介抱
意識を回復させた俺が目を開けたとき、真っ先に飛び込んできたのは、今にもキスできそうなほど近づいていた白鳥さんの顔だった。
目をぱちくりさせて固まる白鳥さん。
髪をかきあげているのは、俺の顔に髪の毛がかからないようにするための優しさだろうか。
意識が覚醒してくると、今度は後頭部から柔らかい感触が伝わってくる。
これはまさか……膝枕というやつではないだろうか。
そのことに気が付くと、途端に恥ずかしくなってきた。
白鳥さんも恥ずかしかったらしく、顔を真っ赤にしながら顔を上げ、露骨に視線をそらしてくる。
可愛らしい反応を見せる白鳥さんを眺めつつ、なぜこのような状況になったのかを考える。
記憶の最後にあるのは、襲い掛かってきた青井さんの姿だった。
そのことを思い出すと、青井さんが今どこにいるかが気になった。
青井さんを探すために視線を周りにやろうと、頭だけを動かす。
「きゃっ」
俺が急に動いたからだろうか、白鳥さんが小さく悲鳴を上げた次の瞬間。
喉元に竹刀が突きつけられていた。
「うえっ……」
一体何が起こったのか、視線を動かし竹刀を持つ人物を確認する。
青井さんだった。
ヤバイのではないか。そう思ったが、青井さんと視線が合うとあっさりと竹刀を収めてくれた。
「助かった……」
安堵の息をついたところで、違和感を感じる。
「ん?」
俺は今、なんて言った?
助かっ……た?
それはおかしいだろう。絶対におかしい。
何故なら、俺は今、白鳥さんに膝枕をされているのだ。
そんな状態で白鳥さんが悲鳴を上げてなお、青井さんが素直に引き下がるだなんておかしすぎる。
そもそもだ。先ほど俺と白鳥さんが物理的に接近していたにも関わらず、青井さんは何も言わなかった。
あまりに大きな違和感に気づき、胸中が不安で満たされる。
「黒沢さん……? まだどこか痛みますか?」
不安が顔に出ていたのか、白鳥さんは心配そうに声をかけてくる。
「いや、心が……って、なんでもないよ! 大丈夫大丈夫!」
「そうですか。ですが、どこか痛むようなら早めに言ってくださいね」
「ああ」
まただ。
白鳥さんが俺を気使う発言をしたのに、青井さんは何も言ってこないし、特に乱暴とかもはたらかない。
もしかして青井さんは改心したんじゃないかと思い始めた矢先。
「いつまでそうしてるつもり?」
青井さんの鋭い声音に反射的に飛び起きた。
「あの、寝てなくて大丈夫ですか?」
白鳥さんが心配そうに声をかけてくれるが、俺は頷き大丈夫だと伝える。
そして青井さんを見据えると、ゆっくりと立ち上がって身構える。
警戒心を顕にする俺に対して、青井さんはどこかバツが悪そうに視線を逸らす。
「そんなに構えないでよ。これでも、やりすぎたかなって反省していたのよ」
青井さんが唇を尖らせ、拗ねたようにそう言った。
そのことを意外に思い、白鳥さんの方に視線を向けると、微笑みながら頷いていた。
どうなら青井さんの言葉は本当らしい。
そのことに安心して、構えをとく。
「そっか。構えちまって悪かったな」
「分かればいいのよ。けど、見逃すのは今日だけだから。明日からはまた邪魔をさせてもらうわ」
その言葉に自然と口元が綻んでいた。
いつの間にか、青井さんが白鳥さんを守らんと俺に絡んでくることに慣れすぎてしまっていたようだ。
「慣れって恐ろしいもんだな……」
しみじみと呟いた言葉は誰にも聞こえることなく、虚空へと消え去っていった。
しばらくして全員が落ち着きを取り戻すと、ようやく真面目な話になった。
「そういえば白鳥さん。陽介はどうしてるんだ?」
「ああ! すっかり忘れていました。すぐに戻らないと怒られます……」
わりと本気で怯えている白鳥さんに、なぜこんなことになっているのだろうと疑問に思う。
もしかして俺がいない間に何かあったのだろうか。
「あの男は彩羽様に何をしたのですか!?」
青井さんは既に陽介に何かされたと決めつけているらしい。
前のめりになる青井さんを、白鳥さんは苦笑しながらなだめる。
「美空さん。落ち着いて。別に何かをされたわけではありませんから。ただ、黒沢さんが来なかったために赤木さんがだんだん苛立ち始めてですね……」
その言葉を聞いて、血の気が引いていくのを感じた。
陽介が本気でキレたときの恐ろしさはよくわかっているからだ。
以前に一度だけ、陽介が本気でキレたところを見たことがある。
その時の怒りの矛先は俺をいじめた奴らに向いていて、俺は守られる側だった。
しかし、今回は俺に怒りの矛先を向けられている。
そう考えると、震えが止まらなくなってきた。
「何を黙っているの? あなたがこんなところでダラダラとしてるから彩羽様が怒られる……ねえ? 大丈夫?」
あの青井さんが素で俺を心配してしまうくらい、震えが尋常じゃないらしい。
しかし、どうしようもないのだ。
一度刻まれたトラウマはそう簡単に消え失せるものでもない。
守られる側だったにも関わらず、これだけのトラウマを抱えてしまっているのだ。その恐ろしさがよくわかるというものだろう。
そう考えると、俺をいじめていた奴らが可哀想に思えてくるほどだ。
「……黒沢さん。大丈夫ですよ」
そう言いながら白鳥さんが優しく抱擁しようとした瞬間――
バシィン!
と、青井さんに思い切り背中を叩かれた。
「ぐっ……」
あまりの勢いに、思わず呻き声を漏らしてしまう。
背中が痛い。
涙目になりながら青井さんの方を見ると、腰に手を当ててそっぽを向いていた。
「シャキッとしなさい。あなたはそんなに弱くないはずよ。黒沢」
そう言った青井さんは少しばかり照れているようだった。
照れた青井さんというのは珍しかったが、それよりも俺のことを苗字で呼んでいたことのほうが珍しく感じた。
もしかしたら、初めて呼ばれたかもしれない。
そのことに呆然としていると、いつの間にか震えは止まっていた。
「……」
白鳥さんは青井さんが俺のことを苗字で呼んだことに衝撃を受けているのか、抱擁しようとした体勢のまま固まっていた。
白鳥さんの様子が心配になるが、先に青井さんにお礼を言う。
「ありがとな。青井さん」
「別にお礼を言われるほどのことではないわ。あなたがそんなだと、彩羽様に迷惑がかかるからよ。……それよりも、その『青井さん』というのはやめてもらえる?」
「いや、いきなりそんなことを言われても……」
照れ隠しなのか、いきなり名字呼びをやめろと言われて戸惑ってしまう。
いったい、なんと呼べばいいのだろうか?
呼び捨てや下の名前で呼ぶと青井さんに却下されそうではあるし、名字にさん付けというのが一番マシだったように思えるのだが。
「えっと、なら……なんて呼べば良いんだ?」
「そうねえ。美空様なんてどうかしら?」
「なんでだよ!?」
「何よ。せっかく、下の名前で呼ぶことを許可してあげてるのよ? 感謝しなさいよ」
「だからって様はないだろう様は」
ため息を吐き出し、もう少しマシな呼び名がないかを考える。
そこでふと思った。
もしかして、青井さんの方から歩み寄ろうとしてくれているのかもしれない。
今までなら何を馬鹿なことを考えているのだろうと思うが、今日の青井さんは今までの青井さんと明らかに違う点がある。
口では上からの物言いをしていたりするが、その内容や行動は俺を心配するものだったり、俺の手助けをしてくれるものが多いのだ。
しかも、俺のことを名字で呼んでくれたり、素直なお礼が聞けたりと、態度もかなり軟化している。
ここは一つ、試してみるか。
「なら、折衷案として美空さんって呼ぶのはどうだ?」
「馴れ馴れしいわね、却下……と言いたいところだけど、今日だけはあなたに優しくする約束だものね。いいわ、認めてあげる」
そんな約束した覚えはないんだが。
そう思ったが、青井さんはそういうことにしておきたいのだろう。
だったら、余計なことは言わないでおこう。
「ありがとう、美空さん」
俺が微笑みかけると、青井さんも微笑み返してくれる。
その笑みを見て、ようやく青井さんと分かり合えたのだと、そう感じることができた。
「お話は終わりましたか?」
「うおっ!?」
横から突然、白鳥さんに話しかけられて驚いてしまう。
「ずいぶんと美空さんと仲良くなったんですね」
そう言う白鳥さんの表情は笑顔だったが、恐怖を感じた。
「……怒ってる?」
「いえ、そんなことはありませんよ。私は美空さんと黒沢さんが仲良くなってくれて嬉しい限りです」
「そ、そうか……」
正直、怒ってないようには見えなかったが、かける言葉見つからずつい頷いてしまった。
「…………」
「…………」
緊張した空気が俺と白鳥さんを包み込む。
白鳥さんが怒っている理由については想像できるのだ。自分で言うのもなんだが、俺と青井さんの距離が縮まったことに対するヤキモチなのだろう。
無論、これは青井さんの話を聞いたから思うのであって、断じて俺の思い込みなどではない。それだけに信憑性は高いということだ。
しかし、現状俺ができることは何もない。
だから白鳥さんの方からなにか言うのを待っているのだが、その後も白鳥さんは何も言わなかった。
なにか言ってくれよ!
心の中でそう叫びながら、こうなったら話題を変えるしかないと考え、何か話題はないかと頭をフル回転させる。
とにかく、この状況から抜け出さなければならないのだ。
「あっ」
と、その時、青井さんが何かを思い出したように声を上げた。
「そういえば忘れていたことがあったわ。黒沢、これ」
そう言いながら、右手を制服のポケットに手を突っ込んだ。
その行動を見て、まだなにか渡すものがあるのかと首を傾げる。
その直後に、青井さんが渡そうとしているものが何であろうと、分類上プレゼントに当たるということに気が付く。
このタイミングでプレゼントはマズイのでは?
そう思い白鳥さんの方をチラ見すると、やはりというべきか笑顔が引きつっていた。
もはや笑顔が保てなくなるほど怒りが溜まっているのだろう。
こんな状態でプレゼントを受け取ってしまうわけには行かない。例え、何の思いもこもってないプレゼントであっても。
「私が蹴っちゃった時に……」
「悪い! その話は後で聞くから!」
とっさの行動だった。
俺は青井さんの言葉を途中で遮ると、素早く白鳥さんの手を握りしめる。
「ほんと、ごめん!」
そして、脱兎のごとく空き地を飛び出した。
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