おっさんと妹。またはお姫さん。
──────さま、
────さま!
──しゃさま!
「勇者さま!」
「おぉう!?」
目が覚めた。それと同時に、反射的に飛び起きた。誰に呼ばれたのかと辺りを見渡すが、眼に映る物ほとんどに見覚えは無く、何故か隣には名実共に傾国の美女であるミアラ姫が俺に向かって微笑みかけていて。
俺は堪らず、その場から勢い良く後退(あとずさ)ってしまった。
というのも、普段は国に仕える騎士として働いている俺がミアラ姫をこんな間近で見る機会など、彼女がこの国を統治する立場に就くという意味で姫になって以来、無かったからだ。心臓に悪いことこの上無い。過ぎる美しさは身体に毒だし、何より身分が違い過ぎる。ミアラ姫が不敬だと感じれば、たちまちの内に俺の首は飛んでしまうだろう。
だから、心臓に悪い。
というのは嘘で。
何を隠そうミアラ姫とは、彼女が正式に姫という立場に就く前からの既知の仲。彼女自身への俺の立ち振る舞い云々に関しては、然程(さほど)問題は無い。無いのだが、他の人間はどう思うかだ。俺は、それが怖かった。
ミアラ姫が不敬と感じれば、ではなく。
ミアラ姫が不敬と感じたと感じれば、ということだ。
彼女との距離が近いが故の、他者からの反感。特別感。
念の為もう一度周囲を見渡し、俺とミアラ姫以外に誰もいないのを確認してから、ミアラ姫に声をかけた。
「……お姫さん、アンタ何してんだこんな所で」
思っていたよりも声は出ず、囁きかけるような声量になってしまった。彼女の美しさに圧倒されたのか、それとも単に寝起きだったからかは分からない。そもそも俺は、何故こんな所で寝ていたのだろうか。酒を飲んだ記憶は無いが、もしかしたら単に飲み過ぎて記憶を無くしただけかも知れない。現に、俺は何だか頭が痛い。
「言外に、私を場違いだと言いたいのですね。ですがそれを言うならこの場合、場違いなのは勇者さま──貴方ですよ?」
「は?」
場違い。
言われてから、今一度、周囲を見渡す。
1度目はミアラ姫への衝撃で消し飛び。
2度目は人影を確認していたが故に気が付かなかった、ここがどこなのかということ。俺はどこで寝てしまっていたのかということ。
人影を気にする為でなく、周りの環境を自覚する為の一回転。
「……おいおい」
〝眼に映る物ほとんどに見覚えが無い。〟
当たり前だ。
だってここは、この部屋は、この国を統治している彼女への──ミアラ姫への謁見の間だったのだから。
「勇者さまには、これから魔王を倒す為の旅に出ていただきます」
魔王。
実質、俺等が暮らすこの国内に留まらず、世界中の人間の身の安全を脅かしている存在。魔王が右手を一振りすればありとあらゆる化け物が生み出され。
魔王が左手を一振りすればありとあらゆる災害が引き起こされる。
嘘か真かは定かではないが、そんな話がおっさんの俺の耳に入るくらいには世の中に浸透している恐ろしさなのだろう。
それまた、どうしていきなりそんな話を。そんな意を込めてお姫さんを見やる。
ふんすっ、と。
決まったとでも言いたげに少量の自信の色を含ませた、お姫さんはそんな顔をしていた。思わず茶々を入れたくなるソレ。入れてしまった。
「何だよお姫さん。昔みたいにジョーンお兄さんって呼んでくれないのか?」
「よ、呼びませんよ!子供じゃないんですから!」
あ、素が出た。
手をグーにして、ブンブンと振り回して抗議の意を示すお姫さんは、昔──俺と仲良く遊んでいた頃の記憶と寸分違わぬ姿で、無性に懐かしくなる。あの頃は良かった。お姫さんも自由だったし、何より俺も騎士の仕事に就いていなかったので、毎日遊んで暮らせていた。
毎日遊んで暮らせていたのだ。ここ重要だからな。
しかし、今となっては俺も立派な国を守る騎士の仲間入り。騎士道精神だとかいう訳分からん何かを胸に宿し、槍を両手にえいさえいさと頑張ってる三十代のおじさんだ。お姫さんだって、もう二十代だ。
懐古。
俺が会話そっちのけで懐かしさに浸ってしまっているのが分かったのか、お姫さんが「聞いているのですか?」と怒った。
「聞いてますとも。魔王を倒すんだろ?つっても、一騎士の俺に何か出来るとは思えねぇんですけど」
「身分は関係有りません。必要なのは、神が貴方を選んだという事実です。その事実さえあれば、貴方は神の御加護により、必ずや魔王討伐の偉業を成し遂げるでしょう」
「魔王討伐、ねぇ。逆に言えば、神が選んだ人間以外には魔王は倒せないとかあるわけ?」
「はい。どれだけ剣技を極めようと、どれだけ智謀に長けていようと、何の御加護も無い人間には魔王は倒せません」
「俺がやるしかないってことね。……んー、了解です。休業手当とか色々保証されるんだったら、喜んでやりますとも。つまりは魔王さえ倒せばいい訳だ」
「その魔王を倒す為には、お仲間が必要だという話を先程からしていたのです。どうですか?お仲間さんへの当て、あります?」
「当てっつうか、伝手(ツテ)ならあるんだけどな。なるべく当てにしたくはねぇんだなこれが」
伝手となるソイツは多分仲間にはなってくれない。あくまでソイツは、人を紹介するだけの人間なのだ。自分自身は決して戦おうとはしないだろう。
伝手から魔王討伐に参加してくれそうな、やる気実力共に申し分無い人材を流してもらって、という形となる。魔王云々のことを話したら、アイツのことだ。国の意向と勘付き、きっと足元を見て仲介料やらなんやら色々ふんだくるに決まっている。そう考えると、という訳だ。国から金が支給されても、あんな人間の悪いところを集めたような奴の為に税金が使われると思うと俺が我慢ならん。
しかし自分で探すのも面倒だ、という板挟み。
伝手を使うか、自分の足で探すか。
数秒思案。
「良し、決めた」
「はい」
「お姫さんの力で、国中に伝令を送ってくれ。『勇者の仲間募集!』みたいな。そっちで色々選考して、良さそうな人を見繕ってくれよ」
「私がやるのですか?」
「やるのはお姫さんじゃあない。アンタに付き従ってる誰かだ」
「……分かりました。2日、時間を下さい。最高の仲間を用意しましょう。勇者さまは、長旅に向けての準備をお願いします。年単位での旅になると思いますので」
「あいよ。つっても、少ない知り合いへの軽い挨拶くらいになるだろうけどな」
脳裏に浮かぶは、誇り高き騎士として研鑽を共にした戦友の顔──ではなく、毎晩べろんべろんになるまで飲み明かす馬鹿二人の顔。あの二人と妹に挨拶しとけば良いだろう。槍は、何か良い感じのヤツを国から貰おう。今使ってる槍だって国から支給されてるソレだから愛着も何も無いし。ほら、槍の重さや長さや握る幅や感触。それらが変わったぐらいじゃ動じない、安定した強さ。そんな奴の方が格好良いだろ?
さぁて。じゃあ、ぱぱっと挨拶を済ませて、あわよくば友人に壮行会代わりに酒でも奢ってもらうとしますかね。
「は?そんなの許す訳ないじゃん。馬鹿じゃないの?」
駄目でした。
今夜は酒は飲めそうにない、と半ば諦める。皿を拭きながら、こちらには目も向けずに否定するどころか罵倒のおまけも付けてくれた親愛なる我が妹に、バレないように変顔をしておちょくってみる。
俺と妹の二人で暮らしている、我が家での出来事だった。
「顔の形変えるよ」
バレてた。どうやら今磨いているグラス越しに見えていたらしい。すぐさま真横に視線を飛ばして口笛を吹く。そんな俺の前を皿洗いを終えた妹が横切り、その際に俺の爪先を踏んでいった。
「兄貴は国を代表する馬鹿なんだから、ずっと槍刺してれば良いじゃん。何でそんなでしゃばろうとすんの?」
「でしゃばるっておい。……俺はただ、俺にしか魔王を倒せないって言われたもんだから」
「誰に」
「お姫さんに」
かのミアラ姫からの言葉となれば、妹も大人しくなるだろうという算段だ。だった。
のだが。
「はぁ?」
嫌悪の色を存分に滲ませた顰(しか)めっ面で、俺の言葉を否定する為に構え始めた(ように見えた)。困るのが、妹が一度口撃の為に構えると、俺の槍術のような一刺し一刺しの速度で繰り出されるのではなく、妹の場合は銃弾のソレだ。先程まではほんのお遊びと言わんばかりに、こちらの急所に標準を合わせて撃ち込んでくるのだ。
「久し振りにお姫様と会話出来たからって舞い上がってんじゃないの?兄貴はただの都合の良い甘言に惑わされてるだけで、実際はアレじゃない?騎士隊としての価値も無くなった兄貴をただ理由も無くお払い箱にするのも気が引けるから、魔王討伐の最中の名誉の死という形で処理しようってだけ。そうしたら、ほら。葬いも要らないし、兄貴みたいな毎日お酒飲んでゲラゲラ笑ってるような騎士の風上にも置けないカス人間が一人減るんだから、お姫様としても願ったり叶ったりだって」
狙いを定めて一撃必殺。っつうか、罵倒の数で言ったら猛連射も良いところだ。
防ぐ為の反論(盾)は持ち合わせていない。
膝から崩れ落ち、床に両手を付いて項垂れる。圧倒的な敗者の姿勢。そんな俺に、妹が、先程よりも幾分か優しい声色で語り掛けてきた。
「そんな話、受ける必要無いって。兄貴には、毎日訓練したりぶらぶらしたりして、何だかんだしっかりとこの家に帰ってくる生活の方が絶対良い。兄貴だって、死にたくはないでしょ?」
「そ、そりゃあそうだが」
確かに、妹の言う通りかも知れない。そう思っている俺がいるのも事実だ。魔王を倒すことの出来る選ばれた人間だからって、死なないわけじゃない。誰だって、俺だって死にたくはない。生きていられるのなら、この無駄な毎日にも価値があるのかも知れない。
だが。
しかし。
それでも。
お姫さんからの提案に、今までに無い好奇心を覚えてしまったのも事実なのだ。
国の外に出たら、どんな毎日を送るのだろう。
国外周辺の森に出る雑魚モンスターとは違う、強くて恐ろしいモンスターと一戦を交えることも出来るかも知れない。
見たこともない景色や食べ物に心動かされるかも知れない。
子供みたいに、ちょっとしたことで笑えるかも知れない。
そう思ってしまったのだ。だから、妹よ。
しばしの、別れだ。
「ふぅん。あくまでも、魔王を倒すつもりなんだ」
「……あぁ。寂しい思いをさせるかも知れないが、もう決めたことなんだ。大丈夫。俺が魔王討伐の旅に出ている間は毎日、騎士として働いていた頃以上の給料がお前に渡されるだろう。お金の面では苦労しないはずだ」
っつうか、金の問題ではないのだろう。しかし、少しでも妹が抱いている不安を取り除く為に、知らぬ間にこんな言葉が出てしまった。言わずにはいられなかったのかも知れない。
「……分かった。分かったわよ。好きにして」
額を押さえながら、呟くように、諦めたようにそう口にした妹。妹だって、納得しているわけではないのは見て分かる。だが、妹は大人だった。旅に出たいと駄々をこねる俺なんかよりも、余程大人だった。
「怒ってるのか?」
「その言葉自体にイラついてるんだけど」
「ごめんなさい」
「はぁ……。兄貴みたいな馬鹿でも御国の役に立てるんだって前向きに考えることにするわ」
「ということはつまり!」
「ただし!」
浮かれるのは早かったらしい。
「ただし、一年以内に帰ってきなさい」
「帰ってこれなかったら?」
「旅の道中に死んだと諦めて葬儀をあげて、兄貴の墓石に『ゴミカス』ってデカデカと彫ってもらうから」
「それは嫌だなァ」
「嫌だったらどうするの?」
「一年以内に帰ってきます」
「よく出来ました」
兄貴としての威厳が無いよぉ……。
「ほら、じゃあさっさと行ってきなさい」
「まだ旅には早ぇって。どんだけ追い出したいんだよ」
「違う。まだ挨拶しなくちゃいけない人達がいるでしょうが。この馬鹿」
ボロクソ言うじゃんコイツ。
まぁ、兎にも角にも、了承は得られた訳だ。まだ夜も更け始めたばかりだし、よっしゃ!飲みに行くぞ!
ドタバタと、上着を片手に元気良く家を飛び出していった33歳。妹として恥ずかしい兄の後ろ姿を見送りながら、私は自然と笑みが零れた。
兄貴は馬鹿だ。本当に馬鹿だ。私の歳が20を越えても結婚しないのを私の理想が高いからだと思っているし、毎日べろんべろんになりながら家に帰ってくるし、その所為で稀
まれ
に漏らすし、服装だってダサい。旅に出ている間私が生活に困らないようにお金の工面はしっかりとしてるし、いつも格好良い笑顔を無自覚に周囲に振り撒くし、給料だって3分の2以上を私にポンっと気軽に預けてくるし、〝こんなに大切なことを内緒にする〟。
「旅の仲間、募集してるらしいじゃん。……ふふっ」
2日経った。
飲んで飲んで飲みまくり、そろそろアルコールが喉を通る感覚に嫌気が差していた頃には、いつの間にか2日も経ってしまっていた。
で、2日振りの謁見の間の前に、ガンガンと痛む頭を押さえながら立っている。
一緒に旅する仲間なのに、職業や年齢や性別に至るまで、ロクな指定もしていなければ顔も合わせていないことに今更ながら焦りを覚える。これで馬が合わない人とかだったらどうしましょ。戦闘以外では会話無しとか俺嫌だよ。
うーん、うーん、と初対面の人でもウケる一発ギャグや会話のネタなんかを捻り出そうとしていると、俺をここまで案内してくれた二人が声を合わせて、「「御入り下さい」」と声を合わせる。互いが互いに酷似しているので、どうやら双子のようだ。
やがて、大きくて重い扉が二人の手によってゆっくりと開き始めた。玉座には、お姫さん。仲間の姿は無かった。もしや、誰も集まらなかったのか?俺泣いちゃうよ?
「どうぞ、こちらまでいらして下さい。ここには貴方の失礼を咎める者はおりませんわ」
「は、はぁ」
言われてから、足を進める。こんな高級そうな絨毯を土足で踏んで良いのかと罪悪感を覚えながら、お姫さんが座る玉座から薄い段差3つ4つを挟んで、立つ。片膝を付こうとしたところで止められた。
「どうか、普段通りにしてくださいな。気が引けるのでしたら、命令として言い直しましょうか?」
「い、いや、分かった。いつも通りにする。……それで、早速なんだが、仲間は一体どこに」
辺りを見渡してみるが、それらしき人物は見当たらない。まさか、扉のところで微動だにしない双子が俺の仲間なのか。マジかよ、絶対会話弾まないじゃん。むしろ、あの二人が仲良くやって俺がハブられる未来さえ見えるわ。かー!やってらんねぇ!帰ろうかな!
「お仲間さんは、もうそろそろ到着致します。何やら、旅の準備に手間取っているようですので」
「あ、そうなの。どんな人が集まった?」
「身辺調査や勇者さまと相性の良い戦闘の型、性格などを考慮した結果、お一人ですが最高の人物を選ばせていただきました」
一人って。
合計二人で魔王倒せんのかよとか思ったりもしたが、もう決まったことに対して文句を言っても仕方がない。旅の道中に仲間は増えると信じて、俺が最も気になっていると言っても過言ではない質問を投げかけた。
「そ、それで、俺の仲間って、男?女?」
「女性です」
「マジで!?やったー!」
「……そんな子供のように喜ばれてしまうと、果たしてこのまま旅に送り出して良いものかと不安になってしまうのですが」
それは困る(それは困る)。咳払いを1つしてから、にやけ顔から真面目へ、いつもの格好良い表情に戻す。
「悪い、取り乱した。さっきのは忘れてくれ。持病の、ちょっとした発作なんだ」
「そんな見え透いた嘘吐かなくても……」
引かれてしまった。
いや、真面目な話、その仲間になる女もよく俺との旅を了承したよな。ぶっちゃけ、30過ぎのおっさんだぜ?長旅ってだけでも結構アレなのに、凄い奴がいたもんだ。それで強くて性格も良いと来た。本当に人間かよソイツ。人間だなんて一言も言ってないから、女性のエルフの方を連れて来ちゃいましたー!てへぺろ!とか言われる可能性だってあるわけだ。全然良いけどね。エルフだって美人さん多いし、大体何だよてへぺろって。可愛いかよ。
「勇者さま。勇者さま。喜ばれたと思ったら急に黙ってしまわれて、一体どうなさったのですか?何か、体調の優れないところなどございますか?」
「いや、何でもない。これも持病の一種で、可愛い女の子を目の前にすると言葉がどもってしまうという難病なんだ」
「ず、随分と不安要素の多いお身体なのですね。そんなお身体で、妹さまとはこれから先大丈夫なのですか?
「妹?妹は妹だし、何も感じねぇよ。いくら可愛い顔してても、実妹だぜ?……それと、これからって言っても、俺は旅に出るんでしょうが。このうっかりさんめ。ついさっき挨拶も済ませてきたから、安心だぜ」
「い、いえ、そういう意味で言ったのではなく」
「馬鹿兄貴!何お姫様困らせてるのよ!」
思いも寄らぬ聞き馴染みのある声に、肩を跳ねさせる。それから、勢い良く声のした後方へ振り返った。
「い、妹!?何でこんなところに!」
「それは、アンタの旅の仲間が私だからよ。ったく、お姫様に一々デレデレしてんじゃないわよ。恥ずかしいったらありゃしないわ」
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