【幕間】 対話 side透矢

 書類仕事を大方片付け終えて時計を見ると、彩羽君が仕事を終える少し前だった。

 少し早いが、呼び出しても問題はないだろうと考え、第1チームに電話を入れる。


 研究員の連絡先は全員知っているが、研究所内では各チームへの内線で連絡することが多い。これは特に理由があるわけではないが、強いて挙げるなら偶に充電が切れて通じない場合があるということだ。

 電話に出たのは彩羽君ではなかったが、同じ部屋にいたらしく、すぐに彩羽君に伝えられた。


 その後、星志君に彩羽君がもうすぐこの部屋に来ることをハイホで伝える。

 その途中で、コンコンコンと、扉がノックされる。もう彩羽君がやってきたらしい。


 第1チームからここまで距離があるわけではないが、ここまで早く来るとは予想外だった。少なくとも対立状態にあるのだから、罠であることを警戒し、少しばかり遅れると考えていたのだが。


『おい。どうするつもりだ?』


 彩羽君が来たことはハイホ越しに星志君にも伝わったらしく、剣呑な声音で問い掛けてくる。


「なら、このまま通話状態にしておく。それで、彩羽君との話を聞けば良い」


 そう言いながら、ハイホを左ポケットの中にしまって、扉の方へ歩く。

 扉を開けると、そこには帰り支度を済ませた彩羽君がいた。


 通話中なのを悟らせないためか、星志君からの返答はない。しかし、未だに通話中だという事実が、ハイホ越しに話を聞くという星志君の答えであるように感じた。


「入ってくれ」


 彩羽君は失礼しますと言い、部屋の中へ入る。

 扉を閉め、彩羽君と向かい合う。

 この部屋には僕の仕事机しかないため立ち話となってしまうが、僕も彩羽君も問題にしなかった。


「随分と早かったね」

「私が透矢さんを裏切ったという自覚はありますから、呼び出されることは最初から覚悟していました」


 罠だとは考えなかったのかという意味を正確に理解し、最初から覚悟していたと言う。

 それはつまり、罠にかけられても仕方がないと考えていたということで、陽介君達の味方についたのはそれ相応の理由があることを確信させるものだった。


「そうか。けど、僕としては陽介君達の味方になっても構わないと思っている。もちろん、僕としては相当の痛手だけれど、彩羽君は僕らの研究に大いに貢献してくれたからね。勝負の時にどちらの味方をするかは君の自由だ。だけど──」


 この言葉は本音ではなかった。

 僕の計算の中では彩羽君はこちらの味方で、勝利は揺るぎないものだったのだから。

 だけど、可能性がほとんどなくても、もう一度説得をするなら、彩羽君の心証は良くしておかなければならない。


「理由を、教えてもらえないだろうか?」


 あくまで仕方がない、という風を装いながら問いかける。


「それは──」

「もし僕らに非があるのなら改善しよう。大学への進学も、してくれて構わない。彩羽君の抜けた穴は僕が全力で埋めるし、僕たちに気を使わなくてもいい」


 そして彩羽君の言葉を遮って懇願する。

 僕らに彩羽君を強制することは出来ないことを伝えるために。


「すいません」


 しかし、彩羽君の反応は謝罪という形をとった拒絶だった。

 わかってはいた。ある意味で予想通りだ。


 だけど、ショックは大きかった。

 彩羽君はそんな僕を見て、焦ったように両手を横に振る。


「別に、透矢さんに非があったわけじゃないんです。大学に進学しないのも自分の意思ですから、黒沢さんの味方をつもりはありませんでした」

「なら、何故?」

「それは……」


 ここで、彩羽君は続きを言い淀んだ。

 心なしか、顔も赤い。

 その表情を見て、僕は理由を察した。そして、それならば仕方がないと納得する。


 何故なら、彩羽君が僕の研究に協力してくれたのもそれが理由だからだ。

 だけど、星志君には伝わっていない。だから、言葉にしてもらわければならないのだ。


「それは?」


 オウム返しに訊ねると、彩羽君は意を決したように顔を上げる。頬を赤く染めながら、右手を胸の上にもっていき、握り拳をつくった。


 その表情は緊張と羞恥と照れの三つが混ざったような表情だったが、決して僕から視線を逸らそうとはしなかった。

 拳には力が入り、唇が微かに震えている。それでも、彩羽君は勇気を持ってその言葉を紡ぐ。



「私はあっくんが──黒沢明人君が大好きだから」



 それは、お淑やかな彩羽君からは想像もつかない力強い言葉。

 僕に対して常に敬語を使ってきた彩羽君が、初めて敬語を使わなかった。


『……ッ!』


 ハイホ越しに星志君の動揺が伝わってくる。

 ……その気持ちは痛いほど良く分かる。


 好きな人に好きな人がいたときの絶望感。

 星志君とは少し違って恋愛的な好きではなく、尊敬するという意味での好きだったが、大好きだった人が僕に見向きもしてくれなかった経験を持っているから。


 それでも星志君とは違い、彩羽君を恋愛対象として見ていなかった分、精神的ダメージは少なかった。

 それとは別に驚くことがあったことも、ダメージを和らげてくれた理由の一つだろう。


「それにしても、明人君のことを″あっくん″と呼ぶということは、とうとう結び付けてしまったか」

「透矢さんはご存知だったんですね」


 彩羽君は責めるような口調でそう言う。

 まあ、僕が知っていたことは事実であるし、仕方のないことだろう。


「しかし、今まで黙っていた僕が言うのもなんだけれど、どうして明人君のことがわからなかったか聞いても?」


 彩羽君は少し逡巡したが、すぐに理由を話してくれた。


「分からなかったというか、私の知らないことがあったからです。確かに私は十二年前のことは鮮明に覚えていましたが、あっくんの片目が義眼になっていることを知る機会がなかったのです」


 彩羽君の説明に目を見開いた。

 言われてみれば確かに。明人君と彩羽君が出会ったのは手術前で、明人君の手術後にこの二人は会っていない。

 それはつまり、明人君が義眼だと知る機会はなかったということだ。


「これまで、あっくんは全色盲を治すことが出来ていないままだと思っていたので、気づくことが出来ませんでした」


 ん……?


「何故、明人君の全色盲が治っていないと思ったんだい? 手術後は明人君と会っていないのだろう?」

「高校に上がったときにあっくんと同じ小学校だった人と出会ったのです。その人によれば、あっくんは『普通の人と違う目を持っているからという理由でいじめられていた』そうです。ひどく緊張しているようで名前や詳細は教えてもらえませんでしたが、私はあっくんらしき人物が他にいなかったことから、全色盲が治っていないと考えました」


 そうか。

 彩羽君は明人君が義眼だと知らなかった。つまり、全色盲が治っていれば、一般の人々と同じような目をしていると考えていたのか。


 だから普通の人と違う目を持っているという話を聞いて、全色盲が治っていないだなんて考えに至ったのだろう。


「なるほど。しかし、よく明人君と通っている小学校が同じ人を見つけ出したね?」

「あっくんが源光市在住だということは知っていたので、当たりはつけていました。出身の小学校は、入学式直後の自己紹介で聞いた出身中学からある程度推測出来ましたし、それほど難しいことではなかったです」


 簡単そうに言ってくれるね。

 確かに出身中学が公立だった場合、小学校からエスカレーター式のはずなので源光市出身者だということはわかるので、見つけ出すのはそう難しいことではないだろう。


 しかし白銀女学院は敷地の都合で高校だけとなっている。

 そのため内部進学者はおらず、私立公立問わず多くの中学から集まることとなる。

 その中から明人君の情報を見つけ出すのは至難の業と言えるだろう。


 そもそも全員の出身中学を暗記し、その中学のことを知っていなければ見つけ出すのは不可能だ。

 彩羽君はやはり、恐ろしい才能の持ち主だ。

 そんなことを考えている間、当の本人は。


「まあ、あっくんのことを知っている人もすぐに転校したらしく、進路については知りようがなかったですし、もう一度会うことは半ば諦めていたのですが」


 と、苦笑していた。


「なるほど……」


 確かに全色盲の日本人は非常に少なく、明人君一人しか、彩羽君の条件に当てはまる人物がいなかったのは頷ける。

 小学校の頃の情報を手に入れたのも、彩羽君の才能ならと、理解は出来る。

 しかしながら──


「では、明人君のことを見つけることは容易かったのではないか?」


 次の問題はそこだ。

 先程は義眼のことを知らなかったことで納得したが、先程の彩羽君の話から、源光市にいる普通の人と違う目を持つ──つまり目に病気を持っている同年代の男の子は明人君のみだということになる。


 そうなると今度は、逆に見つけていない方がおかしいということではないだろうか。

 今やSNS等で簡単に情報を集められるのだし、居場所がある程度特定できているのなら、見つけ出すのは容易いはずたが?

 しかし、僕の質問に彩羽君は首を横に振った。


「いえ、先程説明しましたが、あっくんの小学生の頃の情報を得たのが高校生の時ですから、あっくんが源光市にいるという保証はありませんでした」


 確かに。

 高校生になると上京して東京に行ったり、はたまた外国に留学したりで古い情報は当てにならなかったりする。


 または近場の高校でも私立か公立、専門学校という可能性もあるし、浪人している可能性もあるので選択肢は大きく増えてしまう、か。


「それでも全色盲を持つ人物の話なら聞くと思うが?」


 しかし、彩羽君は首を横に振った。


「いえ。そういう話は聞いたことがないんです。金色の左目を持つ男子高校生がいるという噂は聞いたことはありますが」

「……ああ、なるほど……」


 思わず、納得の声を上げてしまう。

 明人君は金色の左目にコンプレックスを感じていて、前髪で左目を隠していた。

 そうすると当然、皆は隠している金色の左目に興味が行くわけだ。何故金色の左目になったのかという、原因を無視して。

 結果、金色の左目の噂が先行し、明人君が義眼だと知らなかった彩羽君は明人君の行方を見失ったということか。


「それに義眼が片目だけというのも私にとって盲点でした」


 さらに付け加えられた理由に、流石に彩羽君が“あっくん”と明人君を結び付けられなくとも仕方がないと思った。

 まさか明人君の右目が未だにモノクロにしか見えないとは予想もしていなかったのだろう。


 僕だって彩羽君の立場ならわからなかったに違いない。

 だからこれは明人君がそのあたりのことを理解できていなかったがために起きたことだと言える。


「また、随分とややこしいとこになっていたようだね」

「本当ですよ。まさか、あっくんがこんな近くにいただなんて思っていませんでした」


 彩羽君は少し拗ねたような声音だが、頬は緩んでおり、機嫌を損ねているわけではないようだった。

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