死の美。

 しのび。

 忍び。

 忍。

 刃の下に心有り。

 刃と、下心。

 

 

  *

 

  

 オレの側に、忍を従つかせる。

 もしくは、尽くさせる。

 親父からそう告げられたのは、つい先程。というか、ほんの十秒前。食事中に何の冗談かと思わず鼻で笑ってしまった。笑い飛ばしてしまった。

 丁度唐揚げにかけようと思っていた食塩を隣から貰って、サンキューと礼を言ってから勢い良く振り向く。よく考えれば、手渡されるわけがないのだ。この家には、親父とオレの二人しか住んでいないのだから。母親は去年出て行き、それ以来この家の住人は増えていないのだから。

 

 「お初にお目にかかります。私、鬼怒(きぬ)と申します。まだまだ半人前の忍ではありますが、主人様の刃として盾として。精一杯尽くさせていただきますので、何卒よろしくお願い致します」

 

 流れるような、それこそ滑るような滑舌で自己紹介を済ませた忍。というかクノイチ。名を鬼怒というらしい。おかっぱ頭(もう少し洒落た言い方をするのかも知れないが、生憎髪型には詳しく無いので仕方ない)と、線の細い身体。それを包むは漫画でよく見る忍者服(もう少し洒落た言い方以下略)。黒曜石のような瞳が俺の返事を待っていた。人形のように愛らしい忍だった。

 

 「……」

 「主人様?」

 

 美少女と言っても過言ではない異性が、すぐ隣にいる。別に、そんなことに一々興奮したりはしないのだが、それでも、何というか、言いようも無い不思議な非日常感があった。いや、忍だ何だ言っている時点で充分非日常だが。

 親父の言っていることは、一から十まで全てが胡散臭い。確実に嘘だと断言出来る程にその言を信用していないが、隣に座る鬼怒を見ると、果たして本当に嘘なのかと思ってしまう自分の存在も認識してしまう。

 要するに、親父がこんな美少女引っ掛けられる訳がないのだから、特別な何かがあるのは確かなのだ。という、悪い方への親父への信頼感。

 

 「……鬼怒、さんで良いのか」

 「鬼怒とお呼びください。私は主人様とは対等な関係では御座いませぬので」

 「はあ」

 ジャパニーズ生返事。初対面のクセして何故そんなに下からくるのか。問い正そうとも考えたが、こちらを見詰めるその瞳は確固たる意志を持っていて。どうやら、ぐずぐずせずに先に進まないといけないらしい。

 「……鬼怒」

 「はい!」

 

 嬉しそうにしやがってチクショウ。そんな顔されたら、まあ良いかって思っちまうじゃねぇかよ。ズルいぞ。

 

 「キチンと会話もしてくれたし、これで契約成立って訳だ。鬼怒さんは息子の身の回り全ての世話を焼く。お前は、そんな鬼怒さんを我が家に迎え入れる。それで良いな」

 「承りました」

 「ちょ、ちょっと待て!何だよ契約って!鬼怒と喋ってて忘れ掛けてたけど、大体何でオレに忍を従けるんだよ!訳分からねぇし、鬼怒はどこから来たんだよ!何で家うちに住むことになるんだ!」

 「落ち着け。それについては、父さんの口からは話せない」

 「話せないって……」

 「兎に角、お前はこれから鬼怒と二人で暮らしてもらう。鬼怒に対する疑問は、鬼怒に解消してもらえば良いだろう」

 「それっぽいこと言ってるけど、アンタそれ逃げてるだけだからな!」

 「当たり前だ。父さんってのは逃げる生き物だからな」

 

 ニヤリ、と。その言葉を最後に、親父は消えてしまった。ドロンと、事態を煙に巻いて、自分を煙に隠して消えてしまったのだ。

 

 「あのクソ親父……!忍者が登場したからって、早速忍者みたいなことしやがって!」

 「主人様、落ち着いて下さい」

 「お、おう」

 

 隣から手渡された湯呑み。我が家にこんなものがあったのかと、口を付けて注がれていた茶を飲む。ぬる過ぎず、それでいて熱過ぎて飲めないということもない、完璧な温度のお茶だった。

 

 「って、そうじゃないんだ。そうじゃないんだよ」

 「?」

 「親父がドロンしたのは、この際目を瞑るしかない。前からこんな感じの親だったしな。問題なのは、鬼怒。お前はどうしてこんな無茶苦茶を了承したんだ」

 「無茶苦茶、とは」

 「俺なんかに付き従うだなんて、正気の沙汰とは思えないってことだ」

 「私は、自分の意志でこうしているのです。それに、『なんか』だなんて言わないで下さりませ。主人様は素敵な殿方です」

 「……」

 

 駄目かも知れない。

 いや、俺史上最高潮に褒められているこの空間に耐えられないだとか、そんなんじゃなく、忠順というよりかはむしろ、盲信という言葉の方が似合いそうな鬼怒の瞳を見て、説得は駄目そうかも知れない。

 という意味だ。

 鬼怒と合わせていた視線を逸らしたことを事の了承と捉えたのか、

 

 「これから、よろしくお願い致します」

 

 と、鬼怒はそう言って姿を消したのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 「おい」

 「はい」

 「やっぱり可笑しいだろう」

 「可笑しい、とは」

 「知りたいか。なら教えてやる。この、普段の生活から鬼怒が姿を俺に見せないから、実質一人暮らしと変わらないこの生活が可笑しいだろうって意味だ!可愛い女の子と二人暮らしだと喜んでた俺が馬鹿みたいじゃねぇか!」

 「可愛いだなんて。そんな」

 「照れるくらいの愛嬌があるんならって話だよ!」

 

 そう。

 先日から俺を守る忍として日々奮闘する鬼怒は、基本的に俺の前には姿を現さないのだ。

 起床時は、優しい声色で肩を揺すって起こしてくれる(目を開けるといない)。

 朝食時は、温かい料理がテーブルに並べられている(当の作った本人は不在)。

 登校時にも、

 下校時にも、

 帰宅してから眠るまで。

 鬼怒は姿を現してくれないのだ。

 いや、忍としては正しいのかも知れない。だが、親父というぶっ飛び人間と暮らしてきた俺は、話し相手のいない生活を苦に感じ始めていたのだ。

 だから、姿を現して欲しかった。学校に着いてこいとまでは言わないが、せめて家にいる時には話し相手になってほしいとは思うのだ。

 

 「と、言われましても。私としてはとても喜ばしい提案なのですが」

 「ですが?」

 「クノイチとしては。忍としては、あまり喜べませぬ」

 「その心は」

 「いざという時に、主人様を守る為の挙動が数瞬遅くなってしまいます」

 「俺に危険なんて訪れないから大丈夫。はい論破」

 「うぅ。ですが……ああ、そんな風に手を引っ張られては、でへへへ」

 

 気の緩み切った鬼怒の顔を見て、確かに、俺の命を狙う殺し屋なんかが現れた時には危ないかも知れないと十割の確率で訪れない危険性を危あやぶんだのだった。

 その日の夜。ソイツは現れた。

 

 「こんばんは」

 

 突然の出来事だった。カラカラと窓の音がすると思って目を開けたら、目の前にソイツは居た。茶髪のショートに、見る者を魅了する蠱惑的な肢体。ニコニコと笑いながらも瞳の奥は笑っていない、そんな妖しげな瞳をしている女だった。見るからに忍である格好をした女だった。

  突然の、出来事だった。

 

 「誰だテメェ」

 「ワタシ?ワタシは……そうね。名乗ってあげるわ。我孫子(あびこ)。忍はワタシをこう呼ぶわ」

 

 我孫子。

 彼女はそう名乗った。って、よく考えたら、これって拙い事態なんじゃないのか。

 鬼怒に頼らなくてはならない、そういう事態なんじゃないのか。

 

 「き」

 「安心して」

 

 オレの言葉に被せるように言うもんだから、思わず口を閉ざして我孫子の言葉の続きを待ってしまう。我孫子はそんなオレの行動を良しとしたのか、ゆっくりと続きを語った。

 

 「鬼怒は、来ないわ」

 「安心……出来るか!」

 

 生来の寝相の悪さ故に腰の辺りまで移動していた枕を我孫子にぶん投げる。彼女は、互いの距離感からしてまぐれでも起こらなければ避けられない速度で飛来した枕を片手で受け止め、ベッドに戻し、その上にオレの頭を置かせた。顔に浮かぶ笑顔とは裏腹に、有無を言わせぬ膂力だった。

 

 「貴方は鬼怒と一緒の時間を過ごして、少なからず絆を紡いだのかも知れないけれど、それはいけないわ。即刻、鬼怒との縁を切るべきよ」

 「い、いきなり人の家に侵入しておいて、何を言い出すかと思えば! 馬鹿言ってんなよ? そう易々と甘言に乗るほど、オレは馬鹿じゃねぇんだよ」

 「疑り深いのは結構だけれど、信じる相手を間違えちゃ駄目」

 

 不法侵入を働いた不届き者とは思えないくらいに真摯な目をする我孫子。何故そんな目が出来るのか。知らぬ間に、証拠を求めていた。

 

 「証拠ならあるわ。これを見て」

 

 そう言って渡されるは、何枚もの新聞記事。日付も話題もバラバラなその記事の数々。共通して言えるのは、どの記事でも人が死んでいるという事だった。

 『白昼の悪夢』

 『大富豪を襲った悲劇』

 『原因不明の火災』

 『子供を狙った卑劣な犯行』

 『怯える近隣住民』

 等。

 等々。

 

 「これ全部、鬼怒がやったの」

 「……は?」

 

 嘘だろ。呟いた声は、掠れて誰の耳にも届かなかった。

信じたくない。記事をよく見る。しかし、鬼怒に関する情報は一つも書かれていなかった。

 

 「そんな目をしたって駄目よ。良い? 鬼怒の情報が載っていないことなんて、当たり前なの。だって彼女はクノイチなんだから」

 「な、何で鬼怒は、こんな……」

 「恐らく、抹殺を依頼されたんでしょうね」

 「誰に!」

 「前の主人様に」

 

 手が震える。それから、ふと思い付いて記事の日付を確認する。時系列順に並べてみる。

 どんなに過去の出来事でも二年前。

 どんなに最近の出来事でも一ヶ月前。

 全て、オレが鬼怒に出会うよりも前の事件だった。

 

 「信じてもらえたかしら?」

 「……」

 「聞こえてない、か。まぁ、今まで少なからず信頼していた相手が犯罪者だっただなんて知ったら、こうもなるか。覚えておきなさい。忍ってこういう存在なの」

 「……アンタは、何でこんなことをわざわざオレに伝えに来たんだ」

 

 茫然自失。しかしながらも問い掛ける。

 

 「少なくともワタシは鬼怒とは違うって知ってもらいたかったからなの。知ってる? 本当の貴方の忍は、鬼怒じゃなくてワタシだったの」

 

 そう言って、我孫子は窓枠の外に消えていった。オレを混乱させるだけさせて逃亡した我孫子。

 そして、何故だかオレの危機に現れない鬼怒。

 どうしたら良いのか。何を信じれば良いのか分からない。起き上がると、布団から一枚の紙切れが床に落ちた。手に取る。

 

 『ワタシとの会話は鬼怒への裏切りにはならないから、安心して連絡してちょうだい。

 我孫子』

 

 その後に綴られる彼女の連絡先とメールアドレス。

 現代風な忍だった。 

 

 

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