慰めて堕とす。


 

 

 

「つまりさ、俺はこう考える訳だ。木部の課題が終わらないなら、木部の飲み物に下剤を仕込めば、必然と提出期限は延びるってな」

「お兄さん。馬鹿な事言ってないで、そろそろやっておいた方が良いんじゃないの?」

「大丈夫。まだ期限は三日も後だ」

「そうやって言ってると、痛い目見るよ?」

「はっはっは。任せておけって。普段こそパッとしない俺だが、いざという時はやる男だぜ? 提出期限に間に合わないだなんて──」

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「間に合わないッ!!」

「だから言ったじゃん……」

 

 三日後。

 そこには、必死に机に噛り付いて用紙にシャープペンシルを走らせる俺と、そんな俺を心底呆れた目で見下ろす幼馴染の姿があった。

 挨拶が遅れた。

 俺は、平凡な男子高校生。学年は二。家が近いので(と言っても、同じ住宅街の中にあるというだけの話なので、家が隣とかそういう訳ではない)、幼少期から何となく関わりのある幼馴染とは時折こうして話したりどこかに遊びに行ったりする関係だ。他にも、俺には可愛い可愛い──目に入れても痛くない妹がいたりするのだが、今は教師に何か頼み事をされているらしく、ここにはいない。何やら急用らしい。

 

「クソッ! このままじゃ、俺の内申点が大変な事に……!」

 

 木部。

 授業中こそ寝てても何も言わないような教師だが、提出物には人一倍厳しい男だ。一つでも忘れれば卒業後の進路の幅がハチャメチャに狭まってしまうので、俺みたいな阿呆は死ぬ気で頑張っているのだ。

 課題で求められる答えは、幸いにも教科書のどこかに載っている。俺は教科書の全てに目を通し、少しずつではあるが、課題であるプリントの空欄を埋める事に成功している。

 しかし、このペースでは提出期限である17時までにはどう足掻いたって間に合わない。しかし、足掻かない訳にはいかないので、泣きそうな顔で必死こくしかないのだ。

 

「……はぁ」

 

 幼馴染が、溜め息を吐く。「マジで待たせてごめんな」と教科書を見ながら謝ると、幼馴染が俺の背後からシャープペンシルを取った。妹から時折感じる匂いとはまた違う、女の子の匂いがした。

 

「お兄さんが私と一緒の大学に行けなくなったら困るから、仕方無く。しかたなーく手伝ってあげるよ」

「本当か?」

「嘘は吐かないよ。ほら、ここは──」

 

 幼馴染が加勢してから(というか、俺の代わりに空白を埋め始めてから)、見る見るうちに、答えが埋まっていった。そして、気付けば課題終了。そして、16時45分。幼馴染に急かされながら、どうにかこうにか木部に課題を提出する事に成功した。

 自分を苦しめていた課題が終わった事による虚脱感と達成感でしばしの間呆ける。正気に戻れば、いつの間にやら幼馴染と帰路を辿っていた。

 

「──ねぇ、聞いてた?」

「悪い。何だっけ」

「もうっ」

 

 可愛い。

 

「私の家で夜ご飯食べない? って聞いたの」

「どうしたんだよ、いきなり」

「だって今日、おじさんとおばさん居ないんでしょ?」

「何で知ってるんだよ」

「毎月この日は『ラブラブデー』だって、先月教えてくれたじゃん」

「よく覚えてるな……」

 

 ラブラブデー。

 この歳になっても、お互いを愛する力に関しては衰えを知らない両親は、毎月一度、決まった曜日に『ラブラブデー』なるイベントを設けている。その日の夜は両親二人で外出し、飯食ってイチャイチャして夜中に帰ってくるというなんかもうこっちが恥ずかしくなってくるようなイベントの事だ。その日は母さんの手料理が無くなる為、いつもは妹が夕食を作ってくれるのだが──どういう訳か、今月は幼馴染からの誘いが来た。

 少し、考える。それから、スマホを開いて妹に電話する。

 

「……出ないな」

「じゃあ、メールを入れておけばいいんじゃない? もしかしたらまだ学校かも」

「そうだな」

 

 メール画面を開き、『悪い。今日は幼馴染の家にお邪魔する事になった。夕飯は済ませてくる』という文章を打ち込んだのを確認し、送信。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「うん。楽しみにしてて」

 

 という感じになった。

 幼馴染の家に上がるのは、何だかんだ久し振りだなぁと、少し古い記憶に想いを馳せていると、段々と幼馴染の家が近付いてくる。

 

「この道を通るのは久し振りだな」

「だって、最近のお兄さんは妹さんに付きっ切りだったもん。久し振りにもなるでしょ」

「……そんなに付きっ切りだったか?」

「ベッタベタだったよ」

 

 俺の妹には反抗期というものが無いので、仲が良くなるのは必然なのだが。……側からだと、そこまでくっ付いて見えたのかと今までの行いを思い返してみる。

 

「……確かに、くっ付いてはいるかもな。だが、言うほどか?」

「うわ、自覚無いシスコンって一番厄介だよ」

「酷ぇ」

 

 俺はそんなにシスコンなのかと。幼馴染に言われてしまう程道を踏み外そうとしているのかと、自問。

 それから自答。

 ……うーん、よく分からん。が、ここで俺はシスコンだと自覚(するフリを)すれば、ソクラテスでいう所の無知の知。自覚するだけしていないよりは上と、前向きに考えるとしよう。

 

「俺はシスコンか」

「うん。駄目だよ? いくら妹さんが可愛いからって、告白したりしちゃ」

「いやいや、流石にだろ。確かに、妹は美人だとは思うが、弁えてはいるつもりだぞ」

「えー、そうかな? だいぶ危なそうに見えるけど」

「見た感じだとそんなにヤバいのか?」

「あともうワンアクションあれば、コロッと堕ちちゃいそうなくらいには」

「激ヤバじゃん」

「激ヤバだから、気を付けてねって言ってるの」

 

 最後の、最後だけの、幼馴染の真面目な表情。先程とは打って変わってのその表情に、俺は無言で頷き、背筋を伸ばすのだった。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「お前の家も、両親いないのかよ」

「あれ? 言ってなかったっけ」

 

 幼馴染の家に上がり、リビングに通されてからの一言だった。

 聞いてない。

 が。もしかしたら、帰宅途中の、あのぼーっとしていた時間に告げられていたかと思うと、俺もあまり強く言うことは出来ない。本当に言っていた場合、俺の間抜けさが露呈してしまうからだ。

 

「良いのか、親がいないのに俺を呼んで」

「何かする気なの?」

「いや、しないけれども」

「じゃあ何も問題無いでしょ? すぐ作っちゃうから、テレビでも観て待ってて」

 

 ……。

 上手く言い包くるめられたような気がしないでもないが、幼馴染が良いと言うなら良いのだろう。自分の中でもこの話に蹴りを付けておく。

 

「それは悪い。俺も何か手伝わせてくれ」

「お兄さんは客人でしょ」

「……そう言われると弱いというか何と言うか」

 

 厚意を無下に出来ないと言うか。

 兎に角、幼馴染のその一言で前に出れなくなってしまった俺は、言葉の通りにリビングのソファーに座り、テレビを観始める事に。

 夕方のニュースを、ぼーっと観る。何やら、この町の近くで殺人事件が起こったみたいな内容の事を、女性アナウンサーが真剣な表情で語っているが、特に関心も無さげにチャンネルを変え、夕飯が出来るのを待っていると、スマホが振動。見ると、妹からメールの返事が来ていた。

 開く。

 

『駄目です。今すぐ帰ってきてください』

 

 ……と、言われてもな。幼馴染はもう夕飯を作り始めてしまっているし、今から突然「帰るわ」と言う訳にはいかない。

 

『もう夕飯作ってもらっちゃってるし、無理だ。なるべく早く帰るようにするから』

 

 なるべく、妹が嫌な思いをしないような文面を慎重に考えてから送信。それからスマホの電源を切る。これから先は、スマホを見ていなかった事にしよう。何となく嫌な予感がして、電源を切ったスマホを鞄の中にしまっておく事にした。

 

「出来たよ」

 

 スマホを鞄にしまった所で、幼馴染から声が掛かる。流石に、配膳くらいはしなければとソファーから立ち上がってダイニングへと振り向くと、そこにはもう既に料理が並んでしまっていた。

 

「悪い、気付かなくて」

「全然良いよ。お兄さんは、妹さんとのメールにご執心みたいだし?」

「見てたのか……」

「妹さん、心配してるみたいだね」

「文面を見る限り、そうらしい。……まぁ、たまにはお互いに一人の時間を作っても良いんじゃないかって事で」

「だね。お兄さんも、いつまでも妹さんとイチャイチャしてられないし」

「まだ言うか……」

 

 度重なるシスコンイジリに少しげんなりとしながら、椅子を引いて幼馴染の対面に座る。テーブルの上に並ぶそれぞれの分のオムライスとテーブルの中央には山盛りの唐揚げ。それを見て。

 

「……凄いメニューだな」

「お兄さんの大好物でしょ?」

 

 小学生の頃のな。

 確かに、俺がまだガキ──小学生だった頃は、わざわざ学校での作文に書いて皆の作文と共に教室の壁に飾られてしまうくらいには、オムライスと唐揚げが大好物だった。その時には幼馴染も同じクラスだったので、知っていても何ら不思議ではないのだが、小学生の頃の俺の好みをよく憶えていたな。という関心と、幼馴染の中での俺の大好物はまだこの二つと認識されている事に、俺は何だか子供扱いされているのでは? という子供みたいな疑問が浮かぶ。

 まぁ、嫌いじゃないが。

 むしろ変わらず大好物です。

 

「本当? 良かった」

 

 俺の大好物が変わってないという旨の発言を聞いた幼馴染は疑問顔から一転、顔を綻ばせた。

 

「食べよっか」

 

 いただきます。

 手を合わせてそう言い、箸を持つ。まずは唐揚げ。唐揚げにもむね肉ともも肉の二種類があって、俺はその中でもむね肉の唐揚げが特に好きなのだが、幼馴染の作った唐揚げはまさに俺の大好物。むね肉の唐揚げだったのだ。サクサクの唐揚げを頬張り、味わうようによく噛み、飲み込んでから「美味い!」と一言。次はスプーンを手にし、オムライスへ。部屋の照明を受けたオムライスは黄金に輝き、入れたスプーンを柔らかく受け入れ、掬ったスプーンの上にはケチャップライスと黄金玉子の掛け布団。

 みたいなグルメ系の真似事をしつつも、食事を進める。食べても食べても美味しい幼馴染の手料理はあっという間に平らげてしまい、幼馴染の「はい、お粗末様でした」という言葉で正気に戻った所だ。

 

「お前、料理上手なんだな」

「それは、まぁ。女の子の必修科目と言いますか」

 

 俺の褒め言葉を受け流しつつも、何だかんだ嬉しそうな幼馴染と一緒に皿を台所に下げ、断る幼馴染を押し退けて皿を洗う。夕飯を一人で作らせてしまった訳だし、これくらいはさせてもらわないと。

 やがて、食器洗いも終わり。腹を休めながらリビングでテレビを見ていると(幼馴染は花を摘みに行った)。

 

「大変だよ!」

 

 ドタバタと幼馴染がこちらに駆けてきた。室内故、あまり滅多なスピードが出るものではないのだが、それでも、珍しく慌てる幼馴染に驚いた俺は「どうしたんだよ」とテレビを消した。

 

「い、妹さんが……」

「妹? 妹がどうかしたのか」

「……ちゃった」

「え?」

「捕まっちゃった」

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 走る。

 幼馴染を置いてけぼりに、全速力で我が家へ。

 走る。

 息はとっくに切れている。汗だってかいている。食事を摂ったばかりの胃袋はその運動量に悲鳴をあげている。しかし、先程幼馴染の口から放たれた衝撃の一言は、俺の足を前へ前へと進ませていた。

 我が家が近付く。我が家周辺にはバリケードテープが貼られていて、その前には普段ならば妹と一緒に挨拶するご近所さん達の姿と、道の両端に警官一人ずつ。ご近所さん達は俺の姿を見て、サッと道を開けた。いや、俺を避けたのかも知れない。

 

「妹は! 妹はどこにいるんだ!」

 

 見渡すと、テープの向こうにパトカーが一台止まっている。テープを潜ろうとすると、警官に止められた。

 

「離せ!」

 

 振り解き、テープの内側──我が家の玄関へ。ドアを開けようとドアノブを握ると、力を入れる前に向こう側から誰かがドアを開けた。その誰かである警官と目が合い、何やら言われるが、そんな事よりも俺の意識は布を頭から被った妹の姿に向けられてしまっていた。

 

「何、してんだよ」

「……兄さん。私、失敗してしまいました」

 

 俺に気付いた妹が、俺の手を掴んだ。ジャラリ。妹の両手首に嵌め込まれた手錠の鎖がその存在を主張させた。手錠に目を奪われつつも、返答。

 

「失敗って」

「お父さんとお母さんを殺して、兄さんと二人だけの世界を夢見ていただけなのに……失敗してしまいました」

「お前、何を」

「急に先生から頼み事をされなければ。兄さんがアイツの誘いに乗らなければ。アイツが、アイツが私を──」

「おい、さっさと歩くんだ。君も、早く退いてくれ」

 

 何かを話していた妹の言葉を遮り、警官が妹に被せた布を一層深く被せる。両側を警官に挟まれた妹は、大人しく連行され、パトカーの中へと消えていった。

 

「そんな……妹が」

 

 気が遠くなる。足元がふらつき、危うく倒れそうになる所を誰かに支えられた。

 

「……貴方は、幼馴染の」

「他でもない愛娘から今回の連絡があってな。ほら、ニュースになっていただろう。あの殺人事件。君の親御さんとの辻褄も合うもので、君の妹さんを──おい君──」

「大丈夫?」

 

 朦朧とし始めていた意識が、その一言で冴え始める。後ろを振り向くと、俺を追い掛けてきた幼馴染が俺の肩に手を置いていた。

 

「お兄さんの気持ちも考えてよ。今そんな話されたって、受け止められる訳ないじゃん」

「む、それもそうか。すまなかった。また後日、何かしらの手段で君に話が来ると思う。どうか気を確かに」

「もうっ! 後は私がやるから、お父さんは帰って」

「……すまん」

 

 俺に頭を下げた幼馴染のお父さんが、妹を乗せたパトカーに同乗してどこかへと行ってしまった。我が家の周辺を囲んでいたバリケードテープと警官はいつの間にか姿を消し、追い払われたらしいご近所さん野次馬もいない。

 

「……ごめんね、お父さんが」

「い、いや、お前の親父さんも職務を全うしただけだ。俺は別に」

 

 頭を下げた幼馴染をフォローしようと言葉を選んでいると、知らぬ間に涙が溢れてきた。どうしてなのかと服の袖で拭っていると、幼馴染に力強く抱きしめられた。

 

「無理しなくていいんだよ。辛い状況なのは分かってるから。今は吐き出していいの。私が受け止めてあげるから」

 

 耳元で囁かれた幼馴染の言葉が鼓膜を抜け、脳へスルリと落ちていく。妹が犯した罪と、突然の孤独。短過ぎるスパンでの過度なストレスに心が爆発しそうになるが、幼馴染の言葉によって、逆に酷く落ち着いてきた。

 暫し、無音。

 時折しゃくりあげながら呼吸をする俺。

 そんな俺の背中を優しさすりながら抱きしめ続ける幼馴染。

 それから、どれ程の時間が経っただろうか。何もする気の起きない、気力の抜け落ちた俺を見て、幼馴染が微笑みながら俺の頭を撫でた。

 

「今日は私の家に居よう。ほら、一人だと耐えられないでしょ? 私が隣にいてあげるから」

 

 そんな、幼馴染の出来過ぎた好意に甘え、鼻をすすりながら頷いた。

 こんな夜でも月は綺麗で、何も無い夜道を歩くには危なっかしいくらいの月明かりと自分の涙が視界を滲ませる。

 これからの不安と、妹への心配。そんなあれやこれが吹き飛んでしまうくらい、俺を支えてくれる幼馴染という存在が心の真ん中に入り込み始めていた。

 

「ねぇ、お兄さん。怖かったよね? 辛かったよね? 苦しかったよね? でも大丈夫。もう安心だよ。私の家なら、辛い事は何も無いから。お兄さんが嫌がる事は何もしないから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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