懐柔

 九月に入って最初の土曜日。

 強い日差しの中、土曜授業を終えた俺は白銀女学院の前にやってきていた。


 今日の目的は青井さんと仲良くなること。その為の道具も用意しており、準備は万端だ。

 ちなみに陽介は忙しいらしく、同行を断られた。


「ふぁ~。……眠ぃ」


 欠伸をしながら、青井さんが出てくるのを待つ。

 時間は既に十三時前でいつ出てきてもおかしくない。現に結構な数の女学院性が出てきており、お喋りをしながら帰路についていた。


 女学院の向かいの塀に背を預け、睡魔と戦いながら正門を見つめていると、日傘をさす白鳥さんの後ろについて歩く青井さんがいた。

 …………おおう。

 まさか青井さんが白鳥さんと共に出てくるだなんて。予想外というよりかは、よく考えればすぐに思いつきそうなことだという事に気づいて肩を落とす。


 そしてもう一つ、とある重要なことに気が付いた。

 よくよく考えたら、俺ってストーカーみたいなんだよな。


 昨日の勢いのまま青井さんと仲良くなってみせると意気込んでここまでやって来たのは良いのだが、いやこの状況を鑑みるに良くはないけれど、見つかったら厄介なことになりそうだった。具体的に言うと通報されることになりかねない。


 オロオロと辺りを見渡していると、青井さんとバッチリ目が合ってしまった。そしてハイホを片手にニッコリ微笑まれる。

 それに気が付いた瞬間、夏だというのに震えが止まらなくなる。


 すぐさま反対側を向き、何も見てないと自分を誤魔化しながらその場に立ち尽くす。

 今すぐこの場から逃げ出したかったが、震えから足が思うように動かない。まるで、鉛が付けられているかのようだった。


「彩羽様。それではまた明日お会いしましょう」

「明日はお休みですよ?」

「それでは明後日に」


 白鳥さんと青井さんはそんな呑気な会話を繰り広げているが、俺には死へのカウントダウンに聞こえた。

 白鳥さんという枷が外された青井さんは何をしでかすかわからない。特に、俺のような不審者には一切の慈悲をかけないだろう。


 今すぐにでも白鳥さんに助けを求めたかったが、これから口説き落とそうとしている相手に縋るなんてことは出来ない。そんなちっぽけな意地で、命綱を離してしまったのだ。


「それで、何の用があるのかしら?」


 青井さんに背後から声をかけられ、思わず肩をびくつかせてしまう。

 しかし、いつまで経っても痛みはおろか、敵意さえ向けられることはなかった。


 それを不思議に思い、恐る恐る振り返ると、そこには微笑みを浮かべた青井さんの姿があった。

 穏やかな微笑みにも関わらず、恐怖の感情は膨れ上がる。


「ひっ……!」


 息を詰まらせ、後退った。


「自分が何をしていたかの自覚はあるようね」


 冷ややかな声で竹刀を構える青井さん。

 以前はすんでの所で助かったが、今度も助かる保証はない。


 咄嗟に秘密兵器を入れた鞄を盾代わりに突き出し、竹刀を受け止めようと試みる。

 しかし、勢い良く上段から振り下ろされた竹刀は鞄を易々と叩き落とし、身を守るものが無くなってしまった。


「くっ……!」


 追撃に備えて腕をクロスさせて顔を覆うが、一向に二撃目がこない。恐る恐る交差した腕の隙間から覗き見ると、青井さんの視線が地面に向けられていた。


 その視線を追うように地面を見ると、そこには先程打ち落とされた鞄から、幼い頃の白鳥さんが写った写真が数枚飛び出ていた。


「こ、これは……!」


 青井さんは衝撃を受けたように動きを止めた。

 写真を拾い上げながら、青井さんの疑問に答える。


「これは十二年前、色波博士の研究所で撮影された写真だよ。託児所に預けられた子供達の思い出を残すために、研究所の人が写真を撮ってくれたんだ。家に写真は残ってなかったけど、研究所の方にはバッチリデータが残っていたから現像して来たんだよ」


 パソコンのパスワード解明が恐ろしく大変だったけれど、と心の中で付け足しておく。


「青井さんにはこの前陽介が迷惑をかけたからそのお詫びと、白鳥さんとお近づきになる許可をもらいたくて会いに来たんだ」

「ふ、ふん! 彩羽様には近づけさせないわよ!」


 両腕を胸の下で組んで、高圧的に突っぱねてくる。

 直球過ぎたか、と内心で冷や汗を流していると。


「……ただ、私へのお詫びと許可をもらいに来たのは評価してあげるわ」


 そっぽを向いて顔を赤くしながら、ボソッと呟いた。

 それはとても小さい声だったが、今の一言で印象を良くした確信を得る。

 ここは一気に畳みかけても良い場面だろう。


「一応、俺って子供の頃に白鳥さんと会ってるんだ。もし許可をくれるなら、その頃の話をしてあげてもいいぞ?」

「汚いわよっ……!」


 青井さんは悔しそうに歯噛みする。

 だが、俺だって手段を選んでいる余裕は……余裕……いや、俺ってなんて最低な奴なのだろう。


 これではモノクロ化の原因を教えるからスカウトを受けてくれと言ってきた透矢と同じじゃないか。俺が透矢の味方をしていないのと同じで、他人の弱みに付け込むだけでは青井さんも俺に味方してくれないだろう。


 それではダメだ。いくら十二年前に白鳥さんと仲良くなっていたとしても、今の白鳥さんの好みだとかはきっと変わっているはず。

 そういう情報は青井さんかリンちゃんからしか得られない。しかしリンちゃんもここ一年くらいの白鳥さんのことは知らないから、頼りになるのは青井さんしかいない。

 陽介のように、ウィンウィンの関係を築くのだ。


「やっぱ今のなし。俺が悪かった。特に何もしなくても、ちゃんと話をする」


 意見を百八十度変えた俺に怪訝そうな視線を向けながらも、青井さんの頬が緩んでいるのが見て取れる。


「とりあえず場所を変えないか? 写真はゆっくりと見たいだろう?」


 写真の入った鞄を軽く掲げると、青井さんは速攻で頷いた。

 どうやら疑惑より誘惑の方が優ったらしい。



 俺と青井さんは近くの喫茶店に入る。

 木製のおしゃれな喫茶店だ。色が見えていれば、さぞかし綺麗だったことだろう。

 店内の客はほとんどいない。昨日、陽介と入った喫茶店も、遅い時間だというのを差し引いても客がほとんどいなかった。


 恐らく、ほとんどの店がこのような状態なのだろう。

 俺達のようにモノクロ化を気にせずに生活できるほど、皆の心に余裕があるわけではないのだ。とは言いつつもかなりのお店が営業再開している辺り、意外に心の余裕というものはあるのかもしれないが。


 奥の席に向かい合うように座った俺達は注文を済ませた後、無言で互いを見つめる。

 店員さんが水を持ってくると、俺と青井さんの前に置いた。


 店員さんが離れていったのを確認した後、鞄から封筒を取り出し青井さんの前に差し出す。

 青井さんは無言で封筒を受け取ると中身を確認する。その様子はさながら闇金融の取引のようだが、中身はただの写真である。


「彩羽様が可愛すぎるわ!」


 写真を見ていた青井さんが机に倒れ伏す。

 十二年前の写真、つまりは当時五歳の白鳥さんの姿が写されている写真は、青井さんを昇天させるのに十分な威力を誇っていたようだった。


「だ、大丈夫か?」

「……ええ、大丈夫よ。それよりこの写真に写っている男の子、目の色が違うのが貴方ね?」


 青井さんから見せてもらった写真には、紛れもなく俺と白鳥さんが写っていた。

 左目を手術する前の俺と気弱だったころの白鳥さんが恥ずかしそうに手を繋いでいる。この写真を見ていると、十年で色々と変わったんだなと考えさせられる。


「ああ。俺と白鳥さんと陽介は色波博士の研究所で出会ったんだ」

「陽介? もしかしてこっちのちょっとカッコイイ感じの男の子の事かしら?」


 青井さんはさっきとは別の写真を俺に見せてくる。

 そこにはおもちゃの金メダルを首から下げた俺と白鳥さんと陽介が写っていた。


「懐かしいな。こんなこともあったっけ」


 思い出に浸っていると、横から頬をつねられる。


「いふぁい、いふぁいよ」

「なら私の話を聞きなさいよ。これが陽介なのかしら?」

「ああ、そうだよ。この前会ったし、分かるだろう」

「ああ、私を嵌めたあいつね」


 青井さんの後ろにメラメラと炎が燃え上がっている。

 ああ、気が付いちゃったんだ。

 陽介がここにいない理由がわかってしまった。

 陽介は青井さんを恐れたのだ。報復をされるのではないかと。


「まあまあ、そのお詫びとして俺が来たんだからこの写真が見られるわけで、それでチャラにしてくれると嬉しいな」

「そうね。なら、この頃の彩羽様の話をしなさい。それでチャラにしてあげるわ」


 何という無理難題。

 写真こそ見つけることが出来たが、当時の記憶は朧気ではっきりとは覚えていないのに。

 こうなれば写真から当時の出来事を推測して話すしかないか。話している途中で何かしら思い出すことを期待しよう。


「分かった。だけど十二年も前の事だ。あまり期待はするなよ」

「分かっているわ。彩羽様の事さえ、ちゃんと覚えていればね」


 そう言いながら青井さんは、竹刀を軽く掲げて見せる。

 これはマジで思い出さないと!


 そんな危機感を感じていると、店員さんが注文の品を持ってきてくれる。俺の前にアイスコーヒーが置かれ、青井さんの前には紅茶が置かれた。


 コーヒーを一口飲んで心を落ち着ける。心が落ち着いたからか、今なら思い出せるような気がしてきた。

 一息ついた俺は、あの時の出来事を噛みしめるように話し始める。


「あれは十二年前の夏、丁度オリンピックが終わった頃だったかな。母親に連れられて、色波博士の研究所を訪れたんだ。治療待ちの人が多く、治療が終わるまで俺は託児室に預けられることとなったんだ。そこで出会ったのが、陽介だった」

「ちょっと待ちなさい」


 青井さんがこめかみに手を当て、話を止めて来た。


「貴方いったいどこから話すつもりなの? 貴方と陽介の出会いなんて聞きたくないの。さっさと彩羽様を出しなさい」

「…………」

「良いわね?」


 青井さんに詰め寄られ、俺は仕方がなく陽介との出会いをカットした。


「白鳥さんが研究所にやって来たのが、九月の初めだった。当時の白鳥さんは口数が少なく、誰とも関わり合いになろうとはしてなかった」


 内心はともかく、あの陽介ですら苦手と表現するほど、反応に乏しかったのは確かだ。

 何を話しかけても小さな声で怯えたように話す姿が印象的で、記憶に残っている。話の内容は残念ながら覚えていないが。


「俺も研究所にやって来た当初は誰とも話せず、陽介に仲介してもらいながらだったから、白鳥さんに親近感を抱いたんだ。だから、俺にとっての陽介になろうと、白鳥さんに話しかけたんだ。けれど、無視された。たった二言三言だったけど、子供だった俺はそれがショックだった」


 そうだ。だんだんと思い出してきた。


「だから俺は聞いた。俺と話すのは嫌なのか? と。まあ、当時の一人称は僕だったわけだけど、そこは勘弁してくれ。さすがに今、僕と言うのは恥ずかしい」


 透矢なんかは僕と言っているし、同級生に一人称が僕なんて奴は結構いる。だから、これは俺の感性なのだろうけど、どうも僕という一人称は好かない。


「話を戻すと、俺の問いに白鳥さんは『別に話すことは嫌じゃない。ただ、人と話すことに慣れていない』と答えた。いや、あの時の白鳥さんは本当に可愛くて、思わず本音が口をついてしまった。そうしたら顔を真っ赤にして『か、可愛くないよ。ばかぁ』って言われたんだ。あの破壊力はやばかった」

「貴方の物真似は気持ち悪いけれど、彩羽様には言ってもらいたいわね……」


 それには激しく同意する。

 あの頃の記憶は話すたびに蘇ってきてはいるけれど、それでも鮮明に思い出すことは出来ていないし、何よりあれは恥じらいと照れが混じった最高の可愛さだった。


 ああいうのは何度見ても良いものだ。というか、一回だけでも良いからもう一度見たい。


「で、だ。それから俺と白鳥さんは良く話すようになった。白鳥さんは気弱だけど友達を欲しがっていて、無口だけど優しくて、守ってあげたい存在だった」


 青井さんがうんうんと何度も力強く頷く。

 俺の前では見せてくれなかったが、青井さんの前ではそういう守ってあげたくなるような仕草を見せているのかもしれない。


「それから何日かが過ぎ、陽介が研究所を離れることになったんだ。陽介の場合、親の治療についてきていただけだから、その治療が終われば帰らなければならなかった。陽介は最後の一日を、皆で遊ぶことに使った。その時の遊びが、クイズ大会だ。今思えば何故クイズ大会なのだろうと思うが、まあ、今ではいい思い出だ。クイズ大会で俺は陽介と白鳥さんとチームを組み、ハンデは貰ったけど、たくさんの年上を破って優勝した。これはその時の写真だよ」


 そう言って、先ほど見たおもちゃの金メダルを首から下げている写真を指さす。


「さすがは彩羽様。そんな幼少の頃から博識だったのね」


 青井さんは写真に目もくれず、白鳥さんを褒め称えていた。

 まあ、気持ちはわからないでもない。あの時は全員が小学校に上がる前で、年上にクイズで勝ったのだ。たかがクイズと思うかもしれないが、小学生にも満たない子供が小学生に勝てるというのは凄いことなのだと思う。


 大番狂わせ──言い換えるなら大金星。小さいことだけれど、俺達は間違いなく偉業を達成したのだ。

 あの時よりも成長した今なら、俺達が組めばもっといろいろなことが出来るようになるだろう。それこそ、どんなことでも。


 本当に出来るかどうかはともかく、そんな気持ちにさせられた。


「まあな。結局、陽介はその後すぐに帰ったから、三人でチームを組んだのはあの一回きりだったけど、凄え楽しかったよ」

「ふーん」


 青井さんは少しだけ羨ましそうに、小さく呟いた。

 その後も白鳥さんと過ごした一カ月間の話を写真を交えながら話した。そしていよいよ話すことがなくなってきた頃に。


「貴方は他の男共とは違うから、私の監視付きで彩羽様に近づくことを許してあげるわ」


 青井さんはそっぽを向きながらそう言った。


「そっか。青井さん、ありがとう」

「別に。少し貴方に同情してあげただけよ。好意からではなく、憐みから施しを与えているだけだわ」


 そう言いがら青井さんは席を立つ。

 そして俺に背を向けたまま。


「けれど、昔のように仲良くなれると良いわね」


 そう言い残して、店を出ていった。

 上手くいったこともそうだし、青井さんと少しだけでも仲良くなれたことが嬉しくて、思わず頬が緩む。


 そして俺も席を立とうとしたところで気が付く。机の上にまだ伝票が残っていて、紅茶代がどこにもないことに。

 つまり、俺は青井さんに嵌められたのだ。


 それが陽介に騙された仕返しなのか、白鳥さんに近づく許可を与えた対価なのかはわからないが、ただ一つ、これだけは言える。

 お金が足りない。

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