良くないよ。


 

 

「傷でも付いたらどうするんだよ! 取り返しの付かない事になるだろ!?」

 

 

 

「知らないなら教えてやる。出来ないなら……手伝ってやる。だから、もうこれっきりにしろ」

 

 

 

「説得が聞かねぇんだったら、力付くで止めさせてもらうぞ。それがお前等のルールらしいしな── 安心しやがれ。……傷が痛過ぎて今日は眠れねぇぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ×××

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで事は済み。

 てんやわんやな一夜を終え。

 あれよあれよという間に、アイツ等は廃育倉庫に入り浸るようになった。

 

 

 一対多の戦闘を好み、自分より体格の良い男を千切っては投げて千切っては投げる。その女性らしい身体付きからは想像出来ない膂力で無双する赤いポニーテールの不良女。

 通称赤髪

 

 自分からは手を出さないが、仕掛けられたら全力で返り討ちにする。ターゲットを身動きが取れないように拘束し、数多の拷問方法で甚振いたぶるのを得意とする青いショートボブの不良女。

 通称青髪

 

 自らの手は極力汚さず、部下に命令して事を済ませる。その癖やり方は残忍で、自分自身も普通に強い金色のロングの不良女。

 通称金髪

 

 

 コイツ等三人はこの街を実質支配していると言っても過言ではない程の力を持っていて、コイツ等の所為で他所の街から喧嘩自慢の不良が集まるし、不良を恐れて警察もあまり動かないしで、この街は悪名ばかりが広まる最悪な場所となっていた。

 そこに現れたのが、俺。各務原 明也(かかみがはら あきや)。

 このままだと、就職面接の時とかに住所を見られただけでマイナスイメージになりかねない程にヤバい現状だったもので、俺は三人を説得し、不良としての行いを止めさせる事を決意したのだ。

 一晩の内に。

 協力者はおらず、俺一人だけの力で。

 無謀だし、命知らず過ぎるその行動。俺自身も、平時ならば踵を返して布団を被って震えているのだが。

 その日の俺はとても苛々していて。

 我慢も限界で。

 怒りが爆発していたので、勢いで立ち向かってしまったのだ。

 赤髪を説得して。

 青髪を諭して。

 金髪を分からせて。

 一晩の内に成した、表彰物の行動。

 これでこの街にも平穏が訪れるだろうと、明け方に家に帰って眠りについたまでは良かった。

 しかし、学校はあるので起きる時間は平常通りなので3時間程しか眠れておらず、へとへとの体で朝のルーティンをこなして家のドアを開ければ。

 土下座。

 土下座。

 土下座。

 三人は、俺の家を特定してわざわざ謝りに来たのだ。聞けば、俺とのあれこれの後のちに跡を追跡つけてきていたらしい。それから、俺が家から出てくるまで土下座の状態で待っていたらしい。

 最悪だ、これでご近所さんからの評価は地に落ちたと絶望しながらも、これからは絶対に悪い事するなよともう一度言い聞かせて学校へ向かい、三人には背を向けた。

 ……。

 振り返る。

 どうかしましたか、と首を傾げながら問うてくる金髪。

 何で付いてくるんだ、と質問する俺。

 貴方が私達の新しい主あるじなのですから、その後ろをお供するのは当然の事です、と返す赤髪。

 ……そういう事、と同調する青髪。

 ついてくるなと言っても、この命令だけは何故か聞かず。自慢の健脚であっても撒く事は出来なかったので、撤回させるのは諦めた。

 しかし、だ。

 こんなヤバい奴等を俺の家の敷地を跨がせる訳にはいかないし、飲食店などに立ち寄ろうものなら俺まで不良認定されそうだし、兎に角人が居る場所では関われないという事で。

 授業方法の改正だか何だかの理由によって、体育の授業で使われなくなった道具が処分されずにそのまま放置されている、通称『体(廃)育倉庫』。

 そこに居場所を作り、放課後ここに集まらせる事によって事なきを得た。コイツ等はこの学校に何の関係も無い他校の生徒だが、街の平和を守る為にはそうするしかなかった。

 俺一人の犠牲で街に平穏が訪れるのなら安い物だ。

 と、格好付けておく事にする。

 月日は過ぎ去り、放課後に廃育倉庫に寄る事をわざわざ念頭においておかなくとも足が廃育倉庫に向かって歩いていくくらいにはこの日課が日常に馴染み始めてきた頃。廃育倉庫の錆びてスムーズに開かないドアを開ければ、適当に寛いでいた三人が一斉に立ち上がり、俺の傍そばへと寄ってきた。

 

「明也殿っ明也殿っ」

「何だよ」

「私、何だか無性に指相撲がしたいです!」

 

 この、一見忠誠心まるだしで俺の周りをウロチョロする小型犬みたいなムーブをかます女は赤髪。

 あの夜以来、俺の手となり足となって尽くしていくとかなんとか言って俺の事を狂信している。

 素直だが、やっぱり気性は荒めだ。

 

「お前の力じゃ俺の指が潰れるから無理」

「またまた御謙遜を!」

 

 謙遜じゃねえよ。

 マジなんだよ。

 コイツ等、何を勘違いしたのか俺を格上だと思っているらしく。強い人に付いていくにゃんごろにゃんって感じで懐いていやがるのだ。赤髪も青髪も対話で解決したし、金髪はあの時たまたまべらぼうに俺の事舐め腐って油断していたから勝てたのであって、本当の実力で戦った日には俺は冗談抜きで素手で八つ裂きにされてしまうだろう。

 だから、俺はコイツ等の手綱を握る為にも、なるべく強い人っぽい態度を心掛けねばならない。下手したてに出た途端正体がバレて殺されてしまうからだ。

 そんな感じで、心の中で冷や汗を書いていると、ちょいちょいと制服の裾が遠慮気味に引っ張られた。

 

「どうした」

「……今日は普段より到着が5分13秒速かった。とても良い事。ぎゅってしてあげる」

「仮に、だ。普段よりも到着が遅れたらどうなるんだ」

「……寂しくなるから、お詫びにぎゅってしてもらう」

「ハグは確定かよ!」

「……あと、次から到着が遅れないように縛って、私と一緒にここで暮らしてもらう」

 

 ひぃっ。

 この、発言する度に数秒間ぼーっとしてから話し始める、大人しそうで基本無表情なのが青髪だ。毎日、俺がこの廃育倉庫に到着する時間を計測していて、遅いとか速いとかを出会い頭に報告してくる奴。発育の悪い中学生みたいに小柄だが、その内に秘める残虐性は三人の中で一番だと俺は睨んでいるため、コイツは一番怒らせちゃいけないな、とコイツの逆鱗に触れないように日々をビクビクしながら過ごしている。

 

「明也様」

「おう」

「肩に糸屑が付いていますわ」

「サンキュー。あと、突然俺の背後に回るな」

「それは何故? もしかしてここ、弱いんですの?」

 

 そう言いながら俺の首筋を上から下へと指でなぞる金髪。俺の耳元でふふっと妖艶な笑み浮かべ、耳に息を吹きかけてから俺の前へと出てきた。

 コイツはいつも全て知っているような柔らかい笑みを浮かべていて、あの夜俺に殴られた右頬(今は跡も何も残ってないからな)を時折自分で撫でながら恍惚の表情を浮かべ、物欲しそうな顔でこちらを見詰めてくるヤバい奴だ。

 あと、男子に対する思わせぶりな態度ダメゼッタイ。

 

「お前等、いつも元気だな」

「明也殿はお疲れなのでしょうか?」

「ああ、お前等と会話すると疲れる」

「な、ならば! この私! この場所で明也殿に少しでも快適に生活してもらう為、肩を揉もうと思います!」

「……じゃあ、私は明也の両手を揉む」

「では、私は脚を」

「俺は許可してないぞ! おい」

「明也殿はここに座って下さい!」

 

 今はもう使われてない廃育倉庫といっても、倉庫の中は冷暖房あり家具あり家電あり、と三人の手によって劇的に改造されている為、ぶっちゃけ(この三人がおらず俺一人だけの空間だったなら)俺の自室より過ごしやすい。今の季節は夏なので、こんな窓もない倉庫、本来ならばすぐさま熱中症で死に至るのだが、冷房が作動しているので校内よりも涼しく快適だ。

 倉庫内の中央には、コイツ等より立場が上である俺が座る為の玉座みたいなのが用意されており(こんな恥ずかしい椅子は座れないので倉庫の奥にある跳び箱に囲まれた小さなスペースが俺の定位置だ)、そこに無理矢理、力づくで着席させられる。座るや否や、赤髪が背もたれの後ろから俺の両肩を程良い力加減で揉み始めた。

 金髪が床に座り、上目遣いで俺を誘惑しながらやらしい手つきで俺の太ももを撫で回す。お前それは違うマッサージだろ。

 青髪が流れるような動作で、俺と対面する形で俺の太ももの上に腰を下ろし、柔らかい笑顔(当社比)で俺の両手を揉み始め──

 

「おい青髪。貴様、何だそれは。誰の前だと心得る。不敬だ。今すぐ下がれ。私が惨たらしく殺してやるからその死を以て明也殿に対する不敬に赦し乞え」

 

 鋭い瞳で青髪に罵倒を浴びせる赤髪。俺の肩を揉む力が赤髪の怒りのボルテージに合わせて段々と強くなってきた。痛過ぎる。

 

「……でも、明也は喜んでる」

 

 今にも殴りかかりそうな様子の赤髪を挑発するように、俺の胸にしなだれかかり、俺の手の甲にキスをする青髪。

 

「あらあら、お二人ともおやめなさいな。ここで争っては明也様に迷惑がかかるでしょう? だから……テメェ等ちょっと表出ろ。話はそっちですんぞ」

 

 前半は大人な対応で二人を宥めた金髪だったが、青髪の態度にムカついたのか本性を表しながら二人の胸倉を掴む。

 

「……離して」

「離しませんわ」

「おい女狐、気を付けろ。厚い化粧化けの皮が剥がれ落ちているぞ」

「黙りなさいゴリラ」

「ハァ!?」

「あァ!?」

「……殺す」

 

 金髪が二人を同時に背負い投げ(その際に青髪は俺を巻き込まないよう手を離している)、赤髪がすぐさま起き上がって金髪の腹に拳を叩き込む。その隙を突いて青髪が赤髪の脛を蹴り抜き、腹を抑える金髪のこめかみをぶん殴って──

 乱闘が起こっている。

 もくもく煙の中から顔とか足とかが出てくる漫画チックなヤツではなく。本物の、不良の喧嘩。血は飛び散るし、引っ張った髪はブチブチと音を立てながら何本か抜けるし、女の子が出しちゃいけない野蛮過ぎる声が飛び交う。目も当てられない光景がそこには広がっていて、俺は堪らずこの場からバレないように逃げ出すのだった。

 

 

 

 ×××

 

 

 

「へぇ、そんな事があったんだ」

「えぇ。もう気が滅入りますよ。ストレスで胃に穴が空きそうです」

 

 溜め息を吐き、肩を落としながら昨日の出来事を話す俺。放課後、美術室で椅子に座りながらの会話だ。

 話し相手は、部活動の顧問、担当授業も美術の本田先生。肩ほどの長さの黒髪と、子供のように純粋な笑顔が魅力的な女性だ。何をするでもなく過ごしていた俺に美術の道を勧めてくれて、部員は俺しかいないにも関わらず毎日熱心に絵の楽しさを教えてくれる素晴らしい先生だ。

 そんな素晴らしい先生ならば、色々相談してしまうのもやむなし、という訳で。俺が廃育倉庫を占拠している事を白状した時も『でも、各務原君があの三人を上手い事宥めてくれてるからこの街が最近平和なんだよね? だったら、私からは何も言わないよ。他の先生方にも告げ口したりしないよ』という、思わず涙が出てしまう程に優しく、柔らかい思考を持った人なのだ。

 素敵だ。

 はっきり言って、俺は本田先生に惚れている。

 教師と生徒という立場上、この気持ちを伝える事は出来ないが。本田先生が困っていたならば、何よりも優先してお手伝いさせてもらおうと日々意気込むくらいには、俺は本田先生が好きだ。

 俺からの話を聞き終えた本田先生は、うーんと顎に手を当てて少し考えてから。

 

「よく分からないけど、随分懐かれちゃったみたいだね」

 

 と苦笑いしながら同情の視線を向けてきたので、俺も、全くです。と返す。

 

「見た目は可愛らしいのに、どうしてあんなにも性格と腕力が終わってしまっているんでしょうか」

「……え、あの三人みたいな感じの子が好きなの?」

 

 日々を一緒に過ごしているからか、それとも何も考えずに発言したのか。知らず知らずの内にあの三人をフォローしてしまい、その発言を本田先生につつかれる。本田先生は少し嫌そうな顔をしている。

 

「いや、あくまで見た目は普通以上ですよねって話です。あんな野蛮な奴等好きでも何でもないですよ」

「……ふぅん、見た目が」

 

 目を細めて俺の言葉を反芻する本田先生。どうしたのだろうかと問い掛けようとした所で、本田先生が立ち上がった。

 

「そろそろ帰らないとね。最終下校時刻過ぎちゃうから」

「あ、もうそんな時間だったんですね。今日もありがとうございました。また明日よろしくお願いします」

 

 頭を下げてから、鞄を持って立ち上がる。本田先生が内側から鍵を開けて、二人で美術室から出る。外からの鍵の施錠は本田先生が行い、そのまま職員室に返しに行くという運びになっているので、俺はこのまま本田先生と別れて下校する。

 綺麗な夕陽も半分以上が景色の向こうに落ちていき、それに伴いこの街を照らすオレンジも段々と色を落としていく。日が沈み切る前には家に着きたいなと思いながら下駄箱で靴を履き替え、昇降口から出た所で。

 あの三人と、出くわした。

 昨日の乱闘があったからか、あちこちに絆創膏やら包帯やらを巻いた他校の女生徒三人が、俺の行く手を阻んでいた。各々気が済むまでやったからか、所々輪郭としておかしい所が腫れによって膨らんでいる。

 

「……おい。裏門から廃育倉庫まで以外の場所を歩く事を誰が許したよ」

「そう怒らないで下さい。明也様。私達も、寂しかったのですよ?」

「部活があるから今日はそっちに行けないって連絡は既に入れてある。それに、部活動があったらそっちに参加する事も、お前等には前々から伝えてある。何が寂しいんだよ」 

「あの女と仲良くしてしまっている事です」

 

 あの女──本田先生、という事だろう。

 コイツ等が言いたいのは、あの女と話している暇があったら、私達に構ってくれ。そういう事だ。

 しかしながら俺は、はいそうですかとそのお願いを聞く事は出来ないし(本田先生と話せるならば話したいのは当たり前だからだ)。だからと言って俺の行動に口出しするなと声を張り上げる事を躊躇ってしまうくらいには今のコイツ等から出ている怒りのオーラは物凄い。

 後退りしてしまいそうだ。

 

「別に、教師と生徒。普通の関係だろ。戯れあっている訳でも、乳繰り合っている訳でもない」

「えぇ、確かに、必要以上の接触はしていません」

「だったら──」

「……必要以上の接触はしていなくても、私達は分かる。明也、あの先生の事好き」

「それは……」

「明也殿。私は悲しいです。自慢ではありませんが、私達は見た目はそれなりに良いと自覚していますし、青髪以外はプロポーションも人並み以上です。だと言うのに、あんな年増に目移りされてしまっては、何だか負けた気分になってしまいます」

 

 いや、負けてんだよ。

 そうツッコみたい衝動を何とか抑え、弁解の言葉を探す。赤髪の発言に腹を立てた青髪が赤髪の事を下から睨み付けてるのは置いておいて。

 

「良いか? よく聞け。俺は部活動に励んでいただけ。だと言うのに、『先生と仲良くしている』とか『私達の方が良い女なんだから先生に目移りしないで』とか的外れな事を言われたら腹が立つ。これ以上この話を続けるってんなら、俺にも考えがあるぞ」

「……考え?」

「ああ」

「それは、一体どのような内容のものでして?」

 

 ……。

 考えてません。

 そう返して三人が漫画みたいにずっこけてくれる程ユーモアに溢れていたならば、俺もこの三人とはもう少し上手く付き合っていけただろうに。

 今の三人の顔を見たら、そんなふざけた事は口が裂けても言えないだろう。

 しかし、困った。この三人が納得し、尚且つ怒らずにいてくれる名案を。この先の明暗を分ける名案を、俺は全く思い付かないからだ。

 どうしたものか。

 心の中で頭を抱えて蹲ってしまっていると、思い掛けない助けが来た。

 

「そこで何してるの」

「ほ、本田先生」

 

 たまたま職員用の玄関から出てきた本田先生が、こちらに声を掛けてきたのだ。話題には挙げていたとはいえ、本田先生にとっては初対面。言い様の無い緊張感に苛まれていると、赤髪が本田先生を威嚇し始めた。

 

「誰かと思えば、明也殿を誑かす馬鹿女。何の用だ」

「何の用だ、はこっちの台詞です。あなた達、他校の生徒よね? 何でこの学校の敷地内に入ってきているのかしら。用事があるなら職員用玄関の窓口で事務の方に要件を伝えて受理されてからにしなさい」

 

 普段のほんわかした本田先生とは違う、毅然とした態度で三人に接する姿を見て感銘を受けながらも、情けない事にこの間に入る度胸は無いので、黙って行く末を見守る。

 

「ええ。確かに正規の手段でない方法で敷地内を彷徨うろついている事は謝罪します。早々に、私達は退散させていただきますわ」

 

 噛み付く赤髪とは対照的に、あくまで冷静な金髪が穏便に終わらせようと話を進める。前から思っていたが、自分を抑えられる分、表面上ではコイツが一番まともかも知れない。

 何はともあれ、これでようやく終わりそうだと安堵の溜め息を吐く。

 と。

 

「何をしているんですの? 明也様も行きましょう。続きは……そうですね。いつものように、近くの休憩所でしっかりと致しましょう」

 

 何で自分で終わらせようとした話に火種を投下するんだこの阿呆は。

 はっきり弁明しておくが、俺はコイツ等と、そういう関係になった事は一度として無い。

 胸を張れる程、童貞だ。

 いや、その話は置いておくとして。

 コイツ等、俺からすれば何分なにぶん得体の知れない存在な訳で。言葉では忠誠を誓うとか何とか言ってはいるが、その本心は誰にも分からない。勿論、コイツ等から性行為に誘われた事は何度もある。あんな密室に毎日いるのだ。そう言った気持ちになる事もあるだろう。俺だってムラムラする事はある。

 しかし、何度も言うがコイツ等は不良。良くない存在な訳だ。そんな奴等からの誘いなどまず疑ってかかるべきで。俺はコイツ等の日常でのふとしたエロスにどんなに欲情しても、誘いには乗らないし、乗った事は一度としてない。

 ……失礼。つい熱くなってしまった。事のつまりは少し前の一文に帰結する。

 俺はコイツ等と、そういう関係になった事は一度として無い。

 

「先生、誤解しないで下さい。コイツ等の嘘です」

「え、えぇ。分かってる」

 

 頷くが、怒りで震えている本田先生。舐めた態度の三人に余程ムカついているのだろう。その気持ちはよくわかる。

 

「明也様ったら、酷いんですよ? いつもは紳士そのものの態度で接して下さるのに、ベッドの上ではとても乱暴。私達三人でも、明也様の良いようにされてしまいますの」

「ッ──」

 

 みるみる内に顔が険しくなっていく本田先生。デマ攻撃が効いていると理解している金髪は、存在しない俺との情事の言葉を更に紡ぐ。

 

「いい加減にしろ」

「あ、明也様……?」

「どういうつもりでそんな嘘を言ってるのかは知らないけどな。本田先生を巻き込むな」

「嗚呼……! その目……! 私を殴って下さった時の荒々しい瞳……!」

 

 先程までは、コイツ等が怖くて滅多な事は言えなかった。

 だが、本田先生に迷惑がかかっているのなら話は別だ。ちっぽけではあるが勇気を奮い立たせ、怒っている俺に何故か興奮している金髪を睨み付ける。

 

「はうっ……!」

 

 それだけで、金髪は下腹部を押さえながら膝から崩れ落ちた。何だコイツ。滅茶苦茶気持ち悪いな。

 

「話は終わりだ。お前等はもう帰れ」

「……でも」

「でもじゃない。帰れ」

「……分かった」

「あ、明也殿……」

「何をモタモタしている。お前もだ」

「は、はい!」

「お前等、自分の行いが間違っていたと分かるまで俺に顔を見せるな。廃育倉庫にも来なくて良い。家で大人しくしてろ」

 

 雨も降っていないのに何故か水溜りを作ったまま動けなくなってしまった金髪に両側から肩を貸して、大人しく帰っていく三人。その後ろ姿が見えなくなってから、ドッと力が抜けた。

 

「こ、怖かった……」

 

 腰が抜けてしまったのか、立ち上がる事が出来ない。そんな俺の隣にしゃがみこんで、本田先生は頭を撫でてくれた。

 

「ありがとうね。守ってくれて」

「い、いや。当然の事をしたまでです」

「大人である私も怖かったもん。各務原君はもっと怖かったよね」

「……無関係な本田先生を巻き込む訳にはいかないと思って。それに、アイツ等の態度には前から腹立たしく思ってましたし」

「ふふっ、ありがとう」

 

 俺の頭を撫でていた手を止め、俺の手を取り立ち上がらせてくれる本田先生。心体ともに疲弊した俺の姿を見てか、本田先生が提案してきた。

 

「家まで送ろうか?」

「いやいや、悪いですよ。それに、俺の家は学校から近いんで大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「でも、歩いて帰ったらまたあの三人に会っちゃうんじゃない?」

「……よろしくお願いします」

「お願いされました。じゃあ、いこっか」

 

 

 

 ×××

 

 

 

 本田先生のご厚意に甘え、先生が運転する車で家まで送ってもらう事になった。信号待ちの時、先生の匂いがする車内に肩の力が入りながらも話し掛ける。

 

「……俺、先生に美術部に誘ってもらって良かったです」

「急にどうしたの?」

「いや、教えてもらった事への感謝はした事はあっても、そもそもの感謝って伝えた事がなかったなって思いまして」

「ありがとう。嬉しいよ──じゃあ、よいしょ」

「へ? ──」

「これで────だね」

 

 

 

 ××××

 

 

 

「う、うう」

 

 目が覚めた。

 目が覚めたという事は、俺は眠っていた事になるのだが、いかんせん俺には眠りについた記憶は無い。思い出せる最後の記憶は、あの三人との口論の後、本田先生に家まで送ってもらえる事になって、それから……。

 

「うあ」

 

 思い出す。

 それから、思い至る。

 そうか、と声に出したつもりだったのだが、思うように声は出ずに驚く。

 

「あ、う」

 

 普段出せる言葉が出せない事への恐怖。身体は動かず、動かせる両目と数センチだけ動かせる首を動かして俺が今居る場所がどこなのかを教えて確認する。車内ではないようで、しかしながらここがどこなのかは分からない。初めて見る場所だ。

 俺が今寝ている場所はベッドの上。ここは誰かの部屋らしく、配置されている家具等に見覚えは無い。あるのは見覚えの無いクッションやら何やらで、首を動かした所でふんわり香った匂いで何かを思い出しそうになり、ドアから誰かが入ってきた。いや、実際には俺は首や目を動かせても、首を持ち上げて前方を確認する事は出来ないので、ドアが開いた所は見えていない。ドアが開いた音で誰かが入ってきたのだなと予想したのだ。

 ス、ス、ス。

 スリッパのようなもので移動している時の足音が段々と近付いてきて、ようやくその姿を確認出来る。

 

「お、あ」

 

 本田先生。

 俺を家まで送り届けてくれる筈だった本田先生が、学校で会う時と同じ服装で見覚えの無い場所に居る事が、何故か分からないが俺に恐怖の感情を沸かせた。

 

「目が覚めた? ……と言っても、まだほとんど身体は動かせないだろうけど」

「ううあ」

「舌とか顎の筋肉も寝ちゃってると思うから、話そうとしても話せないよ」

 

 何故本田先生はこんなにも冷静なのだろうか。

 いや、冷静というか、何故こんな状況でもいつも通り話せるのだろうか。

 危機感を覚えていないのか? 

 誰がこんな事をしたとか気にならないのか? 

 そこまで考えてから、何故本田先生が自由に動けているのかが分かって目を見開く。

 

「気付いたみたいだね。そうだよ、私が各務原君──明也君を自室まで連れてきたの。知り合いから譲ってもらった一瞬で意識が飛んじゃう薬を君に吹き掛けて、眠らせてねこんな事があろうかと、いつも持ち歩いててよかった」

 

 意識が飛んじゃう薬? 

 

「身体、動かないでしょ。目は覚めても、あと半日くらいは動かせないよ。まぁ、その方が都合が良いんだけどね」

 

 笑いながら、ベッドに腰掛けて俺の頭を撫でる本田先生。嬉しさよりも、恐ろしさの方が優に勝っていた。

 

「私ね、明也君の事がずっと好きだったの。明也君の全部が好き。いつからって? そんなの、一目惚れだよ。明也君と学校で出逢って、一目見た時から好きになっちゃったんだもん。……だから、明也君の事が好きだから、二人きりになれる空間を作りたくて。合法的に一緒にいられる場所を用意して、そこに明也君を誘って。知ってた? 美術部って、正式な部活じゃないの。絵を描きたいなら皆コミッククリエーション部って部活に行くから、この学校には美術部は無いの。

「だから、他の人は誰も知らない、放課後の美術室は、明也君と二人きりで居られる唯一の場所だったの。

「本当はね? 部室で明也君の事を襲っちゃおうかなって思ってたの。でも、この薬を浴びたら結構な時間動けなくなっちゃうし、現実的じゃないかなって」

 

 美術部は、いつも俺と本田先生の二人きりだった。

 本田先生は、いつも内側からも鍵を掛けていた。

 予想もしない両思い。しかし、本田先生の愛はとても大きく、それでいて歪んでしまっていた。

 

「それで、いつ私のモノにしちゃおうかなとか。誰かに取られちゃう前に私のモノにしないとなとか。色々考えながら明也君と過ごしていたら、明也君からあの三人の存在を聞いて。

「すっごくすっごく苛々したけど、明也君もあの三人の事何も思ってないから大丈夫だよねって自分に言い聞かせて。

「でも、あの三人と直接会って、嘘でもあんな事言われちゃって。

「このままじゃ駄目だ。何とかしないとって思ったの。嘘だったのは分かってるよ? けど、1%でもそんな事考えてないと、あんな嘘出てこないと思うの。1%でもあの考えが頭の中に浮かんだ時点で、私は慌てふためかなくちゃいけないの。

「だって、君の事誰にも盗られたくないから。

「どうしようって、色々考えて、明也君の事を家まで送るって理由をつけてチャンスを作って。

「いつも持ち歩いてるこの薬を明也君に吹き掛けたの」

 

 二つの意味での告白。

 そのどちらの意味でも驚愕しながら、この状況はヤバいと心臓が早鐘を鳴らす。けれども身体はピクリとも動かず、気分はまな板の鯉。本田先生の事は好きだが、こんなイカれた愛情ならば話は別だ。一刻も早く逃げなければ。

 

「明也君、私の事好き?」

 

 好きとも嫌いとも口が動かないので言う事は出来ないが、今の本田先生を怒らせると本当にヤバいので、首を僅かに上下に動かして伝える。

 

「ふふっ、嘘つき」

 

 俺の嘘がバレると同時に、ワイシャツを引き裂かれる。ボタンが弾け飛び、インナーがワイシャツの下から顔を出す。

 

「いまから君を犯すよ。滅茶苦茶に乱暴して、何回でも何回でもエッチな事して──君の子供を孕むの。そしたら、明也君はもう私のモノになるでしょ? 

「そんな可愛い顔したって駄目だよ。そそられちゃうじゃない。身体は動かないから逃げられないし、明也君は黙って私に犯されるしかないの」

「うああ、ああ!」

「うんうん。私の部屋は防音対策バッチリだから、安心して声出して良いからね。

「ほら、これから私と結ばれるんだから、誓いのキスしないと。ちゅー。

「嫌なの? 嫌でもするよ? だって私、明也君の事好きだもん。

「好きだから仕方ないよね。もう抑えられないもん。いいから! ほら。君が嫌がれば嫌がる程、私は興奮しちゃうから、気を付けた方が良いよ? 

「あ、大人しくなったね。素直な所も可愛いね。大好きだよ。じゃあ、気を取り直して。

「いただきます」

 

 

 

 

 

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