暗い(黒い)ところには気を付けて。
「あ、智洋(ともひろ)くん」
授業も終わった放課後。最近買ったゲームにとてものめり込んでいた僕は、早く帰って今朝の続きをやろうと意気込みながら下校を始めていた。
そんな時に掛かった声。振り返ると、3組の桴海(ふかい)さんがこちらに近付いていた。ショートボブの黒髪に茶色がかった瞳。身長160台の僕よりも少し高いくらいの背丈(背が低いのをコンプレックスだと思っているので、正確な数字は思い出したくもない)。少し長めのブレザーの袖と一緒に、手のひらを胸の前で小さく振っている。以前に廊下の角でぶつかってから何かと縁があったようで、今ではこうして話しかけ、話しかけられる仲になったのだ。
「こんにちは、桴海さん。そっちも帰り?」
「うん、智洋くんの背中が見えたから、一緒に帰れないかなぁって思って」
「僕は全然良いよ」
「ほんと?やったぁ!」
僕が了承すると、にへらと気の抜けた笑顔を見せる桴海さん。小動物のようで可愛かった。表情の話ね。体躯的な話だと遠回しに自分自身への自虐になっちゃうから。高校生の僕よりも背が高い中学生と話している時なんか、プライドがとても傷付くんだ──この話はやめよう。
人知れず自分で傷付き、桴海さんと肩を並べて帰り道。
時折正面から吹く風に桴海さんの髪が揺れるのが綺麗だ。
「そういえば、桴海さんの家ってこっちなんだっけ?」
「ううん。いつもだったら逆方向なんだけど、今日は少し用事があって」
「用事?」
「この前、子猫を見かけたの」
「子猫」
「うん。それだけならほっこりする思い出話にできたんだけど、ほら。昨日大雨降ったから子猫が心配になっちゃって。今日は子猫の無事を確認しに行こうと思ったの」
心底、子猫の身を案じている。そんな、桴海さん自身の優しさが窺えるような表情。僕は気付いたら、こう言っていた。
「だ、だったら、僕も一緒に行っても良いかな」
つい数分前まではゲームのことしか頭になかった。早く帰ってゲームしよう、それだけしか考えてなかった僕が、何故寄り道をしようなどと思ったのか。
早い話、桴海さんに良いところを見せたかったのだ。僕は。
男とは、見栄と意地を張る生き物なのだ。
だから、僕は桴海さんにバレないように見栄を張る。
そんな僕の下心。バレてはいないだろうか。桴海さんの顔色を気にしながら返答を待つ。その間僅か1秒に満たず。
「ありがとう!智洋くんって優しいんだね」
返ってきたのは、桴海さんの天使のような笑顔だった。
「いや、僕は別に優しくないよ」
マジで。
「じゃあ、そういうことにしておくねっ」
自分の唇に人差し指を当ててナイショのポーズを取り、ウインク。終いには天使の笑みから小悪魔の笑みにジョブチェンジしてくれた桴海さん。惚れてしまいそうだ。
それからも二人で並んで歩く。先程となんら変わらない歩行運動だが、僕と桴海さんの周りの空気は、少しだけだが親密になったように感じた。
歩く。
桴海さんによる先導の元、普段通る通学路から外れ始める。駅前に近付いたかと思えば右に曲がり、スーパーにでも寄るのかと思えば通り過ぎ、保育園の側の畑の隣を歩く。歩き続ける。
「桴海さんって、結構フットワーク軽めなんだね」
「うん……。まあ、そうなのかなぁ」
生返事。
そういえば、桴海さんが子猫を見付けた経緯なんかはまだ聞いてなかった気がする。見かけたとは言っていたが、どうやって見かけたのだとかは聞いていなかった気がする。そんな事を、桴海さんの隣を歩きながら考えてみる。
「そういえば、学校外で桴海さんと話すのって今日が初めてだよね」
「確かに、いつも廊下とか図書室とかで話してるもんね」
桴海さんとの話題といっても、そっちの現代文の教師はどんな課題を出してる?とか今回テスト範囲短めだね。とか、ありきたりなソレだけどね。校内で話していると、やはり話題も学校に関することが多くなるのだろうか。違うな。ただ単に僕が踏み込んだ話題を提供できていないだけだ。
なんだろうな。ならば、学校外で話すなら、何を題に上げて話しかければ良いんだろう。改めて考えてみると、少し難しい気もする。
「……最近どう?」
最終的には、面白さの欠片も個性も無い問いかけになってしまった。しかし、そんな僕の問いにも桴海さんは笑顔で返す。
「楽しいよ?最近は学校に行くのが楽しみになってるくらい」
「それは凄い」
学校に行くのが楽しみだなんて、凄過ぎる。別に嫌いでもなんでもない僕だって、行かなくて良いなら行かないくらいの意識だというのに。
尊敬モノだ。
そんな感じに褒めると桴海さんは、桴海さんにしては珍しいジト目で僕を見てきた。
「……智洋くんは、学校行くの楽しみじゃないの?」
「へ?そ、そうだね。桴海さんと話すのって楽しいし、嫌いじゃないよ。学校」
この流れで、学校は好きでも嫌いでもなんでもない。だなんて適当な事は言えないと判断した僕は、取り敢えず桴海さんに合わせて肯定的な言葉で返してみる。
僕の答えに満足してくれたのか、桴海さんは「そ、そう?私も智洋くんと話すの凄い楽しいよっ」と楽しげに言ってくれた。あぁもう。そういう台詞で世の男子のハートを奪っちゃっていることに気付いているのだろうか。ちなみに僕はもう奪われかけている。そりゃそうだ。
「進路とか、もう決めてる?」
振る。
「うーん。進路とかあまり興味無いんだけどぉ。……まあ、もしかしたら進学はするかもね。四年制か短大か、それとも専門学校に行くのかはまだ決めてないなぁ」
「そうなんだ」
「智洋くんは?」
「僕?僕は……就職かな。進学してまで学びたい事とか、僕には見付からなかったし」
ぼんやりと答える。
金の無駄と言ってしまうと言い方が悪いが、高校卒業するまでにしっかりと学んでいけば、就職してもあまり問題は無いように思えてしまうのだ。勿論、大手の企業に就職したいとかなら話は変わるけれど。僕は、収入が多少不安定でも構わないから──言ってしまえば、親元から離れて一人暮らしが出来れば良いのだ。
畦道(あぜみち)を歩きながら考える。日は沈み始め、昨日の大雨によって田んぼになみなみと張られた水が、夕日のオレンジを反射する。二人してその光を一身に受けながら、歩き続ける。桴海さんは疲れた様子もなく、先程から変わらぬ速度で僕の隣を歩いている。それに対して僕はといえば、実を言うと少し疲れ気味だったりする。
女子の手前、そんなこと、口が裂けても言えないが。
男とは、見栄と意地を張る生き物なのだ。
だから、僕も桴海さんに疲れを悟られないように意地を張る。
「どうするの?」
「え?」
「どんな職業に就くの?」
間が空いてしまっていたので、一瞬何の事だか理解できなかったが、どうやら、僕が就職を選んだ話の続きらしい。
「どうかな……。パソコンは使えるから、事務的な仕事もありだろうし、工場系の仕事も個人的にはありだと思うし──うーん、あんまり深く考えてないや」
「……そうなんだぁ」
残念そうに肩を落とす桴海さん。理由は完全には分からないが、僕なんかの為に一緒になって就職の事を考えてくれたみたいだ。桴海さん、君はどれだけ良い子なんだい?
夕焼けも段々と明るさを失い、星空が見えてくる時間帯。太陽が落ち、代わりに月が昇る時間帯となる。そろそろ目的地に到着してくれないと、帰りが遅くなってしまいそうだ。
そんな僕の懸念が通じたのか、隣を歩いていた桴海さんが立ち止まって「着いたよ」と言った。
視線を桴海さんから、正面へ。
「……ここって」
倉庫だった。
波止場の近くにある、今は使われていない廃倉庫だった。
大きな大きな、倉庫だった。
周囲が薄暗いのも相まって、廃倉庫がえらく不気味な雰囲気を醸し出している。
「桴海さん、こんな所に一人で来てたの?」
「うん、野良猫からしたら良い住処(すみか)だよねぇ」
暗に、桴海さんの危なっかしい行動を咎めたつもりだったのだが、どうやら通じなかったらしい。諦めよう。
諦めて、子猫に会いにいこう。早く帰らないと、不審者に出会った時に桴海さんと二人揃って無事に家に帰れる自信が無い。
「子猫は、この倉庫の中で見たのかな?」
「うん。鍵は開いてるはずだから、先に入って良いよ」
「分かった」
人を一人肩車しても余裕で入れそうな高さのドアの前に立ってみると、所々倉庫の外壁が錆び付いていたのが見える。これは、僕の力で開けられるのかなと不安に思いながらもドアを横に引いてみる。案外、ドアの溝の部分なんかはあまりダメージがなかったみたいで、多少つっかかりはしたが、それでも僕一人の力でドアを開ける事ができた。まあ、そうか。話を聞いた限りだと、桴海さんだって開けられた訳だし。
中を見る。電気が通っていないので当然だが、倉庫内は暗かった。一歩、二歩、倉庫内に足を踏み入れ、進んでみる。
「……実を言うと、桴海さんに着いてきたのって、子猫が心配だったからじゃなくて、桴海さんが心配だったからって言ったら、引く?」
「引かないよ」
倉庫内の雰囲気が、思ったよりも怖かったからか。それとも、薄暗い雰囲気が僕を普段よりも積極的にさせたのか。
兎に角、僕らしくない言葉が僕の口から出る。僕の後ろにいる桴海さんに向けて。僕の無防備な背中を預けられるくらいには信頼している、桴海さんに向けて。
そんな僕の言葉に、桴海さんは引かないでくれた。
「だって私も、子猫目当てじゃなくて、智洋くんが目当てだったし」
どういう意味?
桴海さんの言葉の真意を問おうと後ろを向いた瞬間、桴海さんが何か棒状の物を僕に向かって振り下ろしているのが見えた。
衝撃。そして、気が絶たれ始める。
段々と身体の自由が利かなくなり、視界が白ずんでいく。そんな視界に、いつもとは違う獰猛(どうもう)な笑顔の桴海さんが映る。
どうやら、僕は服を脱がされているらしい。
そして、桴海さんも服を脱いでいるらしい。
「ねぇ、大丈夫?割と本気で殴っちゃったんだけど、頭痛くない?意識ある?無くてもいっか?智洋くんにも私を味わってほしかったけど、私も智洋くんを味わいたいもん。しょうがないよね。打ち所が悪かったって思って諦めよう?起きたら全部終わってるから。起きたら、私を愛するしかなくなっちゃってるから!あははははははははは────」
薄れゆく意識の中、桴海さんの言葉が不思議と脳に残った。
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