夢のような出来事。下

パソコンを壊されてから、もう三日程経つ。

 そう言えば僕は着の身着のままでこの世界に来たんだなぁと、ふと思った。携帯も無いし、所持金も無い。服も主人公の制服を借りているのが現状だ(サイズが一緒で助かった)。

 どうして僕は、三日経っても携帯や財布が無い事に今の今迄気が付かなかったんだ……。

 しかし僕にとって幸いなのは、あの事件以来侑梨が力尽くで僕を束縛しようとはしなかった事だ。

 夢から醒める手段は破壊されたが、裏を返せばそれだけ。翌日からは、まるで何事も無かったかのように二人並んで登校していた。

 侑梨は少しばかり僕に依存しているかも知れない。けれど、だからと言って僕を監禁したり薬漬けにして言いなりにさせたりだとか──そんな事はしなかった。まぁ、侑梨は天使だからね。外面内面どちらも良い子なのだ。

 食事中。今日一日を振り返るかのように、今日互いのクラスで起こった何気ない出来事を語り合っていると、侑梨が徐

おもむろ

に呟いた。

 

「そもそも、夢から醒めるってのが可笑しな話だろ」

「と言うと?」

「胡蝶の夢って知ってるか?」

「眠っている間に、蝶々になって宙をひらひらと舞う夢を見ていた人がいた。けれども実は、蝶々の時こそが現実で、人間として活動していた方は逆に蝶々が見ていた夢なのではないか?って話だよね」

 

 僕が知っている胡蝶の夢はこんな感じ。もしかしたら間違っているかも知れないが、所詮は記憶しているのが僕の脳。真実との差異は見逃してほしい。

 

「そんな感じ。だから、秋斗もこっちが現実なんだよ。うん、絶対そうだ」

 

 寧ろ、そうだったらどれだけ良いか。僕だって、好きであんな世界で過ごしてきた訳じゃない。

 この世界で一生過ごしても良いと言うならば、僕は迷わずこの世界で生涯を終えるだろう。

 しかし、それはリスクが何も無い場合の回答だ。

 今の僕が置かれている現状はとても危ない──綱渡りのようなモノで、一刻でも早く元の世界に帰らなければならないのだ。

 僕が元の世界で、真の意味で居場所を無くしてしまう前に。

 僕の身体が生命活動を停止してしまう前に。

 帰らなければ、ならないのだ。

 

 胡蝶の夢。

 

 侑梨が言っている事は僅かだが現実味がある。何故ならば、今僕がこうして過ごしている時間を夢だと断定する事が──向こうで過ごした十数年間を現実だと断定する事が出来ないからだ。どれだけ理論立てて説明しても、その理論が夢の中での出来事ならば意味がないからだ。

 夢こそが現実で、現実こそが夢。

 夢っぽい現実と、現実っぽい夢。

 ……だったらいいんだけどなぁ。

 一応、胡蝶の夢はこういう形で完結している。

 夢と現実、どちらが真実の姿なのかは問題ではなく、胡蝶であるときは胡蝶として、人間であるときは人間として。そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、どちらが真の世界であるかを考えるよりも、どちらも肯定して受け入れ、それぞれの場で満足して生きればよいのである──と。

 結局、侑梨の一言によって優柔不断な僕はまたもや葛藤する訳だけれども。

 どっちも受け入れろという訳にはいかないのだ。

 そりゃ、受け入れた方が楽だよ?

 でも、向こうで眠り続けている僕はそうはいかない。僕が帰らなければ、いずれは死んでしまう。僕はこの世界で充分楽しんだ。満足した。

 

 だから、僕は帰るべきなのだ。

 

 食事を終え、侑梨と玄関で別れの挨拶をして、自室。お風呂も夕飯前に入ったし……さて、何をしようか?

 する事が無い。

 自室を一周ぐるりと見渡してみる。毎日使っているベッドに、試験一週間前にだけ使う机(このゲームの主人公は勉強が苦手らしい)。本棚には本が収納されておらず、何故か地球儀やら砂時計やらが並んでいる。脱出ゲームみたいだ。

 極め付けは、数日前に壊されたままの状態のパソコン。深いヒビが刻まれた液晶画面に、僕の顔がぼんやりと反射している。

 と、まぁ。主人公の部屋には娯楽が無いのだ。だって恋愛シミュレーションゲームだもんね。ヒロインがいなきゃイベントも何も起きないもんね。

 因

ちな

みに、リビングにはテレビゲームがある。

 だけど。

 うーん、わざわざ一回に降りてゲームしたりテレビを見たりするのも何かなぁ。

 あっそうそう、テレビは面白かったよ。向こうで良く知る芸能人に酷似した、同じような雰囲気の方々がテレビに映っているんだけど、名前が微妙に違うんだよ。井上が井下になってたり、児嶋が大島になってたり──ちょっと不気味な感じもするけど、新鮮で面白い。そして何より、そのバラエティを観て笑ってる侑梨が可愛い。

 そんな事を考えながら、今日は早めに寝る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、朝だ。ご飯だぞ〜」

 

 ユサユサ。布団越しに僕の身体が揺らされる。

 

「起きろって。遅刻するぞ?」

 

 抗い難きは布団の温もり。もう少しだけと、乱れた布団を被り直す。

 

「……おらー!」

 

 まだ眠っている脳と身体に、衝撃。何事かと目を開けると、侑梨の顔が目の前にあった。

 どうやら、侑梨が寝ている僕にダイブらしい。ニコニコしながら僕の身体に跨っている。

 ゲーム内では見られなかった展開に、寝起きにも関わらず僕は興奮していた。

 

「……おはよう」

「あぁ、おはよう。ご飯出来てるぜ」

「うん」

「……」

「……」

「……」

「……あの」

「何だよ」

「退いてくれないと起きれないんだけど」

「重いか?」

「全然。軽いし柔らかいし可愛いし」

「っ!先に下降りてるから!」

 

 僕は、寝起きのテンションは割と高い方だ。脳が寝ているので、何でも出来る気になってテンションが上がるのだ。

 そんなテンションで今の侑梨に対する感想を並べていると、侑梨が僕から降りて部屋から出て行ってしまった。

 あれ、何かやらかしちゃった?

 まぁ良いか。

 洗顔。それから歯を磨き、朝食。登校して、教室に着いた。

 

「あれ、どうしちゃったのさ。最近はちゃんと起きれてるけど。裕輝らしくもない」

「うっせぇ。俺だって起きたくて起きてる訳じゃねぇんだよ」

「皆そうだよ」

 

 ぐでー、と机に伏せながらも、裕輝は僕の声に応えた。寝ている訳ではないようだ。

 

「どうせお前はアレだろ?今日も侑梨ちゃんと仲睦まじく登校してきやがったんだろ?」

「うん」

「クソが!」

 

 そう吐き捨てる裕輝。

 僕だって、少し前迄は裕輝と同じ──いや、それ以下の人間だったのだ。隣には女の子どころか友人も居ないような人間だったのだ。

 しかし、この世界に来てからの僕の生活は一変した。隣には友人も居て女の子も居る。側

はた

から見たら普通かも知れないけれど、僕にとっては素晴らしい程に満たされている生活に変わったのだ。

 寝る前に天井を見詰めながら、僕は毎日考える。

『果たして、夢から醒めるという選択は本当に正解なのか?』と。

 僕は、物語の主人公のように正義感に溢れた正しい選択を出来る訳ではない。僕だって人間。欲はある。苦痛よりも快楽を選びたいのが人間の性だ。

 毎日が楽しいし、何より侑梨が僕の存在を望んでくれている。

 けれども、僕は帰らなければならない。

 欲にまみれた僕は、結局は自分の身が一番大事なのだから。

 侑梨よりも、自分の身の方が可愛いのだから。

 

「おい、おーい。どしたよ。急に黙りこくっちまって」

「──え?あぁ、何でもないよ」

 

 裕輝に指摘され、平常を取り繕う。

 

「……怪しいな」

 

 しかし、裕輝は何かを勘付いたらしい。僕の顔を訝しげに見詰めながらそんな事を呟いた。

 

「俺に、何か隠してねぇか?」

「隠してないよ」

「自分では気付いてねぇと思うが、嘘を吐いてる時のお前はまばたきが多くなるんだぜ」

「え、本当?」

「嘘だ」

「……」

 

カマを掛けられ、押し黙る。そうだ、主人公の友人ポジションの奴ってやたらと感が鋭いんだよな。主人公が悩んでるとヒロインよりも早く機微に気付き、相談に乗ってくれる。女の子の情報網にも潜り込んでいたりしているので、主人公にとってとても頼りになる存在なのだ。

 裕輝もその例に漏れず、僕の何かを察したらしい。

 

「……ちょっと出掛けようぜ」

 

 僕が何も言えずにいると、裕輝が僕の手を取って立ち上がった。

 

「え、今から?」

「一日くらいサボっても問題ねぇよ。行くぞ」

「僕は大丈夫だけど、裕輝は出席日数的にヤバいんじゃ……まぁ良いか」

 

 立ち上がり、裕輝についていく事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、入れよ」

 

 場所は変わり、裕輝の自室。どこに連れて行かれるのか。もしかして体育館裏?と少し不安だったのだけれど、裕輝曰く『腹を割って話すなら、二人きりになれる場所しかねぇだろ』らしい。何だこの友人、イケメン過ぎるでしょ。

 用意された座布団に座り、対面。

 

「で?何を隠してんだよ」

 

 単刀直入。どうやら聞きたい事はそれだけのようで、座ってすぐに問われた。

 ここまで来たら、もう誤魔化しや言い逃れは利かない。僕は正直に話す事にした。主人公にも他言無用とは言われてないし、そもそも侑梨は僕が違う世界から来た事を知っているみたいだしね。

 話を聞き終えた裕輝は、こう言った。

 

「成る程な、いつの間にか入れ替わっていたワケか」

「騙しちゃってごめんね」

「騙す?」

「うん。今まで裕輝に真実を伝えなかったんだから。騙した事になるよ」

「……お前がそれで良いなら良いけどよ。俺は全く騙されたとは思ってねぇんだからな?何故だか知らねぇが、お前の名前が秋斗っていうのは理解してる。

 お前と過ごした数日間は楽しかったし、紛れも無く本物だと思ってる」

「ひ、裕輝!」

 

 裕輝のイケメンさに涙が出そうだよ、まったく。

 今日だけで、僕の中の裕輝に対する好感度が馬鹿上がりしていた。

 

「んで、お前はどうするんだよ」

「どうするって、何が?」

「そりゃ勿論。元の世界とやらに帰るんだろ?」

「帰りたくても帰れないじゃないか」

 

 僕がそう言うと、裕輝はハァ、と溜め息を吐いた。何だよその目は。

 

「馬鹿だなお前」

「裕輝にだけは言われたくないんだけど」

「いや、今回ばかりは言わせてもらうぜ?お前は馬鹿だ。パソコンを壊されたくらいで何を悄気

しょげ

てんだよ。パソコンなら、俺の部屋にもあるだろうが」

 

 数秒程考えてから、理解。

 

「その手があったか!」

「おう、お前の話を聞く限りだと、送られてきたメールのURLさえ押せれば良いんだよな?だったら機種機材は問わない筈だ。何なら俺の携帯でも良い」

 

 目が覚めたら、この世界に居た僕。つまり、パジャマ一着でこの世界に来てしまった訳で。

 携帯も持ってきていなかったので、パソコン壊されても携帯あるから──と考えられなかったのだ。侑梨に逢えた事への喜びで、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 裕輝の考えには僕も賛成だ。早速、卓上のノートパソコンを起動してもらう。

 送信画面。送るアドレスは、忘れる筈も無い僕自身のパソコンのアドレス。スラスラと入力し、裕輝のパソコンから送っているという旨を本文に添えて送信。

 僕は、座っていたチェアの背もたれに体重を預けて安堵の溜め息を吐いた。

 

「帰ってきたメールにペーストされてるURLを押せば、お前とはお別れな訳か」

「そうだね。短い間だったけど、本当にありがとう。裕輝と話して、初めて高校生活を楽しいと思えたよ」

「嬉しい事言ってくれるじゃねぇかよ」

 

 笑い合う。

 

「まぁ、なんだ。画面越しとはいえ、またお前とは話せるからな」

 

 お前が、俺達のゲームをプレイしてくれている間は。裕輝は最後にそう付け加えた。

 

「次会う時は、僕の名前は春哉だね」

「そう考えると変な感じだよな。見た目では全く違和感がねぇし、俺はお前の事を秋斗だって思ってる。むしろ春哉って言われた方がピンとこないくらいだ」

「やっぱり分からないモノなの?」

「あぁ」

 

 まぁ確かに、他のヒロインの子達とも普通に会話出来ていたんだし、そういう事なのだろう。

 最後の思い出とばかりに話していると、下から物凄い音が聞こえた。

 続いて、怒声。

 

「秋斗ォォォォッ!!」

 

 誰なのかは言うまでもない。

 

「クソ、もしかしなくても不法侵入だな!?急げ秋斗!時間がねぇ!」

 

 急いで裕輝は部屋のドアを閉め、ドアに身体を預けながら言ってきた。侑梨の足止めをしてくれるらしい。

 最後まで良い友達だ。

 

「そんな事言っても──来た!」

 

 ベストなのかは分からないが、このタイミングでメールが届いた。

 しかし、それとほぼ同時に即席バリケードが突破された。

 

「嫌な予感がして休み時間に教室を覗いてみたら……、何回オレを裏切れば気が済むんだよ!」

 

 その言葉に、思わず振り向く。ドアを押さえていた裕輝は突破された時の勢いで部屋の隅まで追いやられ、しかめっ面で労わるように肘を擦っている。どうやらぶつけたらしい。

 それから視線を移す。

 目が合って気付く。

 侑梨は泣いていた。

 

「ごめん、やっぱり僕は帰らなくちゃいけないんだ」

「ふざけんな!俺との約束を忘れたのか!?どこにも行かないんだろ!?何で嘘を吐くんだよ!!」

「帰っても、また会えるから」

「だけど近くない!!秋斗を遠く感じる今までの関係──春哉と侑梨の関係に戻れって言うのかよ!?

「ッ」

「……もう良い。やっぱりオレは秋斗に優しくし過ぎたんだ。あの時に、もう帰る気なんて起こせなくしておけば良かったんだ」

 

 突如として、侑梨の雰囲気が変わる。ピリピリと肌に刺さるようなプレッシャーが僕を襲う。

 裕輝も、侑梨のただならぬ雰囲気を察したのだろう。叫んだ。

 

「──おい秋斗!早く押せ!」

 

 その言葉で我に帰る。そうだ、URLさえ押せば帰れるんだ。僕はパソコンの画面に身体を向け、つい先程送られてきたメールを開いて、椅子から転げ落ちるようにソレを避けた。

 

「……避けられたのか」

「避けられたのかって、そりゃ避けるよ」

 

 パソコンの画面に反射して、背後でハサミを振りかぶる侑梨が見えた僕は、URLを押す前に避けた。そのお陰で怪我をせずに済んだ。

 のだが。

 僕という標的を失ったハサミは、そのままパソコンの画面に突き刺さった。

 裕輝のパソコンはノートパソコン。画面を一突きされただけで、煙を上げている。

 持ち主の裕輝には大変申し訳無いけど、もう使う事は出来ない。

 もしかして、僕だけじゃなくて画面も標的だったのか?

 侑梨の真意は分からない。けれど、喜んでいるのは確かだ。

 僕が元の世界へと帰る手段が、再び壊されたのだから。

 

「……ふふ、ふは、はははははははははははははは!!」

 

 侑梨が嗤う。その声が部屋中に響いていた。

 

「さて」

 

 ひとしきり笑った侑梨は、僕に視線を向けた。

 

「秋斗、オレはもう耐えられない。秋斗と離れ離れになるのも、秋斗に裏切られるのも」

「だったらどうすんだよ。秋斗にだって秋斗の生活ってもんがあるだろ」

 

 侑梨の言葉に裕輝が横から返す。

 簡単だ、と侑梨が言った。

 

「ずっと『ここ』にいれば良い」

「そういう訳にもいかないって聞かなかったのか?秋斗がこのままこの世界に居座れば、向こうで寝ている秋斗はいずれ死んじまう。侑梨ちゃんだって、秋斗の身は大事だろ?」

「でも、この世界の秋斗が死ぬ訳じゃない。向こうの秋斗が死ねば、目の前の秋斗が帰る必要が無くなる──ほら!秋斗と永遠に一緒に居られるじゃないか!」

「……侑梨ちゃん、お前イカれてるぜ」

「何とでも言えよ。オレは秋斗さえ居てくれれば良いんだ。お前の意見は聞いてない」

 

 裕輝の言葉にも、侑梨は耳を貸さない。もう何が何でも僕をこの世界に留めさせる気なのだ。

 侑梨の意識が裕輝に集中している隙に、僕はこっそりと立ち上が

 

「ぐッ!」

「おいおい、駄目だろ秋斗。どこに行こうとしてるんだ」

 

 膝を立てた瞬間に横っ面を蹴飛ばされ、倒れる。侑梨はキチンと僕の方にも意識を傾けていたようで、僕の作戦は失敗に終わった。

 侑梨がしゃがんで僕の右腕を押さえ、ハサミ本来の使用方法の持ち方でハサミを持った。挟む物は、僕の二の腕。

 

「な、何を」

「簡単だよ。URLを押しちゃう腕なんか要らないだろ?オレから離れる足なんか要らないだろ?だったら、取っちゃえば良いんだ」

「そんなハサミじゃ人の腕は断ち切れないよ?考え直さない?」

「切れるまで何度でも挟んでやるさ。秋斗が受ける痛みの数が、今までオレが受けてきた痛みの数だ」

 

 どうやら事態はトンでもない方向に進んでしまったようで。

 僕が達磨人間になるかどうかの瀬戸際にまで追いやられている。

 不快な汗はダラダラと出るのに、どうしてか言葉は出てこない。

 心臓はこんなにも早く動いているのに、この手足は全くと言って良い程動かない。

 ハサミが、窓の外の日光を反射してキラリと光る。

 

「させるかっての!!」

 

 ハサミが振り下ろされようとした瞬間。裕輝が侑梨を突き飛ばした。ハサミを取り上げるまではいかなかったが、僕と侑梨の距離を離す事に成功。裕輝に差し出された手を取り、立ち上がった。

 

「抵抗しても無駄だと分からないのか?今からお前の携帯でもう一度メールを受信でもする気なのかもしれないけど、オレはそれよりも早く持ち主諸共ハサミで壊す事が可能なんだぞ?」

 

 息を整える為か侑梨はすぐに距離を詰めてきたりはせず、二メートル程離れた距離でそう言った。

 絶望的。

 元の世界に帰る方法と、オレの今後の人生が一変に台無しにされてしまったこの状況。

 己の愚かさに歯噛みし、豹変した侑梨に震えているだけのオレ。

 そんなオレに加担した裕輝はどうしているのだろう。隣を見てみる。

 裕輝は、まだ諦めていなかった。こんな事態を引き起こした張本人である僕よりも、この状況を諦めてはいなかったのだ。

 何だ、裕輝は何をする気なんだ。

 

「分かってる。今からそんなマネはしねぇよ」

「なら、どうして」

「今からは、な!」

 

 そう言って自身のポケットに手を突っ込み、携帯を取り出した。光の灯った画面。そこには、

 

「い、いつの間にURLを!?」

「侑梨ちゃんが秋斗に気を取られている間にやっておいたんだよ。秋斗がパソコンでアドレスを入力する所は俺も後ろから見てたしな」

 

 突如として舞い降りたチャンス。

 僕の手の届く所に、元の世界へと帰る手段

URL

がある。

 しかしそれは、侑梨だって同じ。

 

「させるかァ!!!!」

 

 侑梨が床を蹴り、僕達との空いた距離を詰めにかかる。しかし、それよりも早く裕輝が僕の手を取り、URLを押させた。

 

「じゃあな、秋斗。元気でやれよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ッ」

 

 ビク。

 寝ピクのような感覚で目が覚めた。軋む身体を伸ばして、思い出す。

 

「そ、そうだ!侑梨は!?裕輝は!?僕はどうなったんだ!?」

 

 上体を起こして周りを見渡すと、そこには慣れ親しんだ僕の部屋が目に映った。

 春哉じゃなく、秋斗の部屋。

 

「……そっか、戻ってこれたんだ」

 

 安堵の溜息。それから、どうしようもない程の空腹と喉の渇きに襲われた。

 

「何か食べよう」

 

 白状すると、こうして呟く独り言も辛いのだ。喉が空気と掠れてとても痛い。

 ベッドから降り、取り敢えず水を飲みに行こうと立ち上がる。数日間動かさなかったものだから、思い通りにいかない身体に戸惑いながらも歩を進めようと足を踏み出してみれば、パソコンが目に入った。

 画面は点いていて、そこには『メールを受信しました』の文字。

 この前も言った通り、僕には友達がいない。中学校の頃に仲の良かった子が何人かはいるが、高校生になってまでメールのやり取りを続ける程の間柄ではなかった。

 祖父母も、パソコンやら携帯やらの機器を扱えていた記憶は無い。

 ならば、送り主は誰?

 気になり、喉の渇きも忘れてパソコンの前の椅子に座る。

 未読メールをクリック。

 

【春哉だ。そっちは無事に帰れたか?】

 

 文面から察するに、主人公も元の世界に戻る事が出来たようだ。

 何故だか分からないが、このやり取りが酷く久し振りに感じた。あちらでの出来事が、遠い、何年も前に起きた出来事のような感覚。

 手をグッパグッパしてほぐし、人差し指でキーを打つ。

 

【こっちも無事だよ。URLありがとうね】

 

【なに、気にするな。俺も元の世界に戻れて良かった。そっちの世界でする事と言えば、ネットサーフィンかゲームくらいしかなかったからな】

 

 それもそうか、主人公は物に触れる事は出来るけど、実体は無いのだ。誰とも話せないし、彼にとって未知の世界である外に、迂闊に出る訳にもいかない。

 

【それと、ごめんね。そっちの世界で色々問題を起こしちゃったみたいで。侑梨と裕輝はあれからどう?怪我とか大丈夫かな?】

 

 僕の唯一の心残りと言えば、ソレだ。あの状況で僕だけが消えて、残された二人はあれからどうなったのか。

 謝罪と共にそう返信する。

 

【……その事なんだけどな】

 

 送られてきたその文章を見て、僕は無意識に背筋を正す。

 

【俺が元の世界に戻ってから、色んな人に会いに行ったんだ。裕輝にも会ったし、他のヒロインにも会った。だが──侑梨だけがどこにも居ないんだ。家に行ってご両親に尋ねても、ご両親も居場所は分からないらしい。

 なぁ、〝侑梨がどこに行ったか知らないか?〟】

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