こくはく
ジリリリリリリリ!
目覚まし時計の騒音で、俺は目を覚ます。
枕元に置いてある黒色のデジタル時計を見ると朝の七時。今日も時計はキッチリ仕事を果たしてくれた。
今日は四月五日。大学の入学式である。
俺は上半身だけを起こし、軽く伸びをしてから立ち上がる。
布団を四つ折りにし、部屋の隅に寄せ、スーツ姿に着替える。春休みのバイト代をつぎ込んで買った、そこそこ良いスーツだ。
着替えを終えた後に今日の予定を確認する。入学式は十時から、ぶっちゃければ今日の予定はこれだけなのだが、遅刻はしたくないし道順も含めて確認をする。
欠伸をしながら部屋を出て、階段を降り、洗面所で顔を洗う。その時に跳ねた髪の毛を何とかしようと悪戦苦闘するが最終的に諦めた。側においてあるタオルで濡れた顔を拭き、鏡で自分の顔を確認する。日焼けして少し濃くなった肌に、額にかかるくらいの短い前髪、僅かながらに幼さを残した顔立ち、うん、今日も特に問題はない。
リビングに向かうと、母さんが黒のスーツ姿で洗い物をしていた。これもいつもの光景なのだが、昨日までは春休みということで、色波博士と透矢さんの共同プロジェクトの企画会議などで慌ただしく、母さんと顔を合わせるのも久しぶりだった。
「ねえ、明人。入学式って何時からだっけ?」
そう聞いてくる母さんに、俺はすでに用意されていた朝食を食べながら答える。
「十時から。けど、別に無理に来る必要はないけど?」
「何言ってんの。大学の入学式なんて一生に一度なんだからね」
「……わかってるよ」
俺は朝飯を食べ終えると、テレビをつける。
最近は大きな話題がないのか、どうでもいいことばかりを報道していた。
「まあ、あと少しで一気に話題が出てくるだろうけど」
ぼーっとテレビを眺めながら、そう独り言ちた。
共同プロジェクトの企画はかなり細部のところまで来ており、発表まで秒読み段階に入っている。
発表にどういう反応が出るのかはわからないが、話題になることは間違いないだろう。
テレビに表示されている時間がそこそこ経っていることに気付くと、母さんに一言告げてから家を出る。
母さんは一緒に行けばいいのにと言っていたが、さすがに大学生にもなって親に付き添ってもらうのは恥ずかしい。
特にこの辺りは知り合いがたくさんいるので、見られたらと思うと余計に母さんと一緒に行くことに躊躇いを感じる。
そんなわけで一人、入学式の会場を目指すことになった。
入学式が行われるのが天見大学キャンパス内にある講堂なので、色波博士の研究所に行く時と同じ駅で降りれば良い。
その道順ならばまず間違えることはないと確信を持って言うことができる。
だから俺はその間に思考する。
あの日から一度も会っていない、白鳥彩羽のことを。
白鳥彩羽。白銀女学院の卒業生にして、あの決闘の日から一度も会えていない白髪の少女。
そして、俺が恋した少女。
あの日から大したことはできていないが、白鳥彩羽に会う努力をしなかったわけではない。
空いた隙間時間をみつけては白鳥彩羽に連絡を入れたり、白銀女学院に足を運んでみたりしたが、会うことはついぞ出来なかった。
連絡の方は必ず留守番電話になるし、SNSで送ったメッセージにも反応はない。
白銀女学院を訪れても、彩羽様は帰ったと美空さんに追い払われる始末。
もはや嫌われてるのではとさえ思ったが、どうやらそうではないらしい。
というのも、白銀女学院を訪れた日、美空さんに素気なく追い返されたわけだが、ただで追い返されたわけじゃなかった。
俺の去り際に、美空さんから言葉を受け取っていた。
「黒沢、彩羽様を……待っていてあげて」
そう懇願するような、お願いを受け取ったのだ。
そんなことを言われれば何も言い返せなかった。
その日から既に半月以上経っているが、未だに白鳥彩羽からの連絡はない。
今頃、どこで何をしているのだろうか。
様々な推測が浮かんできては消えていく。
そんなことを繰り返しているうちに、ふと、思考が途切れた。
大学の最寄り駅に着いたためだ。
電車を降り、色波博士の研究所とは反対方向に行く。
天見大学がこちらの方角にあるからだ。
しばらく歩いていると、広大な土地を有する建物が見えてきた。
レンガ色の大きな建物だ。
校舎の全容は見えないが、あれが五階建てであることは知っていた。
あの校舎こそが天見大学の本館だ。
なぜ知っているのかと聞かれれば、それはオープンキャンパスなどで何度か来ているからだと答える。
とはいえ、ここの生徒として来たのは今日が初めてだ。不思議な緊張感を感じる。
正門の前で立ち止まる。
少し早すぎただろうか。
周りに入学生らしき人影は見えない。
入学式まであと一時間ほどあるが、一人二人くらいは来てそうなものだが。
正門から中に入り、あたりを見渡す。
入学式の準備はすでに終わっているようで、講堂までの道順が書かれた張り紙が貼られていた。
講堂まではほぼ一本道のようだ。
俺は少しでも時間を潰そうと、大学内を見渡しながらゆっくり歩く。
ここから校舎までは庭のようになっており、地面の八割を木々と芝生が埋め尽くしていた。
右奥の隅の方には小さくベンチが置かれているが見え、学生の憩いの場だということがわかる。
あそこで弁当を持ち寄って昼食を食べる、なんてのもいいかもしれない。
今まではこの道をただ歩くだけで周りには注視していなかったが、こうしてよく見てみると綺麗なところだというのがわかる。
入学式まではまだ時間があるし、少し遠回りをしよう。
ということで一本道から逸れ、なんの目的もなく、ただ景色を楽しむために歩く。
正門まで戻り、そこから分岐している道に出た。
この道の左右には桜の木々が植えられており、風に揺られるたびに花びらを散らせ、桜の雨が降り注いでいた。
オープンキャンパスの時に話を聞いた限りでは普段この道は使われず、夏に日差しよけのためにこの道を通る人が多くなるくらいなのだとか。
夏だけなんて勿体無いと思いながら、大きく校舎から離れないように曲がり角を曲がる。
まるで校舎まで道案内をしてくれるかのように、桜並木が続いていた。
周りの木々から正面に視線を向ける。
そこには一人の少女がいた。
黒いスーツに身を包み、美しい白髪を持った少女だ。
その少女は柔らかそうな手で、風になびく髪の毛を抑えながら桜を見つめていた。
透き通るような水色の瞳、雪のような白い肌、瑞々しい桜色の唇を惜しげもなく晒し、風景の中に完璧に溶け込んでいる。
一枚の芸術写真のようだった。
その横姿を見ているだけで心臓が高鳴った。
それと同時に、少女が今まで何をしていたのか、ぼんやりと想像できた。
目の前の少女は日傘を持っていなかった。アルビノと呼ばれる紫外線に弱い病気を持ちながら、傘も刺さずに出歩いているということは本来おかしい。
特に今日は雲がほとんどない晴天であるので尚更である。
そこから導き出される推測として、治療をしていたということが思いつく。
勿論、それだけではないのだろうが、推測が当たろうが当たらまいが今の俺にはどうでも良かった。
ずっと会いたいと願っていた少女と再会できた。その事実だけで満足だ。
少女がゆっくりと振り向いた。
そして俺を目に入れた少女は微かに目を見張り、感極まったように目尻に涙を溜めていく。
「あっくん。今まで連絡も出来ずにごめんなさい」
零れ出るのは謝罪の言葉。
それを気にするなというのは簡単だが、折角だ。
この際に一つ、お願いを聞いてもらうのも悪くない。
「だったらさ、俺のことは……名前の呼び捨てで呼んでくれよ。それで、全部チャラだ」
その言葉に戸惑いの表情を浮かべる少女。
理由を聞かれるとか気にするなという言葉を想像していたのかもしれないし、単純に俺が一度目で赦すための条件を提示したのが驚きだったのかもしれない。
結局のところ目の前の少女にしか答えはわからないので、俺は俺なりの言葉を伝えるだけだ。
「確かに連絡をくれなかったのはショックだったけど、きっとなにか理由があるんだろうとは思っているし、そして何より、こうして会えたことが嬉しくて、寂しさなんて吹っ飛んじゃったよ」
そう言いながら俺は苦笑する。
会えただけで今までの寂しさがなくなっていくんだから、俺って単純だなと。
「でも、もう一度同じことをされたくないから罰をと思ってさ」
少女はそんなの罰になってませんよと笑いながら。
「でも、それが赦してもらう条件なら仕方ありませんね」
と、俺を正面から見つめて。
「えっと、明人………………君」
名前を言ってる途中で恥ずかしくなったのか、最後の最後で目を逸らしながら君を付けて逃げた。
……ふむ。俺の願望を伝えただけだったが、存外効果的な罰になったようだ。
そんな少女の姿が可笑しくて、笑い声を漏らしてしまう。
「あ! なんですか。だったら明人君も名前で呼んでみてくださいよ」
腰に手を当てて怒りを表現する少女に、これまた笑みが溢れる。
「そうだな……ずっと言いたかったこともあるしな」
俺は一度桜を見上げながら、心を落ち着ける。
これまで二度失敗した。
一度目は人工の星が煌めくエレベーターで。
二度目は自然の色彩が彩る研究所の屋上で。
結局、二度の失敗は人目を気にしたということが原因だ。
別にそれが悪いこととは言わないし、おかしなことだとは思わないが、俺はもう人目を気にしたりはしない。
誰が見ていようが、誰が聞いていようが、誰が何をしてようが、俺の気持ちに嘘偽りなどないのだから。
だから――堂々と胸を張って。
「彩羽――好きだ」
その想いを、声に出す。
「……ふえっ!?」
白鳥彩羽はまさかここで告白されるとは思っていなかったのだろう。
顔を真っ赤にして固まってしまっていた。
けれど、俺はそれに構わず言葉を続ける。
「何度か言おう伝えようと思ってた。けど、半年前以上前にある人から彩羽が俺に気があるってことを聞いて、心の何処かで安心してしまってたんだと思う。だから、告白が失敗しても次の機会に言えばいいと思ってた」
目の前の彩羽と会えなかったこの半年間を思い返す。
あの時は会えない寂しさが募って、嫌われたのかもと恐怖したこともあったし、他に好きな人が出来たのかもと考えたこともあった。
「けれど、今はそんなことはない。絶対にチャンスを逃す気はなかった。もう気持ちを伝えられないまま会えなくなるのは嫌だからだ。それに、単純に俺の気持ちを伝えたいと思ったんだ……」
そして今。
ようやく――
「だから俺の気持ちを――想いを受け取って欲しい」
俺の想いを伝えられた――
想いを伝えられた安堵と返ってくるであろう反応に不安を抱えながら、彩羽の顔を窺う。
果たして――彩羽の顔は真っ赤だった。
その顔を見て俺の想いは確実に彩羽に届いただろう、そんな満足感を感じていると。
「だ、だだだだだだだ――――――誰ですかッ!?」
予想外の反応とともに、胸ぐらを揺さぶられた。
「えっ……ちょっ、やめっ……」
揺さぶられ続けているために何も考えることが出来ない俺は、突然の事態に戸惑うしかなかった。
「誰が明人君に気があるなんてこと話したんですか!?」
悲鳴に近い叫び声を聞き、ようやく事態が掴めた。
なるほど、顔が真っ赤になっていたのは照れではなく羞恥だったらしい。
まさかその部分に反応するとは思っても見なかった。
「半年以上前という話ですから、緑河さん……いや、違いますね。彼女はそんなことをする子じゃない。となると、赤木さんですか」
違います、美空さんです。
とは言えなかった。
揺さぶられて物理的に言えなかったのもあるし、いくらなんでも美空さんを売るような真似は憚られた。
「いや……その……」
結果、あやふやな返答になり、それを俺が親友をかばっているものと判断したらしい彩羽は、ここでようやく手を離した。
「げほっ、げほっ」
涙目で咳き込んでいると、彩羽が俺の後ろの方に視線を向けた。
一体なんだろうと思って振り返ってみると。
「げっ、バレた……」
顔を引きつらせるスーツ姿の陽介と、同じくスーツ姿の美空さん、あとは何故いるのかわからない面々が四名ほど。
その四名の内訳は紫垣さん、色波博士、透矢さん、リンちゃんで、本当になんでこんなとこにいるんだろう。
その疑問に先回りして答えたのは、やはりというか陽介だった。
「いや、始めは入学式後に入学祝いと称してみんなで遊ぼうって話してただけなんだ。けどさ、明人もう来てるかなって大学内に入ってみれば、明人と白鳥が一緒にいるじゃないか。これは覗くしかないなと思って準備のために買い物に向かったみんなを呼び戻して隠れてたんだよ」
確かに、準備のために買い物をするなら、大学生がよく利用するということで店が固まっているこの辺りに来るのはわかるんだけど。
なぜ、隠れる必要があったのか。
いや、陽介の性格なら面白そうだから以外の理由なんてないんだろうけど。
というか、覗くためだけに色波博士達を呼び戻して潜んでいたのか。
陽介たちの行動に呆れ果てていると、彩羽が陽介に近づいていく。
「陽介さん。よくも私の気持ちをバラしてくれましたね。しかもこんな覗きまで……」
陽介は一瞬何を言ってるんだという顔をしていたが、俺の顔をチラッと見てすべて理解したらしく、あくどい笑みを浮かべる。
本当、理解力のある友人だこと。
「それはお前らの関係がじれったいからだよ。さっさとくっつけよってな」
「明人君。こんなこと言われてますよ。どうしますか?」
「そうだな。スーツを汚すわけにも行かないし、このあと遊ぶなら、その時に決着させてもいいんじゃないか?」
「わかりました。なら、ここは退きましょう」
「いいだろう。精々、首を洗って待っていろ!」
そんなことを言いながら、この場を去っていく覗き魔たち。
紫垣さんとリンちゃんはともかく、透矢さんと色波博士が陽介のノリに付き合っているのが、なんだか意外だった。
というか、陽介と美空さんはこのあと入学式だろ。どこに行く気だ。
そんなことを思いながらも、そろそろ入学式の会場へ向かうべく、踵を返した。
新入生のものであろう喧騒が徐々に増え、人が増えてきたことを実感する。
中には桜を見てから行こうと考えている人もいたようで、ちらほらと新入生が俺達を追い抜いていく。
そんな中――
「明人君」
彩羽は俺を呼び止めると素早く駆け寄って来て。
「私も大好きだよ」
そう、耳元で囁いた。
俺が硬直している間に、彩羽は先に進み、振り返って無邪気な笑顔で手招きをしてくる。
「ほら、明人君。入学式、始まっちゃいますよ!」
「わ、わかってるよ!」
俺は小走りで彩羽を追いかける。
その時、一陣の風が吹いた。
枝が揺れ、桜が舞う。
鮮やかな春が来た。
了
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