【幕間】 刺客 side透矢

「青井美空の信頼を得よう、とでも考えているようだねぇ」


 そう言いながら、机の上に置かれているチェスの駒を打つ。

 コツと音が部屋の中に響く。次第に音は消え去り、再び静寂が舞い降りる。

 ここはイクシード研究所。全員が帰った後の、静寂の研究所。


 そんな研究所の一室。

 ここに残っているのは僕ともう一人。もう一人は研究所の跡片付けで別の部屋にいるのだが、もうじき来る頃だろう。


 机の引き出しからファイルを取り出し、三枚の履歴書を抜き取る。その履歴書には黒沢明人と赤木陽介、そして白鳥彩羽の名前があった。

 その三枚の履歴書を眺めながら、自分の持ち駒である黒い駒を打つ。

 白い方が駒の数が多いが、その実黒の方が有利である。


 相手がいないので棋譜などは僕の思い通りなのだが、盤上を見ていると、今の僕達の状況を表しているようで可笑しくなってくる。

 背もたれに体重を預け、ずいぶんと前の出来事を思い返す。


 それは僕がまだ彩羽君と出会う前、今回の計画を実行に移そうとしていた時のことだ。

 計画を見直してしていた僕が、計画を成功させるにあたって最大の難所と位置付けたのが明人君を屈服させ、仲間に引き入れることだ。


 正直なところ、僕は色波虹希には現状では勝てないと思っている。潜在能力だけなら自分の方が上だと認識しているが、経験や知識量では圧倒的に劣る。だからこそ、色波虹希と最も一緒にいた明人君を仲間に引き入れるのは必須条件だった。


 だが、彼の周りにいたのは赤木陽介という人間関係において無類の才能を発揮する天才だった。

 他の分野ならともかく、人間関係だけは陽介君には敵わないと痛感させられた。明人君を仲間に引き入れるのは無理だと思った。


 しかも彼らのバックには色波虹希がいた。僕にはどうしようもなかった。一時は計画をとん挫させるしかないのかと諦めかけた。

 だけど、僕は見つけた。対明人君に最も効果的な人材、彩羽君を。

 僕は彩羽君を説得し、仲間に引き入れた。彼女は優秀であったが、交渉事は下手だった。人と関わること自体に慣れていない感じが見受けられた。


 それでも、人間関係が絡まないことに関しては素晴らしかった。彩羽君の才能は僕の交渉術と相性が良かったのだ。

 彩羽君に僕が交渉を成功させられる舞台を整えてもらい、僕が交渉事に当たる。この連携で順調に研究所の規模を大きくしていった。


 次第に彩羽君との絆も強固なものに変わっていき、余程のことがない限り、僕と彩羽君との絆は破れないと感じるようになった。

 そしてついに僕と彩羽君の明人君引き抜き計画がスタートする。


 彩羽君が考えたのは世界をモノクロ化し世界中をパニックにさせ、明人君を引き込むための餌を作ること、色波虹希を明人君から遠ざけるというものだった。

 モノクロ化というのは彩羽君個人の願いのようだったが、案としては問題なかったので採用。


 そして僕が考えたのは白鳥さんがこちら側にいる限り、明人君が対話で僕らを改心させに来るだろうという事だった。

 僕らの考えは見事に的中し、明人君達は研究所の一員となった。


 正直、陽介君に関しては研究所の人間になってくれれば最良、不干渉を約束させるだけで十分だと思っていたわけだ。

 そしてここまで、順調にいっているからこそ、明人君と陽介君が次にどのような行動をとるかを予測することが出来る。


 それこそが白鳥さんの調略である。僕としては何もしなくても大丈夫だとは思うけれど、明人君達は何をしでかすかわからない危うさがある。

 だからこそ、彩羽君に付きまとっている美空君に手を焼いている間に、手を回させてもらう。


 考え事をしながらも進めていた一人チェスで、白が黒にチェックをかけた。

 いつの間にか形勢が逆転していたのだ。

 と、その時。扉がノックされる。


「開いてるよ」

「失礼する」


 部屋に入ってきたのは、明るい髪色をしていて高圧的に構える青年だった。来ている服はどれも高級品で、一目でお金持ちなのが理解できる。


「それで、俺に用とは何だ?」

「まあまあ、そんなに急がなくてもいいじゃないか。黄賀グループの跡取りにして、白銀女学院理事長の息子――黄賀星志こうがせいじ

「何が言いたい?」


 星志君は不機嫌さをまるで隠そうとせず、机にドンと手を叩きつける。

 その際にチェスの駒がいくつか机から落ちた。


「別に。ただ、そんなんじゃいつまでたっても彩羽君は振り向いてくれないよ」


 図星だったのか、星志君は軽く視線を逸らすと小さく舌打ちをした。


「僕的には欲望に忠実なタイプは嫌いではないけれど、女性には通じないだろうね」

「分かってるよ。だからお前のいう事を聞いて、こんな研究所に支援金を払い俺自ら働いているだろう」

「まあね。その点については非常に助かっているよ」


 自分の価値が認められたからか、少し嬉しそうに胸を張る星志君。

 全く、虫唾が走る。

 明人君や陽介君とは違う、親の金と権力を振りかざす他人任せの屑だ。だけど、だからこそ御しやすい。

 そんな内心を悟られないように笑みを浮かべると、星志を持ち上げる。


「それに彩羽君も君の評価を改めているようだよ。こっそり聞いたのだが、毎晩夜遅くまで働いて凄いとね」

「そうだろうそうだろう! これは彩羽が俺のものになるのも時間の問題だな」


 星志君は上機嫌に笑い声をあげる。


「ただね。少し厄介な人物が入ってきたのは知っているだろう?」

「ああ。昔の彼氏か」


 僕の問いかけに、星志君はあからさまに嫌な顔をした。

 どうやら明人君のことを知ってはいるようだ。昔の彼氏と言ってるあたり、詳しくはなさそうだが。


「彼氏彼女の関係ではなかったがね。それでもそれに近い雰囲気は持っていたと思うよ」


 星志君は額に青筋を浮かべ、机を思いっきり叩いた。

 その際にチェスの駒が倒れたり床に落ちたりする。


「彩羽は俺のものだ」


 別に星志君のものではないけれど。

 明人君に敵対心を抱いてくれるのはありがたい。煽ってみたかいがあった。


「僕は彼の友人である陽介君を押えるので手一杯なんだ。だから明人君を止めることが出来ない」

「呼び出したのはつまりそういうことか。何、黄賀グループの力を持ってすればたかが学生一人くらいどうとでもなる」

「それが出来ればいいんだけどねぇ」


 僕の喋り方が気に入らないのか、星志君が歯ぎしりをし、イラついたように睨みつけてくる。


「なら結局、何のために呼び出した! こんなくだらない話をするためか!」

「いやいや、そうじゃない。僕は星志君に脱落されては困るんだ。だからあの二人を良く知る僕からのアドバイスをしようと思ってね」

「アドバイス……」


 星志君の勢いが目に見えてなくなる。

 まあ、それも無理らしからぬことだろう。何せ、僕のアドバイスで彩羽君との仲が改善されつつあるのだから。

 とは言っても、彩羽君に付きまとっていて嫌われていたところから、普通の友人として話が出来るところまで持ってきただけだけれど。


 たったそれだけの事なのだが、星志君は僕のアドバイスだけはよく聞いてくれる。まさに僕にとって都合のいい駒だ。

 ただ、今回ばかりは本気で星志君を慮ってのアドバイスなんだけれどね。


「そう。アドバイスだ。陽介君は多岐にわたる人脈を持っている。それこそ、どこで仲良くなったのか知らないが君を簡単に社会的抹殺を出来るくらいの大物もいる。それだけの人材が陽介君の頼みで動くんだよ。恐ろしいだろう? だが、いや、だからこそ、陽介君の方からは何もしてこない。その強大すぎる力を自分とその周囲を守ることにしか使わない。そして今、陽介君の意識は明人君を助けることに向いている。僕が陽介君を研究所で雇ったのはね、明人君がいる限りは研究所をその人脈を駆使して守ってくれるからだよ。だから星志君。絶対に陽介君の逆鱗に触れてはいけない。彩羽君を口説くのも、明人君の妨害をするのも、陽介君に取り入るのも、まっとうな手段にすべきだ」


「まっとうな手段にすれば陽介とやらが見逃すとでも?」

「ああ。陽介君が嫌うのは不当な手段ーーつまりは犯罪を用いることさ。それ以外なら他者を貶めるような発言や行動を見逃す寛容さを持っている。というよりかは、そういう悪い部分もひっくるめて人間だと考えているのだろう。今日一日だが、陽介君と話していてそんな印象を受けた」


 僕達が犯罪を犯しているにも関わらず、こうして見逃されているのはきっと明人君が頼み込んだからなのだろう。

 だが、陽介君は相手が正々堂々と来た場合は例え明人君であっても手伝わないことが多い。恐らくだが、明人君が自分に依存しないようにと考えた結果なのだろう。

 だからこそ断言できる。正々堂々と白鳥さんにアプローチすれば、陽介君は手を出さないと。


「ここからは如何に白鳥さんの信頼を得られるかなんだ。たった一つしかないクイーンの駒を奪い合うようなものだ」


 僕は床に落ちた駒を直し、片面からクイーンの駒を取る。

 今までは僕達が奇襲気味にスカウトを申し込み、それを受けるかどうかの駆け引き勝負だったわけだが、明人君がスカウトを受けたことによって、勝負の方法がガラリと変わったのだ。


 今度は明人君達が彩羽君を引き込むために説得し、僕達が彩羽君の流失を阻止する形になるので、攻守が逆転したといっても良い。

 正直、最初はチェックがかかった状態で勝負を挑んだわけだが、僕は明人君の『性格』を利用し、五分の状況に持ってきた。むしろ、逆にチェックをかけたといっても過言ではない。


 チェックメイトに持っていくまでがまた大変なのだが、当初の戦局からすればだいぶ有利に事が進んでいる。

 僕は絶対に明人君達の説得に耳を貸さないつもりだし、研究所内の事を話すのは契約書で禁じている。

 あとは明人君が彩羽君の好感度を上げる前に、明人君に見向きもしないようにすればこちらの勝ちである。


「だからこそ、星志君には期待しているし、失敗しては困るのだよ。何せ、思い出というハンデを背負っているのだから」

「もちろん俺に負ける気はない。左目が金色であるだけのただの男子高校生に負けるはずがない。しかし、何故そこまで彩羽の流失を恐れる? 説得に耳を貸さないつもりならば、例え引き抜かれて三対一になったところで、意味をなさないだろう」


「そうでもないさ。彩羽君は僕の計画を全て知っている。つまりは僕の弱みを握ることとなる。もちろん明人君達は公表をするつもりなどないだろうが、僕が頑なに話し合いを拒み続けていれば、詰むかもしれないんだ。明人君にとって一番大事なのは彩羽君で、僕は二の次なのだから」

「なら何故、そんな莫大なリスクを背負ってまで、あの金目野郎をスカウトしたんだ? はっきり言って、マイナスにしかなっていないと思うがな」


 星志君の疑問は至極まっとうなものだった。

 確かに現状、マイナスの方が大きい。明人君と陽介君は本気で僕達と敵対し、二十四時間、彩羽君を引き抜こうとしている。それに引き換え、僕達の利益になるのは二人がバイトに入っている時間帯のみだ。

 だが、それは逆に言えば。


「相手にすると厄介な奴ほど、味方になった時に心強い。明人君と陽介君が本気で僕達の味方をしてくれると決めた瞬間、僕達の戦力は何倍にもなる」

「はっ、そうかよ。それだけ分の悪い行動を取れるんだから、さぞかし自信があるんだろう」


 軽く微笑んで、答えを濁す。

 そもそも、彩羽君については星志君がやってくれなきゃいけないんだ。僕に答えられるはずもない。

 まあ、念のため、彩羽君が引き抜かれた時の為の最終手段を考える必要はありそうだけれど。


「まあ、そういうわけで、僕は君の恋を全面的にバックアップする。ある程度なら彩羽君の好みもわかるし、陽介君には及ばないが人の心情をある程度理解できる。だから、取り返しのつかないことだけはやめてくれたまえ」


 僕と彩羽君の絆は同じ目的のために進むが故に非常に強固であるが、それより先に進むことは出来ない。

 それを越えられるのは明人君か星志君だろうと思っている。


「わかった。肝に銘じておこう」


 星志君はそう言うと、話は終わりだとばかりに踵を返して部屋を出て行く。

 そんな星志君の後ろ姿を冷徹に眺める自分に気が付き、苦笑する。


「どうやら、僕は星志君を信用しきれていないらしい」


 終電までまだ時間があることを確認し、引き出しから白紙の紙とシャーペンを取り出すと。

『星志君が失敗した場合』


 紙の一番上に、そう書いた。

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