失意
あの後のことはよく覚えていない。
皆と合流した後、何軒かお店を回って冷やかしたり買い物をしたりと、そんなぼんやりとしたことしか覚えていない。
陽介は俺に気を使っているのか、一度も話しかけてこなかった。
放心状態から復活したのは夕日が沈みかけている頃、そろそろ解散しようと言っている時だった。
日は完全に沈みきり、街灯が辺りを照らしている。
白鳥さんももう日傘をさしていなかった。
「さて、残念だけれど、俺はそろそろ行くよ」
まず、鳴音市に家を持っている黄賀が帰った。
このチャンスに白鳥さんと何か話そうとしたが言葉が出てこない。
「えっと、私の家はこちらの方なので……」
「私もこっちですね」
そうしている間に白鳥さんとリンちゃんが同じ方向だからと一緒に帰ることになった。
リンちゃんは楽しそうに白鳥さんに話しかけており、珍しい光景だなと眺めていると二人してこちらをチラリと見て来たので、軽く手を振っておく。
そしたら白鳥さんが頬を赤らめながら手を振り返してくれたので、少しだけ嬉しい気持ちになった。
その後。
「俺、この近くに友達の家があるから寄ってから帰る」
陽介が友達の家に寄り道をするらしく途中で別れ。
何故か今、青井さんと二人きりで歩いていた。
「ねえ、彩羽様は大丈夫かしら?」
「いきなりなんだ? リンちゃんがいるから大丈夫……とは言えないかもしれないが、それでも一人でないから問題ないだろう」
「緑河さんがいるから問題なのだけれど……?」
青井さんの言葉に首を傾げる。
リンちゃんがいるから問題がある?
どう考えてもリンちゃんは無害なマスコット的存在だろう。誰かに危害を加えるようなことはないハズだ。
「ほら、あの子って恋バナとか結構好きじゃない?」
「いや、そんなこと言われても知らないって。というか、青井さんがなんでそんなことを知っているんだ?」
「あら? 聞いていないのかしら。私は緑河さんと同じクラスだったのよ。たった一年間だけだったけれど」
そう言えばリンちゃんは白銀女学院から金庭高校に転校してきたんだったな。
青井さんとリンちゃんが知り合う機会はいくらでもあったわけか。
「それでどこか問題なんだよ? 別に恋バナくらい女子なら普通の事じゃないか?」
「そうね。普通なら、ね。ただ今回は彩羽様に好きな人が誰なのかを自覚してもらっては困るのよ。主に私が」
何という自分中心な発言……。
しかし、言っている意味が良くわからないな。
青井さんの言い方だと、白鳥さんが好きな人が誰なのか自覚していないと言っている風に聞こえるんだが。
さすがにそれはないだろう。ついさっき「私の好きな人は」とはっきりと言ってたのだから。
青井さんが白鳥さんの好きな人を知っていることについてはこの際置いておくとして、もしかしたら青井さんは白鳥さんに好きな人がいることを受け入れられないから、変なことを口走っているのかもしれない。
そう思って、青井さんに忠告しておく。
「…………。……青井さんもそろそろ白鳥さん離れをした方が良いんじゃないか? 卒業後はどうするつもりなんだよ?」
「私が彩羽様から離れるなんて考えられないでしょう。だから、将来的にはイクシード研究所に入社するつもりよ。そのために貴方と同じ天見大学へ進学するつもり。正直、貴方と一緒というのが気に食わないけれど、あそこ以上に工学系の技術を学べるところはないもの」
駄目だこりゃ。聞く耳を持たないって感じだ。
一時は良い友達になれそうな雰囲気だっただけに、また距離が開いたようで少し悲しい。
けれど、出来るだけ今日の出来事を考えない様に気を紛らわせようと、話を広げにいく。
「ちなみに何学科なんだ? さすがに俺と同じってわけじゃないだろう?」
「当たり前よ。私は医療福祉工学に進むわ」
「医療福祉工学って……」
「そう、貴方が進むと思われていた学科よ。けど、勘違いしないで。私は貴方の為ではなく、彩羽様の為に医療福祉工学の道に進むの。彩羽様の進む道に必要な知識を得るためにね」
そんなこと言わなくてもわかるのになぜ言ったのだろう……。
しかし、白鳥さんの為に医療福祉工学の道に進む、か。たった一人の為に自分の人生を決めるなんて馬鹿だと思うと同時に、格好良くもある。
剣道という恵まれた才能を持ちながら、それを捨てても白鳥さんについていくという信念。そんなのを見せられると。
「青井さんのことは結構好きなんだけどな」
俺の言葉に青井さんは本気で引いてくる。
「うわぁ……。私を口説いてるのかしら? ごめんなさい、貴方をそう言う対象で見ることが出来ないわ」
「違えよ! なんで俺のことが嫌い的な言動を繰り返すのかってことだよ! そう言うのは心の中に仕舞っとけよ。言われたほうは結構傷つくんだからな」
「あら、意外とメンタル弱いのね」
青井さんは意地の悪い笑みを零す。けど、その笑みは悪だくみをしているとかではなく、どこか楽し気な笑顔だった。
「――さーん!」
突然、青井さんが振り向いたかと思うと。
「青井さん?」
「今のは彩羽様の声!?」
今来た道を走り出した。
「えっ、おいっ!」
慌てて、青井さんの後を追いかける。
少し走ったところで、前方にこちらに駆けてくる白鳥さんと、その後ろを息を切らせながら走って来るリンちゃんの姿が見えた。
互いに立ち止まると、いきなり白鳥さんが詰め寄って来た。
「黒沢さん! あの、あのですね!」
いつもと違う白鳥さんの様子に戸惑いを隠せない。
「緑河さん。貴方まさか……」
白鳥さんの行動に心当たりがあるらしい青井さんが、リンちゃんに詰め寄っている。
このカオスな状況はいったい何なのだろう?
リンちゃんは青井さんに詰め寄られて慌てふためているので、俺の助けになりそうもない。
「黒沢さんにお願いがあるのです」
「い、いい彩羽様!? 早まらないでください!」
青井さんが顔を青くしながら、こちらに手を伸ばしている。
俺に掴みかかってこないのは、青井さんに揺さぶられたおかげでフラフラしているリンちゃんを支えているからだろう。
白鳥さんは真剣な表情を浮かべると。
「どうか、私に力を貸してください。この世界の色を、取り戻すために」
俺に向かって頭を下げて来た。
「へ?」
当然、素っ頓狂な声しか出せない。
ほんの少し前までそんな素振りは微塵も感じられなかったのだ。驚くなという方が無理だろう。
「その……理由は美空さんや緑河さんの前で話すのは躊躇われるので聞かないでもらえると助かるのですが……」
「そうは言っても、何故急に色を取り戻す気になったのかわからないことには協力のしようがない。正直、これが嘘だという可能性もあるしな」
ついさっきまで白鳥さんに好きな人がいたという事であれだけ落ち込んだ。味方になってもらえるだなんて不可能だと思った。
けれど今、白鳥さんの方から色を取り戻したいと言った。
「貴方、彩羽様を疑うの?」
横から青井さんが咎めるような口調で言ってくるが、このおいしすぎる流れに疑いを持たざるを得ない。
「ですよね……」
白鳥さんは肩を落とすが、自分でも都合が良過ぎると思っていたのかすぐに俺に向き直る。
「分かりました。理由をお話します。ただ、その、全部を言うのは恥ずかしいので、一部分だけ」
白鳥さんは頬を紅潮させながら、俺の目を正面から見つめてくる。
その表情を見るだけで、胸が高鳴る。
「私はずっと勘違いをしていたのです。その勘違いを緑河さんに正され、私のやっていることは無意味なことだと悟りました。元々、モノクロ化なんて私には必要なかったのです」
視線をリンちゃんの方に向けると頷くのが見えた。
どうやら白鳥さんは本当のことを言っているらしい。
勘違いとやらが何なのか良くわからないが、色を取り戻したいという気持ちは本物のようだ。
「そう言う事なら、俺の方からお願いする。俺達と共に色のある世界を取り戻すのに力を貸してほしい」
「はい!」
白鳥さんが満面の笑みを浮かべて俺の手を取って来る。
それを見た青井さんが俺に罵詈雑言を浴びせ、リンちゃんは顔を真っ赤にして慌てていた。
白鳥さんは二人の反応を見て手を取っていたことに気が付いたらしく、顔を真っ赤にして手を放した。
「それでですね、その……これは私の我が侭なので出来たらで構わないんですけど、短期で決着をつけることは出来ませんか?」
白鳥さんは体の前で手をもじもじさせ、不安そうに聞いてくる。
「俺達も短期決着を望んでいたから構わないけど、なんでだ?」
「その……私も、大学に行ってみたくなったんです。けれど、自分のしたことに対して責任を取ってからじゃないとと思ったのです」
「なるほどな。分かった。とりあえず、次のバイトの時にでも話し合おうぜ」
「いえ、それには及びません。明日の放課後、金庭高校に伺わせてもらってよろしいですか?」
「へ……」
白鳥さんのお願いに、思わず間抜けな声が漏れてしまう。
「やはり透矢さんにバレないようにするには研究所で話し合うのはダメだと思うのです」
「な、なるほど……。わかった。なら、明日だな」
それにしても、白鳥さんは今から大学を目指すのか。
大学合格についてどれくらい見込みがあるのか気になり、そのあたりのことを問うと。
「彩羽様は生徒会長を務め、成績も優秀なの。大学の方から進学してくれと頼みに来るほどなのよ」
何故か青井さんから答えが返ってきた。
「そうなのか。なら、大丈夫そうだな」
「はい。では、明日はよろしくお願いします」
白鳥さんは一礼すると、もと来た道を引き返す。
その後ろをリンちゃんが慌てた様子で追っていった。
何というか、リンちゃんが振り回されてばかりで凄く不憫だ。
そんなことを思いながら、青井さんと帰路についたのだった。
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