが持つ考えに絶大な影響を与えるとは言えないんだ。
「そうじゃ……。お主にも我等を説き伏せる手段は無く、我等にもお主を説得する術がない。そしてこのような場合、我ら魔族の取る手段は1つしかない」
そう話す長老の醸し出す空気が……変わった。
長老だけじゃあない。エノテーカの放つ気配も、鋭いものへと変化していたんだ。
まぁ、長老の見解は若干早計で、俺には彼等を言い含める方法が1つだけあるにはあるんだが。
「お主が魔王城へと赴き魔王に会う為に戦っている様に、この結論も魔族の流儀で決しようと思う」
ここは長老の出した提案に従うしかない。
俺はそう考えて、長老とエノテーカに対して身構えたんだ。
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