策略

「は? どうなってんだ?」


 俺は辺りを見渡し皆を探すが、誰一人見つからない。

 おいおいおい。まさか置いていかれたんじゃないだろうな?

 そんな焦りから立ち尽くしていると、肩を軽く叩かれた。


「待たせたわね」


 俺が振り向くと、そこには青井さんと白鳥さんの姿があった。

 良かった。置いていかれたわけじゃなかった。


 と、ここで気づく。

 今って俺と白鳥さんと青井さんの三人きりではないかと。

 同時に陽介の言葉を思い出す。


『上手くいくかはわからないが、一つ思い付いたことがある。二人きりにしてやれる保証はないが、成功すれば必ず黄賀は引き離せる』


 もしかして先ほどの会話といい、この状況は陽介が作り出したのでは?

 一つの答えを導き出すと、すぐさま陽介に電話をかける。


 普通、人が多い中で電話をかけると相手は気づきにくいものだと思うし、俺もそのつもりで電話をかけたのだが、陽介はまるで電話をかけてくるのを待っていたかのようにワンコールで電話に出た。


『明人か。……どうだ? 宣言通り……黄賀を引き離したぜ……』


 やはり陽介の仕業だったらしい。

 本当、心臓に悪いので事前に教えてもらえると助かるのだが。


「それにしても、なんか息上がってないか? いったいどうしたんだ? そもそも、どうやってこの状況を作り出したんだ?」

『質問が多いッ! ……とりあえず、説明するから……』


 俺は壁際に移動し、話を聞く体勢を整える。


「それで?」

『まず、どうやってこの状況を作り出したかだが……、紫垣に頼んだんだ。ウィッグとカラコンで……白鳥に変装してくれ……ってな。だが……紫垣を白鳥に見せるには……二つ条件があった。まず一つ、その場に白鳥がいてはいけないってことだ』


 当然だな。例え柴垣さんの変装が完璧だったとしても、白鳥さんが二人いる時点で偽物だとバレてしまう。


『だから黄賀が白鳥から……離れざるを得ない状況……、つまり白鳥を女子トイレに押し込めば入れ替えが容易だと考えた』


 なるほど。だからあんなにドリンクバーで飲み物を持ってきたのか。

 トイレに行きたくなるような状況を作り出すために。


『二つ目は服装だ……。紫垣が白鳥と同じ服を持っている可能性は低い……。だからウィッグやカラコンとかと一緒に買わせる必要があった』


 買い物自体はこの辺りでいくらでも出来るだろうし、白鳥さんは目立つのでどんな服装か簡単に盗み見れただろうが、買い物を終えるまでの時間だけが怪しかった。

 その時間をドリンクバーで遊ぶことによって作り出したということだろう。


「というか、金は?」

『俺が払ったに決まってんだろ……』

「いや、流石にそれは後で俺が払う。そこまで陽介に迷惑はかけられない」

『そうか……? なら、頼む。で、その紫垣に白鳥のふりをしながら、少し離れたところを人込みに紛れて歩いてくれと頼んだんだ。さすがに近づくとバレる危険性があったんだが、今のところ変装に引っかかって黄賀は必死にニセの白鳥を追いかけている』


 リンちゃんは黄賀が勝手に移動するからついていき、陽介は白鳥さんの周りから人を減らすために黄賀についていったのか。


「さすがは陽介だ。それで、どれぐらい時間を稼げそうだ?」

『そうだな。二時間が限度って感じかな。だから十四時に入って来た入り口で待ち合わせよう』


 二時間か。

 中々厳しいが、せっかく陽介が時間を作ってくれたのだから、何とかしなければ。


「わかった。……陽介、ありがとうな」

『おう。それじゃ、良い報告を待ってるぜ』


 電話を切ると、白鳥さんと青井さんが歩み寄って来る。


「今の電話は?」

「ああ、陽介だよ。なんか星志が赤の他人と白鳥さんを見間違えて先に行ったらしい。待っている時間が無駄になるだろうからって、十四時にそこの入り口で待ち合わせることになった」


 青井さんが「彩羽様を見間違えるなんてッ!」と憤っていたが、事の真相を知っているだけに罪悪感から何も言えなかった。

 しかし、やってしまったものは仕方がないのだ。


「十四時……。まだ一時間半ほどありますね……」


 白鳥さんが腕時計を見ながら、どうしますかと聞いてくる。


「何もしないのももったいないし、どこか店に入らないか?」

「彩羽様、服を見に行きましょう。今なら良さそうな服を選べますよ」


 青井さんはそう言いながら、俺の方をチラッと見た。

 今のはどういう意味なのだろうか?


「そうなんですか? では服を見に行きましょうか」


 白鳥さんも良くわかっていないようで、とりあえず服を見に行こうって感じだ。

 俺達は適当に入り口付近のお店に入る。


 もし陽介達がこの入り口に来たらすぐに合流できるように、ということらしい。まあ、陽介が二時間が限度と言ったのだから少なくとも一時間は合流することはないだろうけど。

 店内では特別セールと銘打って店内商品が全て二十パーセントオフになっていた。

 そのおかげかお客さんが押し寄せており、はぐれないよう白鳥さんと青井さんの後ろをついていく。


「彩羽様。これなんてどうですか? 似合うと思うんですけど」

「そうですか……? けど、色が数種類あるようですが、どれが何色なのかわかりませんね……」


 青井さんと白鳥さんが仲良く服を選んでいるのを見て、違和感を覚える。

 いったい何に対して違和感を覚えたのかはわからないが、何か重大な見落としをしたような……。

 何を見落としたのか良く考えようとするが。


「ちょっと」


 青井さんに呼ばれ、考えを中断する。


「何だ?」

「これ、何色なのかしら?」


 そう言って青井さんが見せてきたのは薄い灰色のワンピースだった。

「この濃淡だと薄い水色か、明るいピンクってところかな」


 さすがにモノクロだけではそれ以上は絞り込めない。

 それでもある程度まで色を絞り込めるのは、十年以上モノクロとカラーの両方を見続けてきたからだと思う。


「なら、こっちは?」


 次に見せてきたのは少し暗い灰色のワンピースだった。


「これは赤……いや朱だろうな。どちらにしても、俺はさっきの明るいほうが良いと思うんだが」

「どちらも彩羽様には似合いそうね……」


 俺の話は無視か。

 ワンピースを見ながら悩んでいる青井さんの横で、白鳥さんが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。


「あの……どうしてそんな簡単に色がわかるのですか?」

「どうしてって……。元々全色盲って病気で、満足に色が見えなかったからな。色波虹希博士の治療で……」


 って、俺は何を口走ろうとした!?


「いや、今のは違くて、全色盲だったから必死に色を見分けられるように勉強したんだ。治療に成功して色が見えるようになったけれど、長いことモノクロしか見てこなかったから」


 慌てて取り繕うが、上手く誤魔化されてくれただろうか?

 いや、白鳥さんが本当に十二年前の話を蒸し返してほしくないのなら、あえて誤魔化されたふりをするのではないだろうか。そう考えると、別に慌てる必要もなかったか。


「黒沢さんに一つ、お尋ねしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」

「え? ああ、別に構わないよ」


 突然真面目な口調で問われ、反応が一瞬遅れる。


「黒沢さんはこのモノクロ化についてどう思いますか? 全色盲の方からすれば、わざわざ色を見分ける必要がなくなったと思うのですが……」


 これはどういった意図の質問だ?

 白鳥さんは透矢の世界を支配するという目的に賛同して、行動を共にしているのではないのか?

 ここで白鳥さんに抱いていたイメージに少しひびが入ったような感覚がする。


「これは俺個人の意見なんだが、モノクロの世界よりカラーの世界の方が良いと思う。十何年前と比べて全色盲は治らない病気じゃないんだ。だったら、皆に色鮮やかな世界を見せたいと思うし、皆にあの感動を味わってもらいたいと思う。出来ることなら、白鳥さんとも色鮮やかな世界で出会いたかった。その白髪はモノクロよりも、カラーの方が映えると思うから」

「そ、そうですか……」


 白鳥さんは頬を染めながら顔を俯かせる。

 あれ? 今何かおかしなこと言ったかな?

 首を捻っていると、背中にものすごい痛みを感じた。


 後ろを振り返ると、青井さんがものすごい形相で俺を睨んでいる。人気のない場所だったら、間違いなく殺されているくらいの凄みを感じた。


「貴方、覚えておきなさい」


 青井さんの底冷えするような声音に、ゾッと背筋に寒気が走る。

 帰り道、一人にならない様にしなければ。


「とりあえず、今日のところは荷物持ちで勘弁してあげるわ」


 そう言って、いつの間に買ったのか薄い灰色のワンピースが入った紙袋を押し付けてきた。

 なんだかんだ言って俺の意見も聞いていてくれたのか。

 そのことが嬉しくて、紙袋を受け取ってしまう。


 しかし、それが間違いだった。

 イクシード研究所で働いて来た白鳥さんとお金持ちの家に生まれた青井さん。二人の財力を甘く見過ぎていたのだ。


 新たな店に行くたびに買うものが増えていき、両手いっぱいになるまで続く。

 さらに青井さんが白鳥さんにくっついて離れないので、白鳥さんと話す機会すら激減した。


「彩羽様。次はあのお店行きましょう!」

「あの、美空さん? 少し離れてくれると嬉しいんですけど……。それにもうすぐ集合の時間ですし」


 白鳥さんの腕に抱き着き上機嫌な青井さんと、歩きづらそうにしながら困り顔を浮かべる白鳥さん。

 対照的な二人の数メートル後を両手いっぱいに紙袋を持ちながら歩く俺。

 いや本当、俺はいったい何をやっているんだろう。


 陽介に二時間ほどの時間を作ってもらいながら、白鳥さんと仲を深められたかなというのは最初の十分ほどだけ。これでは今までと何も変わっていないではないか。

 奥歯を噛みしめると、決意を固める。


「白鳥さん。聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 俺が声をかけると、白鳥さんは不思議そうな表情で振り返った。


「はい。何でしょうか?」


 青井さんは二人の時間を邪魔されたのが不服らしく、俺の方を睨んでくる。

 極力青井さんを視界に入れないよう注意を払いながら白鳥さんに質問をぶつける。


「白鳥さんはどうしてあのバイトを始めたんだ?」


 それは白鳥さんが透矢に味方する理由。

 白鳥さんは賢い人物だ。ならばあんな犯罪を行って失敗した時のリスクを考えられないわけがない。

 もし何かあるのなら俺が協力しよう。そう考えて聞いたことだったのだが。


「それは……」


 白鳥さんは頬を染めながら顔を俯かせ。


「私の好きな人が、黒沢さんと同じ全色盲を患っている方なのです。それで……その方は治療に失敗したらしく、恐らく今も色が見えないまま。それならば、私がこの世界から色を消し去ろう。そう思って透矢さんに協力することにしたのです」



 白鳥さんの話を聞いて──俺の時が止まった。



 え? 嘘だろ?

 白鳥さんに好きな人がいる?

 これじゃあ白鳥さんを落とすことなんて不可能だ。おまけにこちらの味方になってくれるかも怪しい。


 というか、リンちゃんが見せられた俺の写真とはいったい……。

 様々な考えが頭の中を駆け巡り、もしかしてリンちゃんが見せられたのは別人の写真だったのではと思う。


 リンちゃんは話を聞かれた時の記憶が曖昧みたいだったし、本当は別人の写真を見せられていたのだろう。

 となるとその好きな人というのは俺が手術を終えた後に出会ったに違いない。全色盲の日本人はそれほど多くはないので、偶然出会ったと考えるよりも、研究所で出会ったと考える方が可能性は高い。


 リンちゃんが俺のことを聞かれていると思ったのはリンちゃんが知っている全色盲の人間が俺だけだったから。つまり十二年前の話をしなかったのは俺のことなんか眼中になかったから。


 そう考えると、全ての辻褄があう。

 俺が立ち尽くしていると、青井さんが八つ当たり気味に足の甲を踏んづけてくる。

 青井さんにやめろと言いたかったが言葉が出ない。それほどまでに衝撃が大きかった。


「その……このことは内緒にしておいてくださいね?」


 白鳥さんは上目遣いで俺の顔を見上げるように言ってくる。

 可愛い。そして白鳥さんに好意を向けられている男に腹が立つ。


「それではそろそろ集合場所に向かいましょうか。時間がもうありませんし」

「……ああ、そうだな」


 陽介になんて言おう。

 返事を返しながら、そう思った。

 自分が何故傷ついているのかを、深く考えずに。

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