勉強会

 土曜をタダ働きで費やし、日曜は特にできることもなく、月曜はバイトで働き、白鳥さんと進展どころか会う事すら出来ないまま火曜日になった。

 日付は九月七日であり、スカウトされてから一週間が経ったわけだが、大きな進展はなく少し焦りを覚え始める。


 青井さんから条件付きで白鳥さんに接触することを許してもらえたが、会えなければ意味がない。

 今日はバイトがないので、なんとなく白銀女学院にやって来たのだが、白鳥さんに会えても何を言えばいいのかわからない。


 陽介は一人で何とかしろと言ってくるし、非常に心細い。

 しばらく待っていると、授業を終えた女学院生が出てくる。白鳥さんは生徒会の仕事があるだろうから、もう少し待たなければ会うことは出来ないだろうけど。


「やっべぇ……」


 今までは何とも思わなかったけれど、これから口説くんだと考えると、途端に緊張が押し寄せてくる。

 陽介のアドバイス通りにあまり余計なことを考えないようにはしているが、逆に頭が真っ白になって白鳥さんに会えないことを望んでしまう自分がいた。


 今日は諦めようかどうかで悩んでいると、知らないうちに時間が経っていたようで、白鳥さんが日傘をさし、青井さんを連れ立って女学院から出てきてしまった。

 白鳥さんは校門前に突っ立ていた俺を見つけ、歩み寄ってきた。


「あら? 黒沢さん、どうかしましたか? 今日はバイトはありませんよ?」

「いや、その……」


 答えに窮していると、意外なところから助け舟が出された。


「彩羽様。彼は色波博士の研究所――」

「わああああああああ!」


 しかし、慌てて青井さんの言葉を遮る。

 危ない。もう少しで十二年前のことを話題に出されるところだった。


 白鳥さんは何故かは知らないが、あえて十二年前のことを知らないふりをしているのだ。なのに十二年前の話題を出すと、機嫌を損ねる可能性がある。それは避けたい事態だ。


「色波博士の研究所がどうかしたのですか?」

「えっと、そう。色波博士の研究所では開発にほとんど携わっていないんだ。だから、工学の基礎を教えてもらえると助かるなって」

「そういえば雑用係と言っていましたね。そうですね、色波虹希博士が何をしていたのか理解していただくためにも、工学についての知識を蓄えてもらう必要はありますね」


 あくまで俺が色波虹希博士の技術を知っているという前提で話を進められるのか。

 確かに色波博士の作業をよく見ていたから、どんなことをやっていたのかは朧気ながら覚えているけれど。

 それでもやっぱり。


「工学の基礎も知らない俺が、いくら色波虹希博士の研究所で働いていたからその技術を使えるというのは無理があるだろ?」

「そうですね。ですが、私達が黒沢さんに目を付けたのは、紛れもなく色波虹希博士の技術を扱えるからなんですよ」


 意味が分からない。

 たった今、色波虹希博士の技術を使うのは無理だと認めたじゃないか。


「その様子では口で説明しても理解してもらえそうにありませんね。美空さん、申し訳ありませんが、剣道の動きを見せてもらえませんか?」

「はぁ」


 突然声をかけられて戸惑いながらも、青井さんは竹刀を取り出して構える。

 そして剣道の技であろう動作を行って見せた。


「これでいいでしょうか?」


 青井さんは少し不安気に白鳥さんに尋ねた。


「ええ。十分です。それで、もう一つお願いがあるのですが、その竹刀、黒沢さんに貸してはもらえませんか?」

「えっ、竹刀をですか? ……分かりました」


 青井さんは竹刀の柄をこちらに向けてくる。どうやら、受け取れってことらしい。

 竹刀を受け取り、軽く振ってみる。


「黒沢さん。先ほどの技をしてみてくださいませんか?」

「えっ、俺、剣道初心者だぞ? 無理に決まってるだろ」

「上手い下手は関係ありません。やってみるだけで良いのです」


 そこまで言うならと、俺は見よう見まねで竹刀を振ってみる。

 女学院前で竹刀を振るう男。恥ずかしいことこの上ない。


「もういいだろっ!」


 竹刀を押し付けるように返そうとするが、青井さんが受け取ってくれず竹刀が地面に落ちる。


「お、おい」


 竹刀を拾い上げ、今度はちゃんと手渡そうとするが、青井さんに受け取ろうという意志は見られない。どこか呆然としたような様子で、棒立ちのまま硬直している。

 試しに顔の前で手を振ってみるが、反応はなし。


「おい。大丈夫なのか?」


 特に変わった様子のない白鳥さんに問いかけるが、何でもないといった風に微笑む。


「問題ありません。少しショックを受けているだけでしょうから」


 ショックって……。俺が竹刀を使ったことがそんなに許せないことなのだろうか?


「ねえ。貴方、本当に剣道をやったことがないの?」


 硬直から立ち直った青井さんは、信じられないものを見たような顔で問いかけてくる。


「ああ。本当だ」

「嘘よ! 試合では使い物にならない酷い技だったけれど、体の使い方は完璧だったわ。まるで、何年も剣道をやって来たみたいに」

「美空さん。落ち着いてください」


 俺の答えに突っかかって来る青井さんを白鳥さんが止めてくれる。

 白鳥さんに落ち着けと言われ、青井さんは大きく深呼吸をした。


「美空さん。貴方の言いたいことは最もだと思います。ですが、これを見れば一発で分かると思いますよ」


 白鳥さんはそう言ってハイホを取り出し、先ほどの青井さんと俺の竹刀を振る様子を収めた動画を見せてくる。俺と青井さんの振り方を比較できるように、画面上に動画が並べて表示されていた。

 いつの間に……。撮られたことに全く気が付かなかった。


「お二人とも。よく見ていてくださいね」


 動画が再生され、俺と青井さんは食い入るように動画を凝視する。

 動画を見終えるが、何が何だかわからない。はっきり言って、俺の遅さが強調されたようにしか思えない動画であった。


「まさか……!」


 しかし青井さんには白鳥さんの言葉の意味が分かったようで、驚愕に目を見開いている。


「なあ、どういう事なんだ?」

「今ので分からないのですか……」


 白鳥さんは呆れたような表情を浮かべながら、ハイホを操作し、もう一度動画を見せてくる。

 今度は、俺の動画だけ四倍速にされているらしく、青井さんとほぼ同じスピードで……。


「えっ、何これ? 動きが全く同じじゃん」

「そうなんです。それに半年前の冬休みでしたか。黒沢さん、自主的に開発した機械を廃棄してますよね?」

「そんなことまで知っているのか。確かに半年前、出来上がった機械がポンコツだったから捨てたけど、それが今回の事と何か関係あるのか?」

「半年前の機械、正直に言ってメチャクチャでした」


 答えになっていないうえに馬鹿にされた。

 しかし、白鳥さんは神妙な表情で言葉を続ける。


「何せ、電子ノートと思しき機械に、『カラーウェーブ7号機』に使われていた探知機能が付けられていましたからね」

「彩羽様。それはつまりこの男が色波虹希博士の技術を再現したということですか?」

「その通りです。黒沢さんはきっと、一度見たことを瞬時に再現できる能力が高いのでしょう。他の人が二度三度見なければ出来ないことも、黒沢さんは一度で出来るのだと思います」


 言いながら白鳥さんがこちらを向き、白鳥さんの視線を追いかけるように青井さんの視線が俺を捉える。


「それに加えてきちんとした基礎が身につけば、最高の戦力になることでしょう」


 白鳥さんの言葉が、スッと頭の中に入って来る。

 脳内で反芻するうちに、なんとなく自分の能力を理解できた気がする。


「さて、ここで初めに戻ってくるわけですが、もう一度言いましょう。私達が黒沢さんをスカウトしたのは色波虹希博士の技術を扱えるからなんです。ですから、私達の研究のお役に立ってくださいね」


 笑顔で手を差し出してくる白鳥さん。

 一瞬その手を取りそうになるが、辛うじて踏みとどまる。青井さんが嫉妬の視線を向けてきてくれたことも、踏みとどまれた要因の一つだろう。


 俺は――俺達はその手を取っては駄目なのだ。


「悪い。それは出来ない」

「……そうですね。まずは基礎からしないといけませんからね」


 俺の拒絶を、白鳥さんは基礎が出来ていないからだと解釈したようだ。

 この勘違いを正すべきなのか、そのままにしておくべきなのか。


 どちらも正しいように思えるし、どちらも間違いのように思える。人を恋に落とそうというのなら隠し事は駄目だと思うけど、説得のためと正直に言うのはそれはそれで駄目だと思う。

 難しいところではあるけれど、俺は黙っておくことを選んだ。


「あの彩羽様。工学の基礎を勉強するのなら、私も一緒に行きたいのですが、よろしいですか?」

「ええ。構いませんよ。それでは、家に来ますか?」


 白鳥さんの提案に思わず耳を疑ってしまう。

 しかし、青井さんが鼻息を荒くしているのを見て、聞き間違いでないのだと理解する。


「えっと、良いのか? 一応、俺、男なんだけど」

「構いません。黒沢さんは善良な人ですから」


 何故だろう。ヘタレですからと言われたように聞こえるのは。

 白鳥さんとしては俺を信頼して言ってくれているのだと思うのだが、全くそういうふうに聞こえないから不思議だ。


「それでは参りましょうか」


 俺達は白鳥さんの家を目指して歩き始めた。

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