明人&彩羽 12 years ago

 ナースの女性が戻ってきて、お別れ会、もといクイズ大会が始まる。ルールは3人、もしくは2人でチームを組み、正解数の1番多いところが優勝というものだ。ただし、優勝商品や罰ゲームはなく、あまり順位は関係ない。


 だが、子供達にはこれでよかった。自分が1番になる。たったそれだけでやる気を出す理由になるのだ。


 因みに答えることが出来るのは1チーム3回で、1人1回ではないのは2人チームに配慮してのことである。


「それじゃあ、第1問。パンはパンでも、食べられないパンはなぁんだ?」


 ナースの女性が出した問題に、ほとんどの子供が手を上げる。今回の大会ではチーム戦なので、チームの誰かが正解すれば、そのチームメイトは答えないことになっている。これは1問にかかる時間を短縮し、たくさんの問題を出してあげたいというナース女性の計らいだった。


 続々と正解チームが出て、2問目3問目と大会は進んでいく。1問にかかる時間も短く、大会は順調に進行していた。因みに、先ほどの問題の答えはフライパンだ。


 ところが、10問目が終わったところで、不満が上がった。

 ナースの女性が出す問題は年少組に配慮した簡単な問題ばかり。10問終わったところで不正解チームが1チームも出ていなかったのだ。


 大会と名がついているのに、全チームが全問正解していては面白くない。子供達から不満が上がるのは当然の事だった。


 そこでナースの女性はルールを変更した。1チーム3回という解答制限をなしにし、問題の難易度を誰も答えられない様に引き上げたのだ。そして答えた回数が少ないほど、ポイントが高くなるというルールに変更した。それに伴い、当初の正解数で順位を決めるのではなく、ポイントの合計数で順位が決められることとなった。


 だがこれでは誰も解けなくなってしまうだけで、さっきと何も変わらないので、一定時間ごとにヒントを出していくルールを付け足した。


「じゃあ、続けるわね。第11問。虹の7色は何色かな? ちゃんと全部順番通りに答えてね」


 ここに来て、手を上がる人が極端に減った。虹を知っている人ならば大勢いるが、その全ての色を完璧に言える人は少なかったのだ。


 元々が幼稚園や保育園に通う年少組の子供達が多いことも要員の1つではあるが、小学生組の全員が完璧に答えることが出来なかったことが原因だ。さらに言うなら、子供達の半分ほどは、目に関する病気を持っていて、虹を見たことがない人も少なからずいた。


 最も、単純にクイズが苦手という人もいるだろうし、たまたまこの問題の答えがわからなかったという人もいるだろう。だが、これだけは言える。

 これで差が出来た。ついに大会が動き出す。


 ここから問題の難易度は上がり、不正解チームが続出した。特に年少組は、難易度が上がるたびに答えられなくなっていた。途中で、年少組チームには正解すればポイントが3倍というハンデが付けられたが、それでも答えられなければ意味がなかった。20問目を過ぎたあたりから小学生組にも不正解チームが現れ始め、トップとの差がじわりじわりと開いていった。


 そして大会が進んでいくごとに時計の針も進んでいき、残り1問で終了という時間しか残っていなかった。

そして今現在、29問目終了時点で優勝できるのはたった2チームだけだった。

片方は小学生組の中でも最も知識がる最上級生チーム。もう一方は年少組のハンデでかろうじて優勝争いに踏みとどまっていている、陽介率いる明人のチームだった。


 初めは皆で仲良く遊ぼうという趣旨のクイズ大会は、年少組チーム対小学生組チームの一騎打ちによって、それはもう盛り上がっていた。


 全チームに無制限の解答権があるにも関わらず、決勝戦のような異様な雰囲気が場を支配している。問題を出していたナースの女性も緊迫した状況に、緊張感を滲ませた表情を浮かべ、年少組は陽介のチームを、小学生組は最上級生チームを、それぞれのチームを応援していた。


「明人。ここまで来たら、勝とうぜ」

「うん! って、これって、陽介のお別れ会だったんじゃ……」

「ああ。だけど、勝敗がある以上、こっちの方が楽しいだろ?」


 陽介の言葉に、明人は頷く。

 彩羽はやる気を出す明人と陽介を、少し離れた位置から見つめていた。


「最終問題。目に入る光の量を調節する器官はなぁんだ?」


 この問題には、誰も答えることが出来なかった。幼少組はもちろんのこと、最上級生チーム含む小学生組すら誰も上げない。

 現在のポイントでは最上級生チームがトップの為、このままでは陽介のチームは負けてしまう。


「くそっ。もう時間が……」

「最後の最後で誰1人答えられない問題を出すなんて……」

「でもまだヒントが……」

「いや、ヒントがあっても答えられない気がするぞ」


 もう無理だ。明人と陽介が諦めかけたその時、彩羽がおずおずと手を上げていた。


「い、彩羽ちゃん? ヒント言わなくて大丈夫なの?」


 ナースの女性は信じられないといった様子で、彩羽のことを見ている。

 しかし、これは仕方がないことだろう。ナースの女性は誰にも解けないことをわかっていて、出した問題なのだ。それなのに彩羽は解けると言っているのだ。幼少組の彩羽が、だ。


 もはや難易度も測れなくなっている子供達は、そんな彩羽に畏怖の念を抱いていた。

 唯一、明人だけは白髪の少女の名前が彩羽だと初めて聞いたなと、場違いなことを考えていた。


「もう時間もないし、ここで言ってもらっていいかしら?」


 ナースの女性は表情を取り繕って、彩羽に問いかけた。彩羽は不安そうだったが、確かに頷いた。

 彩羽の唇が動き、その答えを紡ぎ出す。


「……虹彩」


 彩羽が答えた直後、静寂が訪れる。皆、ナースの女性の答えを待っているのだ。


「……正解よ」


 ナースの女性がそう言った瞬間、割れんばかりの歓声と悲鳴が混じり合った。幼少組はチームメイトと抱き合い、小学生組はいろいろなポーズで悔しさを表現していた。


「凄いね。彩羽ちゃん」

「なんで、私の名前を知っているの?」


 たった今、この場にいる全員が予想しなかった、年少組チームの優勝という奇跡を起こした彩羽は、自分の名前を言い当てた明人の言葉に驚愕していた。

 そんな彩羽の態度に、明人は肩透かしを食らったような表情になり、苦笑いを浮かべた。


「さっき、あのお姉さんが名前呼んでただろ。やっぱり、彩羽ちゃんは彩羽ちゃんだ」


 明人が笑いかけると、彩羽は顔を真っ赤にして俯いてしまう。


「何だ。俺がいなくても、ちゃんと友達作ってたんだな。彩羽、明人こいつのこと、頼んだぜ」

「余計なお世話だよ……」

「……名前、なんだっけ?」


 陽介の言葉に、明人は涙ぐみながらそっぽを向き、彩羽は首を傾げた。明人の方は別れを惜しんでくれているのだと陽介にも理解できていたが、彩羽の方は本気で名前を知らない素振りを見せたことに、少しショックを覚えていた。


「陽介だ。赤木陽介。覚えとけよな」

「……分かった?」

「なんで疑問形なんだよ」


 陽介は大きく息を吐き、やっぱり彩羽のことは苦手だ、とぼやいていた。

 翌朝、陽介は両親と共に帰っていった。見送りに来ていた明人に「また遊ぼうぜ」という言葉を残して。


 その日から明人は常に彩羽と一緒にいるようになった。クイズ大会の一件で、ようやく互いの名前を知り(自己紹介をしたわけではなく、ナースの女性がそう呼んでいるのを聞いた)、互いをあっくん、いーちゃんと渾名で呼ぶまでに親しくなっていた。彩羽に至っては明人と話すときに限り、口数が多くなった。


 しかし、どんなことにも始まりがあるように、終わりがある。

 明人はその現実を突きつけられることになる。




 託児室生活三十八日目。予定より一週間遅れで、明日、明人の治療が行われることが決定した。


 明日、治療が終われば数日別室で入院した後に、自宅へ帰れる――否、帰らなければならない。しかも術後は彩羽に会えないと来たものだ。託児室に来た頃はあれほど帰りたいと願っていたのに、今では帰りたくないに変わっていた。


 しかし無情にも時間は過ぎ去っていき、現在は午後十時。子供達は既に眠っている時間帯だった。


 託児室の隣に作られた臨時の寝室(子供達用)から抜け出した明人は、月明かりだけが照らす託児室の窓際に腰を下ろし、星が輝く夜空を見上げていた。明人には空は黒、星は白といった、漫画のような星空にしか見えなかったが、今はこうしていたい気分だった。

 すとんという音が聞こえ、明人が音のした方を見ると、隣に彩羽が腰を下ろしていた。


「あっくん。……今日で、最後だね」

「……うん。そう、だね」


 明人は歯切れの悪い返事を返すので、精いっぱいだった。今の明人の中には、様々な不安が渦巻いていた。


「……何かあった? 元気ないけど」


 彩羽が心配そうに、明人の顔を覗き込む。


「いーちゃんと一緒にいられるのが、今日で最後だからね。元気もなくなるよ」

「そ、そういうことじゃないよ、もう……。私、あっくんが不安を抱えているの、分かるよ。だけど、それが何なのかまではわからない。あっくん……お願い、話して」


 彩羽は明人の顔に自分の顔を近づけ、見つめ合う形になる。明人は自分が不安を抱えていることを隠したことはない。だが、改めて言葉で言われると、驚かざるを得なかった。


(ああ、いーちゃんはこんなにも自分を心配していてくれたんだ)


 明人は嬉しくて、涙が出そうだった。だけど、それを顔に出すのは我慢した。

 彩羽の目の前で泣きたくない。そんな、明人の小さなプライドがそうさせていた。

 だけど、明人の不安を押しとどめていた心の壁は壊れていた。


「僕、怖いんだ。手術を受けるのが。僕は生まれつき色が見えない。いーちゃんのことも、白と灰と黒でしかわからない。だけど、それで困ったことはない。色が見えなきゃ、皆と同じじゃなきゃ、駄目なのかな?」


 弱音が漏れる。心のうちに抱えた不安が、溢れ出してくる。

 彩羽は明人の不安を和らげるように、明人を抱きしめた。


「別にそんなことはないと思う。色が見えなくちゃいけないなんてことはないもの。それに他人と違っていたって良いと思う。他人と違うことは、使い方次第では大きな武器になると思うから。だけど、色が見えると、世界が変わって見えるよ。世界が輝いて見えるの。私、あっくんに輝く世界を見せてあげたい。世界はこんなにも綺麗なんだって。だから、手術なんかに負けないで」


 彩羽の懸命に伝えようとする言葉に、心が揺さぶられる明人。ただ、不安を打ち消す決定打にはならなかった。

 彩羽もそのことは感じ取っていた。明人の為に他に出来ることはないのか、そう考えた彩羽の体は、無意識のうちに動いていた。



「あっくんなら、大丈夫だよ」



 彩羽は明人の手を掴み、満面の笑みを浮かべる。その笑みは、彩羽が託児室に来てから1度も見せたことのない、心の底から出た笑みだった。


 その笑みを見た瞬間、明人は心が軽くなっていくのを感じていた。不安がなくなったわけではないが、不安を乗り越えるだけの勇気が生まれていた。


「いーちゃん。ありが――」


 明人がお礼を言う前に、彩羽の唇が明人の頬に触れる。


「これはおまじない。お母さんがよくやってくれるんだ」


 彩羽は顔を真っ赤にして離しながら、たどたどしく説明する。そして、シスターが神に祈りを捧げるように、両手を組んだ彩羽は。


「あっくんが、無事、手術を終えられますように」


 そう言って、優しく微笑んだ。


「ありがとう。僕を励ましてくれて」


 元気が出た様子の明人に、彩羽はホッと息を吐きだす。しかし、その直後に今度は明人が彩羽を抱きしめ、彩羽は慌てふためいた。


「あ、あっくん?」

「少しだけこうさせて。今日で、最後なんだから」

「……うん。分かった」


 明人と彩羽。2人だけの時間は、月の光だけが優しく見守っていた。

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