夢のような出来事。上

 画面の向こうには何があるのか。それを真剣に考えた事はあるか?

 PC画面の。

 テレビ画面の。

 携帯ゲームの。

 液晶画面の向こう側には何があるのか。僕は知りたい。この目で、確かめてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰しも(流石に言い過ぎか)一度位は考えた事があるのではないだろうか?アニメやゲームのキャラクターと話してみたい。一緒に冒険してみたい。イチャコラしてみたい。etc……。

 僕もその中の一人で、ただ単にゲームのキャラクターとお話がしてみたい──言ってしまえば、少年ハートを忘れないでここまで育ってきた極めて純粋な高校生なのだ。

 なんて格好付けてみたけれど、簡単に言えばアレです。ゲームに出てくる女の子達が愛おしくて辛抱堪らないから画面の向こうの彼女達に逢いに行きたい──そんな邪(よこしま)な感情を滾らせていただけです。はい。引かないで下さい。お願いです。

 現実から逃げてる訳じゃないんだよ?確かに僕は勉強は得意じゃないし、運動も得意じゃない。女の子にはモテないし、男友達もいる事にはいるけど高校が違う。綾取りが得意な訳でもなければ射撃に秀でている訳でもない。前世の記憶を引き継いだ転生チートキャラな訳でもなければ、転んだ拍子に女の子の胸や股間にダイブ出来る鈍感ラッキースケベ野郎な訳でもない。

 中肉中背、漫画の背景にすら入れない程の無個性。

 もう一度言おう。

 逃げてる訳じゃないんだよ?(震え声)

 えぇい、五月蝿い!静まれ!

 良いじゃないですか。僕より優れている人はこの世にもあの世にもごまんといる。僕一人がやる気無くても世界は異常無く廻っているのだ。

 そんな訳で。

 ゲームの女の子達に逢いたい僕は、画面の向こうへ飛び込む為に方法を必死に探すのであった。

 ネットサーフィンで。

 

  ……こういう所が、僕が僕たる所以ゆえんなのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 探し始めて早一ヶ月。【画面の向こう 行く方法】から【ゲームの女の子達 逢いたい】迄。様々な検索ワードで探し尽くした。というか、最後の方に至ってはただの願望だ。

 

 結論を言うと、方法は見つからなかった。正確には、分からなかった。

 

 だって、そうだろう?この世に人間が何人存在していると思っているんだ。人間の数だけ方法があり、ネタで書き込む人もいれば【二次元に行った事あるけど質問ある?】みたいな成りきりマンもいる。

 画面の向こうへは行けない。分かり切っていた事とはいえ、地味に凹むんだよなぁ。

 僕の一ヶ月は何だったんだ。

 しょうがないので、気休め程度に定番のアレで我慢するとしよう。それ以降は、もうどうしようも無い現実に耐えるとしよう。

 

 

 ──寝る前、枕の下に好きな物を入れると、夢でその好きな物が出てくる──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ッ」

 

 ビクッ。

 寝ピクのような感覚で目が覚めた。だけど意識はバッチリ覚醒していて、目も冴えている。唯一感じるのは寝起き特有の身体の重さだけ。

 上体を起こす。掛かっていた布団に追いやり、背中を伸ばす。

 そういえば、枕の下に僕の大好きなとある恋愛シミュレーションゲームのパッケージを入れたんだけど、夢に出ない所か夢自体見なかったなぁ。ディスクは本体に入れっぱなしだし、やっぱディスクも入れなきゃ効果無いのかな?とか真面目に考えてみる。

 

「ふわぁ……。あれ?」

 

 欠伸あくびを一つ。それから気付いた。自分の部屋の様子が可笑しい事に。何だろう、自分の部屋じゃない事は確かなんだけど、やけに見覚えがある。

 

「……まさか」

 

 徐々に思い至る。

 そうだ。

 この部屋は、枕の下に入れたゲームの主人公の部屋にそっくり──否、そのものだ。プレイしていれば背景として何度も出てくるから見覚えがあるのは当たり前だ。

 そうか、成功したのか。そうかそうか……。

 

「え、マジで?」

 

 疑問を口に出してしまう位には驚いていた。一番ベタなのに信憑性の無さで有名なアレが成功してるの?自分の夢に現れただけだから他人に幾ら話しても信じてもらえない事で有名なアレが、成功してるの??

 落ち着け、落ち着くんだ。逸はやる気持ちを宥めて、まずは考えようじゃないか。

 無理ですね。早くこのゲームに出てくるヒロインちゃん達とお話(意味深)したいし。

 今自分の身に起きている事が夢だろうが超常現象だろうが、僕には関係無かった。

 

 

「恐らく今は朝だろうから、そろそろあの子が来る頃か」

 

 ゲーム内に於ける毎朝のイベント【ヒロインが起こしに来る】だ。

 内容を知っている僕としては、もう一度布団を被ってヒロインちゃんに起こしてもらおうかなとか考えたりする訳だけど。もうドアが開いちゃったから、残念ながら行動に移す事は出来なかった。

 

「お早う、良い朝だね」

 

 ドアを開けたヒロイン──主人公の隣の家に住んでいる幼馴染に向かって、僕は爽やかさを努めて挨拶した。

 黒のショートカット。可愛い。

 オレっ娘。可愛い。

 家事全般が得意だけど、それを周りに知られるのを恥ずかしがってる。可愛い。

 周りの同性よりも背が高いのがコンプレックス。可愛い。

 毎日甲斐甲斐しく主人公を起こしに来てくれる。可愛い。

 主人公は中学に上がるまで彼女の性別を男だと思っていて、胸が成長している事に気付いて尋ねてみた所、実は女だったーーみたいな。

 友達のような距離感で話している為気楽に自然体で話せて、けれども時折り見せる幼馴染の女の子らしい可愛さにドキッとしたり。

 もうね、このゲーム内に於ける僕の一番の推しキャラなんですよ。

 推しキャラこと侑梨(ゆうり)は僕を視界に入れるなり、その両眼を見開いた。

 そっかそっか。主人公は毎日寝坊している訳だから、起きているのが珍しいのかな?やはり無理矢理にでも布団を被っていた方が

 

「うおっ」

 

 前方から柔らかい衝撃。見やると、侑梨が俺に抱き付いていた。僕は両手を侑梨の後ろに回す事が出来ず、空中でにぎにぎと手持ち無沙汰になっている。彼女の髪から香る良い匂いとか人生生まれてこのかた体験した事の無い女性の身体の柔らかさとかは大変嬉しいんですけど……。

 えっ、何で?

 

「やっと逢えた……」

 

 侑梨は呟くようにそう言った。ゲーム内では毎日逢っているのに何故?僕は疑問に持つ。

 

「『やっと逢えた?』」

 

 僕は侑梨の言葉を復唱する。しかし疑問は晴れない。何だ?夢特有の辻褄の合わないヤツか?

 

「やっと逢えたな!秋斗(あきと)!!」

「そ、そうだね。やっと逢えたね」

 

 戸惑い、驚きつつも話を合わせる。秋斗とは僕の名前なのだが、違う。合っているけど違うんだ。

 ゲーム内では、僕の名前は秋斗ではなく、『春哉(はるや)』の筈なのだ。本名でやるのは気恥ずかしいので、偽名を使っていた筈なのだ。

 だと言うのに、侑梨は何故僕の本名を知っているんだ?

 背中を嫌な汗が伝うが、僕はそんな事よりもゲームに出てくるヒロインと話せた事によって、最高にテンションが上がっていた。

 どんな疑問も、片付けようと思えば全て夢で片付けられる。

 

「もう朝ごはん出来てるから、食べようぜ。今日の味噌汁には自信があるんだ」

「うん、分かった」

 

 侑梨の生声を堪能しつつの返事。

 このゲームの主人公の両親は他界していて、一人暮らし。祖父母からの毎月の仕送りを頼りに生活している。

 幼馴染とは物心付いた頃から一緒にいて、両親が他界した今、炊事洗濯何から何まで受け持ってくれている。そんな設定。

 天使かよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何やかんやあって、登校中。上機嫌な侑梨の隣を歩きながら、僕は考え事をしていた。

 夢に出てきてくれたのは大変嬉しい。けれど、可笑しな事に僕の意識は凄いハッキリしているんだよなぁ。

 夢とは思えない程に。

 身体も自分の意思で動かせるし、こんな夢は初めてだ。夢を見ているという事は、そこまで熟睡はしていないと思うんだけど……。

 果たしてこれは本当に夢なのか?それとも、僕がそう思っているだけの夢なのか?

 

「なぁ、秋斗」

「何?」

「オレは、秋斗に逢えて嬉しいぜ」

 

 まるで、以前までは顔を合わせて会話する事が出来ずに、今日初めて出逢ったかのような幼馴染の反応。僕は疑問を抱きつつも笑顔で返した。夢だから、多少のズレは気にするまい。

 

「僕も嬉しいよ」

「もうどこにも行かないよな?」

「行かないよ」

 

 そもそも以前に隣に居た事が無いのだから、僕にはこの返答以外の正解が分からなかった。

 分からなかったのなら、取り敢えず話を合わせとけばなんとかなる。

 

「へへっ、そっかぁ」

 

 頬を赤く染めて僕から視線を外す侑梨。可愛いなぁ。

 他愛も無い雑談に花を咲かせていると、いつの間にか学校へ到着。侑梨と僕はクラスが違う為、下駄箱で別れる。

 教室迄の道中、甘え上手な後輩や関西弁の先輩や対人恐怖症の生徒会長とか、色々なヒロイン達と話す事が出来た。しかし僕は攻略ルートを侑梨一人に絞っていたので、特にイベントは起きずに朝の軽い挨拶程度で終わった。

 教室に入ると、主人公の友達が主人公の席の前に座っていた。主人公の席は窓際の一番後ろ。名前のまま、主人公席というヤツだ。

 凄いな。上の三文の間に『主人公』という単語が四つも使われている。

 

「おう秋斗。今日は早いじゃねぇか」

「お早う、裕輝(ひろき)。今日も朝から元気だね」

 

 彼の名前は裕輝。よく読み方を『ゆうき』と間違えられる。

 コミュニケーション能力の高さから、誰とでも友達になれるという特技を持つ。しかし、何故か女性にはモテない。もしかしたら彼にはソッチの気があるのかも知れない。

 

「今頭の中で失礼な事を考えなかったかこの野郎」

「気の所為だよ。──それよりも、早いといえば裕輝もじゃない?いつもはチャイムギリギリか遅刻でしか登校して来ないのに」

「時間通りに起きれちまったからな。仕方無くだ」

 

 起きれちまったって……。単位の大切さは裕輝自身が一番良く分かっている筈なのに。どうして彼はそこまで命知らずなのだろうか。ギリギリでいつも生きていたいんだろうか。

 

「僕も、今朝は起こされずに自分から起きれたんだ」

「それが普通なんだっつうの」

「裕輝に言われたくない」

 

 笑い合う。裕輝とはテンションというか、波長が合う。僕(主人公)とは比べ物にならないくらい友達が沢山いる裕輝が僕によく話し掛けてきてくれているのがその証拠。話し易くて、気を使わなくて済む。

 ……アレ、意識しなくても主人公っぽく(主人公の設定から逸脱する事無く)話せている?流石は僕。凄い適応能力だ。

 良いなぁ、夢だから学校に来ても気楽でやれる。現実では学校に友達が居ないので、つまらない事この上無い。現実でも裕輝みたいな友達が居たらもっと学校が楽しくなるのに。

 

 あー、夢から醒めたくないなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 僕はフラグ発生条件である部活動や委員会に所属していない(帰宅部のままでいると同じく帰宅部である侑梨のルートを攻略し易いから、僕は帰宅部なのだ)。教室まで迎えに来てくれた侑梨と共に帰り道を歩く。

 

「帰ったら何する?人生ゲームでもやるか?」

 

 侑梨がそう問うてきた。夕飯まで二時間近くあるので、ほぼ毎日侑梨とこんな感じで遊んでいる。テレビゲームの類いも家にはあるのだが、侑梨はそれ等は苦手だから言葉にせずに敢えて人生ゲームと言ったんだろう。可愛いなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢から醒める方法?」

 

 この夢を見始めてから、夢の中では数日程経過し、夢にしては長いなぁと感じ始めていた頃。侑梨が夕飯を作るのを待っている間に主人公の部屋にあるパソコンを弄っていたら、唐突にそんな内容のメールが来た。送り主は、僕。

 見覚えのあるメールアドレスは紛れも無く、リアルの世界で僕が自分で設定したモノだった。何度確認しても見間違いという結論には至らない。

 正真正銘僕のメールアドレスだ。

 このメールが、僕のパソコンから送られたモノだというのは認めるとして。

 はて、一体誰がこのような真似を?

 誰かが家に侵入して、僕のパソコンのパスワードを解いて主人公のパソコンにメールを送っているのか?

 そんな馬鹿なと思うかも知れないけれども、これでもまだ可能性としては現実的なのだ。

 パソコンが一人でに動くなんて事は、有り得ないのだから。

 誰かが勝手に僕のパソコンを弄っていると仮定して話を進める。進めるしかない。

 さて、何故僕のパソコンを勝手に使っている人物は、このパソコンのメールアドレスを知っている?

 これも夢特有の、突拍子も無いソレなのか?

 姿も分からない相手に色々な疑問をぶつけつつも、取り敢えず返信してみる事にした。まぁ、迷惑メールの類いだったとしてもパソコンは主人公のだし、別に僕が困る訳じゃないから良いよね。夢だし(ゲス顔)

 

【君は誰?】

 

 送信。然程(さほど)時間が掛からずに着信。

 

【お前が今居るゲームの主人公だ】

 

 純粋に驚いた。

 まさか、ゲームの主人公とメールのやり取りが出来る日が来ようとは。

 

【最初に言っておく。これが夢の中の出来事で、現実には何の影響も無いと考えているなら、その考えを今すぐ改めろ。これは夢じゃない。お前にとっては夢のような出来事かも知れないが、現実だ】

 

 不思議な事に、僕は相手が嘘を吐いているようには思えなかったのだ。ただすんなりと事実と認識し、会話を進めていた。

 

【君は、僕の部屋にいるの?】

 

 着信。

 

【あぁ。実体は無いけどな。物に触る事は出来る。……時にお前、侑梨に好かれてるだろ】

 

 ……言われてみれば。侑梨は僕に会うなり『やっと逢えた』みたいな事を言っていたような。

 

【うん】

 

 着信。

 

【事の発端は侑梨が原因だ。侑梨の重過ぎる想いが次元を越え、常識を越えて今回のような事態を起こさせた】

 

【そんな事が出来るの?】

 

【実際なっているんだから、そう考えざるを得ないだろ】

 

 それもそうか。僕は強引に納得していると、続けて着信。

 

【侑梨に何か言われなかったか?】

 

【侑梨に『やっと逢えた』って言われた。そう言えば今の好感度ってどれくらいなんだろうね?】

 

 すぐさま着信。

 

【拙(まず)いな。事態は結構深刻らしい】

 

 深刻?その二文字にじんわりと焦りを帯び始めた僕の心情を察してか、続いてメールが着信。

 

【俺はこの世界に居てもあまり問題は無いが、お前は違う。パソコンの画面越しにお前が侑梨を見るように、侑梨もまたパソコンの画面越しにお前を見ているんだ。ニーチェの……知ってるか?】

 

【深淵をこちらがのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ──だっけ?】

 

【そうだ。意味は全く違うが、言葉通りに受け取ってくれれば良い。お前が侑梨を見る時、侑梨にもゲームをプレイしているお前が見えているんだ。普通では有り得ない事だが……侑梨は主人公──俺ではなく、プレイヤーのお前に恋をしている】

 

【嬉しい】

 

【それで済んだら良かったんだがな】

 

【どういう事?】

 

【ずっと夢の中にいる訳にもいかないだろ】

 

 そうだ。普通なら、夢を見ていてもいつの間にか夢から醒めているけれど、『コレ』は違う。夢の中で何日も僕は過ごしている。

 そういう夢だと言われたらそれまでだけど、これが紛れも無い現実だと主人公から言われている。

 ドッキリかとも思えるが、そもそも一般市民である僕にこんな大掛かりなドッキリを仕掛けるメリットが無い。

 

【お前の本体はベッドで眠り続けているぞ。こっちではもう二日経っている。一人暮らしで助かったな】

 

 二日と言えば、僕がこの世界で過ごした日数と同じだ。

 二日も寝たきりという事は、食事も何もしていないという事だ。栄養云々については当然として、それを抜いても学校の出席日数とかも危うくなってくる。夢から醒めたら退学扱いとか笑えない。

 

【夢から醒めるにはどうしたら良いの?】

 

【今から送るURLをクリックしろ。それだけで夢から醒める】

 

【……途端に詐欺臭くなってきたんだけど】

 

【馬鹿。そんな事言ってる場合かよ。……あと、間違っても、死んだら夢から醒めるとか考えるなよ?この夢は普通じゃない。そっちで死んだら、最悪こっちのお前も死ぬかも知れない】

 

 チラッと頭の中で考えていた案を否定される。皆も高い所から落ちて、地面にぶつかる瞬間に目が醒めるというのは経験した事あるんじゃないかな?僕も、そんな感じで飛び降りたら目が醒めるかなぁとか考えてたんだけど……主人公の話を聞く限り駄目そうだ。

 何故僕の死とリアルの僕の死がリンクしているのかは不明だけど、この状況がもう訳分からないのだから、あまり質問をしている暇はあるまい。

 メールを受信。そこには、青い文字でURLが書かれていた。

 これをクリックすれば夢から醒める。

 楽しい夢から醒める。

 そんな時に、ふと自問が頭を過よぎる。

 

 起きたら何が待っている?

 

 待っているのは、面白くもない、毒にも薬にもならない平凡な日常。眠たくなる程の日常。

 

 僕は取るべき答えを一瞬頭の中で考えてから、決めた。

 

「押さなきゃね。本来ここは僕の世界じゃない。あくまでここは、このゲームの主人公の世界だ」

 

 マウスに手を掛ける。この人差し指を押し込めば、全て終わる。

 押そうと指に力を込めようとした瞬間の出来事だった。

 

「秋斗〜、夕飯出来たぞ……あん?」

 

 最悪のタイミング。

 僕は思考を夢から醒める云々に置き過ぎて、侑梨が階段を上ってくる音に気が付かなかったのだ。そして、あまつさえ入室も許してしまう失態。画面を向いたままの僕の肩に侑梨の手が置かれた。後ろを振り向けずに話が続く。

 侑梨の瞳に映るのは、僕と主人公の会話のログ。

 

「……何、だよ。それ」

「……」

「……嘘だよな?」

「……」

「何とか言ってくれよ!なぁ!」

 

 肩を掴まれたまま引っ張られる。グラリとバランスが崩れ、床に頭を強かにぶつけた。悶える僕。その顔の真横に、侑梨の右手が落ちてきた。これが世間一般的に言う床ドンというヤツか。まさか僕がやられる側になるとは。

 

「言ったよな……!?もうどこにも行かないって!」

「……ごめん」

「謝られても困るんだよ!オレと一緒に居てくれるんじゃなかったのか!?今まで秋斗に逢う迄、ずっと我慢してたんだぞ!?隣で話してる筈なのに何故か遠く感じる秋斗に、いつかちゃんと逢えるって信じてここまで我慢してたんだぞ!?」

 

 胸が苦しい。侑梨の一言一言が胸を打ち砕き、心に突き刺さる。言い訳のしようも無い。

 侑梨は瞳に涙を溜めながら、僕に感情をぶつける。

 それを夢と呼ぶにはリアル過ぎて。

 僕はただただ怯えた。

 そんな二人を見守るように、パソコンは画面を光らせ続けている。

 

「オレは絶対許さないからな。折角逢えたのに、秋斗と離れ離れになるなんて耐えられない」

 

 侑梨は僕を強く睨み付けてから立ち上がり、パソコンに視線を移した。数歩移動して、侑梨は机の上にシャーペンや定規などと一緒に立てられていたソレを手に取る。

 ハサミだ。

 

「危ないよ?」

「秋斗には向けない」

 

 ならばそれ以外の何に使う気だ?と考えてしまう辺り、僕は侑梨の今の状態を怖がっているのだろう。

 ハサミで刺されるのではないかと思う程度には。

 侑梨の視線の先にある物を確認し、すぐに理解。侑梨がこれからするであろう行動を止めようと床に手をついて起き上がろうとするが、間に合わない。

 

「秋斗はずっと……ここに居るんだよぉぉぉおおおおおおおおお!!」

 

 侑梨は叫び、勢い良くハサミを振りかぶり、パソコンの画面に突き刺した。引き抜いてから違う場所に突き刺す。それを幾度か繰り返して、次に目を付けたのはコンセントから伸びる数本のコード。侑梨はそれを挟んで力技で断ち切った。パソコンの画面の明かりは既に消えている。

 絶望。

 たった十秒にも満たない侑梨の凶行によって、僕の夢から醒める唯一の手段が消されてしまった。

 侑梨が僕へと振り返る。その顔は何かをやり遂げたような清々しい笑顔。

 口がゆっくりと動いた。

 

 

「さぁ、ご飯にしようぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る