研究所
白鳥さんに連れられ、やって来た研究所はとても大きかった。
立地条件の違いというのもあるのだろうが、色波博士の研究所よりはるかに大きい。
デザイン自体はシンプルで色波博士の研究所とほとんど違いのだが、出入りする人の数はこちらの方が多い。
さらに入り口のパスワード認証の部分には〇から九までのパネルの中からパスコードを入力するシステムが使われていた。
色波博士の研究所とは違うなと思いながら、白鳥さんがパスワードを入力するのを眺めていた。
扉が開くと中にもう一つ扉が現れ、こちらは指紋認証を行い、ようやく研究所内に入れた。
研究所内は活気にあふれており、様々な部屋から話声が聞こえてくる。これまた色波博士の研究所とは違う。
「まずは透矢さんの元へ案内します。黒沢さんと赤木さんはこちらへ……って赤木さんは?」
「陽介なら警備員に捕まってたぜ。青井さんを道連れにして」
「何故今まで言わなかったのですか!? それに、美空さんは女学院性じゃないですか!? どうやったら道連れに出来るんですか!?」
質問の多い白鳥さんの疑問に答えるべく、俺は最初から話し始めた。
遡ること三十分前。
契約がまとまり、これから研究所に向かうとなったタイミングで、俺はあることを思い出した。
そう。警備員の会話である。
警備員の会話では校門で俺達が出てくるのを今か今かと待ち構えているわけだ。
これを思い出したのは白鳥さんが生徒会室の鍵を返してくるからと、一人職員室へ向かった後だった。
「どうする? 絶対、俺達止められるぞ?」
「下手したら警察のお世話になるかもしれないな。主に白鳥さんと俺と明人の三人が」
「なんでよ!? 何故彩羽様まで警察のお世話にならなければならないの?」
陽介の言葉に青井さんが突っかかって来る。
「良いか? まず俺と明人は不法侵入で捕まる。さらに白鳥さんは不法侵入者を匿ったという事で、事情聴取くらいされるかもしれないな。それで不法侵入者を見つけ報告した青井さんだけは何事もなく帰されるわけさ」
青井さんの顔が傍から見てわかるくらいに青ざめる。
対して陽介は悪い笑みを浮かべている。
「これは白鳥さんに知られても同じだろう。事情を説明するために教師の前に出ていって捕まるのがオチさ。こうなった場合、警察沙汰にはならないだろうが、白鳥さんが校内へ招き入れたとして先生に怒られるだろう」
「ちょっと待って! ならどうすれば良いの!?」
「それは簡単なことさ。青井さんが無理矢理連れ込んだという事にすればいい。それなら俺達が逃げたことにも説明がつくし、明人がいなくても逃げられたってことになるだろう。青井さんは何故無理矢理連れ込んだのか聞かれるだろうし、そのことについて怒られるだろが、白鳥さんへ飛び火することはなくなるぞ」
陽介の考えを聞いた青井さんは、まるで救世主を見るかのような瞳で陽介を見つめる。
これ、裏門から出たり塀を飛び越えたりしたらと提案すれば、陽介に何されるかわかったもんじゃなねえな。
「明人。俺が警備員を引き付けてから、青井さんに警備員を止めてもらう。その間にお前と白鳥さんで正門を突破しろ」
「けど、白鳥さんはどうするつもりだ? さすがに陽介がいなければ怪しむと思うんだが」
「安心しろ。そこは考えてある。恐らくここからは白鳥さんを先頭に研究所まで行くことになるだろう。だから、俺と青井さんは白鳥さんについていくふりをして途中で離脱、先回りして警備員を引き付ける。その間、明人は黙って白鳥さんについていけばいい。十分時間を稼げれば大丈夫だろう」
そして白鳥さんの合流後、皆で移動するふりをして陽介と青井さんが離脱した。
先の話の通り陽介と青井さんが警備員を引き付けてくれたのだろう、そのおかげで俺達は誰にも見られずに正門を突破。
白鳥さんが陽介がいないことに気が付かないかドキドキしながら歩いていたわけだが、一切気が付かずに研究所まで来てしまったわけだ。
「という事で、研究所の場所はナビ使えばわかるし、もうすぐ陽介も来ると思うよ」
「お待たせ」
タイミング良く、陽介が若い男性の研究員と共に入って来た。
「えっと、白鳥さん。彼、新しく入ったらしいんだけど、聞いてる?」
「はい。わざわざありがとうございます。あとは私が引き受けますので、もう大丈夫ですよ」
「いや、僕が連れて行きますよ。どうせ、透矢さんのところでしょ?」
「そうですか。ではお願いします」
白鳥さんは男性研究員に頭を下げると、どこかへ行ってしまった。
多分、自分の研究室辺りに行ったのだろうけど。
「それじゃあ、君達二人が新しく入る研究員だね。これから透矢さんのところに連れて行くからついて来て」
男性研究員の後ろを俺と陽介はついていく。
しばらく歩いていると、男性研究員が立ち止まった。そして目の前の扉をノックする。
中から、透矢の声が聞こえ、男性研究員が「失礼します」という言葉と共に扉を開けた。
「ほう、明人君に、君は……陽介君で合ってるかな?」
「ええ」
透矢が陽介のことを知っていることに眉を顰めるが、すぐに俺の個人情報を調べた時に交友関係も調べたのだろうと思い直す。
「そうか。それは良かった。では改めて」
透矢は大きく手を広げて大仰にポーズをとる。
「ようこそ。我が研究所へ。歓迎するよ、明人君に陽介君」
俺達は軽く会釈する。
俺達がやって来たのは研究所の最奥にある『シークレットルーム』と書かれた、厳重にパスワードがかけられている部屋だった。
その部屋にはたった一つの巨大な機械が置かれている。さらに言えばこの機械は稼働中らしく、ゴウンゴウンと音が聞こえてくる。
透矢はこちらを向きながら、自慢気に微笑を浮かべた。
「これが君達が知りたがっていたモノクロ化の原因ーーナノマシンウイルス生成装置『セル』だ」
ナノ『マシン』ウイルス……。やはりこのモノクロの世界というのは機械によって作られたというわけか。
通りで、検査で義眼の部品部分に『アンノウン』なんて出てくるわけだ。
「おや? 驚かないのかい?」
冷静な俺達が意外だったのか、透矢はそんなことを聞いて来た。
「まあ、病気でないのはわかってましたし、何より色波博士の血縁者ならこれくらいはやってのけるかなと」
俺の言葉に、透矢は面白いものを見るかのような表情で俺を見てくる。
「くくく、はっはっはっ! 黒沢君は随分と感覚がマヒしているようだね」
まあ、そうかもしれない。
俺の周りにはいつも赤木陽介、色波虹希博士、紫垣菫さんの何かしら他人より抜き出ている才能を持つ三人がいたからな。
「それより、この『セル』ですか。どういう仕組みなんですか?」
「これは失敬。では説明しよう。このモノクロ化の概要を」
透矢はガラス細工を扱うかのような繊細な手つきで、『セル』に触れた。
「明人君は少し前に流れた、人工的に人体の細胞を創り出すことに成功したというニュースを知っているかな?」
「ええ。普段はテレビを見ないんですけど、偶然目にしました」
「その技術以外にも、世間には公表されていない技術を僕は持っている。それはナノマシンウイルスを創る技術と、紫外線をエネルギーに変換する技術さ。僕は細胞を創る技術と併せた三つの技術とを組み合わせて、紫外線を吸収し、それをエネルギー源として人体の細胞を作り出すナノマシンウイルスの作成に成功した。もちろん、彩羽君や他の研究員がいなければ成し遂げられないことだったが、これは紛れもなく僕の研究成果さ」
自身の研究成果を得意げに語る透矢。
それだけの話を聞くだけでも、透矢の技術力が高いことが分かる。
「それで、透矢さんは何の細胞を作り出したんだ?」
口を閉ざしてしまった俺に変わり、陽介が質問を続ける。
「桿体細胞――簡単に説明すると、少量の光でも周りが見えるようになる代わりに色が見分けることが出来なくなる細胞さ。ほら、暗い部屋などであたりを見渡すと、モノクロにしか見えないだろう? あれがそうなんだよ。僕はその現象を昼間にも起こるようにしただけさ」
透矢の説明に背筋が凍る。
透矢は何でもないことのように説明するが、その技術力は色波博士と同等かもしくはそれ以上。それでいてまだ伸びしろがあるときた。
いくら白鳥さんや他の研究員の力が結集しているとはいえ、こんなことをやってしまうような奴をこれから説得しなければならないのか。
そう考えると気が滅入って来る。
「なんでモノクロ化を引き起こしたんだ?」
陽介の声音が少し緊張を帯びたものに変わる。
陽介も、透矢の危険性を感じ取ったのだろう。
「動機かい? 簡単なことだよ。僕が世界一の研究者であると認めさせるためさ」
対して透矢は不敵に笑う。
その笑みには底が見えない。何を考えているのか全く読み取ることが出来なかった。
「世界一になるということは色波虹希という強大な壁を越えるということ。モノクロ化なんて中途半端な結果じゃ意味がない。モノクロ化なんてただの練習――ただの遊びなんだよ。色波虹希を超えるには、それこそ、人の命すら思い通りに出来るくらいでないと」
その言葉を聞いて頭に血が上る。
その言葉は世界にさらなる混乱をもたらすという宣言をしたも同然だ。
しかも遊びでこのモノクロ化を引き起こしただって? 許せるはずもない。
「なら俺達はお前を改心させるだけだ。モノクロ化も止めてもらう」
俺の宣言に、透矢の目が細められる。
「別に構わないよ。だけど、これだけは言っておく。仕事をさぼったり、機密を話した場合はクビだ。それと同時に、個人情報がネット上にばら撒かれることになるし、それ以上のことも覚悟したまえ」
それはつまり透矢を説得できるのは仕事外、休憩時間か休日、もしくは仕事後となる。
そしてこの条件は、まんま白鳥さんにも当てはまる。何故なら白鳥さんと担当部署が違うからだ。
「そうそう。明人君達に限ってそんなことはないと思うけれど、こちらには嘘発見器があるのでね。十分に注意したまえ」
「嘘発見器?」
「ああ。知らないのかい? 色波虹希が開発した検査機の応用で、嘘をつくと無意識のうちにとる行動を感知し、知らせてくれる機械のことさ。こっちは昨日、世間に公表されてニュースになっていたものだ。一応言っておくけど、この嘘発見器は僕達が開発したものではなく、正規の手続きで購入したものだけどね」
知らなかった……。
世の中、どんどん便利なものが開発されていくな。嘘発見器とか、取り調べの時に役に立ちそうだ。
そんなことを考える俺の隣で、陽介が「確か五千万くらいしてたな」と呟くのを聞いた。
なんで陽介は知ってるんだよ……。いや、むしろ俺が常識を知らなさすぎるのか。
「さて、他に聞きたいことはないかい? せっかくの機会だ。今回に限り何でも答えようじゃないか」
透矢がとても気前のいいことを言ってくる。
なので、俺はお言葉に甘えて、質問をさせてもらう。
「では、他のグループは何を創ってるんですか?」
「そうだね。一班と二班は合同で、どのような機械を創るのかのアイディア出しを行っているよ。明人君の三班を飛ばして、四班は事務だね。四班に在籍しているのは一般職の人で、書類整理やデータ入力をやってもらっているよ。五班は特別職だね。交渉、人員管理、人材スカウト等々、様々な仕事をこなしてもらっている」
かなり明確に役割分担がされているな。
色波虹希博士の研究所とは全く違う。あそこはどちらかと言えば創って売る。ただ、それだけだ。
役割分担も何もあったものじゃない。だけど、皆で一丸となって発明をするのは楽しかった。
色波虹希博士の研究所で働いていた時のことを思い出し、思わず笑みが零れる。
「それじゃあ、次俺ね。この研究所って何人が働いてるんだ?」
「細かいところまで気にするとはずいぶんと仕事熱心だね、感心するよ。……さて、この研究所で働いている人数だが、一班、二班、三班を纏めて研究員とし、四班、五班を纏めて非研究員とするならば、研究員が五十八人に対して、非研究員はたったの十六人だ。まあ、今回明人君と陽介君がそれぞれに新しく加入してくれたので、五十九人と十七人だが」
陽介の質問に、簡単に説明する透矢。
一班あたりの人数はわからないが、単純に考えると十九人か二十人。それくらいなら、何とかやっていけそうだな。色波虹希博士の研究所が同じくらいの人数だったし。
けれど、ずいぶんと研究員と非研究員に差が出たな。
「ああ。言っておくけど、研究員と非研究員の人数に差がありすぎるのは僕の知名度の微妙さなんだよ。僕は研究者からは一目置かれている自信があるけれど、一般人からしたら僕が誰だかわからないのさ」
俺の考えていることを読み取ったのか、透矢がそんな言い訳をしてくる。
けれど、透矢の言いたいことはなんとなくわかる。
特定の分野では一目置かれていたとしても、それが世界中の人々に知られているとは限らないのだ。
俺達はそれから仕事に関することでいくつかの質問に答えてもらい、ついに質問のストックが尽きた。
「次が最後の質問です。透矢さんはこの世界のこと、なんとも思ってないんですか?」
「ああ、思ってないね」
即答だった。
解答自体は予想していたものの、ここまで迷いなく答えられるのは予想外だった。それだけ透矢の決意は固いということか。
「質問が終わったのなら、仕事に戻りたまえ。君達の働きぶりを、楽しみにしている」
透矢にそう言われ、陽介は部屋に残り、俺は部屋を出て第三班の元へ向かった。
俺達の反応を見てか、透矢は少し恥ずかしそうに咳払いした。
「さて、早速仕事にかかろう。注意事項は彩羽君から聞いてるね?」
俺達が頷くと、透矢はニッコリと微笑んだ。
「それじゃあ、明人君は第三班と共に電波で距離に関係なく遠隔操作を可能とする機械の開発に参加してくれ。陽介君には私の元で人員管理の仕事を手伝ってもらおう」
「分かりました。だけど、その前にモノクロ化の原因を教えてもらいますよ」
「ふむ、良いだろう。それが約束でもあるわけだしな。ついて来なさい」
透矢が部屋を出ようとして、何かを思い出したように振り向いた。
「ああ、そうだ。君は仕事に戻って構わない。ご苦労だったね」
「は、はい!」
男性研究員は直立不動の姿勢で勢いよく返事をすると、部屋を出ていった。
透矢は男性研究員を見送った後、俺達に視線を移す。
「さあ、行こうか」
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