【幕間】 敵対 side透矢

「それで、君に明人君が十二年前の男の子だと教えたのは誰なのかな?」

「それを教えると思っているんですか?」

「だろうね。なら、自分で推測してみようか」


 言いながら、右手を前に突きだし、人差し指を立てる。


「まず、その人物は明人君と同じ小学校に通っていた」


 人差し指を立てたまま、中指を立てる。


「次に、今も白銀女学院に在籍しているかはわからないが、少なくとも在籍していたことがある」


 二本の指を立てまま、薬指を立てる。


「三つ目、彩羽君が何故このタイミングで裏切ったのか? まあ、これについては既に明らかになっている。明人君のことを思い出した──いや、正確には明人君と十二年前の男の子がイコールで繋がったからだ」


 三本の指を立てたまま、小指を立てる。


「四つ目、この直前にあった出来事と言えば、陽介君が考案した親睦会である。つまり、容疑者は明人君、陽介君、美空君、星志君、そしてもう一人の女の子の五人だ」


 四本の指を立てながら、親指を立てる。


「そして五つ目、女学院出身者という情報から美空君かもう一人の女の子に絞られ、明人君と同じ小学校に通っていたという情報から美空君ではないと分かる。つまり、犯人──というほど大袈裟なことでもないが、彩羽君に明人君と十二年前の男の子を結びつけさせたのは、その女の子だろう?」


 彩羽君の顔に僅かな動揺が走る。

 僕が言い当てたことよりも、自分の迂闊さに対する後悔のようなものだったが、僕の推理が当たっていたことが証明できた。

 左手をポケットに突っ込み、格好つけた姿で右手を前に突き出す。


「さて、その女の子の名前、教えてもらえないかな? 別に僕は何もするつもりはないんだが、この会話を聞いている星志君が何をしでかすかわからないよ?」


 その言葉に、彩羽君ははっきりと驚きの表情を浮かべ、辺りを見渡す。

 星志君が盗み聞きしていることには気が付いていなかったようだ。

 彩羽君の反応に、右手を降ろして肩をすくめてみせる。


「ここにはいないよ。携帯を通話状態にして会話を聞かせていたからね」

「……どうして、そんなことを教えてくれるんですか?」


 おや? てっきり、批難の言葉や罵倒が飛んでくると思ったのだが、案外冷静なようだ。

 もし、批難や罵倒が飛んでくるようであれば、その言葉を星志君に聞かせて僕達の仲間にしようと企んでいたのだが。

 マイクから軽く離していた左手を戻し、こちらの声を星志君に聞こえないようにする。


「別に、彩羽君のためではない。星志君が君に嫌われれば、星志君は僕の味方になるからね」

「最低、ですね……」


 彩羽君は軽蔑したような瞳で僕を見る。


「否定はしない。だけどね、最低な手を使わざるを得ないほどに僕を追い詰めたのは君達だ。これから先、僕は手段を選ぶつもりはない。そこは肝に銘じてくれたまえ」


 おっと、ついつい口が滑ってしまった。

 僕と彩羽君は既に敵同士なのだから、出来るだけ情報を与えないようにしなければ。


「話が逸れたね。で、結局彩羽君に情報を与えた女の子の名前はなんて言うんだい?」

「……はぁ、わかりました。教えます」


 彩羽君が根負けし、ため息をついた。


「緑河林華、です」


 顎にポケットに入れていた左手を当て、その名前を咀嚼する。


「緑河林華。緑河林華か。うん、覚えた」


 無自覚のウチに僕を窮地に追い込んだ少女の名前。

 これから一生、忘れることの出来ないであろう名前だ。


「さて、僕の用件はこれで終わったわけだけれど、最低ついでにもう一つ、星志君の告白の返事を聞かせてくれないかい?」

『はぁ!?』


 星志君が電話越しに驚きの声を出した。

 彩羽君がいるにも関わらず大声を出したあたり、相当動揺しているようだ。


「別に告白されたわけではありませんが」


 彩羽君の方は先程僕が教えたこともあり、特に驚く様子もなくツッコミを入れてきた。

 しかし、意図的なのか天然なのかは知らないが、ここでその返しはないだろう。


 はいかいいえ、で答えたら良い質問であるし、先程明人君のことが好きだと言ったのだから答えは確定しているだろう。


「けれど、星志君の気持ちには気づいていただろう? あれだけ分かり易いアプローチを行っていたんだ。本当に気が付いていなかったとしたら、鈍感では済まされないレベルだよ」

「それは……まあ。けど、答えなら分かりきってるじゃないですか。何故わざわざ……」

「まあ、そう言うなよ。例え答えがわかっていても、言葉にした方が良い時もあるんだよ」

「そうですか……」


 彩羽君はそう言うと、星志君が目の前にいるわけでもないのに、居住まいを正した。


「黄賀星志さん。お気持ちは嬉しいですが、あなたの気持ちに応えることは出来ません。私には、好きな人がいますから」


 彩羽君は一礼して、この僕が見惚れるような華やかな笑みを浮かべた。

 その笑顔は本来、明人君に見せてあげるべきであろう表情だろうに。

 そう思うと、自然と苦笑してしまった。


『……透矢。彼女と話をさせてくれないか?』

「わかった」


 星志君の頼みにハイホを取り出し、彩羽君に差し出した。

 彩羽君は無言でハイホを手に取る。

 そして、恐る恐る耳に当てた。


「黄賀さん……ですか?」

『ああ。まずは……電話越しとは言え、会話を盗み聞きをしていたことを謝罪する』

「……いえ、そのことはもういいです」

『そうか。それで本題なんだが……その……俺の気持ちに真剣に向き合ってくれて、礼を言う。それで、だ。俺は今回の明人と透矢の戦い、透矢の味方をすることに決めた。もちろん、振られたことは関係ないので、彩羽さんは気にしなくてもいい。ただ、透矢との約束を果たすだけだ』


 星志君がさん付けで名前を呼んだ?

 明人君達はもちろんのこと、年上である僕にすら呼び捨ての星志君が?


 それに、星志君が律儀に約束を果たしてくれるだって?

 一体、星志君にどんな変化があったのだろう。


「わかりました。けれど、私達は負けません」


 考え事をしている間に話は終わったようで、彩羽君は一方的にそう宣言をして、通話を切った。

 その様子を見て、違和感を感じた。


 彩羽君はここまではっきりとした物言いをしていただろうか?

 僕の記憶では必要なことは言っていたような気もするが、言わなくても良いことは言わなかったはずだ。


 そして今のは、間違いなく言わなくても良かったことだ。

 間違いなく、彩羽君にも変化が起こっている。


「これはお返しします」


 彩羽君からハイホを受け取り、ポケットにしまう。

 その後、僕が口を開かないのを見て、彩羽君が踵を返して部屋を出て行こうとする。



「待ってくれ」

 僕の呼びかけに、彩羽君は立ち止まって振り返った。

 しかし、言葉を上手く発することが出来ない。

 元々、僕に彩羽君を呼び止めるつもりはなかった。自分でも何故呼び止めたのか、分かっていないのだ。


「あ、いや……彩羽君はその気持ちを明人君に伝えるつもりなのかい?」


 無理に言葉をひねり出した結果、余計なことを聞いてしまった。

 気持ちを伝える伝えないは僕には関係ないことで、聞いたところで何の意味も持たない。

 ただ、そうなのか、と思う程度だろう。


「あ、いや、今のは……」

「伝えませんよ」


 僕が発言を撤回しようとする前に、彩羽君が質問に答える。


「えっ……?」


 そんな彩羽君の様子に驚きの声を漏らしてしまう。

 伝えないことにではなく、正直に答えてくれたことに対しての驚きだったが。

 ただ、彩羽君は伝えないと聞いたことに対する驚きだと思ったようで、その理由を説明し始めた。


「黒沢さんは何度か、私のことを知っているようなそぶりを見せていました。初めは赤木さんから聞いたのだと思っていました。あの人の交友関係は広いですから、私のことも知っているだろうと考えていたのです」


 なるほど。

 それが、明人君が″あっくん″だと気付いていなくても、知られていることをおかしいと感じなかった理由か。

 確かにあり得そうな話ではあるし、事実、陽介君は彩羽君のことを知っている。


 十二年前の研究所にいたのだから当たり前のことなのだが、彩羽君はそれを交友関係の広さ故だと思ったのだろう。

 まあ、彩羽君と陽介君が関わりを持ったのはほんの数日な上に、特に記憶に残るような出来事もなかったので、覚えていなくても仕方のないことではあるが。


「しかし、事実は違いました。黒沢さんは私が探し求めていた″あっくん″であったにも関わらず、私に何も聞いてきませんでした」


 それはそうだろう。

 明人君は、彩羽君は明人君の正体に気付いていてその上で過去の出来事に触れて欲しくないと思っている、と思い込んでいるのだから。


 大方、彩羽君が今まで明人君に無関心だったことが原因なのだろう。先程、彩羽君が言っていたが、明人君のことを″あっくん″だと思っていなかったようだしね。


 明人君からすれば、意図的に避けられているという感覚だったのだろう。

 心の中でそんなことを考えるが、口には出さない。


 しかし、明人君と彩羽君の関係は、奇跡的なまでにすれ違っている。

 互いに十二年前の記憶を持ちながら、勘違いと情報の欠落によって、本当の意味での再会を果たすことが出来ていない。


「優しいあっくんなら私がモノクロ化を引き起こしたことを許してくれるかもしれません。しかし、あっくんにとって十二年前の出来事は単なる過去の出来事に過ぎないのだと思います。だから私は……あっくんに告白することはないでしょう」


 そしてまた、一つの勘違いが生まれようとしている。

 この勘違いを成立させてしまえば、本心では互いに好意を向け合っているにも関わらず、互いに嫌われると思い込んでしまう。

 そうなれば、明人君と彩羽君の道が交わることは、この先永久にあり得ないだろう。



 ──ただまあ、それは僕には関係のないことだ。



 彩羽君が僕の味方ならいざ知らず、敵同士になった今、協力する義理はない。

 そもそも、このまま明人君と彩羽君がギクシャクして彼らの関係が崩れてくれたら、僕の勝率はさらに跳ね上がる。

 むしろ、助言を与えると僕にとってマイナスになりかねない。


 だというのに──

 何故だろう、こんな気持ちになるのは。

 無性にイライラし、もどかしく感じる。

 彩羽君と星志君から成長を感じ、遅れをとったように感じるからか?

 それとも、明人君と陽介君が絶対的不利な状況から彩羽君の引き抜きに成功し、僕の計画を狂わせたことに対する苛立ちか?


 いや、違う。

 この気持ちは──怒り、に分類されるものだろう。

 イチャイチャと恋人のように振る舞っておきながら、恋人ではないと言い張る男女を見かけた時のような。

 言うなれば──いい加減くっつけよ! 見ているこっちがイライラしてくる!──そんな心情だ。


 彩羽君に対する仲間意識を消しきれなかったのだとしても、僕にこのような気持ちがあったことに驚きを隠せない。

 目的を果たす為に彩羽君を利用し、星志君を利用し、明人君を利用しようしている僕が、明人君と彩羽君の仲を気にしているだなんて。


「……すいません。こんなこと、透矢さんに言っても仕方のないことでした。だけど、黒沢さんのことを諦める前に、自分の気持ちを言葉にすることが出来て、良かったです……」


 彩羽君はそう言って笑顔を浮かべるが、その瞳から一筋の涙が零れ落ちる。

 全く、勝手に明人君に対する思いをぶちまけて、それだけで自己完結しないでもらいたい。

 そんな思いの丈をぶつけるために、大仰に両手を広げ、大袈裟に笑ってみせる。


「失恋した気になるのは自由だけどね、人間関係において、君はまだまだ僕の足下にも及ばない。それで明人君の気持ちを知ろうだなんて、なんと浅はかな……」


 僕の言葉にカチンときたのか、彩羽君は僕のことをキッと睨みつけてきた。

 目元には涙が溜まっていたが、先程までの諦めたような感じではない。


「そこで一つ、レクチャーをしてあげよう。何故明人君達は彩羽君の引き抜きという、回りくどい行動を取ったのだったか? スカウトの時に明人君に何て言ったのだったか? それらのことをもう一度、良く考えてみると良い」


 僕の言葉に睨みつけることも忘れ、彩羽君は顎に手を当て考え込む。

 まあ、回りくどい行動を取ったことに関しては、簡単に分かるだろう。

 僕や彩羽君を犯罪者にしたくなかったから。つまり、明人君が僕達のことを犯罪者にしたくないと思うほどには好意を向けられていたということだ。


 問題はスカウトした時に何て言ったのか。それを思い出すだけでなく、きちんと理解できるかが鍵となる。

 僕は考え込む彩羽君の様子を見ながら、明人君をスカウトした時を思い出す。


 あの時、彩羽君は自覚しないまま、とてつもないファインプレーをしたのだ。

 しかし、僕にとってのファインプレーが彩羽君にとっては失策だった。



『……変態ストーカー』



 彩羽君は冗談のつもりで言ったこの一言が、明人君が過去の出来事に触れるのを躊躇わせたのだ。

 しかも彩羽君はその後にこう続けている。



『冗談です。さすがに協力をお願いしようとしている相手を変態ストーカーだなんて思いませんよ』



 これは『変態ストーカー』だというのを取り消している言葉であるが、見方を変えると脅迫になり得るのだ。

 そう、例えば協力をしてくれない人のことは変態ストーカーだと思うかもしれませんよと、そんな風に捉えることも可能なのだ。


 普通なら、そんな誤解はしないだろう。

 しかし、僕達と敵対していた明人君はそう思わざるを得なかった。

 明人君が過去の出来事に触れてしまえば、それをストーカーとしての証拠にでっち上げられる可能性もあったわけだから。


 実際、彩羽君は明人君のことを″あっくん″だと認識していなかったわけだし、明人君が彩羽君と昔に会っていたという証拠は、色波虹希がいない今、揉み消すのはそう難しい話ではない。


 だからこそ、明人君は彩羽君側から過去の出来事に触れるのを待たなければならなかったし、ストーカーだと怪しまれるような行動はとれなかったのだ。


「まさか……そんな……あれは、本当に冗談で……」


 事の真相にたどり着いたらしい彩羽君は、面白いように動揺している。

 ただ、嫌われていないと分かったからか、その表情には安堵が混じっていた。


「敵対するというのは、どうしても相手を疑わなければならない。そういう意味では、明人君の味方についた君の判断は正しかったわけだ」

「透矢さん……」

「さあ、もう行くと良い。彩羽君がこの部屋を出た瞬間から、僕達は再び敵同士だ」

「分かっています。ただ、これだけは言わせてください」


 彩羽君は右手で目元に溜まったままとなっていた涙を拭い、決然とした表情を向けてくる。

 その表情は凛々しく、美しかった。


「今まで、ありがとうございました」


 彩羽君はそんな、感謝の言葉と共に頭を下げた。

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