決意

 特に進展も問題もなかった研究所での一日目を終え、俺と陽介はもうすぐ夜の十時を廻ろうかという時間に、喫茶店で向かい合って座っていた。

 陽介は笑顔だが、纏うオーラは怒気そのものである。

 そんな陽介を前に、俺は小さくなっていることしか出来なかった。


「明人。何か申し開きすることはあるか?」

「ありません。俺が全面的に悪かったです。だから許してください」


 机に頭をぶつけるのではないかというくらいの勢いで頭を下げる。

 いつもならここで呆れた感じで文句を言った後に許してくれるのだが、今回はそうではなかった。

 思い切り拳骨を落とされ、机に顔面をぶつけてしまう。


「痛ッ!」


 机に倒れ伏したまま後頭部を押さえる。


「全く、何であそこで喧嘩を売るようなことを言うかなぁ。あれで色波博士に本気で警戒されたぞ」


 陽介の嫌味に、ただただ項垂れるしかなかった。

 俺達は透矢を捕まえる術を持ちながら、わざわざ懐に入り込んでの説得を選択した。それは俺の大切な人である白鳥さんと、お世話になった色波博士の息子、透矢を犯罪者にしたくないという思いからだ。

 なのに俺ときたら透矢に改心させてやると宣言し、彼等の創り出したモノクロの世界を否定したのだ。

 これはもう、俺達が邪魔をするために内部に潜入したと白状したようなものだ。


「こうなっちまうと実力行使――つまり決闘に持ち込むしか手はねえぞ……」


 陽介が苦々しい表情になる。

 陽介は透矢に決闘を挑もうと言っているのだ。

 しかしながら、決闘とは互いの同意の上で行われることであり、透矢が決闘を受けてくれるとは思えない。


「大丈夫なんだろうな?」

「何がだ? ……ああ、色波博士が受けてくれるのかってことか」


 陽介曰く、透矢はモノクロ化を止められる人物を恐れているらしい。つまりは色波博士のことだ。そのために透矢は色波博士のことをよく知っている俺がこの先の目的の達成に必要だと考えているらしい。

 だからこそ、決められた業務だけでなく俺が自主的に色波博士に関する情報を提供してくれることを望んでいるのだという。そういった知識などを餌に決闘を吹っかければ受ける可能性があると陽介は言う。


 しかしながら、今の俺達では勝ち目がないのだ。

 黒沢明人と赤木陽介の二人だけで、白鳥さんと色波透矢に加えて研究員全員(推定)に勝たなければならないのである。勝ち目が薄いどころか、一分の隙もない。戦力差がありすぎる。


 陽介の友人達に助けを求めたいところだが、既に機密情報は漏らさないと契約させられているので、助けを求めることは出来ない。


「つまり、最低でもこの戦力差を縮めなければならないってことか……」

「分かったか? これがどれだけ無理難題なのか?」


 陽介の話を理解した俺はまざまざと現実を突きつけられ、頭を下げるしかなかった。

 知り合って間もない研究員が俺達の味方をしてくれるとは考えづらく、このままでは負け確定の勝負に出なくてはならなくなる。


「けど、一人か二人くらいは……」

「甘い。お前、白鳥さんと色波透矢のコンビがどれほど恐ろしいのか理解してないな。例え研究員の四分の一が味方してくれても勝つのは無理だな」


 淡い希望を即座に打ち砕かれ、視界が滲んでくる。

 机の上には何故か水滴がついていた。


「ちょっ、明人!?」


 陽介が慌てたような声を上げる。

 だが、今はその声に反応している暇はない。

 俺は彩羽と透矢を犯罪者にするのも嫌だし、諦めたくもない。


「俺は! ……やっぱり、諦めきれない。どれだけ我が侭だと言われても、あの二人に自主的にモノクロ化を解除してもらいたい。そして俺が白鳥さんと色波虹希博士に教えてもらった輝きを、あいつらに教えてやりたい」


 陽介は何かを思案するかのように目を瞑る。


「明人。もしこの状況を打開できる手段があったとして、何でもやる覚悟はあるか?」

「ああ。もちろんだ」


 陽介の試すかのような問いに即答する。

 もとはと言えば俺の失策が招いた事態である。それに本来、陽介はわざわざ研究所で働かなくても良かった立場だ。


 陽介がここにいるのは全ては俺の為――俺の個人的感情に付き合ってくれているだけなのだ。ならば、俺もいかなる手段を用いても、陽介の期待に応える義務がある。

 俺の覚悟を感じ取ったのか、陽介が口端を吊り上げ笑みを見せる。


「良い返事だ。なら、明人。お前にはこれから白鳥さんを攻略してもらう。ギャルゲーのような選択肢は一切なく、好感度も不明、おまけに出会えるのは休日と放課後の僅かな時間のみ。しかも紅葉や森林や海はモノクロで風情がないし、白鳥さんの周りには青井美空がいる。これだけの悪条件が揃う中だが、白鳥さんを恋に落とせ」

「……………は? 何故に?」


 陽介は俺の質問の内容が予測出来ていたようで、俺の質問の途中で指を三本立ててこちらに向けて来た。


「理由は三つだ。一つ目は白鳥さんがイクシード研究所内でそれなりの立場であること。これは白鳥さんがこちら側についた場合、白鳥さんを慕う人達もまとめて仲間に出来る可能性があるし、透矢と引き離せることが大きい」


 ……うん、陽介はどうやら、なぜ白鳥さんを狙うのかという話をしているらしい。


「二つ目が白鳥さんの悩みを解決するため。そもそも悩みがなければ現状に満足しているはずであり、モノクロ化なんて引き起こされていない。これは色波透矢にも言えることだけどな。だが、この二人には大きな違いが一つある。そしてそれこそが三つ目の理由であり、最も大きな理由でもある。なんだかわかるか?」

「いや、そもそも俺が聞きたいことはそこじゃないんだけど」


 陽介の話が一瞬口を閉ざす、が。


「その理由とは!」

「いや、俺の話を聞けよ! 聞きたいことはそこじゃないんだって!」

「明人は一度十二年も前とはいえ白鳥さんと仲良くなっている経験を持っていること。他の研究員や色波透矢と比べたらずっとやりやすいだろう」


「いやいやいや、そうじゃなくて。確かに白鳥さんを狙う理由はわかったよ。けど、恋に落とす必要はないだろう? そりゃあ、引き抜きをかけたり、悩みを話してもらうためにはある程度は仲良くなる必要があるだろうけど……」

「馬鹿か! 白鳥さんは透矢と長い間研究していたんだぞ。二人の絆に友人や知り合い程度で敵うわけないだろう。唯一勝てるのが恋愛感情! ただ、それだけだ」


 正直、無茶苦茶だとは思う。

 しかし、陽介に力説されてしまうと、なんだか本当にそうなのではないかと思えてしまうのだ。


 実際、白鳥さんと透矢の間には絆があることは確かだ。それも同じ目標に向かって進むという強固な絆が。

 打破するにはその絆を上回る何かを引き出さねばならない。

 その何かが、恋愛感情。

 …………白鳥さんを「俺に」惚れさせるということ。


「……分かった。俺、やるよ」

「そう来なくっちゃな。それじゃあ、まずは青井美空の信頼を勝ち取れ」

「ああ! って、え? 青井美空? 白鳥さんじゃなくて?」


 陽介はやれやれと言いたげな顔で頭を振る。


「もう忘れたのか? 白鳥さんの周りには青井美空がいる。まずはそっちを何とかしないと、アプローチの途中で邪魔されるだけだぞ」

「けど、そんなに悠長にしている場合じゃないんじゃ……」


 俺のせいではあるのだが、相手側に俺達が邪魔をするために入ったことは知られてしまっている。

 当然、白鳥さんの耳にその話が入るのも時間の問題だろう。ならば、出来るだけ早く好感度を上げないといけないと思うのだが……。


「そこは安心していい。知られたら知られたでやりようはある。むしろアプローチが失敗する方が怖い。なんせ、モノクロの世界になってから観光名所の魅力が半減していて、取れる選択肢が限られているからな」

「なるほどな」


 特に紅葉や海の綺麗さを売りにしているところなどは物足りなく感じそうだ。

 それに所持金的にも近場にしか行けないわけだし、失敗はしたくない。


「良し。なら明日から頑張るか」


 席を立ち気合を入れていると、陽介の雰囲気が暗いことに気が付く。


「どうかしたか?」

「なあ、明人。一つだけ覚えておいてくれ。人からの信頼を得るには誠実さと思いの強さが必要だ。決して打算や下心を持つな。白鳥さんのことをどれだけ大切に思えるかが鍵だぞ」

「……」


 陽介の瞳を正面から見据えると、そこにはいつになく真剣な眼差しがあった。

 この目は本気だ。ちょっとしたおふざけや冗談ですら許さないという雰囲気である。

 陽介に合わせるように、俺も目つきを真剣なものに変える。


「……分かっている。俺はお前をずっと間近で見て来たんだ。陽介は新しい友達を作る時、常に誠実だった。常に相手のことを大切に思っていた。俺を誰だと思っている? 俺は赤木陽介の親友だぞ。任せろ」


 俺の言葉に、陽介が目を見開いた。

 そして天を見上げながら、しみじみと呟く。


「少し前の明人なら、絶対に言わなかった台詞だ」


 一拍置いた後。


「成長したなぁ」


 陽介はフッと優しく微笑んだ。

 何だか気恥ずかしくなり、陽介から目を逸らす。


「ははっ、照れてんのか?」

「うるせえ」


 逃げるようにして店を出ていく。

 そして、店の外で立ち止まった。

 その後ろからお金を払った陽介が出て来る。


「明人?」


 俺が空を見上げて立ち止まっているのを見て、陽介が戸惑いの声を漏らした。そして俺の視線を辿るように陽介も空を見上げる。

 そこには満月が揺らめいていた。

 モノクロの世界で白にしか見えない月を見て、物足りなく感じる。

 陽介も同じことを思ったのか、強引に肩を組んできて満月に向けて手を伸ばす。


「満月ってのは、やっぱり黄金だよな。そうじゃなきゃおかしい。だから明人――」


 陽介は空に向けた手を握りしめる。


「まずは青井美空の信頼を得るぞ」

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