episode0 中編 side陽介

「おお! ようやく来たか」


 茶谷は喜んでいるが、俺はこのタイミングということに訝しさを隠せなかった。

 俺の方にもメールが来ていないかを確認する。


 受信メールの件数はゼロだった。

 そのことに安堵するが、同時に、接続した覚えのない電波をひろっていることにも気がついてしまった。

 もしこの電波をひろってるが故にメールが来たのだとしたら……。


「茶谷、そろそろ帰ろう」

「別に構わんが、どうしたんだ急に?」

「嫌な予感がする」

「わかった」


 来た道を戻ろうとして、足を止める。


「あと一応、変なアプリかウイルスが入ってないか、確認しておいてくれ」

「それって……」


 俺の言いたいことを察した茶谷は、すぐさま自分のハイホを確認する。

 しばらくハイホを操作していたが、不意にその動きが止まった。


「あの野郎。なめた真似してくれやがる」


 こめかみをひくつかせ、額に青筋を浮かべる茶谷。

 どうやらなんらかの細工をされているらしかった。


「面白半分でついてきただけだったが、もう我慢ならん。何らかの情報は持ち帰らせてもらう。スカウトも蹴ってやる」


 茶谷はハイホをしまうと、入り口に向かって歩き出した。

「お、おいおい。マジかよ」


 俺が止める間もなく、茶谷はパスワード入力装置の前に立ち、じっとその装置を見つめる。


「ふん」


 茶谷が鼻を鳴らすと、迷いのない手付きでパスワードを入力する。

 すると、ロックが外れてしまった。


「こいつやりやがった……」

「この程度のパスワードを見抜くなんて分けないからな」


 茶谷は何でもないことのように言うが、俺には到底不可能な芸当である。

 もしかしたら他の誰にもできないかもしれない。


 茶谷はパソコンを中心とした電子機器に強く、パスワード解析なんて朝飯前だと豪語するくらいには才能がある。

 最早天才と呼ぶべきに相応しい人物だ。


 しかしながらこのように短気な一面があり、その才能を全く発揮できない場面も多々ある人物でもある。

 そんな茶谷が扉を開け、建物内へ足を踏み入れると。


 そこにはもう一つ扉があった。

 茶谷の行方を阻む扉には指紋認証装置がついている。


「…………」


 これは最早どうにもならないのではないだろうか?

 茶谷もそれがわかっているのだろう。無言で扉を殴りつけている。


 俺がふと視線を横に向けると、そこには研究員の出欠確認を兼ねたシフト表が貼り出されていた。


「おお……!」


 研究員の名前が書かれた部分を読んでいくと、それぞれの分野で活躍する有名人の名前が数名見つかった。

 某有名人材派遣会社の一線で活躍している人物とか、機械工学の分野で有名な人物とか、この研究所に関係なさそうな超有名デザイナーとかが在籍しているようだ。


 俺はその中から白鳥の名前を探し出す。

 白鳥という名字は一人だけで、名前はすぐに判明した。

 彩りに羽で『白鳥彩羽』。

 それが彼女の名前らしい。


 なんて読むのだろう? 普通に考えてしまえば『さいは』であるが、いーちゃんの要素がどこにもない。

 名字に『い』の文字が入っていないことから、名前に『い』が入ってることはほぼ確定しており、普通に考えて『い』から始まる名前の可能性が高いと思われる。


 だとしたら彩の読み方は『いろどり』と捉えるべきだろう。

 『いろどり』と『はね』で名前らしくすると……いろは?


 しらとりいろは……白鳥、彩羽。

 うん、漢字の読み方やあだ名から考えてこれで確実だろう。


「やっと、名前に辿り着けた」


 俺は目標であった白鳥の名前を知れたことに達成感を感じ、満足感で胸がいっぱいになった。

 しかもこの研究所のトップであるという色波博士の息子の名前も判明した。

 色波透矢というらしい。


 二つの収穫でこのまま気分よく帰ろう。そう思ったのだが。

 茶谷はまだ苛立ちが収まってないらしく、しきりに指紋認証装置を調べていた。


 どうやら意地でも中に入って透矢に一泡吹かせたいらしい。

 しかし、なんの対策も見いだせないまま十分ほどが経過した。


「さすがに指紋認証装置をどうにかするってのは無理なんじゃないか?」

「そうだな。悔しいが、扉を開けるのは諦めたほうが良さそうだ」


 俺の言葉で素直に諦めてくれたことに、ホッと安堵の息を吐く。

 茶谷は負けず嫌いというか、ちょっかいをかけられた時に仕返しをしないとすまないタイプの人なので、無理矢理にでも扉を開けそうで怖かったのだ。


「なら、早いとこ帰ろうぜ」


 そう言って、研究所から出ようと踵を返したその時。

 背後からビー!ビー!と、けたましい警告音が鳴り響いた。

 思わず振り返ると、指紋認証装置に手を置いている茶谷の姿があった。


「何やってんの!?」

「こうすれば研究の邪魔くらいは出来るだろ?」

「この馬鹿!」


 俺はいけしゃあしゃあとふざけたことを言ってくる茶谷の頭を思い切り引っ叩いた。

 茶谷は頭を抑えてその場にうずくまるが、それに構わず言葉を続ける。


「研究の邪魔をするためだけにこんなに大事にしやがって! 見付かったら俺もお前もただじゃすまないぞ!」

「う、うるへぇ。やっちまったもんは仕方ねえだろ。とにかく逃げんぞ」


 頭の痛みが取れないのか涙目になりつつも、茶谷は研究所の扉を開けて外へ飛び出した。


 俺もその後ろに続き、もと来た道を走り出す。

 そしてその後ろから研究員がわんさか出てきた。

 ここまで一本道だったのが災いし、俺たちの姿はすでに研究員たちに捉えられており、逃げ切れるのかどうか怪しいところだった。


「いたぞ!」

「待て! この侵入者!」

「警察に突き出してやる!」

「おとなしく捕まれ!」


 後ろから叫び声が聞こえてきており、かなりのプレッシャーを感じる。

 さらに前からはパトカーのサイレンの音が近づいてきており、いくらなんでも早すぎると焦りを隠せなかった。

 ここは一本道なので、挟まれたら一貫の終わりだ。


「逃げ場がないじゃねえか! どうすんだよ!」


 隣で茶谷が絶望したような叫び声を上げる。

 そう叫びたいのは俺の方だよ!


 心の中でツッコミを入れるが、実際に叫ぶことはなかった。走りながら叫ぶことがどれだけ体力を消費することに繋がるか、わかっていたからだ。

 せめてものツッコミとして、隣を走る茶谷を睨みつけた。


 くそう。このまま捕まるのは御免だ。

 もはや絶望しかないような状況ではあったが、ふと、後ろからの叫び声が聞こえなくなっていたことに気付いた。叫ぶのをやめたのだろうか? 疑問を感じチラッと後ろを見ると、息も絶え絶えな研究員たちの姿があった。


 どうやら研究員たちは体力がないらしく、これ以上追いかけられ心配をする必要はないようだ。

 俺たちは走るスピードを少しだけ落とした。これで少しだが体力を温存できるはずだ。

 状況が好転したのもつかの間、パトカーがどんどん近づいてくるのを肌で感じ、思わず喉を鳴らす。


「おい、赤木! お前、知り合いに警察関係者はいないのか?」

「いるにはいるが、融通がきかないやつが多いからな。変なことを頼めばそのまま捕まる可能性もある」

「なんだよ、ちくしょう!」


 走りながら、この状況を打開できる策を考える。

 パトカーに俺たちの姿が補足されるまで、あと三分といったところか。

 それまでに何か考えないとおしまいだ。


「おい赤木。あれを見ろ」


 茶谷が急に足を止め、金網の方へ向かっていく。

 突然の行動に驚き、思わず足を止めてしまう。

 それと同時に考え事もストップしてしまった。


「おい……茶谷?」

「おいここ。穴があいてるぜ」


 茶谷は軽く息をきらせながら、金網にあいた人が一人通れるような穴を指し示し、得意気に笑う。

 これは僥倖だとばかりに、俺たちは穴から外へ出た。


 金網を超えた先は公道らしく、目の前を車が何台も横切っていく。

 歩いている人は見かけないが、ちゃんと歩道もある。


 ホッと息を吐いた直後、金網の向こう側を走り去るパトカーを見た。

 走って体力を使い果たし、地面に寝転んでいるであろう研究員たちを見つけるのも時間の問題だろう。

 そうなると俺たちのことを詳しく話されてしまう。


 ただ、顔は見られていないはずであるし、なにか特徴のある後ろ姿を晒した覚えもない。金網をくぐったときに汚れてしまった服さえなんとかすれば逃げ切れたも同然だ。

 俺は友人の一人に連絡し、服を買ってきてもらうことにした。


 服が汚れた状態で店には入らないほうが良いだろうし、このまま歩いて多くの人に目撃されるのも避けたかった。

 茶谷にも了承してもらい、近くにあった公園に入り、影になっている古い木造のベンチに二人して腰掛ける。


「なんとか逃げ切ることができたか」

「そうだな。もう心配はいらないだろう」


 あの研究所周辺に監視カメラの類がないのは確認済みであるし、若い男二人が忍び込んだ以上の情報がでてくるとは思えない。

 ただ不安があるとすれば、茶谷のハイホに変な細工をされたことだろう。どのような情報を盗まれたかはわからない。


 とはいえ、茶谷がハイホに個人情報を入力しているとは思えないし、盗まれて困るような情報はないだろうけど。

 SNSとも無縁な奴だからなりすましといった可能性も低いだろうし。

 まあ、それでも捕まってしまったときは相手がすごかったのだと諦めるしかないだろう。


 そんなことを考えていると、公園の入り口からクラクションが聞こえてきた。

 そちらに目を向けると、軽自動車に乗った俺の友人が、こちらに向かって手を振っている。


「おーい。服を持ってきてやったぞ」

「助かる」


 俺たちは持ってきてもらった服を受け取ると、車の中を使わせてもらい服を着替えることにした。

 先に俺が着替え、入れ替わって着替えている茶谷を待っていると。


「しかし、今度は何やったんだよ」


 友人が助手席の窓を開けて、軽い調子で話しかけてきた。

 一瞬ごまかそうかとも考えたが、さすがに助けてもらっておいてごまかすのはおかしいと思い、正直に告白する。


「ちょっと、研究所に侵入しようとして失敗した」

「ふはっ、お前たちも無茶やるな」


 俺が正直に答えると、友人は笑いながらそんなことを言った。

 ぶっちゃけ笑いごとではなかったが、研究所に侵入しようとしたことを見逃してもらっているのだから何も言えない。


「いやまあ、無茶したのは茶谷で、失敗したのも茶谷だから俺は被害者のようなものなんだけどな」

「そうかそうか。けどまあ、あまり下手なことはすんなよ。お前たちが捕まったなんて聞きたくねえからな」

「わかってるよ。……今日はありがとな」

「おうよ。また遊びに行こうぜ」


 話が一段落したところで、タイミング良く茶谷が車の中から出てくる。


「それじゃあ、そろそろ行くわ。一応、仕事中なんでな」


 友人はそう言って、車を走らせ行ってしまった。

 次に友人が休みの時にでも、お礼にいかないとな。


 そんなことを思いながら、車が走っていった方向を見つめる。

 車が見えなくなると、茶谷は伸びをしてから「帰るわ」と言って、自宅方向に向かって歩き出した。


 それを見て俺も帰ろうと踵をかえして、突然の目眩にその場に立ち止まってしまう。

 目眩はすぐに収まったが、軽い倦怠感を感じ眉をひそめた。

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