おっさんとお姫さん。

『あら。あなた、こんなところでどうしたの?』

 

『傷だらけじゃない!すぐに手当しないと!』

 

『落ち着いて。私は敵じゃないわ。あなたを助けたいだけなの』

 

 

『そう、良い子ね。ほら、じっとして。私が魔法をかけると、忽(たちま)ちの内に治っちゃうの!』

 

『へ?お礼?良いのよそんなの。気にしないで。早く元気になってねっ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──あ」

 

 夢を、見ていた。

 懐かしい、子供の頃の夢。

 何故今になってあんな夢を見たのだろうか。

 今だからこそ、あんな夢を見たのだろうか。働かない頭でぼんやりと考える。

 視線を動かせば、今いる場所が荷馬車(たまたま行き先が同じだと言う商人の荷馬車に条件付きで乗せて貰った)の中だということを思い出す。旅を始めて、早くも3つ目の国に向かう道中だということを、思い出した。

 俺の、寝起き早々の呟きが耳に入ったのか、妹(未だに信じられんがマジで旅の仲間らしい)が「何よ」と言葉を寄越してきた。

 

「いや、懐かしい夢を見たんよ」

「あっそ」

 

 聞いておいてそれは酷くないか。いや、気を引いた俺が悪いのか。頭をボリボリと掻いて、上体を起こす。前方に、商人との条件の中に含まれているソレを見付けて、荷馬車を止めさせたのだった。

 

 

 *

 

 

「馬鹿!逃がさないでよ!」

「馬鹿はお前だろ!槍で刺した後は俺が手を離してお前が矢を放つって作戦じゃん!早よ射てや!」

「兄貴の刺しが甘いから獲物が必要以上に暴れて狙いが定まらないの!」

「あぁもうチクショウ!やり直しだやり直し!」

 

 旅に出て、長らく経った。正確な暦の上での経過は憶えていないが、何だかんだ始まってしまった実妹との魔王討伐への旅路も、まぁ良いかと落ち着いて納得してしまうくらいには長い月日が経っていた。しかし、今この状態での連携は笑ってしまうほどに取れない。思う通りに運ばない戦闘に歯痒い思いをしながら隣で肩を上下させる妹を睨んだ。それから、視線を前に。

 商人の荷馬車の行く先を阻むは、半牛半猫のモンスター。しかも二本足で行動するというのだから、中々に気持ちが悪い。猫面牛身のモンスター(名をニャンギュウと言うらしい)の腹には、俺が喰らわせた槍が刺さっており、ニャンギュウは俺を忌々しげに視界に捉えたまま離さない。俺を殺す準備はいつでも出来ているらしい。

 

「ニャアアアアアン!」

 

 牛のように低い声で、ニャンギュウが鳴く。この声につられて他のモンスターが集まってきたら厄介なので、早々にコイツを倒して旅路を再開させたい所だ。

 

「妹よ、その賢い頭から何か案は出てこないのか」

「兄貴こそ、たまには兄貴らしくビシッと決めてほしいんだけど」

「無理。素手じゃ敵は倒せない」

 

 ニャンギュウの腹に刺さったままの槍を指差して言う。俺と槍を交互に見て、妹は深い溜め息を吐いた。

 

「……分かった。分かったわよ」

「と、言うと」

「何とかしてみる」

 

 何とか。

 妹は何をする気なのだろうか。固唾を呑んでみるも、緊張感は出ない。何故ならば、妹は己の武器である弓も矢も持っていなかったからだ。俺の『素手じゃ敵は倒せない』発言を撤回させる訳じゃあるまいし、どうやって戦うのか。そう思った刹那の出来事である。

 バリ、と。

 バリバリ、と。

 妹の身体から雷が発生し、ニャンギュウに殺到したではないか。雷は地面を鞭のようにのたうち回り、暴走せずに、分散せずに、全てがニャンギュウへ刺さる。そして──爆ぜる。

 

「……えぇー」

 

 初めて知った妹の力。唖然とし、口が開いたまま言語を発せなくなってしまっていた俺の横を通り、妹は事も無げに「行くわよ」と荷馬車に戻ったのだった。

 閑話休題。

 後から知ったことなのだが、妹が先程見せたあの魔法(正式名称は不明)は、どうやらアレだけではないらしい。聞いても教えてくれないので全貌は未だ確認出来ないが、槍と弓で四苦八苦していたあのモンスター相手に、一撃当てただけで絶命させられるのだから、少なくとも妹を敵に回してはいけないことだけは分かった。あと、これだったら魔王倒すのも余裕なんじゃねって思った。

 勇者の出る幕何ぞ無くて良いのである。

 そんなしょうもないことを考えている最中にも、着々と荷馬車は目的地へと進み、やがて大きな国が焦点の向こうに姿を現した。

 

「アレか」

「そうね」

「着いたら何するよ。武器の新調とかしちゃう?」

「まず最初は王への謁見に決まってるでしょ。私達の魔王討伐の事情を話して、滞在中の支援をお願いするの」

「そうだったな。そうだった気がする」

 

 ぼんやりと答えた俺の脇腹を、妹が肘で小突いた。

 

「それも魔法か」

 

 冗談混じりにそう言うと、

 

「うざい」

 

 そう切り捨てられてしまった。残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王への謁見も、何事も無く、文字通り無事に終わった。2つ目の国の王とは違い、魔王討伐に理解のある奴で助かった。

 

『勇者様に金銭面で苦労させるわけにはいかない。この国に滞在する間は、何から何まで我が国が負担しましょう』

 

 とは、えらく気前の良い言葉である。それに比べて、2つ目の国の王は反省してほしいものだ。何が『では、本当に勇者である証拠を見せてもらえますかな』だボケ。俺の全身からイケメン勇者オーラ出まくっているだろうが。気付けコラカス。

 

「出てないから。あと、自分の顔が良いって思い込むのも痛々しいからやめて」

 

 出まくってない事実が確認された上に、余分に傷付けられた。俺が俺を褒めないで誰が褒めるんだよと言い返すと、外方(そっぽ)を向かれた。

 現在は、次の行き先──というか、敵の強さとか天候とか移動の足──なんかを色々考えるため、一週間程滞在させてもらう宿へと向かっている。鎧を着込んだイケメンと無骨でデカい弓を背中に背負った美女が歩いているからか、道行く人の視線が集まること集まること。この場で突然、誰かが妹にプロポーズして妹も了承してしまえば、俺も一人旅へと変わるのに。そんな、クソ最低な考えが浮かんで、すかさず取り消した。

 

「新しい槍欲しいな」

 

 何の気無しに呟いたら、鼻で笑われた。どうやら妹的には、己の得物を1つに絞らない(武器種でなく、相棒的な意味での絞るだ)俺のスタイルは気に食わないらしい。

 

「武器を大切に出来ない奴は女も大切に出来ないわよ」

「ばっか。俺ぐらいになると、女を取っ替え引っ替えできるんだよ。大切にしなくても全然問題無いの。分かる?」

「じゃあ、何でいつも馬鹿3人で騒いでんの?」

「……女性との予定を削ってまで、友との交流を大切にしてんだよ」

 

 苦し紛れ。

 是非ともこの場で紛れて霧散してほしい俺のダサさ。

 妹は然程気にしてないのか、それとも俺のダサい姿を日常的に身過ぎて感覚が麻痺してしまっているのか、前を向いて俺の斜め後ろを毅然とした足取りで歩いている。

 

「そんなのどうでも良いから、早く宿泊先に向かうわよ。ご丁寧に私たちの荷物を届けてくれるんだし、あまり待たせちゃ悪いでしょ」

「それもそうか。よし、じゃあ宿で一休みして、飯食いに行こう。王直筆の、この紙一枚で何でも食い放題だ。気前良く行こうぜ」

「アホくさ。馬鹿食いして身体悪くなっても知らないから」

 

 もう武器は良いや。もう少し今の槍で頑張って、ボロくなったら妹に申請して新しい武器を買わせてもらおう。

 情けねぇな、俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄貴が最低過ぎる。

 兄貴が最低過ぎるのだ。

 私という、顔良し腕良し身体良し器量良しの最高級の女の隣にいながら、何故他の女に靡(なび)くのだろうか。最低だ。訳が分からない。

 兄貴の背中に怒りの視線をぶつけながら歩く。そんな私を見たこの国の民が「ヒッ」と情け無い声を上げた。そんな声、兄貴なら絶対しない。兄貴なら、何だ怒ってるのか?と笑いながら私の肩を叩いてくれる。

 想像して、自らの肩を抱いた。それに合わせて背中の弓から声が聞こえた。

 宿に着いたら、何だかんだ理由を付けて兄貴とゆっくりしたい。何も無い時間を兄貴と二人きりで過ごしたいという贅沢な思いが浮かんだ。でも、兄貴は夕食を食べたいらしいし。兄貴の欲を優先したい念と、己の欲望を優先したい念がぶつかり合って、僅差で兄貴を優先することになった。何も文句を言わずに兄貴のあとをついて回れば、兄貴は驚いてくれるのだろうか。普段とはまた違う兄貴の表情が観れるのだろうか。考えるだけでニヤけが止まらない。兄貴の後ろを歩いていて良かった。こんな顔、とてもじゃないが見せられない。

 

「この道、左だっけ。右だっけ」

「左。忘れんの早過ぎ」

「悪い悪い」

 

 今はもう少し、この時間を楽しもう。

 道をわざと間違えて、前を歩く兄貴の残り香を嗅ぐことに力を注ぐとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1年。

 1年だ。

 1年もの月日が経ってしまったのだ。

 魔王討伐へ至るまでに。

 魔王討伐への道を辿るまでに。

 魔王が棲む城へと辿り着くまでに。

 もしも、俺が一人で旅をしていたのなら、故郷に残った妹が俺の墓を作って墓石に『ゴミカス』と刻んでいたことだろう。妹を連れてきておいて良かった。もしも予定通り墓を掘られ、恥晒しな名が刻まれていたなら、あの馬鹿二人に盛大に笑われ、後世への良い語り草となっていたことだろう。

 本当に良かったと思うと同時に、目の前に聳(そび)え立つ魔王の城を見て震え上がった。

 1年以上の月日を掛けて、果たしてこの旅は終わるのだろうか。

 と。

 終わるのは旅ではなく、俺と妹の人生ではなかろうか。そんな、不吉なことを考えてしまう。せめて妹だけでも助かってほしいものだが、相手は魔を司る者。魔物の王。そんな甘ったれた考えは許されないはずだ。

 

「……妹よ」

「何」

「そんなに険しい顔をしてるが、もしかして怖ぇのか?」

「全然。そう言う兄貴こそ、膝笑ってるけど」

「笑ってるわけが。俺の膝はいつだって真顔だろ?」

「私だって真顔よ。険しくないし強張ってもないから」

 

 強がっているが、内心怖いのは見て取れる。

 俺も。

 妹も。

 これ以上の言い合いは場に相応しくないので、割愛して門を潜る。魔王の城というのは雰囲気からしてもう魔王のソレで、空は黒ずみ、心なしか魔王の城周辺はモンスターの数が多いように見えた。魔の気に集まっているのか、魔王の右手から生み出されているのかは不明だが。

 ぎりり。槍を握る手に力が入る。武器も防具も万全の状態にし、戦いを有利に進める為の小道具も色々用意した。これは結構奥の手というか、出来れば出したくない物なので、妹の魔法を頼りに、この小道具を使う機会が訪れないことを祈ろう。

 閑話休題。

 魔王の城というのは、中々に住むことを前提として造られているようで。大きな大きな門を手で開ければ(意外とすんなり開いて驚いた)、チェスの駒を型取った像が乱雑に、立てられている物もあれば倒れている物、はたまた壊れている物も置かれていて、何とも言えない不気味さを醸し出している。そんな中を、二人して警戒しながら進む。罠の可能性も十分にあるので、その速度は酷く遅く、同時その足取りは重い。

 結果的に、外では何も起こらなかった。この警戒は無駄だったのかと少し苛付きもしたが、ここは生きていられたことに感謝することにした。俺達の目的は、魔王を倒し、生きて帰ることだ。罠で死ぬことじゃない。

 城の中を、歩く。勿論、警戒は怠らずに歩く。

 何故だか沸き起こる既視感。

 上手く集中が出来ていない気がする。

 精神を安定させないのも魔王の城の効果なのだろうか。

 歩く。

 やがて、辿り着いた一室。回る道も無ければそれらしき物も見当たらないので、妹に弓だけは構えていてもらい、思い切り扉を開く。

 

「……は?」

 

【待ち侘びたぞ、勇者。それから、その仲間よ】

 

 魔王が。

 居た。

 存在していた。

 右頬を拳に付け、肘を突いてこちらを見遣る。男なのか女なのか、そもそも生き物と概念付けて良いのか分からない存在が、確かにそこに居た。

 誰なのかは分からないが、これだけは言える。

 コイツは、紛れも無く、疑いの余地無く魔王だ。

 魔王が、玉座に鎮座していた。突然の最終目的。扉を開けた姿勢から動けない。

 

【やはり返答無しか。まぁ、分かり切っておる】

 

「な、何でここにお前が」

 

【何故、とな。我の城なのだから、我が居るのは当たり前であろう】

 

「違う!俺と妹は、城内に入ってからまだ10分と経ってない!だと言うのにッ、あの外観からして、お前と出会うのは早過ぎるだろうが!」

 

【あぁ、そのことか。なに。待ち侘びたのでな。関係無い扉と我の間を、こう……くっ付けたのだ】

 

 次元の切り取り。それから縫い付け。

 情報に無い魔王の能力に愕然とする。だって、それが本当ならば、魔王はあの場所から一歩も動かずに俺達を殺せるのだから。

 右手から出るモンスター云々の話じゃない。

 左手から出る厄災や災害諸々の話でもない。

 〝奴が手を伸ばせば届く距離に俺達がいる。〟その事実に、愕然としたのだ。

 

【我の力に恐怖したか?】

 

【我の力に絶望したか?】

 

「……いいや。全然。思ったより弱そうだなって内心笑わせてもらったぜ」

 

【抜かせ】

 

 気が付くと、歪な掌がゆっくりと眼前に迫っていた。覚悟はしていたとはいえ、完全に呼吸のタイミングの外からの襲撃だったものだから、ヒッと肺が引き攣る。引き攣りながらも、首を傾けて何とか躱す。耳のすぐ側を、風を切って通り過ぎた。

 

「危ねぇ、なッ!」

 

 倒れながら身体を回転。持っていた槍を遠心力に任せて魔王の腕に突き立てる。が、それよりも早く魔王の腕が消えた。

 

「妹!もう、始まってる!」

「分かってるわよ!」

 

 妹が弓を構える。肝心の矢は込められておらず、何をするのかと思っていたら、突然虚空から炎が出現し、徐々に矢の形に変化し始めた。

 

「ッ!」

 

 射る。翔ぶ。伸びる。刺さる。燃える。この五段階の中に、一分の隙も無し。赤い炎が魔王の身を包むが、魔王は苦悶の声一つも上げやしない。

 

【見飽きた】

 

 突如、魔王の身体を舐め回っていた炎が俺達の目の前に、腰ぐらいの高さの壁として立ち塞がった。どうやら、また次元を操ったらしい。

 炎の壁。飛び越えることは容易だが、それは宙に浮く数瞬の隙を魔王に与えるということ。考え無しにやって良い行動じゃない。

 動けず。

 しかし、魔王はいつでも攻撃が出来る。

 圧倒的に不利な状況。

 死と隣合わせ。

 槍を握り直す。お前はどうだ、まだ行けるかと問い掛けてみるが、今までの扱いが悪かったからだろう。返事は無かった。

 魔王が手を開く。掌に闇色の何かが集まりだして、そこから現れた。

 ミアラ姫が。

 国で俺と妹の帰りを待つお姫さんが、魔王に首を掴まれた状態で現れたのだ。

 

「お姫さん!」

 

【動くでない】

 

 制止。

 静止。

 槍も捨てた方が良いのかと、一瞬だけ己の得物に視線を送る。後ろから、妹の悲鳴。振り返ると、妹の首を握るように、魔王の手だけが宙に浮いていた。

 何の真似だよ。

 そう呟いたのと同じ間に、魔王が口を開いた。

 

【……ふむ。選ばせてやろう】

 

「な、何を」

 

 どうしようもなく、嫌な予感がした。

 どうしようもない、寒気に襲われた。

 

【我の右手には大切な貴様の姫君の】

 

【我の左手には貴様の妹の】

 

【両手に両名の運命が委ねられている】

 

【どちらかの命は見逃そう】

 

【どちらかの命は戴こう】

 

【選ばせてやろう】

 

「勇者さま!」

 

【喋るな】

 

 魔王が右手に力を入れると、お姫さんの首が締め上げられて、苦しそうな声が聞こえてくる。

 

「やめろ!」

 

【選べ】

 

 有無を言わせぬその言葉。

 震える身体を抑えて、お姫さんを見る。それから、振り返って妹を見る。

 どちらの瞳にも涙が浮かんでいて。

 選ぶなと言っているのか、選べと言っているのか窺い知れないその瞳の真意に、懊悩する。頭を抱えて転げ回りたい衝動に駆られる。

 

「──……ない」

 

【うん?】

 

「選べないって言ってんだこの野郎ッ!女二人の命をどうにかしようとしやがって!殺すなら俺を殺せ!魔王だからって卑怯な真似をして良いと思うなよ!」

 

【……それが、貴様の答えか。残念だ】

 

 威勢良く啖呵を切ったは良いが、出来るのか。

 魔王が二人の命を握り潰すまでに、二人を助けることなど。

 手段の詮索。

 その思考は無意味に終わる。

 魔王が、お姫さんの首から手を離したからだ。振り返ってみても、妹の首からも手は外れている。

 どういうことだ。

 しかし、願ってもないチャンス。お姫さんの方へと足を前に運びながら、言葉をかける。

 

「お姫さん、そこは危ない!早くこっちに!」

 

 倒すべき敵から離れようとしなければ、魔王という存在に怯えている様子も無いお姫さんに、声を荒げて手を招く。お姫さんは首を横に振り、こう言った。

 

「いいえ、危なくなどありませんよ。彼は私の味方ですから」

「は?」

 

 足が、止まった。

 冗談はよしてくれよと。

 だったら、何でアンタは俺に魔王を討伐してくれなんて頼んだんだ。味方なら、そんなことする必要無かったじゃないか。そもそも、こうして敵対する必要すら無かったじゃないか。

 

「はい、そうですね。私は勇者さまにそう依頼しました。嘘の依頼を、しました」

「はぁ?嘘ですって!?じゃあ、私と兄貴のこの1年間は」

「貴女は黙りなさい」

 

 お姫さんの言葉と視線。それだけで、魔王が左手を動かした。妹の周りに風の渦が巻き、瓦礫を巻き込んでゴゥゴゥと唸る。動かない限り怪我は無いが、少しでも暴れようものならその身体はズタズタに引き裂かれるだろう。

 これで確信した。お姫さんは、完全に魔王を制御している。確信せざるを得なかった。

 妹に手を伸ばすことも出来ない状況。一つだけ言えるのは、妹だけは助けてくれと懇願するのは状況に見合っていないということ。

 震える声で、冷静を装う。

 

「嘘ってのは、魔王は倒す必要が無かったということか」

「平たく言えばそうなります。

 幼少期、私は傷付いた一匹のモンスターを助けました。そのモンスターは私から受けた恩を忘れず、魔王となって再び私の前に姿を現したのです」

「それが、この嘘とどんな関係がある」

 

 こめかみを流れる冷や汗と共に、問う。お姫さんはにっこりと笑った。

 

「勇者さま、貴方を愛しているからです。愛しているからこその、この嘘なのです」

「……?ちょ、ちょっと待ってくれ。お姫さん、アンタは俺のことが好きなのか?」

「えぇ。世界を幾度とやり直してしまう程に愛しています」

「次から次へと摩訶不思議な単語が出てきやがる……!何なんだよ、その真意は」

「私は、どうにかして勇者さまを自分だけの物にしたかった。私の部屋に監禁したり、催眠をかけて私に好意を持たせたり、身分も何も捨てて、勇者さまを眠らせてどこか異国の地まで移住したりもしました。ですが、どんな方法を取っても勇者さまの心は手に入れられないことに気付いたのです」

 

 淡々と語るお姫さん。

 渦の中に囚われた妹。

 座ったまま動かない魔王。

 想像もしなかった事態に、膝が笑った。

 

「一番の障害は、勇者さまの妹さまでした……!どんな手を使っても、必ず私の前に立ち塞がって邪魔をする!挙句の果てには、私を差し置いて勇者さまと結ばれる世界すらあった!大好きな勇者さまと結ばれたいのにコイツが邪魔をして阻まれてやり直して阻まれてやり直して阻まれてやり直して抜け駆けされてやり直してやり直しをやり直してそのやり直しをやり直して、幾度となく書き換えても立ち塞がる女!この!憎たらしい!死ね!何度殺しても殺し足らない!────やりなさい」

 

【心得た】

 

 後ろから、霧と呼べるまでに細かくなった赤い何かが飛んできた。驚きと共に振り返ると、先程まで妹がいた場所を中心に、円形に赤い液体が飛び散っていた。凄惨も過ぎれば芸術となることを今知った。思い知った。

 

「永遠の愛を誓うには、互いの愛が無ければ成り立たないのです。偽りでも代替でも一方通行でもない、相思相愛でなければならないのです。だから私は魔王に協力を要請しました。ジョーンお兄さんを勇者さまに仕立て上げ、長い年月を実妹と一緒に過ごしながらも、最後には私と結ばれる。空想の物語のような世界を望んだのです。……本当に魔王を倒してもらった方が浪漫があるのですが、それだと取り返しがつかなくなるので」

「し、仕立て上げるって」

「神も、神の御加護も存在しないのですよ?御存知ありませんでしたか?」

 

『兄貴はただの都合の良い甘言に惑わされてるだけ』

 いつの日かの妹のキツい言葉が過

ぎる。あぁ、そうだな。妹の言う通りだったよ。俺は舞い上がって、魔王を倒せるもんだと、その気にさせられてただけだったんだ。

 

「妹さまにはいつも苦労しました。一般の家系から魔法を扱える人間が生まれることがあるのは存じていましたが、まさか勇者さまの家系で、しかも独学であそこまで脅威になるとは思ってもみませんでした。覚えてないと思いますが、貴方の妹さま、一度だけ魔王を殺しかけたんですよ?」

 

【アレは、初めてあの魔法を受けたからである。こう何度も戦った今では、相手にもならん】

 

 心なしか不機嫌そうに語る魔王。お姫さんとだけはキチンと会話をしている様子が見て取れた。そんな、どうでも良い分析。

 

「……良いのかよ」

「とは、何のことでしょう」

「そんなにベラベラと事の真相を俺に話しちまって良いのかよ」

「構いません。またやり直しますので」

「今まで何回やって来たのかは知らんが、多分これからも変わんねぇぞ」

 

 今までの記憶は無い。

 やり直した自覚も無い。

 しかし、何度もやり直しているということは、それだけ俺の意思は変わらなかったということなのではなかろうか。

 何度やっても意味が無いことへの証左なのではないのか。

 

「変わりますとも。やり直す際に、勇者さまの頭に都合の良い記憶を少しずつ増やしているのですから。ほしいのは真実の愛ですが、きっかけは重要ですからね」

 

 きっかけ。

 何のことだ。

 見に覚えが無い。

 そう伝えると、お姫さんはクスクスと口元を押さえて上品に笑った。

 

「ほら、記憶の中を探って見てください。あるでしょう。〝私との思い出の数々が〟。それ、一つ一つが嘘ですから。また次も、もう一つ増やしてあげます。次は、そうですね……。幼い頃に、結婚の約束をした、とかどうでしょう。ジョーンお兄さんは33歳。世間的に見ても良い歳ですし、私に堕ちるかどうか、良い具合の設定だとは思いませんか?」

 

お姫さんの瞳に輝きは無い。今すぐここではないどこかへ逃げてしまいたいが、無駄だと悟る。

 

「教えてくれ。俺の中にあるお姫さんの記憶は、どれが嘘なんだ?」

 

 お姫さんと遊んだ記憶。夕食を共にした記憶や、訓練中にお姫さんがお忍びで見学に来て周囲の目を盗んで手を振り合った記憶。妹と仲良く台所に立つ記憶や、その他諸々。どれが嘘で、どれが本当なのか。俺はそれが知りたかった。

 お姫さんは笑い、一言。

 

「この問答も毎度のように遣り取りしているのですが、まぁ、お答えしましょう。全てです。私の勝手な一目惚れから始まっているので、私とジョーンお兄さんは元々は赤の他人です。では」

 

 コツコツ。お姫さんが、一歩ずつこちらに近付いてくる。思わず後退(あとずさ)るが、俺の足を滑らせた妹の血液が、一人だけ逃げるなと責め立てたような気がした。

 腰を強く打つ。握っていた槍など、遠く彼方まで転がっていってしまった。

 

「ま、待ってくれ!」

「いいえ、待ちません」

 

 後ろに下がる為に両手で暴れると、妹の血が絵の具のように床に塗りたくられる。

 お姫さんの手が俺の両頬を優しく包む。それから、接吻。生まれてこの方初めての経験だったが、もしかしたら以前の俺は経験済みだったのだろうか。不思議と懐かしさを感じる。

 蕩けるような、甘くて濃厚な交わり。絡んで啄(ついば)まれて蹂躙されて。終わる頃には、抵抗する力は無くなってしまっていた。

 

「また、しばしのお預けですね。ふふっ。何度でも言わせていただきますが、愛していますよ。ジョーン。また後で会いましょう」

「あ、あああ、あああああ……」

 

 その言葉が引き金となり、世界

視界

が歪んだ。段々と自我が保てなくなり、体幹が崩れて意識が遠退いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────さま、

 

 

 ────さま!

 

 

 ──しゃさま!

 

 

 

 

 

 

 

 

「勇者さま!」

「おぉう!?」

 

 目が覚めた。それと同時に、反射的に飛び起きた。誰に呼ばれたのかと辺りを見渡すが、〝眼に映る物ほとんどに見覚えは無く、〟何故か隣には名実共に傾国の美女であるミアラ姫が俺に向かって微笑みかけていた。

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