本編

一章

日常 学校編

 白い靄のかかった殺風景な空間に、2人の人影があった。

 片方は黒髪黒目の幼い少年。年齢は五、六歳。泣きそうな表情で上を見上げている。

 もう片方は白髪でうすい灰色の瞳の少女。年齢は少年と同じ五、六歳。少年の隣に寄り添い、何事かを話しかけている。

 初めは見えない何かに邪魔されているように何も聞こえなかったが、次第に声が聞こえだす。


「あっくん。……今日で、最後だね」

「……うん。そう、だね」

「……何かあった? 元気ないけど」

「僕、怖いんだ。手術を受けるのが。僕は生まれつき色が見えない。いーちゃんのことも、白と灰と黒でしかわからない。だけど、それで困ったことはない。色が見えなきゃ、皆と同じじゃなきゃ、駄目なのかな?」


「別にそんなことはないと思う。色が見えなくちゃいけないなんてことはないもの。だけど、色が見えると、世界が変わって見えるよ。世界が輝いて見えるの。だから手術なんかに負けないで」


 少女の懸命に伝えようとする姿に、少年の心は揺さぶられていた。

 しかし、その瞳から不安が消え去るには至らなかった。

 少女もそのことはわかっていた。わかっていたからこそ、少女は少年の手をとった。


「――――」


 そこから先は聞こえない。少女の口は動いているのに、何を言っているのかわからない。少年にとって、大切な言葉だったのに。

 しかし、少年は聞こえない声が聞こえているかのような反応を見せる。

 何度か言葉を交わした後に少女は少年の頬に唇を触れさせ、聖女のような祈るポーズをとりながら微笑んだーー



 ジリリリリリリリリ!



「またあの夢か……」


 目覚まし時計の騒音で、俺は目を覚ます。

 枕元に置いてある黒色のデジタル時計を見ると朝の七時。今日も時計はキッチリ仕事を果たしてくれた。

 今日は八月二十七日。二学期の始業式である。


 俺は上半身だけを起こし、軽く伸びをしてから立ち上がる。

 布団を四つ折りにし、部屋の隅に寄せ、夏用制服に着替える。夏服はブレーザーがなく、白のカッターシャツと灰色のズボンだけなので、着替えがとても楽だ。

 着替えを終えた後に『黒沢明人くろさわあきと』と自分の名前が書かれた生徒手帳を、カッターシャツの胸ポケットに入れる。俺は常に生徒手帳を持ち歩ける真面目な人間なのだ。


 欠伸をしながら部屋を出て、階段を降り、洗面所で顔を洗う。その時に跳ねた髪の毛を何とかしようと悪戦苦闘するが最終的に諦めた。側においてあるタオルで濡れた顔を拭き、鏡で自分の顔を確認する。日焼けして少しだけ濃くなった肌に、左目を隠すほどに伸びた前髪、僅かながらに幼さを残した顔立ち、うん、今日も特に問題はない。


 リビングに向かうと、母さんが黒のスーツ姿で洗い物をしていた。これもいつもの光景なのだが、最近は夏休みということで九時くらいまで寝ていることが多く、母さんと顔を合わせることが少なかったので、少し新鮮味を感じる。

 父さんは俺が生まれてすぐに亡くなっているので、俺もバイトをしたりしているが、基本的には母さんの稼ぎで生活している。

 母さんは部屋に入ってきた俺に気が付くと、少し意外そうな表情をした。


「あら、明人。今日は早いのね? バイト?」

「何言ってんだよ。今日から学校。まあ、放課後はバイトだけど……」


 母さんは俺の言葉にしばし固まった後、慌ててカレンダーを確認する。


「本当だわ。ごめんなさい。お弁当作り忘れちゃった」

「別に良いよ。コンビニで買うか、食堂に行くから」


 俺は椅子に座ると、机の上に置かれている朝食を食べ始める。いつもはラップで包まれているのだが、今日は俺が早く起きた為ラップで包まれていなかった。

 朝食を食べ終わると、しばしの間、暇になる。今日は始業式で授業はないし、そもそも昨日のうちに準備してあるので、朝に慌ただしくなることはない。

 いつもならバイトの事であれこれ考えを纏めたり、何かしらやることがあるのだが、ここ最近は夏休みの内に本来この時間にやるはずだったことをやっているので、何もすることがない。


 どうしようかと考えていると、机の上に置かれたリモコンが目に入る。久しぶりにテレビでも見るか、とリモコンに手を伸ばした。

 リモコンを操作して、テレビをつける。予想通り、ニュースしかやっていなかったが。

 ぼんやりとしながらテレビを眺めていると、人気小説が映画化して順調に共興収入を伸ばしていっているだとか、プロ野球の試合がどうだったとか、人体の細胞を人工的に作り出すことに成功しただとか、様々なニュースが報道される。


「ん?」


 ニュースの中で、気になるものがあった。

 『色波虹希いろなみこうき博士がわずかな病気の兆候も逃さない検査機を開発』というものだ。

 色波博士――世間では色波博士と呼ばれることが多い――は世界の医療技術を十年は進めたと言われる、日本が誇る天才である。俺も十二年前、小学校に上がる前の年にお世話になったことがある。治療不可能と言われていた、目の病気を治してもらったのだ。それ以外にも博士にはいろいろと世話になっている身なので、博士がいろんな人に評価されているのを聞くと、とても嬉しくなってくる。

 ニュースを見ている間に、うまい具合に時間が潰れたようだ。気が付けば母さんもいない。戸締りや電気の確認をしてから、鞄を持って家を出る。



 俺の住む金庭かなにわ町は人口八十万人を超える源光げんこう市の中にある町の一つだが、それほど発展しているわけではない。そもそも、源光市が大きな発展を遂げていないのだから、金庭町がそれほど発展していない町であるのも頷ける。

 では何故、源光市人が集まるのかと言えば、天見あまみ市と鳴音なおと市に挟まれているからだ。


 天見市には先ほどテレビに出ていた色波博士の研究所があり、その側には研究所で開発された最新技術を取り入れる世界最大の特定機能病院がある。しかしデメリットもあり、研究所から離れた位置に建てることが出来ない上に、世界最大の病院だけあって必要な敷地面積が広大だったのだ。その2つの条件を満たしていたのが、天見山のふもとである。

 そもそも、天見市とはその大半の土地が天見山であり、そのふもとに巨大な特定機能病院を作った為に、居住地域が縮小され、住んでいる人は少ない。


 次に鳴音市だが、こっちは日本有数の大都市だ。高層ビル群が立ち並び、様々な上場企業が本部を構えている。さらにはアイドルや歌手のツアーなどでは必ず鳴音市が含まれるほどだ。

 だが、鳴音市にも悪い点がないわけではない。

 鳴音市における最大の問題点。それは人口密度が高いことである。その為土地代が高騰し、裕福層ばかりが集まり、一般層は住みにくい地になっている。


 そんな2つの市の問題点を解決しているのが、源光市である。天見市にや鳴音市に住みたくても住めなかった人が集まって来るのだ。

 俺が通う金庭高校は、そんな源光市を体現したような高校だ。特に専門的なことをやっているわけでもなく、どこの高校でも勉強できるような一般的な勉強しかしない公立高校にも関わらず、生徒の数が全国二十二位なのだ。

 だから何だ。別に構わないじゃないか。そう思うかもしれないが、俺にとっては結構大きな問題だったりする。


 俺は別に人付き合いが苦手ではないのだが、とある外見的特徴からいろいろ目立ってしまうのだ。色波博士のような、何かしらの功績が認められて注目されるのは大歓迎なのだが、俺に向けられるのは好奇の眼差し。俺の性格や能力なんか関係なく、ただ珍しいからという理由で視線を集める。俺はそれがたまらなく嫌だ。

 家から近くて交通費がかからないと理由で、金庭高校を受験したのは失敗だった。


 高校三年生にもなって今更後悔しても遅すぎるのだが、同じ制服を着た人達の物珍しさを含んだ視線を向けられると、後悔せざるを得ない。

 俺はため息をつきながら、校門をくぐり、校舎内へと入る。


 廊下を歩いて三号館、通称三年棟まで来ると、俺に向けられる視線がなくなる。

 流石に同学年とあって、誰も俺に不躾な視線を向けてこない。

 まあ、入学当初は大注目されたが、二年に上がってから皆慣れてくれて、視線もだんだんと減っていった。


「よう、明人。久しぶりだな」


 俺が教室に入った瞬間に声をかけてきたのは、俺の親友にして幼馴染の赤木陽介あかぎようすけだ。陽介は俺と対照的に髪は短く、澄み切った瞳をしており、爽やか系男子として女子からの人気も高い。

 今日も爽やかスマイルを浮かべながら、自分の席に座っている。


「久しぶり。一週間くらい前に遊びに行って以来か?」


 俺は陽介に話しかけながらも鞄を自分の席に置き、椅子を後ろに向けて陽介と向かい合うように座る。


「ああ。そうだな。……で、お前、彼女でも出来たの?」


 陽介の唐突な質問に、俺は危うくひっくり返りそうになる。陽介はそんな俺を見て、あからさまに失望した表情でため息をつく。

 質問に答えなくても理解してくれる陽介は、俺のことをよく理解していると思うが、その失望顔はとても腹が立つ。


「いきなりなんだよ?」

「いや、俺、夏休みに何度連絡しても、無視されたから」

「うっ、それはバイトだったから。それにしても無視はしていないだろ。一昨日、連絡返したし」

「今日遊びに行こうって連絡を数日後に返されても、それは無視と変わらないだろう」


 陽介の的確な指摘に、俺は頭を下げることしか出来なかった。陽介は俺の反応に満足したように笑うと、話題を変えてきた。


「けどさ、俺達あと半年で卒業だぜ。明人がバイトを大事にしているのはわかるけどさ、彼女欲しいとか思わないの?」


 ……話題、変わってなかった。話が最初に戻って来ただけだ。

 俺の沈黙をどう受け取ったのかわからないが、陽介はさらに畳みかけてくる。


「そもそも、明人って好きな奴いるの? もしくは告白されたことがあるとか? ……いや、流石に告白されるはないか」

「おい。なんで勝手に自己完結した? 俺が告白される可能性はないってか? いくら陽介でも怒るぞ」

「じゃあ、告白された経験があるのかよ?」

「……すいません、ないです」


 陽介はそうだろう、と満足気に頷く。

 しかし、何故いきなりこのような話になるのだろう?

 陽介は人の感情に鋭く、他人が嫌がるような話はまずしない。最初の、彼女が出来たのかという質問に関しては連絡を無視した仕返しだとしても、その後に話を続けるのは陽介らしくない。


 俺の疑問が顔に出ていたのか、陽介はバツの悪そうな顔をする。

 陽介がこのような表情をするのは珍しく、俺はさっきの仕返しも兼ねて、どうかしたのかと聞いてみた。


「絶対笑うなよ?」


 陽介はそう念押ししながら、理由を話し始めた。


「実は一週間前、遊びに行った帰りに熱中症で倒れそうになって、公園の木陰で休んでいたんだ。そんな時、俺に声をかけてくれた女性がいた。大丈夫ですか、何かしましょうかって。俺は大丈夫だって言ったんだが、その女性は優しく看病してくれたんだ。もちろん公園だから、簡単な応急処置程度だったけどな。その時、思ったんだ。ああ、この人と付き合いたいなって。要するに何が言いたいかというと、その、好きな人が出来たんだ」


 俺は陽介が何を言っているのかわからなかった。脳が話の意味を理解するのを拒否したのだと思う。

 それだけ、陽介の話が衝撃的だった。

 俺から見た陽介は皆を引っ張るリーダータイプで、好意を寄せられることはあっても、誰かに好意を向けるなんてことはないと思っていた。

 陽介が照れながら、好きな人が出来たとか言う日が来るなんて、思ってなかった。


「それで、他の人はどうしているんだろうと思ったんだ。明人は昔から、俺の知らないところで俺以上のコミュ力を発揮するからな。で、明人は好きな奴とかいないのか? …………明人?」


 ここで、陽介は俺がフリーズしていることに気が付いた。陽介曰く、この時の俺は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたという。

 結局、朝の時間に俺が正気を取り戻すことはなく、話は放課後に持ち越しとなった。



 放課後。

 陽介の話が頭から離れず、午前中のことが何一つ思い出せない俺は、既に解散して誰もいない教室に突っ伏していた。今日が始業式で良かったと、心の底から思う。


 陽介は俺から話しかけてくるのを待っているのか、一向に話しかけてこない。

 今教室にいるのは俺と陽介のみで、朝の話の続きをするなら絶好の機会と言えるだろう。話の続きをしたくない俺にとっては、最悪の機会だが。

 それでも陽介は俺なら良い相談相手になってくれると思って、好きな人が出来たと打ち明けてくれたのだろう。だったら、俺も陽介の親友として、真面目に相談に乗るべきだろう。


 だが、その前に昼飯だ。

 俺は勢いよく立ち上がると、陽介の前を素通りして食堂へ向かった。

 食堂は部活動をしている人達のために始業式から営業しており、俺は部活動の人達に便乗して昼食を買う。

 教室へ向かう道すがら、陽介からどんな相談を受けても動じないよう、覚悟を固める。


 教室に入ると、陽介は既に自分の席に弁当を広げていた。どうやら、俺が帰ってくるのを待っていたらしい。

 俺は朝と同じように椅子を後ろ向きに置き、陽介と向かい合うように座る。

 さあ、どんな相談でもしてくるがいい! 俺が何とか解決してやろう!


「で、明人は好きな奴いるの?」


 が、陽介は俺の覚悟を打ち砕くような軽い調子で、朝と同じ質問をしてくる。


「なんでその質問に戻って来るんだよ? 陽介が好きな人に対して、どう行動していいかわからないから俺に相談しているんじゃないのか?」

「そんなこと言ってないぞ? 俺の好きな人は、人付き合いが相当苦手っぽくて、下手に手を出せない状態なんだよ。だから、仲良くなるのにどうしたって時間がかかる。なら、空いた時間を有効活用しようって話さ。で、手始めに明人なら好きな人に対してどう行動するのかなって」


 俺の覚悟を返せ! まったく、心配して損した。

 俺はため息をつきながら、肩を落とす。


「全く、好きな人が出来ても、陽介は変わらないか」

「何だ? 俺に好きな人が出来たのが意外って顔してるな」


 相変わらず鋭い。

 俺は降参の意味を込めて、両手を上げる。


「一つ言っておくが、俺が人を好きになるのはおかしなことじゃない。これはあくまで友達としてだが、明人も俺の好きな人の一人なんだからな」


 言われてみれば確かに……。

 友達って、片方だけがそう思っていてもそれは友達ではないよな。それはただの一方通行だ。

 それにしても……。


「俺の認識が間違っていたのは認めるけどさ、好きな人とか言うなよ恥ずかしい……」

「あくまで友達として、だ! 変な想像をするな」

「へー、陽介は何を想像したんだ?」


 俺が意地の悪い笑みを浮かべながら言うと、陽介は言葉に詰まった。どうやら言い返す言葉が見つからなかったらしい。

 陽介が悔しそうにしているのを見て、留飲を下げた。


 俺は買ってきた昼飯を机の上に広げ、食べ始める。この後バイトがあるので、あまりゆっくりし過ぎるわけにもいかないのだ。

 俺が食べ始めたのを見て、陽介も弁当を食べ始める。

 食事中の会話はなく、昼食自体もそこまで多くなかったので、食べ終わるのにそんなに時間はかからなかった。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさん」


 俺が食後に出たゴミを片付けていると、同じく弁当を片付けていた陽介が声を上げる。


「……って、明人の好きな人!」


 俺は片づける手を早め、すぐさま立ち去ろうとするが、陽介は見逃してくれなかった。

 肩を押さえつけられ、自分の席に戻される。

 全く、余計なことを思い出しやがって。


「明人だけ言わないのはズルいぜ。ほら、言ってみ? 誰にも言わないから。好きな人は誰なんだ?」


 おいおい、さっきまで好きな人がいるか、って質問だったのに、なぜいること前提なんだ。

 だが、こうなった時の陽介は面倒くさい。この場では諦めても、明日にもう一度聞かれる可能性は高い。それでも言いたくないな……。


「言わないんだったら、本気で怒るぞ」

「すいません。言いますんで、勘弁してください」


 俺は陽介の脅しに屈してしまう。

 陽介は人の感情に鋭いので、人の嫌がることがどんなことなのかを熟知しているからだ。小学生の時、俺がいじめられていたことを知ると、明人はとてつもなく凄惨な方法で仕返しをしていた。詳細は伏せるが、陽介が仕返しをして以来、いじめられたことはないとだけ言っておく。


 要するに、陽介は怒らせたら怖いのだ。

 俺は陽介の質問になんと答えるかを考える。正直、嘘で誤魔化したいところだが、陽介に嘘は通じない。嘘をついた時の罪悪感や無意識に出る行動を、陽介は決して見逃さないからだ。


「えっと、好きな人、ね……。正直、好きって気持ちがいまいちよくわからないけど、夢に出てくるほど気になっている奴ならいる、かな」

「え? マジで?」


 陽介は俺が真面目に答えるとは思っていなかったのか、目を白黒させている。もしくは俺に気になる相手がいることが意外だったのかもしれない。


「てっきり、好きな奴なんていないと答えると思っていたのに……。で、誰なんだ?」

「分からん。もう十二年も前の事だしな。ただ、どんな子なのかは、朧気ながら覚えている。髪も肌も白くて、人付き合いが苦手な女の子だった。少なくとも、俺の知っている限りでその女の子と仲が良かったのは俺だけだ。あとは、いーちゃんと呼んでいたことくらいかな……思い出せるのは」


 俺の話が終わるのと同時に、陽介が感心したように、はー、と息を吐いた。

 俺はなんだか居心地が悪くて、陽介から目を逸らす。


「まさか明人が十二年も一人のことを想っているとは……。流石の俺も予想できなかったぜ。道理で、彼女を作ろうとは思わないわけだ」


 陽介は俺が彼女を作らない理由を、自分で勝手に想像して納得していた。

 俺としては別に夢の女の子のことが好きってわけではなかったし、彼女を作らないのも単に忙しくて作る暇がなかったからなのだが、陽介が都合のよい解釈をしてくれていたので何も言わなかった。

 大切な人という意味では、間違いないのだから。


「十二年前ってことは、色波博士の研究所にいた頃だな。特徴が髪も肌も白い、だったな。となると、あの子か……。確か名前は……白鳥しらとり……えっと、彩羽いろは、だったか?」


 陽介は自分の記憶を整理するように、独り言を呟く。

 十二年前、俺は色波博士の研究所で目の治療を受けた。その時に親について来ていた陽介と知り合い、友達になったのだ。

 だから陽介が俺の言う人物を知っているのも、不思議なことではない。

 けれど陽介がその女の子の名前を知っていたのには驚きだ。


「正直、当時はあの子のこと苦手だったからな。今は多分、平気だと思うけど」


 今でこそ誰とでも仲良くなれると豪語しているが、十二年前、当時五歳だった陽介は、自分が行動して相手の反応から相手の情報を集めるのが得意な奴だった。だから、そっけなく無視するタイプの人が苦手だったのだ。


「けど、あの子か……。明人がなぁ。意外だ」


 陽介がしみじみと呟く。

 正直、そんな反応をされると、こっちが困る。なんというか、すごく恥ずかしい。


「うるさい。俺はちゃんと話したんだ。これからバイトあるし、そろそろ行くぞ」


 俺は鞄を持って席を立ち椅子を戻すと、そのまま教室の鍵を手に取って扉の方に歩く。


「おい待てよ、明人。もう一度、あの子に会いたいって思わないのかよ?」


 俺は陽介に背を向けたまま立ち止まる。


「思っても無駄さ。あの時、色波博士の研究所には全国から目に病気を抱える人が集められていた。もう二度と会うこともないだろう」

「ふーん……もう二度と会うことはない、ね……」

「なんだよ?」


 陽介の含みのある言い方に、俺は思わず振り向いてしまう。陽介はなんでもないと言いながら、意地の悪い笑みを浮かべていた。


「それより、何だか周りの色、おかしくねえか?」

「は? なんだいきなり?」


 陽介の唐突な話題転換に、俺は思いっきり戸惑う。

 何か意図のある話題転換なのだろうか? 陽介の真意が掴めない。


「いや、なんだか周りの景色がモノクロに見えるというか、色が薄くなっていると思うんだよ」

「それを俺に言ってどうする?」

「そうだよな、悪い。さっきの話は忘れてくれ」


 陽介は俺の事情を知っているので、申し訳なさそうに謝ると鞄を持って教室を出た。


「帰ろうか。明人も、バイトあるんだろ?」

「あ、ああ」


 この時、俺はもう少し陽介の話を聞いておくべきだったのかもしれない。例え陽介の話を真面目に聞いたところで、結末は変わらなかっただろうけど。

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