君は美人で聡明な先輩に迫られています。この場合、君が取るべき適切な行動は何でしょう。

 走っていた。

 学校内を。

 そこそこの速度を出して。

 と言っても、誰かに追われているだとか、そう言った理由による強制的なソレではない。

 あくまで、自主的に。

 走りたくて、走っているのだ。

 走って走って、辿り着いた先は校内の図書室。全国的に見ればまあまあ大きいその図書室の入り口のドアを開け、僕は中に入る。息を切らしながらドアを閉じ、入り口付近に設置されたカウンターへ向かう。

 

「遅かったじゃないか」

 

 本来ならば、この学校の司書さんが座らなければいけない椅子に、本を片手に体育座りで座っているのは、この学校の前年度の卒業生。

 そして、僕の彼女なる位置付けにいる人だ。肩で切り揃えられた黒髪と、僕よりも高い身長の(と言っても僕の身長が163cmと低めなだけなのだが)、モデルのような美人さんだ。

 僕は「これでも急いだんですけど」と言い返しながら、カウンターの内側へ。

 

「あぁ、その額に浮かんでいる汗を見れば分かるよ。……そんなに、私に会いたかったのかな?」

「うぐっ……えぇ、まぁ。はい」

 

 本心なので(ついでに言えば、否定する意味も無いので)、素直に答える。すると、先輩も少しだけ頬を染めた。

 

「あ、先輩照れてます?」

「違う。これは風邪だ。空気感染経口感染その他諸々何でもござれの、他人に感染させる事だけに特化した新種の風邪によるものだ」

「それが本当なら、今すぐ図書室から出て行ってほしいんですけど」

 

 呆れを含んだジト目で先輩を見つめると、「冗談だよ」と返された。

 

「冗談だから、君からは離れないよ」

「……何と言うか、先輩って格好良いですよね」

 

 下手すれば僕よりもイケメンなのではないだろうか。

 イケメン美人な先輩と、お世辞にも男らしいとは言えない僕。

 あれ、この物語のヒロインってひょっとすると僕だったり?

 放課後の図書室にて、先輩と僕。僕が図書室にいるのは図書委員だから当たり前な事だとして、何故先輩は──卒業した筈の先輩が、堂々と司書さんの席に陣取っているのか。

 その理由は、少し常人には理解出来ないモノだったりする。

 

「まさか、入学試験当日にバックレるとは思いませんでした」

「またその話かい?それに関しては、キチンと説明したじゃないか」

「『受ける意味を失った』って言われて納得出来る訳がないじゃないですか。受けさえすれば、合格確実でしたのに、勿体無い」

「幾ら勉強が出来ても、私はあの大学に入る訳には行かなかったんだよ」

「と、言うと?」

「あの大学には、君がいないじゃないか」

「……まったく」

 

 何と言うか、ずるい人だ。そんな事言われてしまったら、僕からはもう何も言えないじゃないか。

 得意気に微笑みながら僕の反応を楽しむ先輩と、照れながらも満更でもない僕。

 

「私の最優先事項は君だからね。君が受験する大学に、私も行くとするよ」

「受けるとする、じゃないんですね」

「私の場合、合格しない方が難しいからね。それこそ、受験放棄でもしない限りは」

「はいはい、先輩は頭が良いようで羨ましいです」

「羨ましいだろう?頭が良いと、愛する人に勉強を教えてあげられるんだ」

 

 惚れてまうやろ。

 

「さて、私は元図書委員らしく読書でもするとしよう。君も、いつまでも立っていないで私の隣に座った方が良い」

「分かりました」

 

 私の隣に。

 場所まで指定してもらったのだから、わざわざ違う場所に腰を下ろしては失礼に当たるだろうし、先輩が機嫌を悪くするかも知れない。僕は壁際からパイプ椅子を一つ持ち、先輩の隣に設置した。

 で、着席。

 

「よろしい」

 

 そんな先輩の一言。

 それから数十秒程後。放課後の図書委員の仕事を、何から手を付けようかと悩んでいると、ふと疑問が浮かんだ。

 

「先輩って、本好きなんですか?」

 

 先輩が手に持っている、聞いた事もないタイトルの本。そう言えば、タイトルは違えども、いつも本を読んでいるな〜と思い出しての、質問。

 

「あぁ。本は好きだよ」

 

 先輩は、柔らかな笑みを浮かべた。

 続けて質問。

 

「いつも何の本を読んでいるんですか?」

「気になるかい?」

 

 今度の答えはサラリとは聞けなかった。先輩は意地の悪い笑顔で僕の顔を下から覗き込む。

 

「はい。いつも、随分と熱心に読んでいるので」

「別に、面白くはないと思うけどね」

「いや、でも知りたいです」

「……分かった。他ならぬ君からの願いだ。ほら、ご覧」

 

 たかが本の一冊で何ともまぁ仰々しい態度かと思うけど、これが先輩の僕に対するいつもの態度だ。

 先輩が、今読んでいたページをそのまま視界に入れてくれる。

 

「あの、知りたいのは文字だとか143ページだとかの目先の情報ではなくて、本のタイトルだったんですけど」

「あぁ。そっちか」

「えぇ、そっちです」

「しかし残念だ。私もタイトルを知らなくてね」

「え、じゃあ何でその本読んでるんですか?」

「そもそも、私は読んでさえいなかったのだよ」

 

 成る程、僕が勝手に読書中だと思い込んでいただけで、その実先輩は全く別の事を考えていたのか!──いや、訳が分からない。

 

「すみません。常人の僕には先輩が何を言っているのか理解出来そうにないのですが」

「仕方が無いね。ほら」

「はい」

「この左右のページ、右から段落が1つ2つと不等間隔で続いているだろう?」

「……はい」

「私は、ここにマリオを走らせる空想をして遊んでいたんだ」

「……はい?」

「本は好きだけれども、読書は好きじゃないんだ」

「はい!?」

「言っただろう?『別に、面白くはないと思うけどね』と」

「いやいや!天才であるが故の格好良い謙遜だと思うじゃないですか!」

「面白い訳がないだろう、こんな本」

「言い切った!内容も知らないのに言い切ったぞこの人!」

「あと、マリオを走らせるのももう飽きた」

「こんな先輩見たくなかったですよ!」

 

 閑話休題。

 

「そもそも、僕達って図書委員じゃないですか。仕事した方が良いですよね」

「私の場合は、頭に『元』が付くけれど、ね」

 

 額に手を当てて屁理屈をこねる先輩。先程の一件もあって、何だか先輩が段々とアホに見えてくるのはただの錯覚だと信じたい。

 

「じゃあ僕は貸し出しカードの整理をしておくので」

 

 先輩への指示は、出さない。

 と言うか、出せない。

 先輩だから。だとか、そう言った上下関係による理由ではない。

 

「あのー、この本借りたいんですけどー」

「……」

 

 何とこの先輩、生徒を無視するのだ。

 

「あのー?」

「……」

 

 視界にも入れない。

 早くも視線は手元の本に下

ろされ、飽きた筈の段落の窪みに合わせてマリオを走らせる遊びに興じてしまっている。あまつさえ、小さな声で「……ぃゃっふ〜」とか言ってる。段落の上を3段ジャンプで越えさせるんじゃないよ。

 そう。

 何故かこの人、僕以外の人間とは話そうとしないのだ。

 キッカケは分からない。と言うか覚えていない。気が付けばこうなっていて、記憶を思い返しても、遠い過去の出来事を鮮明に記憶出来ない僕の頭では、先輩は前からこうだった気もする。してくる。

 兎に角、カウンター仕事としては最底辺の仕事振り。いや、仕事をしていないのだから、それ以下だ。

 そんな先輩の態度を何度か注意した事がある。しかし、返ってくる言葉は「誰も居ないじゃないか」「〝人が来たら〟キチンと相手するさ」と、こんな具合。

 怖いですよ先輩。

 しかし、惚れた弱みというのは存外恐ろしいもので。仕事をしない駄目っぷりも、普段のクールさとのギャップで可愛いと感じるのだ。

 ごめんね、三組の吉井さん。

 

「──はいはい。貸し出し期間は2週間だから、それ以内に返却してね」

「あ、はーい」

 

 先輩と、本借りたいガール吉井さんの間に入って貸し出しの手続きを取る。本の最後のページに入っているカードを抜き取って判子を押して保管するだけの簡単なお仕事を終わらせると、吉井さんはこちらに手を振りながら図書室から出て行った。

 溜め息。

 

「先輩」

「何だい?」

 

 何か言うべきかと先輩の名を読んでみたが、顔を上げた先輩の顔には悪気の二文字は無く、僕は毒気を抜かれて「……何でもないです」としか言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからも、先輩は変わらなかった。

 何で生徒を無視するのか。理由を聞いてみても、答えは返ってこない。

 先輩は変わらず。

 けれど、関係は段々と深まっていく。

 付き合って一年も経つのだから、当然と言えば当然かも知れない。先輩は僕との触れ合いを求め、僕もそれに応じる。抱擁され、接吻され──束縛される。

 先輩は、僕の行動を制限するようになった。

 今までは何も言わなかった女生徒との談話も先輩は許さなくなり、僕が学校内で話す事が出来るのは男生徒と教師。

 あと、先輩ね。

 それに加えて、一日に一度、スマホもチェックされるようになった。トーク履歴や着信履歴。アルバムも先輩からのチェックが入る。一通でも女の子からのメッセージが来ていたり、女の子の写真(二次元でも同様)が保存されていると、先輩の顔はたちまちの内に曇り、スマホが悲鳴を上げ始める。

 あの時は大変だった。

 けれども、不思議な事に僕の中に不満だとか、怒りだとかの感情は無かった。

 むしろ、僕は先輩にこんなに好かれているのかという幸福の再確認。

 美人に好かれる事が嫌な訳がない。

 どれだけその愛が重くとも、どれだけ束縛がきつくとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは」

 

 戸を開け、カウンターの内側に移動して鞄を下ろしてからそう言った。

 

「やぁ、今日は随分と遅かったじゃないか」

 

 本から顔を上げ(またマリオを走らせていたのだろうか)、壁掛け時計の時間を確認する先輩。僕もつられて視線を時計に。時刻は16時半。放課後が始まって1時間近くが経過していた。

 

「はい、少し友達の手伝いをしていまして」

「男か、それとも女か。君の回答によって、私の表情は変わる訳だけど」

 

 鋭い瞳で僕を睨む先輩。少しどもりつつも、言葉を発する。しかし、上手く纏まらない。

 

「……えーっと」

「答えられないのかい?」

「さ、最初に断らせていただきたいんですけど、僕は決してやましい思いだとか関係を深めようだとか、そう言った邪な考えは全く無くてですね、ただ──」

 

 困っていたから、助けただけなんですよ。

 僕が最後まで言い終えるよりも先に、先輩の脚が風を切り、僕の顔のすぐ隣を突き抜けた。遅れて、先輩の後ろでパイプ椅子がガシャンと倒れた。

 

「男か、女か」

 

 長い脚だとか、付け根の辺りまで捲れたスカートだとかには意識はいかないようで。先輩の怖い顔だけを、僕の脳は記憶に残すつもりらしい。

 恐らく、今までで一番の怒り。

 少し砕けた言い方をするならば。

 いつもの先輩じゃない。

 

「お、女の子です……」

 

 逸らそうとも逸らさない瞳。後ろめたい気持ちと共に答えた僕に、先輩は冷たく、しっかりとした声で言った。

 

「座りなさい」

 

 先輩が指差すは、先輩の後ろで倒れているパイプ椅子。僕は恐る恐る先輩の横を通り、パイプ椅子を直して座った。

 先輩は立っているので、必然的に先輩は僕を見下ろし、僕は先輩を見上げる形となる。

 どうしよう。

 僕の所為で、先輩を悲しませてしまった。先輩は女生徒との交流を止めろと僕に言っていたにもかかわらず、僕は情に流されて女生徒を助け、少なからず会話をしてしまった。

 僕は、最低だ。

 

「……先輩との約束を守れず、すみませんでした」

 

 頭を下げ、謝る。許されるような事だとは微塵も思ってはいないが、それでも、僕は頭を下げ、先輩に謝らなければならないのだ。

 

「君は何故、そうも人に優しくしてしまうんだろうね」

 

 先輩の言葉に、心が少し縮まる。

 

「あぁ、勘違いしないでくれ。優しくするのが悪い事じゃないんだ。それはむしろ良い事で、人としては褒められるべき事だ」

 

 先輩が僕の肩に手を置きながらそう言う。

 

「悪いのは、それを私以外の人間に与えたという事実だ」

 

 それから、僕を突き飛ばした。

 慌てて立ち上がる事も、崩れるバランスに耐える事も出来ない僕は、パイプ椅子と共に後ろに倒れる。頭は打たずに済んだが、それでも心体共に衝撃は大きく、僕は数秒の間動けなかった。

 先輩はそんな僕の間を跨ぎ、腕を組みながら見下ろした。

 

「君が優しくして良いのは、私だけだ。君が話して良いのは、私だけだ。君の表情を見て良いのは、私だけだ。君の全ては私のモノであり、私以外の誰も彼も、君との接触は許されていないのだよ」

「せ、先輩……」

「何故君は、私以外の人間に優しくするんだ!?何故君は、私以外の人間に語りかけてしまうんだ!?」

 

 怒鳴る。

 図書室に利用者は誰も居ないのか、そんな先輩を咎める声は聞こえて来ない。

 叫び終えた先輩は、ニヤリと笑った。その笑みは、今まで見た先輩のどんな笑みよりも凄惨で、どんな表情よりも狂気を孕んでいた。

 

「ひっ……!」

 

 思わず、声が洩れる。先輩も、自分がしている表情に気付いたのか、すぐにいつも通りの笑みに戻った。しかし、脳裏に焼き付いた先程の笑みは僕の頭から離れず、不意に訪れた恐怖は今も続いてしまっている。

 

「怖がらないでくれ。私は君に危害を加えるつもりはないのだから」

 

 屈み、床に膝を付けた先輩は、僕に顔を近付けて頬を撫でた。撫でる指先はゆっくりと下に行き、やがて喉元に辿り着いた。

 

「……しかし、このまま君を許しても、君は自己嫌悪から抜け出せないかも知れないし、私も、君への疑念が少なからず残ってしまうかも知れない」

 

 それならば。

 僕は、どうすれば良いのだろうか。

 何をすれば、先輩といつもの関係に戻れるのだろうか。

 そんな僕の問いが先輩に届いたのか、先輩は数秒思案してから、「そうだ」と口を開いた。

 

「君が他の人間と関係を持たずに済む方法を思い付いた」

 

 どんな方法だろうか。

 先輩といつもの関係に戻れるのなら、何だって良い。

 他の誰かを蔑(ないがし)ろにしたって構わない。

 僕は、確かな決意で先輩の言葉の続きを待った。

 

「1つ、簡単な問題を出そう」

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