世界への扉
パルネの元へと駆けて行ったメニーナが、彼女の手を引いて俺の元まで戻って来た。
「……ふぅ。こんにちは、パルネ」
そんなパルネに、俺は出来る限り優しい表情でそう声を掛けたんだが。
「……!」
俺の顔を見たパルネは身体をビクリと振るわすと、そそくさとメニーナの背中に隠れてしまい。
「もう、ゆうしゃさま! パルネを驚かせないでって言ってるじゃない」
何故だかメニーナにまで怒られる始末だ。
む―――……。
いい加減、如何に大人な俺だと言っても、傷ついてこのまま人界の自室へと駆けこむぞ。
パルネとは愛称で、本名は「アカパルネ」と言う。性は知らないけどな。
見て分かる通り、彼女はこの村に於いてのメニーナの友人だ。
見た目で言えばメニーナよりも若干年下と言った処だろうか?
傍から見れば、活発な姉に引っ込み思案な妹と言った印象を受けるだろうが、言うまでもなく二人は血のつながった姉妹じゃあない。
淡い翠色の髪と、美しい燈色の瞳は間違いなく人界では見る事が出来ない色の組み合わせだ。
それだけに、つい見惚れてしまう程の美しさを秘めている。
メニーナほどじゃあなくても顔立ちは整っていて、下がった目じりが気弱さを一掃醸し出しており、それは正しく小動物の愛らしさがあった。
何というか……庇護欲をそそられる感じだな。
ああ……そう言えば、雰囲気が何となく聖霊ヴィスに似ているかもしれない。
もっともこちらはヴィス程扇情的な恰好でもなく、肌の色も澄んだ白をしているんだけどな。
二人は大の仲良しで、常に一緒にいる程だ。
そして彼女は、極度の人見知りでもある。
慣れ親しんだ村人にも殆ど会話する事無く、話すと言っても片言が多い。
ましてや余所者である俺なんかの前に立てば、パルネが口を開く事なんて殆ど無い。
実は、前回この村に訪れた時もこのパルネは物陰から……それも遠く離れた家の影から、俺とメニーナのやり取りを眺めていたんだ。
その後メニーナがエノテーカに悪態をついて走り去り、そんな彼女の後を追いかけて行った所まで確認していたんだが……結局あの時は、挨拶すらしなかったな……。
「もう、ゆうしゃさま? 何考えてるのよ? 私に話があったんでしょ?」
そんな物思いにふけっている俺に、不思議そうな顔をしたメニーナがそう問いかけてきた。
おっと、そうだったな。
こんな所で、幼女……なのかどうかは見た目だけで判断出来ないけど、そんなパルネの行動にダメージを負ってる場合じゃ無かった。
「そうだったな……。それでメニーナ、お前はまだ、この村の外に出たいって考えてるのか?」
子供相手に、言葉の駆け引きも何もない。
俺は単刀直入に、彼女に向けてそう問いかけると。
「そんなの、当然だよ! 私はいつか、此処を出て色んなところに行くんだから!」
メニーナは、一切悩む素振りさえ見せずにそう答えたんだ。
―――眩しい……。
何の疑問も不安さえ感じさせず、ただ世界を見たいという彼女の表情には一切の翳りや欲望が感じられない。
純真無垢……。
言うなれば、そんな彼女の気持ちがその表情に現れている様だった。
それは、俺が遥か昔に失った心かも知れないな……。
これと同じ様な気持ちは、クリーク達からも感じる事が出来る。
それでもそれは、メニーナのこの真っ直ぐな言葉に比べれば、まだ彼らなりの願望が込められているもののように感じられたんだ。
まぁ、クリーク達の考えの方が普通だよな。
人と言うのは、何か目的や野望が前進する力になるケースが往々にある。
ただ単に、広い世界に触れたいと言う気持ちだけでは、中々行動を起こすエネルギーにはなり難いもんだ。
もっともそれだけ、メニーナはこの村に押し込められている事を窮屈に感じていたのかもしれないが。
「……そうか。外の世界に出て、それからどうするんだ?」
ただ俺の目的は、彼女をこの村から連れ出すと言うだけには留まらない。
メニーナの気持ちにそぐわないかも知れない、人界と魔界との橋渡し役と言う使命を課そうとしているんだ。
そう考えると俺って……汚れちまったよな……。
以前なら、俺が何とかする! と、根拠のない自信で突き進んでいた様に思う。
それが今では大人になっちまって、現実って言うものを確りと尊重しようとしてるんだからな。
そしてその現実は、俺一人ではどうしようもないと訴えかけてるんだ。
「う―――ん……? ゆうしゃさま、今日は難しい事を聞くんだねぇ……?」
うんうん唸っていたメニーナが、俺に何か恨めしそうな視線を向けてそう零した。
いや、よくよく考えたらほんとすまん。
こんな事、いきなり聞かれても分からないよな。
「ま……まぁ、すぐに答えなんて……」
「あっ、そうだっ! 村を出たら、い―――っぱい、色んなとこに行くよっ! 魔界も……そして、人界もい―――っぱいっ!」
俺が答えは後回しで良いと言おうとして、彼女は思いついた言葉を目を輝かせて口にしたんだ。
俺はメニーナの答えを聞いて、思わず絶句してしまっていた。
その回答は、正に俺の聞きたかった言葉に他ならなかったからな。
勿論、彼女が俺の真意を察して……なんて事は無い。
それでも彼女の純粋な気持ちは、この魔界を見て回るだけに留まらず、人界にも行きたいと言っているんだ。
そしてそれは、彼女の中に人族に対しての偏見や蟠りが無い……若しくは少ないと言う事に他ならない。
「そうか……魔界だけじゃなく、人界にも行きたいのか?」
「うんっ! だってゆうしゃさまは人界から来た人族なんでしょ? だったら私、ゆうしゃさまの住んでる所にも行ってみたいよ」
まぁ……動機は兎も角……なんだけどな。
それでもそれ程慕ってくれていると言う事は、俺にとっては嬉しい事に他ならない。
俺は再度、メニーナの頭をワシャワシャと撫でてやった。
「でも、ゆうしゃさま? なんでそんな事聞くの?」
気持ち良さそうにしていたメニーナだけど、俺の顔を見ると改めてそう聞いて来たんだ。
そう言えば……俺はまだ、メニーナに俺の目的を告げてなかったな。
ただこれは、今この場で言うべきだろうか……俺はかなり悩んでいた。
俺の目的にメニーナは欠かす事が出来ず、彼女には遅かれ早かれ事情を説明しなきゃいけない。
でもその前に、長老やエノテーカに話しておかなければ……と言う考えもある。
いくらメニーナが首を縦に振ったとしても、長老やエノテーカが認めなければ意味はないからな。
その反面、先にメニーナをその気にさせて、その勢いで彼等を説得すると言う方法も取れなくはない。
あ……何か俺って、勇者と言うか単なる嫌な大人だなぁ―――……。
でもそれだけ、俺には手段が残されていないって事だからな、うん。
「実はな、メニーナ……。俺は長老とエノテーカに、お前が村の外に出る許可を貰おうと思ってるんだ」
僅かに……でも深く思案した後に、俺はメニーナに向けてそう言ったんだ。
結局どんな言い回しをしたところで、望む結果は変わらない。
ここでオブラートに包んだ言い方をしたところで、いずれは彼女に確りと説明しなきゃならないからな。
ならここである程度の事情を説明していた方が、後々メニーナが混乱せずに済むだろう。
「……え……? うそ……。ほんとに……?」
結構長い間フリーズしていたメニーナだったけど、再起動を果たした彼女は心底信じられないと言った様に呟いていた。
まぁ、その反応も分からないではないな。
今までは、俺の方も頑なに彼女が村を出ない様に注意していたんだから。
それでも時間と共に、じわじわと俺の言葉が浸透して行ったんだろうな。
メニーナの顔には赤みが差し、その表情はみるみる破顔して行った。
そして。
「ほ……ほんとっ!? ほんとにほんとっ!? ゆうしゃさま、私、この村から出る事が出来るのっ!? ほんとっ!?」
ほんとほんとと連呼するメニーナは、俺の腕に抱き付いてぴょんぴょん飛び上がっている。
その表情は本当にうれしそうで、身体全体でその喜びを表現していた。
「あ……ああ、俺はそう考えてるんだけどな……。ただしまだ、長老とエノテーカの許可は取ってないけどな」
俺がそう返事をすると、それまで浮かれている様に喜んでいたメニーナの身体がピタリと止まった。
「う……ちょ、長老……エノテーカか―――……」
それがどれ程難易度の高い事なのか、頭のいい彼女はすぐに察したようだ。
そしてそれは、俺も頭の痛い処ではあるんだけどな。
それでもメニーナにとっては折角掴んだチャンス……なんだろう。
彼等の攻略について、彼女なりにうんうんと唸り出していたんだ。
まぁ、そこは大人である俺の役目。
彼女に何かをして貰おうという気持ちは無かったんだがな。
そんなメニーナを生暖かい目で見ていると、それまで存在感を消していたパルネが口を……開いただと!?
「……メニーナ……この村を……出てくの?」
こてんと首を傾けたパルネは、抑揚の乏しい口調でそうメニーナに問いかけた。
「うんっ! ぜ―――たいに、この村を出て世界を見て回るんだっ!」
そしてメニーナは、パルネに向かってそう宣言する様に答えたんだ。
その瞳はキラキラと輝いていて、希望に満ちていた事だろうな。
そんなメニーナを見つめていたパルネの頬もまた、見る間に紅潮していた。
「……なら……私も……一緒に行く……」
そして、薄っすらと笑みまで浮かべてそう言葉を返したんだ。
「……へ?」
パルネの言った意味がすぐに理解出来なかった俺とメニーナは、殆ど同時にそんな間の抜けた声を発して動きを止めてしまっていたんだ。
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